第8話
スーパーへと続く道路は比較的直線が続いた。
真正面の山間へ、夕日が沈もうとしている。
隔てるものもなく真っ直ぐに伸びる斜陽のオレンジ色は、一段と目に眩しい。
蓮江は、ハンドルを握っていた右手を離してドリンクホルダーに差していたサングラスを取り上げた。
片手でサングラスをかける。
だがサングラスを掛けたところで、夏の名残を照らす夕日の力強さを誤魔化すことはできない。
(…早く帰らないと…。帰って、ご飯を炊いて、それから…)
焦燥感のみが込み上がってくる。
しかし、帰った後の段取りを何度も思い描きながらも、同時に心に垂れ込める疲労感を、誤魔化しきれはしなかった。
* * *
スーパーの駐車場は思いの外混雑しており、入り口から少し離れた位置に車を停めた。
時計はすでに午後五時を回っている。
(…なににしよう、なに作ろう、)
今から材料を買って帰宅し夕飯を作ったとしても、十分間に合う時間ではあった。
(…ああ、…めんどくさい…。)
だがなぜか今日は、夕飯の献立が何一つ頭に浮かんでこなかった。
何を作ればいいのか、皆目見当がつかない。
だからだろうか。
スーパーを徘徊する蓮江の足取りは、端から見ても重くて鈍かった。
「……お惣菜かぁ、」
ふらふらとさ迷うようにたどり着いた惣菜コーナーで、空の籠を片手に、蓮江はしばし立ち尽くしていた。
売れ残りだけの商品棚。
値引きシールばかりが目立つ。そんなシールを貼られたコロッケも唐揚げも、その他の茶色い惣菜の入ったパックも、どれもこれも冷めきっている。
「………」
その中から蓮江はそっとコロッケが2つ入ったパックを取り上げた。すると結露と思われる水滴が俄に蓮江の手を濡らす。
思わず商品を棚に戻して、濡れた手をヒラリヒラリとふるって軽く乾かしながら、小さな息を漏らした。
(…何でもいいか…)
旦那は、食卓に買ってきた惣菜のみを並べると、決まって不機嫌になった。
「…どれにしよう、」
壮年に寄ってきた旦那の年齢が、油ものを受け付けないのではないか。だから惣菜を忌み嫌うのではないか。
蓮江は惣菜を吟味しながら、同時に、惣菜を肯定する前向きな言い訳を懸命に探した。
『おい、せめて皿に並べたらどうなんだ。』
以前、残務に追われて勤務が長引いた夕刻、急いでスーパーに寄って買った惣菜を、パックのまま食卓に並べたことがある。
その時、旦那は低い声で不満を言いながら、故意に溜め息を吐き捨てた。
そのままちらりと蓮江を見やった旦那の目が、未だに忘れられない。
思い出すにつれて蓮江は胃痛を呼び起こす。臓器が冷える。
(…夕飯、何にしよう…)
だからこそ今、蓮江は立ち尽くすより他に術がなかったのだ。
「いらっしゃいませー」
そんな蓮江の横を、スーパーの店員の中年女性が品だしのために通りすぎた。
その女性のカートには、焼いたばかりと思われるホッケの開きが乗っかっていた。
「あ!すみません!」
それを見た瞬間、蓮江は咄嗟に声をかけていた。
「はい?」
店員の女性は立ち止まり、にこやかに振り返る。
「あ、あの、…そのホッケを一つ、もらってもいいですか?」
蓮江の言葉に、店員の女性は「どうぞー」と明るくカートを蓮江の前に差し出した。
「どれになさいますか?」
「あの、…旦那と娘が、食べる分を、」
「なら大きい方がいいですねー」
蓮江の言葉を聞いて、店員の女性は楽しげにホッケのトレイを見比べながら、「これかな?」「これもいいかな?」と、吟味し始めた。
「…あ、すみません、お仕事の邪魔をして…」
あまりに店員の女性が蓮江の食卓のホッケを真剣に選ぶため、蓮江はなぜか居たたまれなくなり、軽く詫びた。
そして、
「横着ですよね…、お惣菜で済まそうなんて。…夕飯を作らないんだから…」
トゲのように引っ掛かっていた罪悪感を、蓮江は意図せず吐露していた。
「え?…あははっ」
すると女性は、蓮江の罪悪感をケタケタと軽く笑い飛ばし、
「全然大丈夫ですよ。横着なわけないじゃないですか。はい。これが大きいですよ」
そして大きなホッケの開きを手渡してくれた。
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