034 髑髏馬《ノルディラーン》たち
鼻を
ギリスは遠慮なく、勝手知ったる派閥の部屋を進み、奥の間の戸を開いた。
中には大人ばかりがいた。皆、車座で
ギリスは中を見回して、目当ての相手がいるか確かめた。
ジェレフは部屋の奥で何人かの魔法戦士と話していた。
「入っていい?」
ギリスは誰にともなく大声で聞いた。
すると酔っ払っているらしい
「餓鬼は帰れ」
誰かがそう言ってきたが、ジェレフではないだろう。
ギリスは気にせず入った。
叩頭した方が良かっただろうが、どうせ誰も見ていない。
腹が減った。
膳に盛られている宴席の料理を見て、ギリスはまだ
少し遠いが、声が届かぬ程ではないだろう。
座る
膳にあった
それを堪能してから、いつまでも話し終わらないジェレフにギリスは大声で話しかけた。
「ねえジェレフ、女英雄にお茶に来いって言われたんだけど、俺どうしたらいい? 初めてだから分かんないよ」
ギリスが鶏を食いながら尋ねると、酔っ払っていた
「生意気だぞギリス。なまっ白い餓鬼のくせに」
「どんな女だ」
「めちゃくちゃ美人で、二人」
「お前みたいな馬鹿がなぜモテる。世の中おかしい」
深く嘆く声で
戸口ではまだ、入りそびれた
「風呂入っていった方がいい?」
ギリスはジェレフに聞いたつもりだったが、素焼きの麦酒壷を持ってきた別の
「好きなだけ入れ」
「やめてよ! まだ食ってるんだから」
箸先まで麦酒が滴るほどかけられた。酷い
「ジェレフの送別会だぞ、ギリス。女は諦めて一緒に朝まで飲め」
「嫌だよ。他にも用事があるんだ。朝まで付き合うほど暇じゃないんだよ俺は」
「うるせぇ下っ端のくせに」
誰かも分からぬ泥酔した
「ジェレフ、ねえ」
別の
「
ギリスがうるさく呼びかけると、他の誰かと話していたジェレフが、むかっとした顔でこっちを振り向いた。
「うるさいぞ、ギリス。今こっちで話してるだろ」
「
「なんだって?」
ジェレフは険しい顔で、宴席の上座からギリスを見てきた。
派閥にはジェレフを慕う者も多い。ちょっと出かける程度のことで、皆が集まって酒を飲んでくれるのだ。
そのせいで、ジェレフの席の周りにはギリスよりも
どれも
普通の小英雄であれば、それだけで小便もらして叩頭するような連中なのだろう。
それでもギリスは
かつてヤンファールの平原で、そういう作戦だったとはいえ、
ジェレフもそうだ。
ジェレフが死ななくてよかったと、ギリスは心底思っていた。
いざとなれば
その矛盾が、どうしてもギリスには理解できなかった。
今もジェレフは、もう一言でも口をきいたら殴ってきそうな顔をしている。
「
ジェレフはさも当然そうにギリスに忠告する口調だった。
「ここだってそうじゃない?」
ギリスは部屋を見回して言った。もう酔い潰れて倒れている
「馬鹿を言うな」
麦酒壺から直に酒を飲んでいた隣の
これがまともと言えるのか、ギリスは疑問だった。
派閥の宴席には行くなと、
だが、宴席ではいつにないご馳走が食えるので、ギリスは
「誇りを持て、ギリス。お前はこの派閥の
「まあそうだけど」
栄光ある
夜の
「どうやって知った。
まだ険しい顔で、ジェレフが離れた席から聞いてきた。
「さっき階段で会った」
「あいつと口を聞くな、ギリス。死を予言する」
ギリスがその話に口を尖らせると、ジェレフは反抗したと思ったのか、もっと厳しい顔になった。
「本当だぞ。それで何人も自決してる。あいつは
死を予言するなと自分で言ったくせに、ジェレフがアイアランの死を予言していた。
ギリスはますます不満顔になった。
「そいつに後で来いって言われたんだけど、どこへ行けばいいんだ?」
「お前、聞いてるのか、俺の話を……」
ジェレフは頭を抱えて、自分の膳の酒杯を上げた。
見た目には分からなかったが、たぶん
「知ってるんだろ、アイアランの居所を」
「知ってる。あいつは施療院の預かりだ。ずっと具合が悪いしな」
「なのに、なんでずっと生きてるの」
ギリスは不思議で、ジェレフに尋ねた。
小英雄たちは健康でなくては生きていられない。
本当の意味で健康な者など竜の涙にはいないが、まだ武功がなく、これといった見込みもなければ、ほどほどのところで生涯を閉じることになるのが常だ。
部族のために命を捧げた英雄であった。そう詩人たちがお決まりの歌を歌い、
その葬式がある日には、英雄たちは
聞くものの少ないその
ギリスはそのような不幸からはもう、永遠に免れていた。イェズラムと、認めたくはないが、あの偉そうな玉座の男のお陰で。
ヤンファールの
いつ地獄に落ちるのかと恐れて生きる必要がない。
そこでは鎮痛する薬もなく、絶え間なく石が痛む。眠ることも死ぬこともできず、ただ永遠に苦悶する暗闇だ。
