027 衛兵

 ギリスは新星の尊顔を拝しに行った。

 主君の顔は毎日見るものだと養父デンは言っていた。

 毎日見れば、それが名君の顔か、暗君の顔か、分かるようになるのだという。

 族長リューズは日によって違う。養父デンはそう言っていたが、ギリスにはその違いが分かったことはない。

 玉座の間ダロワージで見る族長リューズは、いつも同じ顔をしていた。

 先祖伝来の美しい顔が浮かべる優雅で不敵な笑み。眼光鋭い黄金の蛇眼じゃがん。老いを知らない快活な姿。常勝不敗の名君の顔だ。

 それでも毎日違うと、養父デンは言っており、治世の始めには朝夕拝んで新星の機嫌をとった。それが射手の仕事だとイェズラムは言っていた。

 それなら、そうなのだろう。賢いイェズラムがそう言うのだからと、ギリスは頭から丸呑みに信じていた。疑う余地がない。

 ならば自分も、養父デンならい、新しい星の尊顔を朝夕拝んで確かめねばならない。それが今日も輝いているかどうかを。

 ギリスが自分の個人房へやを出て、新星スィグル・レイラスの住む王族の子供部屋があるほうへ向かうと、そこはずいぶん遠い。朝夕通うにしては、やはり不便だった。

 部屋替えさせねばならない。

 大体、もう元服もして、早二年になるという王族の男子が、おもちゃが吊るしてある部屋で寝ているというのは、いかがなものか。それを見ている者は部屋付きの侍女くらいだが、女どもはおしゃべりだ。

 あの殿下がどうしたこうしたという話は、まことしやかに後宮から漏れてくる。王宮は、それくらいしか娯楽のない世界だ。まことしやかな嘘や真実が渾然となって玉座の間ダロワージを行き交う。

 新星にまつわる悪い噂は枚挙まいきょいとまがない。

 人を食うというのもそうだし、敵と通じているというのもそうだ。

 それにあの全く屈強さのない姿体。すぐに死ぬのではないかと言う者もいた。

 長命は名君の誉れであったが、しかし、アンフィバロウ家には短命の者も多い。

 太祖アンフィバロウは驚くほど長く生きたと伝えられているが、その子孫には長命の恵みを残さなかった。

 当代の父親だった族長デールも、今の族長の年齢より少々生きたあたりで死没した。それが寿命なのか、それとも何事かの不運だったのかは、ギリスには分からない。とにかく死んだ。

 そしてイェズラムの新しい星だった名君リューズ・スィノニムの、輝ける時代が始まったのだ。

 その星がいつ落ちるのか、ギリスは知らなかった。

 族長には幸い、多くの治癒者が仕えている。当代の奇跡と族長自らがめそやすエル・ジェレフを始め、この代には優秀な治癒者が多く輩出している。

 それは偶然だろうが、族長の持つ強運だと言えた。

 自分の命を投げ打ってでも族長を生かそうとする施療院せりょういんの英雄が幾人もいる。

 だから、あの星は当分は落ちないだろう。皆もそう思っている。

 太祖にも案外、そういった、惜しみなく命を分け与えてくれる献身的な英雄が何人もいたのかもしれない。

 彼らの英雄譚ダージは伝えられてはいないが、全ての英雄の行いが英雄譚ダージに記録されている訳ではない。当代はそれに熱心だが、過去にはほとんど詩人に飯をやらないケチな族長もいた。

