003 施療院

 湯気と薬の匂いが室内にこもっていた。施療院の白壁には、なんの装飾もない。

 壁を埋め尽くすほどの華麗な装飾が当たり前の景色となっているタンジールの王宮では、この部屋は異質に見えた。

 ギリスは待てと言われた患者用の円座に胡坐こざし、医師が戻ってくるのを待った。

 今日会うのは術医のはずだ。特にしげしげと診られるような不調もないし、ギリスは定期検診のためにここに来た。

 竜の涙には検診の義務があり、王宮にいるときには身体の健康を確認された。

 それは、弓兵が弓の調子を見るようなものだ。

 魔法戦士たちは族長が使う武器であり、この王宮は武器庫だ。そこに仕舞ってある槍を拭いたり、弓弦を張り直したりするように、族長は魔法戦士たちの手入れをし、その余命を知りたがっている。

 もう古びたと思われる者は廃棄されるのだ。使い物にならない剣が溶かされ、打ち直されるように。

 戦えない者には生きている価値がない。

 医師は忙しそうだった。

 遅れてやってきたギリスも悪かったが、訪れた時、医師には先客がいた。

 施療院では軽い騒ぎになっており、ギリスは寝台で痙攣する子供を見た。

 そういうものは自分が子供の頃から、何度か見てきた。

 あれはもう助からない。

 魔法戦士たるもの、王都にあっても戦時に備え、魔法の訓練をしない訳にはいかず、魔法を使えば頭の石が育った。それの当たりどころが悪かった者は、自分の石に殺されることになる。

