054 アイアラン

「末席の殿下だけで結構です。広間ダロワージは広すぎるので、端から端までは行けませぬ」

 アイアランはそう言って、銀狐エドロワたちはアイアランを乗せた輿こし玉座の間ダロワージの床に下ろした。

 ギリスはそれに顔をしかめた。

 アイアランが歩く気なのかと思って。

 その予想の通り、アイアランは這うようにして輿こしから立った。

 その弱って歩くさまに、英雄たちは一様に、不吉なものを見る顔をしていた。

 石にひしがれ、歩くこともできぬ。そうなれば死ぬのだと、皆思っている。

 無様だからだ。

 魔法戦士と称し、戦うために生きているのに、歩けないのでは戦えぬ。

 皆そう思っていて、足がえれば最後の小箱を開く。

 なぜ生きているのかと問う目で、皆がアイアランを見ている気がした。

 それに、ギリスはなぜか不承知で、のろのろと歩く弱いアイアランが、この席まで来るのをじっと待っている自分を感じた。

 歩いてこい、アイアラン。新星に予言を話せ。

 ギリスには念話は使えないが、使えればそう呼びかけただろうと思った。

 なぜかは分からぬが、今までも十分に、このような者がすぐに死ぬのを見てきた。

 子供部屋で。施療院でも。

 それが悔しく、ならばなぜ生んだのかと、内心、天使をうらんだ。ブラン・アムリネスを。

 弱く生まれるその罪を、慈悲深い天使が許さなければ、自分たちはこの世に生まれ、苦しんで生きることもなかったのだ。

 責任をとれ。

 そう呼びかけても、聖堂の天使像は何も答えなかったし、既に大陸の民の射た矢に胸を撃ち抜かれて、くずおれようとする姿に彫られていた。

 天使は断罪の矢を避けない。聖典にはそう記されている。

 のろのろと歩くアイアランは、苦しげに見えたが、なぜか微笑んでいた。

 子供部屋の連中が遊ぶ目隠し鬼みたいだ。

 でもアイアランには目隠し越しにも物が見えているのではないかと思えた。

 千里眼せんりがんで見ているのではないか。

 目隠しを取れば、すぐ目の前にあるものを、なぜ魔法で見るのか、ギリスには不可解だった。

 そんなことをすれば、ものを見るだけのことに魔法を使わねばならず、すぐに石が育つだろう。

 普通の英雄ならば。

 でもアイアランはまだ死んでいない。

 天使たちが、この弱った英雄をずっと生かし続けている。

「殿下……」

 静まりかえる広間ダロワージを渡り、アイアランは半ば崩れ落ちるように新星レイラスに平伏した。

 スィグルはそれが自分のところにやって来るのを、ギリスの報せで知っていたはずだが、それでも異様なものを見る目で驚いて眺めていた。

「殿下。銀狐エドロワばつのアイアランと申します。このような姿をお許しください。僕は未来視なのです。殿下に忠誠を誓うために参りました。ご帰還の列にお加えください。その、先頭に……」

 はあはあ苦しそうな息で、アイアランはそれでも笑って話していた。赤い唇が笑って見える。

 アイアランはスィグルと似ていた。同じ系統の顔立ちだ。西の渓谷オズトゥーシュ

 目隠しで顔が隠れていると、その下にある目元が見えないせいか、なおいっそう似て見えた。

 まるで双子みたいだ。そう見えなくもなかった。

「皆の、先頭に立ち……殿下をお導きします。麗しのフラタンジールへ!」

 含みのある言葉で、アイアランはそう告げた。新星を王都へ導くと。

 スィグルにその意味がわからないとは、ギリスには思えなかった。

 なにしろギリスにも分かったのだ。簡単な謎かけのはずだった。

 かつての英雄ディノトリスは、双子の弟である太祖アンフィバロウをこの砂漠の都タンジールへと導いた。

 その伝説は、この玉座の間ダロワージで飯を食う者は、皆よく知っている。

 この世で最初にまれた英雄譚ダージは、英雄ディノトリスのうただった。

 太祖アンフィバロウは、何もない砂漠の只中ただなかにあったタンジール遺跡に到達し、自分の即位を予言して麗しのフラタンジールと言い残して死んだデンのために泣き、その偉業を称える詩を詩人にませた。

 それが千年、歌い継がれている。

 その双子の兄弟の強いきずなが、この部族領のいしずえなのだ。

「帰還式の先導役はギリスだ。この、エル・ギリスに命じるつもりだ」

 新星はしれっと訳のわからないことを言った。

 ギリスはびっくりしてスィグルを見た。

 まさに唖然と、開いた口が塞がらず、あんぐりとして見ていた。

 そうか分かった、お前がやれアイアラン。そう言うところだろう?

 ギリスはそういう目で新星を見たが、スィグルは気味悪そうに肩をすくめてギリスを見返してきた。

「なんだよ……嫌なのか、ギリス」

「嫌じゃない。嫌とかではなく。アイアランに頼んだらどうだ。俺は気にしない、こいつの後ろで全然構わない。本当に」

 なんて言えばいいやらわからず、ギリスはしどろもどろに話した。

 アイアランの口元から笑いが消えていた。

 まさか、予想外の展開なのか。そう思えて、ギリスは礼服の中の体に変な汗をかいてきた。

 何か言え、アイアラン。未来が見えるんだろ?

