043 栄光あれ

 ギリスが足を向けると、施療院に向かう通路は軽い騒ぎになっていた。

 慌てた口調でしゃべる怒ったような連中が、玉座の間ダロワージのあるほうから駆けてきて、その後を追うように輿こしになった王宮の侍従や英雄たちが駆け込んできていた。

 急病の者か怪我人でも出たのか。

 それが施療院に駆け込んで行くのを横目に見て、ギリスは広間ダロワージの壁を飾るための薄絹らしき赤い布を被せられた、輿こしに倒れている誰か見送った。

 魔法戦士だ。おそらく。

 その帯に、ギリスも見覚えのある毛皮の房飾りが下がっており、まるで長い尻尾のある者のように見えた。

 銀狐エドロワだ。

 それに気づいて、ギリスはハッとし、慌てて走る足取りで輿こしの後を追いかけた。

 施療院の入り口にはいくつもの輿こしが先を争うように到着していた。

 そのどれもに、毛皮の尻尾を下げた者たちが横たわっている。

 見るからに、輿こし にあるどの身体も力なく、ぐったりとしていた。

 中には一つ、まだ激しく震えているものがあり、施療院の者たちがその中ほどの輿こしを先に通せと怒鳴っている。

「エル・ジェレフを呼べ」

 ギリスも見覚えのある術医が施療院の真っ白な扉のところで怒鳴っていた。

 顔をしかめ、ギリスはそれを眺めた。

 あいにくジェレフは派閥で酔っている。それでもデンは施療院の勤めではないはずで、今は役目としては族長の侍医のままのはずだ。

 族長がジェレフを地方への巡察に出す間も、当代の奇跡と名高い治癒者であるジェレフは、その大任から解かれていない。

「必要ない。もう死んでる」

 輿こしを運んできた者たちが、疲れた様子でばちに叫び返す。

 彼らが施療院に押し込んできた輿こしのひとつひとつを、ギリスはそれに被せられていた赤い薄絹をはがして中身を確かめた。

 あのアイアランという少年がいるのかどうか。

 遺体はどれも正装しており、絢爛けんらんな宮廷衣装を身にまとった等身大の人形のように思えた。

 それがどれも蒼白な顔で、悶絶の跡を死顔に残しているのでなければ、本当に皆、美しい英雄の人形のようだ。

「診察する!」

 術医が通路の奥から怒鳴り返してきた。

 ギリスは連なる輿こしの下を潜り、床を這うようにして施療院の扉まで行った。

 そして押し問答している術医の袖を引き、その注意を自分に向けさせようとした。

「なんだ!?」

 血相を変えた顔で、術医は恐慌してギリスに向き直った。

「アイアランは?」

「知るか、夜の庭にいるだろう。何の用だ」

 血走った目で、術医がギリスをにらんで答えた。

 死屍累々の戦場でも、当代の奇跡とうたわれるデンの目はいつも澄んでいたが、この術医は違うらしい。

「ジェレフは忙しい。あいつを宛にするな。お前らだけでやれ」

 ギリスが教えると、術医は唖然としていた。呆然としたのかもしれなかった。

 だが見たところ、ギリスの見立てでも銀狐エドロワたちは死んでいた。自決したのだ。

 皆、まだ晩餐の時でもないのに正装だし、赤い薄絹をめくって見た時、まだ手に薬入れを持っている者もいた。

 英雄がその小箱を開く時が、命の終わりだ。死ぬときを自分で決めてよいことになっている。

 皆、それぞれ自分が死ぬ時に使う毒を持ち歩いており、いざとなれば服毒する。そういう慣わしだ。

 義務ではないが、皆、その小箱を持っていると安心するのだそうだ。

 もしも石が暴れて、いくら紫煙蝶ダッカ・モルフェスを吸ってもまだ、死にたいような痛みが続いたら、最後はその小箱を頼ってもいい。速やかな死が、全ての痛みを止めてくれるだろう。

