034 髑髏馬《ノルディラーン》たち

 鼻をうごめかせて、ギリスは奥のの宴会の気配を悟った。麦酒ばくしゅの匂いがする。

 ギリスは遠慮なく、勝手知ったる派閥の部屋を進み、奥の間の戸を開いた。

 中には大人ばかりがいた。皆、車座でぜんを囲み、飯を食ったり酒杯を持っていたりした。

 ギリスは中を見回して、目当ての相手がいるか確かめた。

 ジェレフは部屋の奥で何人かの魔法戦士と話していた。

「入っていい?」

 ギリスは誰にともなく大声で聞いた。

 すると酔っ払っているらしいデンたちがギリスと、たじろぐジョットたちに気付き、銀のはしやら野菜の切れ端やらを投げてきた。

「餓鬼は帰れ」

 誰かがそう言ってきたが、ジェレフではないだろう。デンは話し込んでいて、こちらには気づいていないようだ。

 ギリスは気にせず入った。

 叩頭した方が良かっただろうが、どうせ誰も見ていない。

 腹が減った。

 膳に盛られている宴席の料理を見て、ギリスはまだはしがついていないらしい一席をジェレフのそばに見つけた。

 少し遠いが、声が届かぬ程ではないだろう。

 座るデンたちの背後の床を拾い歩いて、ギリスはその席まで行き、すとんと腰をおろした。

 膳にあったはしをとり、とりあえず腹が減っていたので二口三口、料理を食べた。鶏と豆と果物を炒めたもので、冷めていたが美味かった。

 それを堪能してから、いつまでも話し終わらないジェレフにギリスは大声で話しかけた。

「ねえジェレフ、女英雄にお茶に来いって言われたんだけど、俺どうしたらいい? 初めてだから分かんないよ」

 ギリスが鶏を食いながら尋ねると、酔っ払っていたデンたちが、なんだと、と驚いた声で言ってきた。ジェレフよりも先に。

「生意気だぞギリス。なまっ白い餓鬼のくせに」

「どんな女だ」

 デンたちはギリスの膳の酒杯に麦酒を注いで聞いてきた。

「めちゃくちゃ美人で、二人」

「お前みたいな馬鹿がなぜモテる。世の中おかしい」

 深く嘆く声でデンたちは口々に悔やんだ。

 戸口ではまだ、入りそびれたジョットたちがオロオロしているのが見える。

「風呂入っていった方がいい?」

 ギリスはジェレフに聞いたつもりだったが、素焼きの麦酒壷を持ってきた別のデンが、ギリスの頭に麦酒を注いできた。

「好きなだけ入れ」

「やめてよ! まだ食ってるんだから」

 箸先まで麦酒が滴るほどかけられた。酷いデンばかりだ。

「ジェレフの送別会だぞ、ギリス。女は諦めて一緒に朝まで飲め」

「嫌だよ。他にも用事があるんだ。朝まで付き合うほど暇じゃないんだよ俺は」

「うるせぇ下っ端のくせに」

 誰かも分からぬ泥酔したデンが、ギリスの隣に座ってきて肩を抱き、びしびしとほほを叩いてきた。鶏が食えない。

「ジェレフ、ねえ」

 別のデンに絡まれながら、ギリスは大声で聞いてみた。

銀狐エドロワのアイアランて奴、知ってる? ジェレフ、なあジェレフ!」

 ギリスがうるさく呼びかけると、他の誰かと話していたジェレフが、むかっとした顔でこっちを振り向いた。

「うるさいぞ、ギリス。今こっちで話してるだろ」

銀狐エドロワのアイアランだよ。未来視か?」

「なんだって?」

 ジェレフは険しい顔で、宴席の上座からギリスを見てきた。

