026 侍女

「また朝帰りでございますか」

 考え事をしながらギリスが侍女に髪をかせていると、いつも無言のはずの、その部屋付き女が急に文句を言った。

 ギリスは驚いて目を開いた。

 風呂に入って髪を洗い、自分でくのは面倒なので侍女を呼んだ。

 身支度を手伝ったり部屋を片付けたり、食事の上げ下げのために、王宮の部屋には少なくとも一人は担当の侍女がいる。それ以上いる場合もあるが、ギリスの部屋には一人だ。

 侍女は部屋にではなく主人に仕えるもので、長老会に部屋替えを命じられた時、この女も一緒についてきた。

 ギリスがそう命じたわけではなく、黙っていてもついてくる。

 侍女には侍女頭じじょがしらがいて、特に主人たちからの要望がなければ、女たちが勝手に配属を決めている。ギリスは別に誰でもよかったので、部屋替えについてこいとは特に言わなかった。

 それでも別の部屋にも、同じ侍女がしれっと付いてきていて、いつもと変わらず仕えている。便利なので、ギリスには文句はなかった。

 もともとはイェズラムに仕えていた女で、ついでに隣室のギリスの世話もしていたが、養父デンの死後はギリスが貰い受けた形だ。

 無愛想な侍女だが、ほとんど口を利かないのがいいところで、何が良いわけでもないが、悪くもなかった。

 文句があるとしたら、やけに背が高い女で、長身だった養父デンは平気だったのだろうが、ギリスはまだ背丈でこの侍女に負けていた。

 まさか追い越せないのではないだろうなと、薄らと思う。

 そのくらい、やけに背の大きい女で、体つきもなよやかとは言い難い。

 男装している女英雄たちのほうが、余程よほどまだ女らしい。

 侍女も、やはり姿形すがたかたちの美しい者から順に玉座の近くに仕えるものだ。

 英雄たちに仕えるのも、この王宮では大きな名誉ではあるが、王族の部屋に仕える女たちが薔薇ばら百合ゆりだとすれば、この侍女はあざみだった。

 だが一応、花ではある。花のような服を着ていた。侍女のお仕着せの宮廷衣装だ。

 その花のような透ける薄紅の袖が、恐ろしく似合わない女だった。

 ギリスは浴用の布をかけた背もたれつきの椅子にぐったりともたれたまま、くしを握る侍女を見上げた。

「何か言ったか」

「申しました。失礼ながら、悪い噂を聞きました。エル・ギリス」

 女はにこりともしない真顔で、上からギリスの顔を覗き込んで言ってきた。

「わたくしの同僚のある侍女が、あなた様を恐ろしいお方だと。わたくしはそうは思いませんので、大層困惑しております」

 女は臆する気配もなく、ぺらぺらと話した。

 普段、無駄口は一切しゃべらない女なので、これでひと月分か、下手をしたら一年分ほどもしゃべったのではないかと、ギリスはあんぐりとした。

しゃべれんのか、お前」

「当たり前でございます。私は舌を抜かれるようなヘマはいたしません」

「抜かれる奴いるのか」

 うんざりしてギリスは尋ねた。

「後宮の奥底にはそんな者もいるらしいですよ」

 無表情に言う女はまたギリスの髪を梳き始めた。

「あなた様からおとがめがあるのではと恐れている侍女がおりまして、相談を受けました」

「えっ誰……」

 本気で心当たりがなく、ギリスは悩んだ。その眉を寄せて考える有り様を侍女はじっと見ており、二度三度くしを通してから、ギリスが変わらないのを見て言った。

「お忘れなので心配無用と伝えておきます」

「何の話か言ってくれ」

 そうでないと気になってしょうがない。ギリスは懇願する気持ちで侍女を見上げた。

「お怪我なされましたよね。昨夜。一番良い長衣ジュラバに血が」

「もしかして俺を刺した女か」

 その女の青ざめた顔が急に脳裏にひらめいて、ギリスは納得した。間違いない。

 しかしぐしの女はうなずかなかった。

「他にもお心当たりが?」

 何を考えているのか全く読めない無表情で、長身の侍女は言った。

 ギリスもよく無表情だととがめられるが、この女ほどではない。

 こいつに比べたら自分にはまだ、にっこりと笑う時もあれば、怒っている時だってあろうと思えた。

「他は無い。あったら教えてくれ」

「まさしく、その侍女でございます」

 しれっと女は答えた。

 ギリスは天井を見上げて渋面じゅうめんになった。

「何でそんな遠回しな言い方するんだよ。やめて」