 皆はそう言っている。

 ギリスにはまだ、その死の小箱は持ち合わせがない。

 そんなものは必要ないという気がして、まだ用意していないだけだ。

 いずれはそんな日も。

 眠るように死んでいる誰かが、輿こしの上でまだ虚ろな目を開いているのを、ギリスは通りすがりにまぶたに触れて閉じてやった。

 楽園に逝けるのか。この兄弟たちは。

 この中にアイアランはいない。

 一体なにが銀狐エドロワたちに起きているのか。

 それをアイアランに聞かねばならない気がして、ギリスは夜の庭を探すことにした。

 さっきの術医が教えてくれたその場所が、どこにあるのかギリスには分からなかったが、この王宮のどこかにあるのならば、必ず誰かが知っている。

 殺到してきた輿こしをまた抜けて、ギリスは死者の行列の末尾にいた、尻尾のある連中に聞くことにした。

 もちろんまだ生きている銀狐エドロワたちだ。

 死せる兄弟たちを施療院に送ってきたが、輿こしを運ぶ任にはあぶれた者たちだろう。

 これから彼らの兄弟たちは、死を確かめてから、頭の中にある竜の涙を取り出す手術を受けるはずだ。

 それが終わるのを待ち、墓所への埋葬と葬儀を執り行うため、身近な者たちは服喪する。

「旅立つデンたちに栄光あれ」

 ギリスはお決まりの葬式の挨拶をした。銀狐エドロワの誰かに。

 背の高い男が、どことなく呆然として立ち尽くしていたのだ。

 そいつは灰色がかった紫の目で、じっとギリスを見た。

デンではない。ジョットだった。まだ十五だったのに」

 驚いたように、銀狐エドロワの英雄は言った。

「早い旅立ちだ」

「あぁ……お前ぐらいだった。今朝まで一緒に乗馬を……」

 まだ馬に揺られているように、そのデンの体は揺らいで見えた。

「アイアランに会いたい。夜の庭にいるのか。それはどこだ?」

 ギリスが強い声で聞くと、どこか朦朧もうろうとしたようなその男は、ギリスの腕を急に掴んできた。

 宮廷では普通、親しくもない他人の体には、みだりに触れたりはしない。

 なぜ腕を掴まれたのか、ギリスは鳥肌立って、その男の顔を見上げた。

 唖然と向き合うまま、男はギリスの袖口に手を入れて、肌に触れてきた。

 その瞬間、何かが見えた気がした。頭の中で。

 幻視術か、それとも念話の一種なのか。

 ギリスの脳裏に王宮の廊下を走るような高速の絵が流れ、やがて、いくつかのつじを曲がった先にある、幻覚の大扉の前に着いた。

 その扉が開くと、中に噴水と池があり、暗い室内の高い天井には輝く翼の鳥たちが飛び交っているのが見えた。

 夜光鳥やこうちょう だ。

 それが飛び交う下の四阿あずまやに、絹と毛皮を敷いた寝床のようなものがあり、誰かが寝ていた。

 長く乱れた黒髪を結いもしていない、痩せて小柄な誰か。

 寝床の四方に置かれた香炉から、もうもうと白い煙があがる中、それがゆっくりと起き上がり、幻覚の中でギリスを見た。

 青い目だった。虹色の虹彩をまとった、やけに大きな蛇眼じゃがんだ。

 アイアラン……。

 囁くような幻覚の声が、ギリスの頭の中に響き、その声が自分の耳を破りそうで、ギリスは驚いて男の手を振り払った。

「エル・ギリス。アイアランが待っていると伝えてきた」

 まだ幻の中で目を合わせたアイアランが眼前にいるような気がして、ギリスは頭を振った。

「普通に言葉で教えてくれない?」

「言葉は虚しい。ジョットも今朝までは、大丈夫だと言っていた」

 答える男の顔は悲しそうだった。涙を流している。

 ギリスは気の毒になり、その見も知らぬデンを励ましたくて言った。

「きっと今ごろはもう楽園にいる」

英雄譚ダージもないのにか……」

 男は絶望したように言って、ギリスに背を向けた。

 まるでもう用事が済んだように、よろよろと歩み去っていく。

 今あの幻視術師が見せたものを信じてよいのか。

 ギリスは悩んだが、他にアイアランの居所に心当たりがないのも事実だ。

 行ってみたって構わないだろう。幻の導くとおりならば、その夜の庭はそう遠い場所でもなかった。

 いくつかのつじを曲がり、少しの階段を降りて、地下都市タンジールの王宮の中に位置する、人工的な空洞の庭に行く。

 そこは工人こうじんたちの作品で、もとは岩盤だったものを掘って作られた空間だ。