それがどんなものか、ギリスには見当もつかないが、故人がそんなところへ逝かないことを願わずにはいられない。
もしイェズラムがそんなところにいるのなら、ギリスは代わってやりたかった。死も痛みもない楽園にいてもらいたい。
「あいつは死ねないんだ。未来視だからな」
「どうして?」
ギリスはそれについて聞いたことがなく、ジェレフに話を求めた。
未来視の魔法は、最初の英雄であるエル・ディノトリスの伝説にも登場するので、存在することは広く知られているが、実在する竜の涙の中に術者はいない。いないのだとギリスは思っていた。
でもまさか当代の王宮にそんな珍しい者がいたとは。なぜもっと知られていないのかと、ギリスは不思議だった。
「未来視の英雄は滅多に現れないから貴重なんだ。だがあいつは、まともな未来を予言しないんだよ。生かしていても、役には立たない」
ジェレフにしては辛辣な話ぶりだった。
誰にでも優しいジェレフを怒らせるとは、よほどの悪党なのか。
自分も
「あいつ、何か予言したの?」
誰にともなくギリスが聞くと、離れた席で煙管を吸っていた
「ヤンファールの勝利を」
「じゃあ当てたんじゃん!?」
驚いて、ギリスは麦酒の滴る箸で掴んだ鶏肉を膳の上で落とした。
無作法だぞといつも咎める
叱られるかと身構えたのに、損をしたと思い、ギリスはその肉を手で拾って口に入れた。
「それが当てたことになるか? 戦は勝つか負けるかだ。いつ、どのように勝つかを事前に当てるのでないと、意味がないだろう。魔法としては」
麦酒の壺を抱いている隣の兄が、額を覆う
「勝利だけなら俺だって予言できる。族長は常勝無敗の名君だ。あの方が戦えば、必ず勝つ。この名君の時代にはな、そんなもんは予言じゃないんだ」
ギリスは肉を噛みながら、何かがおかしい気がして、顔を
しかめっ面で鶏を食っているギリスを、
「わかったか、
麦酒壺の
「いいや、分からない。アイアランはなぜヤンファールの
「魔法戦士じゃないからだ」
「魔法戦士だろ」
「王宮で寝て、夢見てるやつが戦士か。お前や、俺たちが戦場で
「俺はアイアランと会う。あいつは新星の未来を予言すると言ってた」
「やめろ」
鋭い声でジェレフが叱責してきた。明らかに怒っている声だ。
「未来視は伝説上の魔法だ。エル・ディノトリスだけが使う。古い
「言い過ぎだジェレフ」
激して言うジェレフに、その隣にいた暗い青の石をした
誰だか見覚えはないが、ジェレフと親しそうだった。
座る距離も近いし、年頃も近かった。ギリスにも子供時代の大部屋仲間がいるように、ジェレフにもいる。おそらくその一人だろうと、ギリスは見当をつけた。
子供部屋の繋がりは、派閥ごとの結束や、
「嘘じゃない。未来視の魔法はあるんだけど、精度が低いんだ。伝説の射手、エル・ディノトリスは偶然、王都タンジールへの脱出行を未来視した。その予言が太祖アンフィバロウに脱出を決意させたんだ。でも、皆がついていったのは、ディノトリスにではない。アンフィバロウのほうだ。予言ではなく、太祖のお人柄を皆が信じた」
「そうだ」
渋々と酒杯をあげて、ジェレフが同意した。
ジェレフでも他人の意見に同意することがあるんだと、ギリスは感心した。
「予言だけあってもしょうがないんだ。名君リューズ・スィノニムは予言など必要としない。それがなくても、皆が閣下を信じている。今も……」
どことなく遠い目で、喋っていた青い石の
それが何を言おうとしていたのか、ギリスには分からなかった。
青い石の男はふと気づいたふうに部屋の戸口を見て、何かに気づき、にっこりとした。凛々しいが優しげな
「やあ。サリスファー。何やってるんだ、そこで。腹が減ったか」
そいつが戸口にいた
さっきまでギリスにまとわりついていた
優しく声をかけられて、
それを車座の中に座らせ、空になっていたジェレフの酒杯に
「ジェレフ。俺の
「ユーレラン」
ジェレフは複雑そうな顔で、隣の
その名にギリスは聞き覚えがあった。
しかし考えないようにした。
英明なる紺碧のユーレランだ。
そういえば、その隣にいる
これが慧眼なる灰色のエル・ダージフだ。
ダージフは心配げに友を見ていた。同じ
お前は俺より
生きるのだ。なんとしても長く生きて、新星を夜に放つ。
それがどんな星であるべきか、ギリスは考えていた。今朝、第十六王子スィグル・レイラスに問われてから、ずっと。
皆を栄光に導く星でなければ、玉座を与えたくない。だが栄光とは何だ。
栄光とは。
「
意を決したように、膳の前に
あいつは馬鹿か。なぜ今言うんだ。時機ってもんがあるだろうと、ギリスはそう思った。
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