044 予言
「未来視したんだ。殿下がまだ王都にお戻りになる前のことだ。タンジールにお戻りになる行列と、それが
「それが未来視だとなぜ分かる」
ギリスは疑わしく思って聞いた。
スィグル・レイラス殿下の帰還式の話が出たのは昨夜だが、それを今になって予言されてもお粗末だった。
全てが起きるより前に教えてくれていれば、ギリスも予言を信じられたかもしれないが、確かに
予言が成就した後になら、誰にでも言えることだった。
でもアイアランは疑われて、困った顔をしているようだった。
「なぜって……そりゃあ、わかるよ……。君は氷結術師だろ? 魔法を使う時、なぜそれが魔法だってわかるの?」
「わかるだろ。冷えるし……氷が出てくるんだから」
「僕もそうだよ。未来が
ギリスにとって、自分が普通だと言われるのは珍しいことだった。
でも、もしアイアランが本当に未来を
「いいんだ、別に信じなくても。僕は君に信じてくれと頼んでるんじゃない」
「何が言いたいんだ」
「レイラス殿下の帰還式の行列に加えて欲しい。僕と、それから
ギリスは即答できなかった。
しかしそれは、ずいぶん良い提案に思えた。
これから帰還式の行列に加わる英雄たちを百人も募らねばならないのだ。
アイアランと
それと比べれば、このひょろひょろのアイアランでも居ないよりはマシだろう。
三人のほうが、二人よりは多いのだし、百人に近づく。
それでもギリスは困って、相手に自分が見えないのを良いことに、がっくりと
「どういう提案なんだ、それは。なぜ殿下の行列に加わりたいんだ」
「殿下が次の族長閣下だからだ。必ず
その未来を
ギリスはそれに、なぜか驚きを覚えて、
「次の族長だって?」
「そうだよ。君が殿下の射手だろ?」
そう言って目隠しのアイアランは、何か環状のものを両手で支え、誰かの頭に載せるような仕草をして見せた。
戴冠式だろう。アイアランはそれを未来視したというのか。
「
ギリスは自分が食いつくように尋ねるのを聞いた。
未来視など信じないと言いながら、それは今、最も欲しい予言だったからだ。
ギリスが聞くと、アイアランは首をかしげたようだった。
「エル・ギリス。知らないかもしれないから、いいことを教えよう。当代の竜の涙で、天使から未来視の魔法を授かったのは、僕一人だけなんだよ」
アイアランが目隠しをした顔でにやにや笑っている。
それが何を意味するのか、ギリスには
「僕の話が嘘か本当か、実際、誰にも分からないんだよ。君が疑っている通り、僕は何とでも言えるんだ。でも君には正直に言うよ」
その話が嘘か本当かもわからないのに、アイアランはもっともらしくギリスに語った。
「僕はレイラス殿下の戴冠式を未来視したわけじゃない。次の族長の御世の、
アイアランは寝床に半身を起こしたまま、ギリスに
「サリスファーは?」
ギリスが聞くと、アイアランは寝床に側臥したまま、知らないというように肩をすくめた。
「誰、それ? 全部は憶えてないんだ。だって百人もいるんだろ? 何もかも
「お前も人の名前を忘れちゃうほうなのか」
ギリスは同情して聞いた。アイアランは笑っていた。
「そうでもないけど、だって知らない名前を百人分てさ、憶えられる? 僕は子供のころからずっとこういう病状だから、他の子たちと遊んだことがないんだよ。
「そうなのか……大変だったな」
何と言ってよいか分からず、ギリスは
「でも僕、
その最初の英雄の名を、アイアランはまるで自分の
「僕は同じなんだ、黎明の英雄と。全く同じだよね。
それは残念なのか、アイアランは残念そうに最後のところを言った。
「でも
「すごいな」
千里眼はそう珍しい魔法ではなかった。王宮には他にも使える者がいる。
未来視は存在が怪しまれるほど珍しいが、千里眼はありふれている。
そのため、太祖の