 ギリスは心でそう話しかけたが、ひょろひょろの少年は重そうな礼服に押しつぶされるように座り、しばらく黙っていた。

「エル・ギリス。あなたも居ていい。殿下のおそばに。でも列は僕が先導する」

 暗い声でアイアランはギリスに言った。それにギリスはすぐに頷いた。

「好きにしろ。輿こしで?」

 ギリスは弱りきって見えるアイアランを気遣って、そう尋ねた。

 でも目隠しの英雄は、きっぱりと首を横に振ってみせた。

「いいや、砂牛で」

「乗ったことあるんだろうな?」

 予感というのはあるのか。

 未来視の英雄がそば近くにいると、ギリスの魔法も開花するのか、急にそんなことがギリスの脳裏によぎった。

 こいつ、馬にも乗れないんじゃないのかと。

「乗ったことない。教えて、エル・ギリス」

「はぁ!?」

 思わず上げたギリスの大声が、思いがけず玉座の間ダロワージに響き渡った。

 それを皆がにらんでいる気がして、ギリスは慌てて周囲を見渡した。

 でももう手遅れだ。叫んでしまった。

「馬鹿……そんなもん前もって練習してから来い。何のための未来視なんだ、アイアラン」

 なるべく皆には聞こえないように願って、ギリスは小声でアイアランに言った。

 それに目隠しの英雄は不満げに口を尖らせて見えた。

「僕は体が弱いんだ。練習なんかできない」

 きっぱりと当たり前のようにアイアランはギリスに答えた。

 あまりにも堂々として見えた。できないくせに偉そうだ。少しも悪いと思っていないらしい。

「教えてやれよギリス」

 新星が呆れた顔で、横から意見してきた。

「でも、なんで砂牛なの? 輿こしでもいいんじゃないのか?」

「砂牛でないとだめです、殿下」

 びっくりしたようにアイアランが答えている。

 砂牛でないとだめなのだろうなと、ギリスですら分かった。

 部族の初めの英雄譚ダージで、エル・ディノトリスは砂牛に運ばれてタンジールに到達している。

 他の者たちもたぶん砂牛に乗っていたのだろうが、それについては詩人は深く言及していない。

 絵巻物などでは、なぜか太祖は馬に乗っていたりもする。

 なぜ砂牛じゃないのかと謎だが、おそらく砂牛は鈍重そうに見え、荷運びの家畜であるし、よだれも垂らすからだろう。最悪の場合、る。

 だから何となく馬のほうが格好いいのだ。この部族では説明などいらない話だった。

 それでも、ディノトリスは砂牛に乗っていたと、古代の詩人がはっきりとうたに詠んでしまっている。

 これはもう動かせない。

「馬の方が格好よくない?」

 スィグルはあっけらかんと聞いた。

 アイアランはそれに唇を噛み締めて見えた。

 嫌な気分がしたときの、こいつの癖だ。おそらくそうだろう。

 ギリスはため息をついた。

「スィグル。アイアランは未来が見えるんだ。こいつが砂牛だと言えば砂牛だ。言うことをきけ」

「エル・ギリス」

 ギリスが助言すると、ほっとしたようにアイアランが親しげに名を呼んできた。頼るみたいに。

「ありがとう。殿下によく申し上げておいてくれ。僕はもう帰る」

「弱すぎるだろ、お前も。もっと飯食って歩け。よぼよぼじゃないか」

 ギリスは思わず忠告した。親しげに微笑んでいたアイアランは、それにまたぎょっとしたふうに青ざめた。

「僕は体が弱いんだよ! 仕方ないだろ、生まれつきなんだ」

「歩いたほうがいいよ。僕もちょっと……体が弱った時期があったけど、山で乗馬したら元気になった。食事もちゃんととったほうがいいよ。せてると力も出ないから」

 スィグルがにこやかにアイアランに教えてやっていた。おそらく親切心なのだろう。

 お前が言うのかというような忠告もあったが、ギリスはそれには目をつぶった。

 新星には後で忠告することにする。お前も飯は食えと。

「僕は子供部屋のころから、ずっとこうです。殿下」

 アイアランは反論してきた。目隠ししてなければ、不敬にも王族の殿下をにらんでいるのではと思えた。

 反抗的な餓鬼がきだなと、ギリスもそれをにらんだ。

 派閥の餓鬼がきなら、厳しいデンから二、三発、拳骨げんこつを食らうところだが、銀狐エドロワにはそういう風習はないのだろうか。

 こいつもえある髑髏馬ノルディラーンばつに来ればよかった。

「大丈夫。変われるよ。エル・アイアラン。僕の行列に加わってくれてありがとう。君ひとりで来るの?」

銀狐エドロワばつより、二十五名です……」

 アイアランは不本意そうに新星に教えた。

 それにスィグルは驚き、嬉しそうにギリスを見た。

「すごいね! ギリス。これで何人? お前の苦労も少なくて済みそうだな」

 能天気な王子だ。ギリスは新星スィグル・レイラスの認識をまた書き直した。

「歓迎するよ、エル・アイアラン。よろしく」

 スィグルは急に、アイアランに右手を差し出した。

 何の癖なのか、握手を求めたのだろうと思うが、王族は英雄と握手はしない。そういうのは身分の合う者同士でやることだ。

 魔法戦士は王族の兄弟というが、微妙なところだった。叩頭するのが礼儀だ。

 アイアランも新星の手を握りはしなかった。

「殿下。僕に触れないでください。未来をてしまいます」

 アイアランは暗い顔でそう言って、拒んだ。

 新星は困った顔で、自分の手を引っ込めた。

「でも、そのお心には、感謝します。僕と握手しようという者は、誰もいませんでした。殿下の勇気に敬意を」

「馬鹿なだけだよ、こいつは」

 ギリスはアイアランに教えた。

 それに目隠しの英雄が困った顔になり、こらえきれぬというふうに、吹き出して笑った。

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