 タンジールには地下遺跡として、もともと太祖と射手の時代から存在していた空間もあるが、それ以外の多くの部分は必要に応じて工人こうじんたちが掘ったものだ。

 ギリスが住む英雄のための個人房もそういった人工的な場所で、おそらく夜の庭もそうだ。

 幻の中で見た限りでは、縦に長い円筒形の空間で、鳥を飼うための庭に思えた。

 大きな鳥籠のような形をしている。

 そこに夜光植物や菌類が植えられ、泉が作られ、そこにも光る魚がいた。

 おそらく暗闇を楽しむための庭園なのだろう。

 人工的な光で照らされているタンジールでは、朝も夜もない。

 都市部は夜には光が落とされ、朝にはまた照らされる仕組みだが、王宮だけは常に眠らない明るい区画だった。

 そのせいで、光に疲れた者が、のんびりと闇を楽しむための部屋があるのだ。

 アイアランはそこで寝ているらしい。なぜそんなところに居るのか。

 聞けばわかるだろうと、ギリスは人気の絶えた通路を歩き、その途中にあった幻視したのと同じ大扉を見つけた。

 黄金の飾り板が扉の上に掲げられて、夜の庭と記されている。

 そのような庭園が王宮のそこかしこにあり、ギリスにはまだ経験はないが、恋人との逢引あいびきに使う者もいるらしい。庭園には鍵がかけられるせいだ。

 しかし夜の庭の鍵は開いていた。誰かが中から鍵を開けたのか、初めから開いていたかだ。

 ギリスは重たい扉を開いた。

 中からは、小さくさえずる鳥の声と、胸を突くような濃厚な煙と花の匂いがした。

「エル・ギリス。よく分かったね、ここが」

 ギリスが庭に足を踏み入れると、待ち構えていたように声が聞こえた。闇の中から。

 高い丸天井に残響がして、声はあちこちから聞こえるような気がした。

 声の主はアイアランだろうと思えたが、ギリスは自分の目が夜の庭の光量に慣れるまで、扉のそばに立って待った。

「エル・エレンディラにお茶をもらえたかい」

 アイアランは訳知り顔の微笑が目にうかぶような、高揚した声でギリスに尋ねてきた。

 それをギリスは薄灯うすびにうかぶ中央の四阿あずまやの寝床の上に探したが、アイアランはそんな所にはいなかった。

 すぐ横にいたのだ。扉の脇の木立の中に。

 鬱蒼うっそうと茂る羊歯しだのような樹が植えられていた。

 わずかな光量でも育つ、タンジールの闇の植物たちだ。

 この都市の外には存在しない、稀少なしゅだが、あいにくタンジールでは珍しくはなかった。

 硬くごつごつした樹皮のある闇羊歯やみしだの木に寄り掛かり、アイアランはこちらを見ていた。

 見ているのだと思っていたが、ギリスの目が闇に慣れるにつれ、アイアランには何も見えていないのが分かった。

 目隠ししている。

 薄暗がりで目隠しとは、一体どういう意味かとギリスは呆れたが、アイアランは目が見えないのではなかったのか。

「何か喋ってよ。いるんだろ?」

 面白そうに、アイアランはギリスに呼びかけてきた。

 黙っていてもしょうがないのだろう。ギリスもアイアランに用があって来たのだから、ずっと無視しているのも変だ。

 諦めて、ギリスは扉を閉めたその場で話した。

「お前の派閥の葬式を見てきた」

「まだ葬式じゃないよ。ついさっき死んだばかりだろ。玉座の間ダロワージで死ぬって言ってたよ、皆。そうすればきっと、玉座にもこの無念がわかるだろうって」

 この庭園にいても、アイアランは銀狐エドロワに起きたことを知っているようだった。

 さっきも幻視術を使う銀狐エドロワがいたし、誰かがアイアランに外の出来事を伝えているのかもしれない。

 妙な奴だが、魔法戦士とは皆、妙なものだ。気にしてもしょうがなかった。

 銀狐エドロワに何が起きているのか、もう聞かなくても済んだ。

 それ以上、詳しく聞いたところでギリスにはどうしようもないことだった。

 英雄たちが皆、この停戦に絶望していることは分かった。

 それが皆に死の小箱を開かせるほどとは、正直思っていなかったが。

「俺に何の用だ」

 ギリスはアイアランに尋ねた。わざわざ呼びつけるには用件があるはずだった。

 それにアイアランがくすくすと忍び笑う声がした。

「君はせっかちだよね。まだ初対面なんだよ。まずはお互いもうちょっと知り合おう」

「何のために」

 ギリスは自分のつっけんどんな口調が、さっきどこかで道を聞いた花簪はなかんざしの娘とよく似ている気がした。