太祖の兄が
そんなことは今となってはもうどうでもいいし、そもそも確かめようがないのだ。
「王宮の外も
「俺はあんまり外には行かないから」
ギリスは困って答えた。アイアランがいかにも楽しげに言うもののことは、ギリスにはあまり興味のないものだった。
アイアランはギリスの気の無い返事に、がっかりしたようだった。
「どうして? 君も殿下と出かければいいよ。スィグル・レイラス殿下は、ずっとはこの王宮にいないよ」
アイアランがさも当然そうに言うので、ギリスはまさか今、スィグルが王宮にいないのかと思い焦った。
その様子が分かるのか、アイアランは悪戯が成功した子供のように、けらけら笑っている。
「違うよ。未来の話だよ、エル・ギリス。レイラス殿下はそのうちタンジールを出て行くよ」
「嘘だ。勝手なこと言うな。王族が……新星が
ギリスは驚いて教えた。王族はよほどの
タンジールの街中にさえ、暗殺を恐れて出ていかない。
王宮の中でなら、それこそ千里眼の魔道士たちが魔法の目で見張っている。
しかし都市部では、何かの事故に見せかけて殺されたとしても、誰も
そんな場所で、まんまと兄弟たちから消されては一大事だろう。
そういった蛮勇も、実際の歴史にはそうそう無いものだったが、その恐れがあれば王族の足を王宮内に引き留めるには十分だった。
アンフィバロウの血族が王宮を出ることはないのだ。それが常識だ。
ギリスもそう思っていた。昨夜までは。
しかし、スィグル・レイラスなら、やりかねない。
ギリスはそれを思って、険しい顔になった。
アイアランはそれにも、くすくすと訳知り顔で笑った。
「いいや? 殿下は出て行くよ。そもそも殿下は長く王都からお留守だっただろう? トルレッキオにいたよね。その時だって殿下が新星だったはずだろう? 運命ってものがあって、それが生まれつき決まってるとしたら、君たち
アイアランはだんだんと真剣味のある声になり、それをギリスに教えた。
ヤンファールで命を賭けた突撃を自分や派閥の
そういうことになる。もし本当にあれが次代の星なのであれば、そういうことだ。
「今はまだ、あの殿下の値打ちを知ってる者は少ないよ。君と、僕と……他に誰が?」
アイアランは自分の胸とギリスがいるほうを交互に指差してきて、うっとりと微笑みながら、そう言った。
「今のうちに二人で分けよう。あの金の麦を」
スィグルの名は部族の言葉で、金の麦という意味だった。
「麦が実ってからなら、誰にでもその値打ちがわかるだろうけど、
そう聞くアイアランは賢いのだろうか。
ギリスには計りかねた。ただの狂人にも見えた。狂っていないようにも。
それを言うなら自分のほうがおかしいのだろう。
未来が
「僕を殿下に会わせてほしい。できれば僕が生きてるうちに、さっさと忠誠を誓いたい。できれば殿下に気に入られたい。黎明の英雄として、殿下が僕を長く憶えていてくださるように」
「せいぜい頑張ってくれ」
知ったことかと思い、ギリスは投げやりに返事をした。
「じゃあ、かまわないよね?」
アイアランは弾む声で尋ねてくる。ギリスはアイアランの目隠しした顔を見た。
「何がだよ」
「僕が殿下の本当の
あっさりと言うアイアランに、ギリスは耳を疑った。
何を言っているんだ、こいつは。射手は長老会が選ぶもので、もうギリスが任命されている。
かつて生きていた大英雄イェズラムが命じ、つい先ほども、エル・エレンディラがギリスを射手として遇した。殿下を支えるようにと、あの女英雄もギリスを励ましたのだ。
それがなぜ、こんな殿下と一面識もないひょろひょろのやつに交代されなきゃいけないんだ。
射手は殿下の側仕えの護衛も兼ねている。自分の足で立って走ることもできず、攻撃も迎撃もできないような奴を、魔法戦士と呼べるのか。これが殿下を守れるか?