 記録はない。

 それでも、新星の寿命は、治癒者の命であがなうことができる。これは事実だ。

 良い治世を行えば、族長はその分、長生きするものなのだ。

 だからギリスは心配はしていないが、皆は心配なのだろう。短命の族長は部族に混乱を引き起こす。

 皆の信用を得るには、新星スィグル・レイラスの健康さを、皆に知らしめねばならない。

 しかし。どうやって、と、ギリスは思案しながら王宮の廊下を足速に歩いた。

 考えるべきことは多く、自分の知恵はいつも足りなかった。

 それでも、何か手はあるだろう。あきらめるのは愚か者のすることだ。養父デンもいつもそう言っていた。いつも。

 ギリスは足を止めて、到着したスィグル・レイラスの居室の扉を見やった。

 レダの衛兵が四人、そこを守っている。

 それを見てギリスは満足し、にっこりとした。

 王族の居室の警護の、正しい有様だ。

 後ろ盾が強権であれば、常に六人、八人と大勢立たせている殿下もいる。

 衛兵を管理しているのは、王宮の武官たちだ。彼らに顔が効くかどうかが、そこに現れる。

 衛兵にも等級があり、最上級のアスハは族長の警護しかしない。

 その下のレダが、名前に殿下とつく者たちが使える最上の護衛兵だ。

 それより下位の者がアンフィバロウの血族を守ることはない。ヘスは一番下の門の番兵だ。

 舐めるんじゃねえぞと、ギリスは内心に独り言ちた。

 誰の差金かは知らないが、新星レイラスの周囲には、ふさわしくない者が仕えている。

 先ほど聞いてきた侍女の話にしてもそうだ。王族の側仕えをするような者ではない侍女が回されて来ているのだ。

 正気を失っているスフィル・リルナムが王宮で不遇なのは致し方ないが、まだ正気を保っているスィグル・レイラスが、大人しくその待遇に甘んじることはない。

 ジェレフも言っていたように、スィグル・レイラスはアンフィバロウの直系にしては健康だ。

 それに乗馬も上手かった。

 ギリスは他の殿下が馬に乗るのを見たことがあるが、あいつらは優雅に並足でしか走らない。王族は危険を冒さないものなのだ。

 だから族長リューズが戦場でいつも兵と共に先陣を切るのに、皆が度肝を抜かれ、心を掴まれた。

 民も兵も詩人たちも、次代以降の族長には、同じものを要求するだろう。奥に引っ込んでいられない以上、あのクソ度胸は新星の必要条件だ。スィグルも先陣に立たねばならぬ。

 それにギリスを殴ってきたあの拳骨げんこつは、不慣れだったとはいえ、なかなかのものだった。

 まだ弱いだけで、あいつは俺を殺す気で殴ってきていた。

 ギリスにはそれは、新星の好ましい要素に思えた。

 部屋付きの侍女キーラも言っていたではないか。

 あの新星は、英雄を殴るような恐ろしい殿下だと。しかも人を食う。

 今はまだ、それは悪い噂だが、舐められるよりはいい。

 この王宮では、弱いと思われた者は果てしなく落ちるしかない。見くびられるのに比べたら、恐れられてでも、一目置かれるほうが何倍もマシだ。

 それはギリスの考えだが、そのような思考によって、ギリスは王宮での英雄暮らしを生きてきた。

 殴ってくるやつには、殴り返さねばならない。もし黙って殴られていたら、今日には一発だった拳骨が、明日には二発になる。それがこの世の掟だ。

 俺を殴ったあいつは正しい。それを知っているスィグル・レイラスは、まず合格と言えた。

「スィグル・レイラス殿下にお目通りしたい。エル・ギリスが来たと申し伝えよ」

 ギリスはレダ徽章きしょうの衛兵の前へ言って、そう口上を述べた。

 衛兵たちはギリスより上背があり、よろいまとっていても、その下の肉体は屈強そうに見えた。

 戦っても、四人いるとなると、ギリスには勝てないだろう。魔法が使えないのであれば。

 兵は儀仗礼ぎじょうれいをとらず、じろりとギリスをにらむ目で見てくる。

 おいおい俺は英雄エルだぞと、ギリスは胸を張って見返したが、衛兵たちは気にしないようだった。

 さすがはジェレフが手配した連中だ。

 氷の蛇と英雄譚ダージうたう、当代随一ずいいちの氷結術者、英雄エルギリスを恐れないとは、馬鹿ではないとしたら、只者ではない。見上げたものだ。

「殿下にお伺いして参ります。しばしお待ちを」

 衛兵は帰れと言う声でそう言った。

 四人のうちの端の一人が伝声管のしまってある小さい戸を開き、中の侍女にエル・ギリス来訪を知らせた。

 管にしゃべる合間にも、そいつはギリスを見ていた。

 ヘスの衛兵をギリスが蹴り倒したのが、こいつらはよっぽど気に食わないのだろう。

 ヘスジョットでもいたのか。蹴り返されないようにしないとと、ギリスはにやにやして待った。

 やがて扉が開き、中の玄関から侍女が青ざめた顔で現れた。

 彼女はひそやかに、レダの兵に主人の意向を告げ、またすぐ扉の向こうに身を隠した。

 衛兵はギリスに向き直り、迷惑そうな声で主人の返事を告げた。

「レイラス殿下がお目通りをお許しになりました」

 その重苦しい声に、ギリスはにっこりとした。

「役目ご苦労」

 ギリスがねぎらうと、衛兵たちは渋々のように、美しい所作でやりを構え儀仗礼ぎじょうれいをとった。

 英雄たちは、たとえ幼少であっても王宮の序列では準王族だ。

 ギリスももちろん、儀仗礼ぎじょうれいで迎えられるご身分だった。

 額の石がよく見えるように、ギリスはあごをあげて衛兵の横を通ってやった。

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