 デンは近々また巡察に出ると言っていた。

 派閥にはジェレフを慕う者も多い。ちょっと出かける程度のことで、皆が集まって酒を飲んでくれるのだ。

 そのせいで、ジェレフの席の周りにはギリスよりも丈高たけたか年嵩としかさの英雄たちがたむろしていた。

 どれも英雄譚ダージで肥やした石をこれ見よがしに頭に飾り、屑石くずいししか持たないチビとは口もきけないという面構えだった。

 普通の小英雄であれば、それだけで小便もらして叩頭するような連中なのだろう。

 それでもギリスはデンたちを近寄りがたいと思ったことはなかった。

 かつてヤンファールの平原で、そういう作戦だったとはいえ、守護生物トゥラシェが放つ酸の弾丸から、デンたちは皆、身をていして突撃するギリスを守ったからだ。

 ジェレフもそうだ。

 ジェレフが死ななくてよかったと、ギリスは心底思っていた。

 いざとなればデンたちは皆、優しい。いざとならない時には殴ってくるのだが。

 その矛盾が、どうしてもギリスには理解できなかった。

 今もジェレフは、もう一言でも口をきいたら殴ってきそうな顔をしている。

銀狐エドロワと話すな。あそこは頭のおかしい奴ばかりだ」

 ジェレフはさも当然そうにギリスに忠告する口調だった。

「ここだってそうじゃない?」

 ギリスは部屋を見回して言った。もう酔い潰れて倒れているデンもいる。

「馬鹿を言うな」

 麦酒壺から直に酒を飲んでいた隣のデンが、真面目腐って言い、飲み残した麦酒をさらにギリスの頭にかけた。

 これがまともと言えるのか、ギリスは疑問だった。

 派閥の宴席には行くなと、養父デンも控えめにギリスに提案していた。

 だが、宴席ではいつにないご馳走が食えるので、ギリスは養父デンの言いつけを守れなかったのだ。

「誇りを持て、ギリス。お前はこの派閥のジョットだろ」

「まあそうだけど」

 栄光ある髑髏馬ノルディラーンばつの英雄たちが酔い潰れている床をギリスはまた横目に見た。

 デンたちは今夜の晩餐には出ないつもりか。それとも半日程度でこの酔いを醒ます魔法でも知っているのだろうか。そんなものがあるのならギリスも習いたかった。

 夜の玉座の間ダロワージで火酒を喰らうと、翌朝決まって吐いたからだ。

「どうやって知った。銀狐エドロワばつのアイアランを」

 まだ険しい顔で、ジェレフが離れた席から聞いてきた。

「さっき階段で会った」

「あいつと口を聞くな、ギリス。死を予言する」

 ギリスがその話に口を尖らせると、ジェレフは反抗したと思ったのか、もっと厳しい顔になった。

「本当だぞ。それで何人も自決してる。あいつは銀狐エドロワでも蟄居ちっきょの扱いのはずだ。どうせそう長くも保たない」

 死を予言するなと自分で言ったくせに、ジェレフがアイアランの死を予言していた。

 ギリスはますます不満顔になった。

「そいつに後で来いって言われたんだけど、どこへ行けばいいんだ?」

「お前、聞いてるのか、俺の話を……」

 ジェレフは頭を抱えて、自分の膳の酒杯を上げた。

 見た目には分からなかったが、たぶんデンは酔っている。いつものように、にこやかじゃないし、ギリスの後見デンでもないくせに、えらく高圧的だった。まるでギリスに命令できるみたいな口ぶりだ。