「他にも刺されておいでかもしれませんので」

 ぐしでギリスのほほを示してきて、侍女は真顔で言った。

「いや、これは王族の殿下に殴られたんだよ」

「急にご苦労様でございますね」

 しみじみと無表情に女は言った。

「お前……何が言いたいの」

「侍女におとがめが無いのであれば無いと、お伝えくださいませんか。おびえてずっと寝床で泣いておりますので」

 それがうるさいという口調で女が言うので、ギリスはびっくりした。

「一緒に寝てんの⁉︎」

「侍女は大部屋でございます」

 きっぱりと侍女は言った。

「え……そうなのか。何で王族の部屋の女が、お前と同じ部屋なんだよ。全員が同じ部屋なのか?」

 ものすごく広い大部屋に寝台がずらっと並び、そこに花のような服装の女どもがぎっしり寝ているのを空想して、ギリスは鼻白んだ。そんな部屋がこの王宮のどこかにあるのか。

「いいえ。違います。私とその侍女が大部屋におりますのは、申し上げにくいですが、あまり期待されていないからでございますね」

 さらりと他人事のようにぐしの女は言った。

「英雄にお仕えするのは名誉なお役目ではございますが、あまり旨味うまみはないのです。あなた様方は婚姻もなさいませんし、外にご親族もいらっしゃらない。戦いで亡くなられることも多いので、せっかくお仕えしても無駄になることも。野心のある者がやるお役目ではございません」

 ずいぶん率直に女は言った。

「それと何の関係がある」

「その侍女も、見込みのないお方にお支えしております。それで私たちは同じ部屋に」

 ギリスは侍女の話に納得がいって、髪をかれながら小さくうなずいた。

「スフィル・リルナム殿下か」

「さようです」

「実は新しい侍女が要るんだ。誰に頼めばいい」

 ギリスは髪をき終えたらしい侍女が、くしに絡んだ抜け毛を取り除いて、それを手布にはさんで仕舞うのを横目に見た。

「何やってるんだ、それ」

 ふと不思議に思ってギリスが聞くと、女も不思議そうな顔をした。

「商人に売ります」

「え……」

 驚いて言葉がなく、ギリスは唖然とした。貧窮して髪を売る者が市井にはいると習ったことがあるが、ギリスは自分がそこまで貧窮しているという自覚はなかった。

「なんで髪の毛が売れるんだ」

「英雄の御髪おぐしなので」

 侍女は真顔で、さも当たり前のように言った。

「イェズラムのも売ってたのか?」

「はい」

養父デンはそれをお前に許してたのか」

「いいえ。ご存知ありませんでした。お尋ねにもなりませんでしたし」

 たまたま聞いたから判明したらしい、養父デンも知らなかった事実に、ギリスはひたすらあんぐりとした。

「新しい侍女をお求めとか。わたくしでは何か不足がございましたでしょうか」

 侍女は無表情なりに、いくらか済まなそうに言った。

 だが、そう思うのはギリスの気のせいだったかもしれない。そうに違いないと思っただけで、女の顔はずっと同じだった。

「いや……お前はよくやってる。たぶん。その髪は誰が買うんだ」

「市井の者たちです。英雄の御髪おぐしはお守りになるのです。あなた様のも」

「抜け毛だぞ、だだの」

 それを誰かが買っていると思うと気味が悪い気がして、ギリスはまだ驚いていた。

 それを見て、侍女が急にふふっと笑った。

「ご存知なかったんですね。やっぱり。あなた様は部族の英雄です。エル・イェズラムはもちろんですが、ギリス様もヤンファールの英雄ではないですか。玉座の間ダロワージからの朝帰りはお控えください。昨晩のように、お役目ならよいのですが、誇りある英雄には品行も大切です。痛飲なさるのがお体に良い訳はありません」

 女はすらすらと百年分ほどもしゃべった気がした。

「え……」

英雄譚ダージに恥じるような行いは、どうぞおつつしみくださいませ」

「はい……」

 絹糸でギリスの髪を束髪にくくっている侍女に言われて、おとなしくギリスは答えた。反論の余地がなかった。

「お前の名前ってなんだっけ」

「キーラと申します」

 侍女はてきぱきと適当な髪飾りでギリスの頭を仕上げた。

 何を身につけるか細かく指示する者も魔法戦士にはいるらしいが、ギリスは面倒なので侍女に任せていた。そもそも、身につけるものなど、自分が何を持っているのかもほとんど知らない。