 敵ではなく。

 王都で死んでも名誉はない。

 しけた話だが、そう珍しくもなく、明日は我が身と言えなくもなかった。

 英雄性とは運だ。ギリスはそう思っていた。

 たまたま強かった奴が名声を得て、死後までその名を称えられる。

 そんなもののために自分たちは生きているのだ。

「やあ、お待たせしました。英雄エルギリス」

 袖捲そでまくりしていたのを戻しながら、長衣ジュラバすそひるがす早足で術医が戻ってきた。

「さっそくましょうか」

 術医はどさっとギリスの前に座すと、白い両手を広げて見せ、こちらの頭を掴む仕草を空中でして見せた。

 術医は魔法で頭の中を透視するのだ。

 何がどれだけ見えるのやら、透視術に覚えのないギリスには想像もつかないが、この医師や、透視術を使う者たちには、目に見えないはずの物の中身が見えるらしいのだ。

 着飾った玉座の間ダロワージも、こいつらの目にかかれば真っ裸というわけか。

 だが、透視者にも魔法の長短があるようで、どこまで見通せるのかは術者による。この術医は手で触れたものしか上手く透視ができないらしい。

 それでいつも、頭を掴もうとする。

 竜の涙の頭に触れる者など、普通は滅多にいないわけだが、施術となれば仕方ない。

 ギリスはおとなしく頭を差し出した。

「さっきのやつ……」

 冷たい指で触れてきた術医に、ギリスは話しかけた。

「死ぬのか?」

 そう聞くと、施術中の術医は淡い笑みを崩さなかった。

「それは我々が決めることでは。長老会の仕事です」

「なんと報告した」

 ギリスは聞いてみた。聞く権利がある訳ではなかった。

 知らない子供だったし、たとえ同じ大部屋で育った子供だったとしても、どうにかできるものでもない。

 ギリスの弟分ジョットではない。

「透視した病状を報告しましたよ」

「俺のもするんだろ」

 ギリスが不平を言うと、術医は苦笑いだった。

「あなたのも報告しますよ。それが私の仕事ですから。エル・ギリス」

「どうだった」

 ギリスは淡々と聞いた。死ぬときは死ぬのだ。もはやこれは日常茶飯事だ。

 子供の頃には検診の前の日に、めそめそ泣き出す者もいた。

 死が何なのか、ギリスには良く分からなかった。子供の頃も、今も。

「あなたは幸運な方です、エル・ギリス。戦場での活躍は英雄譚ダージに記録されていますが、あなたの石はそれを知らないようですね」

 術医は詩でも詠うように言ったが、ギリスにはその話の意味が分からなかった。

「は? どういう意味?」

 ギリスは眉間に皺を寄せて聞き返した。すると医師は苦笑した。

「石は育っていません。あまり。まだしばらく生きられます」

「どのくらい」

 ギリスは無表情に聞いた。

 医師は少し答えに悩んだようだったが、やがて答えた。

「それをお決めになるのは族長です」

 医師の答えは遠回しだったが、それの意味はギリスの頭でも分かった。

 ギリスをいつ使い尽くすか、決めるのは族長だ。

 族長には、魔法戦士が石に殺されるまで死闘するよう命じる権力ちからがある。

 残り少ない寿命と引き換えに、大魔法をふるって戦えと命じられれば、そうするしかない。

 ほまれだからだ。

「わかった。族長に聞こう」

 ギリスは答えた。

「やめてください」

 慌てたような青い顔で、医師は立ち上がるギリスを止めようとした。

 それを見て、ギリスは笑った。中腰で慌てる術医が面白かったのだ。

「今聞きに行くわけじゃない。まあ、そのうちな」

 医師はどっと冷や汗をかいたような顔つきで、また座った。

「そうですか。そうしてください。石のほうは大丈夫ですが、あなたの健康状態には問題がありますよ。顔色が悪いです。眠れていますか」

 それに酒臭いぞとは、医師は言わなかったが、そういう顔をしていた。

「いいや全然」

 それがどうしたという思いで、ギリスは答えた。医師はいかにも問題だというふうに難しい顔で睨んできた。

「寝なきゃいけないもんなのか?」

「そりゃそうですよ。当たり前でしょう。それに、石封じダグメルの使用量も減っています」

 咎めるように言う医師の顔に、ギリスは首を傾げた。

「義務じゃないだろ?」

 石封じダグメルというのは薬の名前だ。本来は老人が飲むものだ。ギリスはそう思っていた。

 魔法戦士の額に埋まっている石の成長を遅らせる薬効があると信じられているが、気休めだ。石の機嫌は石にしかわからない。

 それに、服むと魔法が鈍るとも言われている。本当かどうか知らぬが、もしあるとしたら、魔法戦士にとっては好ましい効果ではなかった。

 それでも、死期を少しでも引き伸ばしたいと願う晩年の魔法戦士が服用したりする。

 もちろん、こっそりとだ。それは恥だからだ。

 ギリスはそれを子供の頃から服まされていた。そうしろと養父デンが命じたので。

 だがもう養父デンは死んだのだし、ギリスに何も命じることができない。

 長く生きろと命じたところで、だから何だったというのだ。

 ギリスはもう死にたかった。

 どう生きていけばよいかも分からぬこの世は、難しすぎる。それに比べてまだしも死は簡単に思えた。

 いずれ部族の英雄エルとして華々しく死ねと教えられてきたし、実際、養父デンもそうしたではないか。

 ギリスにとって、それが今日でも、別に問題はないはずだ。

「あの子が死ぬかどうかは、誰に聞けばいい」

 先ほど見た、寝台で痙攣する細い足を思い出して、ギリスは尋ねた。

「あの子、とは?」

「さっきの餓鬼だよ。そこで寝てた」

 とぼけて見える術医に顔をしかめて、ギリスは尋ねた。

 医師もそれに顔をしかめた。淡く。

 そして、ためらってから答えた。

「小英雄はもう旅立ちました」

 そう言われた言葉の意味を、ギリスはしばし、反芻した。

 自分には関係のないことだった。知らない餓鬼だったし、俺の弟分ジョットでもない。

 だった自分はなぜ怒っているのだろう。

 これが皆が言う、怒りという感情なのではないのか。

 養父デンが戻らなかった時から、自分の腹の中でずっと続いている。煮え繰り返るような何か。

 この世は恐ろしく難解で、ギリスには分かりかねた。

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