「知ってるんだろ、アイアランの居所を」

「知ってる。あいつは施療院の預かりだ。ずっと具合が悪いしな」

「なのに、なんでずっと生きてるの」

 ギリスは不思議で、ジェレフに尋ねた。

 小英雄たちは健康でなくては生きていられない。

 本当の意味で健康な者など竜の涙にはいないが、まだ武功がなく、これといった見込みもなければ、ほどほどのところで生涯を閉じることになるのが常だ。

 部族のために命を捧げた英雄であった。そう詩人たちがお決まりの歌を歌い、玉座の間ダロワージで定期的に、まとめて何人かの英雄の名が詠み上げられる。

 その葬式がある日には、英雄たちは玉座の間ダロワージには行かない。気が滅入るせいだ。

 聞くものの少ないその英雄譚ダージは『小英雄の歌』と呼ばれていた。無念で、そして無為な生涯の証だ。

 ギリスはそのような不幸からはもう、永遠に免れていた。イェズラムと、認めたくはないが、あの偉そうな玉座の男のお陰で。

 ヤンファールのいさおしは、ギリスにとって、天国を確約する割符わりふのようなものだった。

 いつ地獄に落ちるのかと恐れて生きる必要がない。

 デンたちはよく、地獄とはどういうものか話して、小英雄を脅すのだ。

 そこでは鎮痛する薬もなく、絶え間なく石が痛む。眠ることも死ぬこともできず、ただ永遠に苦悶する暗闇だ。

 それがどんなものか、ギリスには見当もつかないが、故人がそんなところへ逝かないことを願わずにはいられない。

 もしイェズラムがそんなところにいるのなら、ギリスは代わってやりたかった。死も痛みもない楽園にいてもらいたい。

「あいつは死ねないんだ。未来視だからな」

「どうして?」

 ギリスはそれについて聞いたことがなく、ジェレフに話を求めた。

 未来視の魔法は、最初の英雄であるエル・ディノトリスの伝説にも登場するので、存在することは広く知られているが、実在する竜の涙の中に術者はいない。いないのだとギリスは思っていた。

 でもまさか当代の王宮にそんな珍しい者がいたとは。なぜもっと知られていないのかと、ギリスは不思議だった。

「未来視の英雄は滅多に現れないから貴重なんだ。だがあいつは、まともな未来を予言しないんだよ。生かしていても、役には立たない」

 ジェレフにしては辛辣な話ぶりだった。デンは何かに怒っているようだ。たぶん、アイアランにだろう。

 誰にでも優しいジェレフを怒らせるとは、よほどの悪党なのか。

 自分も悪党ヴァンギリスと呼ばれて、悪ふざけを咎められてきたので、ギリスには他人事とも思えなかった。

「あいつ、何か予言したの?」

 誰にともなくギリスが聞くと、離れた席で煙管を吸っていたデンの一人が答えた。

「ヤンファールの勝利を」

「じゃあ当てたんじゃん!?」

 驚いて、ギリスは麦酒の滴る箸で掴んだ鶏肉を膳の上で落とした。

 無作法だぞといつも咎めるデンたちも、今はなぜか難しい顔で何も言わない。

 叱られるかと身構えたのに、損をしたと思い、ギリスはその肉を手で拾って口に入れた。

「それが当てたことになるか? 戦は勝つか負けるかだ。いつ、どのように勝つかを事前に当てるのでないと、意味がないだろう。魔法としては」

 麦酒の壺を抱いている隣の兄が、額を覆う薄紅うすあかい色の石をきらめかせながら、苦笑して言った。

「勝利だけなら俺だって予言できる。族長は常勝無敗の名君だ。あの方が戦えば、必ず勝つ。この名君の時代にはな、そんなもんは予言じゃないんだ」

 ギリスは肉を噛みながら、何かがおかしい気がして、顔をしかめた。

 しかめっ面で鶏を食っているギリスを、デンたちは物言いたげに黙って見ていた。

「わかったか、悪党ヴァンギリス?」

 麦酒壺のデンが、理解しろという口調で返事を促してきた。

「いいや、分からない。アイアランはなぜヤンファールの英雄譚ダージに出てこないんだ」

「魔法戦士じゃないからだ」

「魔法戦士だろ」

「王宮で寝て、夢見てるやつが戦士か。お前や、俺たちが戦場で守護生物トゥラシェに突撃してたとき、あいつはどこにいた。隊にいるのを見たか、エル・ギリス。ヤンファールの氷の蛇よ」