 この侍女のほうがよく知っているだろう。

「キーラ、レイラス殿下をどう思う。弟のほうよりマシな侍女を見繕みつくろえるか」

「無理でございますね。あのお方は侍女を食うと言われています。そんな殿下にお仕えしたい者などおりません」

「食うわけないだろ」

 呆れてギリスは言った。

 これだけ食い物がある王宮で人を食うなら、あいつはよっぽどおかしいのだ。スィグル・レイラスはそうは見えない。

 実際にはむしろ血肉にならないようなものばかり食っていて、身体はひょろひょろだ。もっと食わせないといけない。

 ギリスにはそう思えたが、皆、知らないのだった。誰もまだ新星レイラスを知らない。

「万が一ということもございます。そうでなくても皆、既に主人あるじがおりますので、そこをしてまでレイラス殿下にお仕えするのは……」

「キーラ」

 ギリスは人にものを頼み込む時の目をした。

「誰か探してきてくれないか」

「嫌でございます。わたくしはあなた様の衣装係です。それ以上のお役目がないのが、わたくしがあなた様にお仕えする理由です」

 きっぱりと侍女は断ってきた。

「お菓子を買ってきてくれたじゃないか」

 すがり付く目で、ギリスは言ってみた。

 人にものを頼むときはその顔をしろと養父デンが言っていた表情かおだ。

 それを見てキーラは少し嫌そうな顔をした。

「それぐらいはおおせつかります。わたくしも味見をして良いとおおせだったでしょう」

「新しい侍女にやるお菓子も買いに行っていい。見た目なんかどうでもいいから、頭がいいか、腕が立つか、その両方いけるのを集めてくれ。必ず、恩に報いる」

 この侍女に叩頭こうとうしてもよい気持ちで、ギリスは頼んだ。

 それ以外にはギリスには宛てがなく、また長老会のエレンディラに叩頭するしかない。それも度々たびたびとなると良くない気がしたのだ。

 自力で手配しようと思えば、ギリスには、一面識もない侍女頭じじょがしらを探し出して、直談判するより他になかった。彼女らが王宮のどこで何をしているのかも、ギリスはよく知らない。

 でも、侍女なら目の前にいると、たった今気付いたのだ。この女が話しかけてきたお陰で。

「近々、レイラス殿下は部屋替えだ。それまでに、まずは数人集めて欲しい。お前が行くなら、お前も数に入れていい」

「一体、人喰いの殿下にどんな旨味うまみが」

 キーラは全くもって嫌だという顔だった。

 そこまで嫌がられるとは、新星もよほど人望がない。

「あいつが次の族長なんだぞ」

 ギリスが真顔で断言すると、キーラはギリスの予想外に青ざめた。彼女がなにも言わないので、ギリスはさらに押した。

「玉座に仕えられる。名誉の極みだろ?」

「それはかなり恐ろしいお話でございますね」

「なんでだよ」

 色良い返事をしない侍女に、ギリスは肩透かしを食った。宮仕みやづかえの女なら喜んで飛びつくと思ったのだが、計算違いだ。

「その殿下は英雄のほほをお打ちになるようなお方なのですよ。そんなお方がリューズ様のような名君におなりになるでしょうか」

「ああ、いや。それは……」

 なんでスィグルは顔の青痣あおあざを治せるところまで頑張らなかったのかと、ギリスは悔やんだ。

「わたくしは嵐から遠いところで、穏やかに務めたいのでございます。そういう場所も、王宮ではそうそうあるものではございませんのに」

 ため息をついて、侍女はやれやれというようにギリスを見た。

「わたくしを、あなた様のお側から他所よそへはおやりにならぬとお約束くださるなら、お手伝いいたします」

「お前、俺が好きだったのか」

 驚いて、ギリスは長身の女を見上げた。

「はい。お役目が少ないので」

 女は真顔できっぱりと言った。

「それに御髪おぐしも高値で売れます」

 それがとても良いことのようにキーラは言った。

 ギリスは自分が毛を刈られる羊か砂牛にでもなった気がした。

「お前、もしかして俺の髪を売って自分がもうけてるのか」

「いけませんか」

 女は不思議そうだった。

 いけないのかどうか、ギリスは検討した。

 でも養父デンもこの女をずっと野放しにしていたのだ。それなら、それで悪くはないということだろうか。

 それとも養父デンも本当に知らなかったのではないか。あらゆることに精通していた養父デンだったが、この侍女の商売には気付いていなかったのでは。

 そう思うと、ギリスは混乱で訳が分からなくなりそうだった。

「王宮でのお役目からの俸給が少ないのを、補うものが何か必要です。ごみになるものが利を産むのなら良いことでございましょう」

「わかった。好きにしていい」

 ギリスはそれ以上考えるのが無理な気がして、侍女を許した。

「結構でございます。知る限りの者に声をかけてみます。レイラス殿下が次代の玉座の君と、皆に話してもよろしゅうございますか」

「話せ」

 ギリスは軽率に許した。それにキーラは無表情に頷いた。

「しばらくお待ちを」

 手早く髪結かみゆいの道具類を片付けて、侍女はさっそく奥に消えるようだった。

「あっ、ちょっと待って」

 ギリスははっとして、キーラを呼び止めた。侍女は不思議そうに振り返って、ギリスを見た。

「正直に言ってくれ。俺って臭い?」

 ギリスが尋ねると、キーラはさらに不思議そうに首をひねっていた。

「いいえ? 何故でございますか」

 真顔で答える侍女を、ギリスは信用することにした。信用に足る女に違いない。そうでないと困るのだった。

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