第5話


 とても背の高い青年が、夏の太陽から典子を覆い隠すように背後に立っていた。


「…あ、あの、」


 おののく典子を真っ直ぐ見つめたまま、青年はふわりと微笑み、


「なんとも綺麗な花ですね、これは何と言う花かご存じですか?」


 そう問った。


 その言葉に、典子は反射的に答えていた。


「この花は、千日紅、と、いいます」


「センニチコウ?それはどういう字を充てるんですかね、」


「日数を表す『千日』に、『くれない』と書いて、『千日紅』、です」


「ほう、それは面白い。」


「…面白い、ですか?」


「面白いですね。その名の由来を思うとね。」


「千日紅の名の由来は、千日赤い花を咲かせられるほど長持ちだというだけで、」


「おお、やはりそうですか。こんな可憐な小さい花なのに、千日も赤い姿を保っていられるのですね。だとしたら、なんとも頼もしい。」


 そう言うと、青年は快活に笑った。


「………」


 しかし、対照的に、典子は低い声でぼそりと呟いた。


「けど、…いつかは枯れてしまいますよ。」


 典子は、自らの口を吐いて出た言葉の棘に、少し傷付きうつむいた。


 うつむく典子の落ちた視線の先で、茶色い地面を染める黒い影が微かに揺れる。


 笑われているのか、呆れられているのか、確かめることさえ怖かった。


 だが、青年は意図せず穏やかな声でそっと告げた。


「それでも、今の綺麗さは忘れずにいたいですね。」


 典子の頭上へと降ってきた声は、陽だまりのように暖かく、優しい音色で典子を包む。


「今の綺麗さがあるからこそ、千日経って枯れてしまうのは、可哀想ではないのですよ。おそらくね。」


 彼には、何気ない言葉だったに違いない。

 しかし青年の言葉は、静かに典子の心に染み渡っていった。


「………っ」


 典子の頬に涙が一筋、そっと溢れる。


 うつむく典子の涙に気がつくことはない青年は、小さく笑って言葉を添えた。


「変わらないものなんて、ないのですから。それでいいんですよ。きっと。」


「………、」


「赤い花が千日赤いままであるように、僕もあなたも、今は今の僕のまま、今は今のあなたのままで、いいんでしょうね。」


「……ぅ、うぅ、」


 典子の、肩は小さく震えていた。


 漏れる嗚咽を誤魔化すために震える手で口を覆った。


「………ぅ、」


 青年はようやく典子が泣いていることを悟ったのだろう。


「…大丈夫ですか?」


 少し困ったような青年の声音だった。


 典子は何度も頷いた。

 頷くことしか、できなかった……



「その青年はね、結局困った顔のまま空き地を出ていったんだけどね、私が顔を上げると、少し笑って、会釈してくれたんですよ。」


 そう言って、シワだらけの顔の典子は、少女のように嬉しそうに微笑んだ。


「……素敵な方、ですね。」


 絞り出すように答えた蓮江の声は震えていた。

 鼻の奥がツンと痛い。


 歳を重ねて思い出すのは、仄かな初恋の相手。

 そしておそらく典子は、その一度きりの恋心を胸に抱いて生きてきたのだろう。


 典子の、そんな不変の想いに、蓮江の胸はぎゅっと締め付けられた。

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