 あいつも、急に現れたギリスを警戒していたのだろう。

 いきなり出会った魔法戦士に、やあやあこんにちはと愛想良く語りかける気はしないものだなと、ギリスは納得した。

 しかし、お互い用があって会いに来たのだろう。アイアランの用件はまだ聞いてはいないが、最初から牙を剥きあっていてもしょうがない。

髑髏馬ノルディラーンばつのエル・ギリスだ」

「知ってるよ。氷の蛇だ。僕は銀狐エドロワばつのアイアラン。未来視だよ」

 それもギリスはもう知っていた。

 さっき聞いた。最初に出会った時に。

 そう思ってギリスが暗闇の中でため息をつくと、何か可笑おかしかったのか、アイアランは目隠ししたままでくすくすと笑った。

「僕が何歳かわかる? 当ててみて。それとも知ってる?」

 ギリスは知らなかった。なぜそんなことを聞かれるのかも分からない。

「十二? 十三?」

 見たところアイアランが元服しているのかも怪しかった。

 しかし派閥に属しているのだから、子供ということはないだろう。

 それでも、背格好はサリスファーやスィグル・レイラスと同じぐらいに見えるものの、アイアランの肌色は元服前の餓鬼のようだった。

 生っ白く透けるような顔色で、手も足も虚弱そうだ。

 自分の足で立っているのが嘘のような、折れそうな骨張った細い足だった。

 それでも立っている。

 最初、輿こしに乗って現れた時には、こいつは歩けないのだと思えたが、そういう訳ではないらしい。

「僕、君と同い年だよ。エル・ギリス。もうすぐ十七歳になる。もしかしたら僕のほうがデンかな?」

 そう言われて、ギリスは顔をしかめた。

 英雄たちの誕生日とは命名日のことだ。出生日は記録されないので分からない。

 それで多少先に命名日が来るからといって、自分のほうがデンだと言われても心外だった。

「叩頭してよ、エル・ギリス」

 揶揄からかうような声で、アイアランが求めてきた。

「嫌だよ。どう見てもお前はチビだ。どうせ嘘ついてる」

 ギリスはアイアランの求めには応じなかった。もしかして本当に何日かは年上なのかもしれないが、見た目にアイアランは幼かった。もし本当に同い年なら、相当に発育が悪い奴だ。

 それが石のせいなのか、何なのか、ギリスには分かりかねたが、アイアランが健康ではないのは間違いがなかった。ただ立っているだけでも、呼吸が苦しげだ。

「悪いんだけど、横になって話してもいいかな。立っているのが苦手でね」

「好きにしてくれ」

 また気絶されても困ると思い、ギリスはアイアランに許した。

 のろのろと庭園の羊歯しだの積もる床を歩き、アイアランはまるでもう老人のような足取りだった。

 そう遠くもない庭園の真ん中にある四阿あずまやに行くのにも、のんびりと時間がかかる。

 よく見れば杖も突いている。蛇が巻き付いた装飾のある白木の杖を、アイアランは左手に持っていた。

 その難儀そうに歩く姿を見ると、ギリスはアイアランが気の毒になった。

 同じ竜の涙といっても、病状はさまざまで、ギリスのように平気で駆け回り、乗馬や体術を習う者もいれば、アイアランのように生きるのがやっとという風情の者もいる。

 天使は常に不公平だ。死の天使が誰もに平等に訪れると皆は言うが、死の天使ノルティエ・デュアス依枯贔屓えこひいきをする。特に愛している者を、早めに連れ去ろうとする天使だ。

 そういう意味では、アイアランは死の天使に愛されているように思えた。

 いつまで生きていられるか分からない。

「君もこっちに来てくれない? 大声で話したくないから」

 四阿あずまやの寝床に億劫おっくうげに横たわり、アイアランはれたような声で呼びかけてきた。

 まさかこの王宮の庭に、特に危険もないだろう。

 アイアランが派閥の助っ人を羊歯しだの森に潜ませていて、ギリスを袋叩きにするとも思えなかった。

 闇の溜まった庭のそこかしこにいるのは鳥だけで、そのほかに動く者はいない。

「君に相談がある。断らないで欲しい」

 毛皮の寝床のそばに行くと、そこに寝そべったアイアランは目隠しをしたままでもギリスを見ている様子で、前置きなく話し始めた。

 ギリスはそれを居所がなく、四阿あずまやの柱をつなぐ低い石造の段に腰掛けて聞いた。

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