 うたう口調で言って、麦酒壺のデンはよしよしとギリスの頭を撫でてきた。

「俺はアイアランと会う。あいつは新星の未来を予言すると言ってた」

「やめろ」

 鋭い声でジェレフが叱責してきた。明らかに怒っている声だ。

「未来視は伝説上の魔法だ。エル・ディノトリスだけが使う。古い英雄譚ダージに登場するだけの嘘だ」

「言い過ぎだジェレフ」

 激して言うジェレフに、その隣にいた暗い青の石をしたデンが静かにさとした。

 誰だか見覚えはないが、ジェレフと親しそうだった。

 座る距離も近いし、年頃も近かった。ギリスにも子供時代の大部屋仲間がいるように、ジェレフにもいる。おそらくその一人だろうと、ギリスは見当をつけた。

 子供部屋の繋がりは、派閥ごとの結束や、デンジョットきずなとも違う、また独特のものだ。

「嘘じゃない。未来視の魔法はあるんだけど、精度が低いんだ。伝説の射手、エル・ディノトリスは偶然、王都タンジールへの脱出行を未来視した。その予言が太祖アンフィバロウに脱出を決意させたんだ。でも、皆がついていったのは、ディノトリスにではない。アンフィバロウのほうだ。予言ではなく、太祖のお人柄を皆が信じた」

「そうだ」

 渋々と酒杯をあげて、ジェレフが同意した。

 ジェレフでも他人の意見に同意することがあるんだと、ギリスは感心した。

「予言だけあってもしょうがないんだ。名君リューズ・スィノニムは予言など必要としない。それがなくても、皆が閣下を信じている。今も……」

 どことなく遠い目で、喋っていた青い石のデンは押し黙った。

 それが何を言おうとしていたのか、ギリスには分からなかった。

 青い石の男はふと気づいたふうに部屋の戸口を見て、何かに気づき、にっこりとした。凛々しいが優しげなデンだった。

「やあ。サリスファー。何やってるんだ、そこで。腹が減ったか」

 そいつが戸口にいたジョットたちに声をかけるのを、ギリスは横目で見た。

 さっきまでギリスにまとわりついていたジョットたちは、まだそこにいて、大先輩だらけの広間に入る気合がなかったようだ。

 優しく声をかけられて、デンに差し招かれてやっと、彼らはぞろぞろと来た。

 それを車座の中に座らせ、空になっていたジェレフの酒杯にしゃくをさせてから、青い石のデンは言った。

「ジェレフ。俺のジョットだ。エル・サリスファー。まだ若年だが、俺と同じ氷結術師だ。俺より出来がいい。お前もよろしく目をかけてやってくれ」

「ユーレラン」

 ジェレフは複雑そうな顔で、隣のデンの名を呼んだ。

 その名にギリスは聞き覚えがあった。

 しかし考えないようにした。

 英明なる紺碧のユーレランだ。

 そういえば、その隣にいるデンも、ジェレフと似た穏やかそうな立ち居振る舞いで、灰色の石をしている。

 これが慧眼なる灰色のエル・ダージフだ。

 ダージフは心配げに友を見ていた。同じ英雄譚ダージまれる兄弟で、同じ部屋の天井を見て眠った仲間なのだろう。ジェレフもそうだ。

 お前は俺より十歳とおも若いのだからと話していたジェレフの声が耳に蘇り、ギリスは箸から逃げ回る最後の鶏肉を突き刺した。

 生きるのだ。なんとしても長く生きて、新星を夜に放つ。

 それがどんな星であるべきか、ギリスは考えていた。今朝、第十六王子スィグル・レイラスに問われてから、ずっと。

 皆を栄光に導く星でなければ、玉座を与えたくない。だが栄光とは何だ。

 栄光とは。

デン、スィグル・レイラス殿下の帰還式に列席していただきたいのです」

 意を決したように、膳の前にひざまずいていた翡翠の子サリスファーが、青い石のエル・ユーレランに言うのが聞こえた。

 あいつは馬鹿か。なぜ今言うんだ。時機ってもんがあるだろうと、ギリスはそう思った。

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