急につらつらとそう思い、ギリスは気分が悪かった。
王族が射手を選ぶ訳ではない。アイアランがいくら殿下に取り入ったところで、スィグルの我儘で射手になる魔法戦士が変わるわけじゃない。
そんなはずはないのだ。
「馬鹿。お前なんかに務まらない」
ギリスは悪態をついた。それにもアイアランは笑っていた。
「そうかな? エル・ディノトリスは太祖アンフィバロウを守って戦ったりしてないよ。逃避行の最中だってずっと半死半生で、砂牛に乗って運ばれてるじゃないか。
「だからタンジールに着くなり黎明のディノトリスはくたばってる」
ギリスが教えると、アイアランは何かが余程おかしかったのか、甲高い笑い声をギリスに聞かせた。
「そうだよ。何もせず未来視だけして、すぐ死んでもいいんだったら僕にもできそう」
ギリスは呆れてアイアランを
何を言ってるんだ、こいつは。何を。俺が射手だ。
つい先刻までは心のどこかで逡巡があったのかもしれなかった。
なぜ自分のように至らない者を、
こいつより俺のほうが射手にふさわしい。
そうでなければ、
俺はもう射手なのだ。何でこんなやつに。
ギリスは訳がわからず、
胸がむかつく。もう帰ろうと思った。
こんな目隠ししたひょろひょろの馬鹿と関わりあって、時を無駄にしていられない。
新星の居室の用意があるし、それに晩餐も近い。
その前にスィグル・レイラスと会って、エレンディラからの伝言を伝えなくては。
あのお茶も、スィグルに教えたら喜ぶかもしれない。
そうだといいと思った。
こんな奴と話している暇など、最初から自分には無かったのだ。
「殿下によろしく。今夜、晩餐の席でご挨拶するね。よろしく伝えて」
「歩いたら死ぬような奴が
「行けるよ。歩かなければ大丈夫。僕は英雄なんだ。君にも、誰にも、
目隠しの布越しにも、やはりギリスが見えているのか、アイアランは立ち上がったギリスを見上げている。
「僕たち、同じ主君に使える仲間だろ? 僕の未来視ではそう出てる。仲良くしよう」
「断る」
ギリスが即答で断ると、アイアランはまた笑った。
「僕の未来視を信じないなら、この目隠しを取ってもいいかな? そうすると僕には君の死が
脅す口調でアイアランは自分の目隠しに人差し指だけをかけて、それをずらす
嫌な気分だ。
「好きにしろ。お前を信じない」
脅しに乗らないつもりでギリスは答えたが、アイアランはにやりとして、本当に目隠しを外した。
長い絹の布の輪が、首元に落とされ、それを巻いて寝床にいるアイアランは、まるでこれから首を吊られる罪人のように見えた。
色の落ちた薄暗がりの中で、アイアランはじっとギリスを見上げている。
その目が、ひどく大きく見え、痩せて落ち窪んだ顔の中でやけに目立った。
美しい顔立ちだった。髪はぼさぼさで、痩せ衰えているが、アイアランは可愛げのある顔立ちだ。
もっと食って、普通に生きられれば、こんな暗闇の中で伏せっていなくてもいいのではと思えた。
額にある石もとても小さい。それが乱れた髪に隠れてしまうと、アイアランは魔法戦士ではない、ただの病弱な少年に見えた。
「君、ものすごく長く生きるよ。僕と比べたら、呆れるぐらい」
「そりゃどうも」
ギリスは信じないなりに、ほっとして答えた。
「ほんとに天使って不公平だよ。君には大魔法と長命が。僕にはこれっぽっちの命しかなくて、誇れる魔法も未来視ぐらいしかない」
アイアランは悔しげに言い、ギリスから目をそらして唇を噛んでいた。
「それでも僕も英雄になるんだ。君とは違う意味で、殿下が永遠に忘れない英雄になる。詩人たちもちゃんとそれを
「アイアラン」
残念そうに肩を落として言われると、ギリスは気が
それでつい同情的な声を出したが、扱いにくい相手だった。
アイアランがもう長くは生きないことは、間違いがない。ジェレフも長くは保たないと言っていたし、サリスファーの友の透視術師も、こいつの頭の中が石でいっぱいだと言っていた。
それを聞かなくても、アイアランの弱りようは、これまで多くの仲間や小さい
「エル・ギリス。この先で言う暇がないと困るから、今もう言うけど、僕は君には感謝してる。どんな結果になっても、君が僕に示してくれた同情には、本当にありがたいと思っているんだ。それを忘れないでくれ」
長年の友のように、アイアランはギリスの目を見て言った。
その中にも星雲が渦巻いて見え、ギリスは恐ろしくなった。
恐れというのが自分の中にもあるのなら、きっとこれがそうなのだろう。
昨夜、新星の目の中にもあったのと同じ、見れば身の
まるで夜空の暗い星雲のように、アイアランの目の中には暗い魔法が
「殿下に伝える。お前が会いたがっていることだけは」
「それでいいよ。ありがとう、ギリス」
馴れ馴れしく呼び捨てで、アイアランはギリスを呼んだ。
同い年で、こちらも呼び捨てなのだから、別にいいのだろう。
その親しげな声が不可解で、気味が悪く、それでも何もおかしくない気がして、ギリスは身震いした。
未来視などと関わるものではない。ジェレフの言うとおりだ。
自分も
戻ってジェレフに謝ろう。そして尋ねなくてはならない。
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