お湯を入れてから一年と三分
しそむら正
お湯を入れてから一年と三分
お湯を入れてから一年と三分が経過した。
しかし未だにテーブルの上には【緑のたぬき】が置かれたままになっている。
俺はそれには手を付けない。
誰もそれには触れようとしない、あれはアイツが予約しているものだから。
時は遡り、一九九九年。世はノストラなんちゃらの大予言、アンゴルモア恐怖の大王がやって来るだの来ないだの、くだらない内容でテレビのトピックは埋まってしまっている。
大晦日、この日は一局を除いてテレビでハッピーニューイヤーとキャストが騒ぎ立てる。そんな老若男女をおかずにズズズッと気持ちよくそばを啜る男が一人、名を斉藤飛鳥という。年齢は二三。大学を卒業してから就活せずにフリーターに超進化した猛者である。親からすれば俺が恐怖の大王そのものだろう。
そして実家から最後の仕送りとして頂いた大量の段ボールケース、の中に緑のたぬきが大量。こいつは大晦日だけでなく毎日三食欠かせないベストパートナーである。
「お前だけがいつも僕の傍に居てくれる」
泪ほろり。あぁ、こいつは一人冷気が充満した密室に閉じ込められた男の心を内側から温めてくれる。
『三っ、二ィ-っ!』
二杯目となるたぬきに手を伸ばす、気づけばテレビからカウントダウンが聞こえる時間となってしまっていたらしい。
『ハッピーニューイヤー!』という掛け声と共に花火の轟音が僕の耳をつんざく。
花火はテレビだけではなく、ベランダの奥に広がる川でも打ち上げられていた。
きっとこの花火が打ち上がれば上がるほどに人々の記憶からアンゴルモアの存在は薄れていくだろう。予言は外れ、結局何も起こらなかったと。僕もその内の一人、だった。
少しの時間が経ち、二杯目を食べきる頃には遠くから鳴り止まなかった花火も落ち着きを見せ始めてきた。そして、トドメに新世紀の到来を感じさせるドデカい一発が煌びやかに刹那の世界を描く。
一九九九年。ノストラなんちゃらの予言は外れ、世界に終わりが訪れることは無かった。
「ちゃっかり今年も生きてます」なんて独り言を呟き、新しい風と共に世間の風当たりを味わおうとベランダへと赴く。
口から出る白い息に趣を感じながらも、空を仰ぐ。
「綺麗だ」
今年も異性に言わないであろう言葉ランキング堂々の一位を放たせた夜空は雲、星、月、全てがバランス良く存在している。後に時間はこの夜景を飽きずに見ていられる......かもしれない。
そんな絶景を目に茫っとしていると、一際大きな流れ星が闇に現れた。
「お金欲しい、彼女欲しい、健康、金女健康金女健康金おん───」
強欲たらたらでパッと冷静になると恥ずかしさが湧き出す。人を欲深くするほどのサイズ、年始めから運が良い。
他にも流れてないか目を空へ向けると流れ星はまだ流れていた。いや、違う。
あれはさっきの流れ星と同じ物だ、流れ星は速度を落とすこと無くこちらへ一直線に向かっていた。流れ星? 違う、あれは──流れてきたのは、女の子だった。
───恐怖の大王は一九九九年に空から来る、アンゴルモアの大王を甦らせる存在だ。
「驚いた、この時代にも人類は存在したのだな、わたしの名はアモン。貴様は?」
薄紫の髪が月光に照らされ、風に靡く度に眩しく輝く。幼いながらも凜々しい顔立ちは特別な気品さえも感じさせる。
もしかしたら、もしこの子がそうだと言うのならば......僕の知る恐怖の大王は少しだけ遅れてやって来たみたいだ。
暗転。
僕はこの世界が好きではない、だから恐怖の大王が世界を破壊してくれるっていうから少しだけ、ほんの少しだけ期待しちゃったんだ。
「なぁアモン。いつになったら世界を滅ぼすんだ」
「ん......明日から」
たぬきをズゾゾっと啜りながらアモンは応える。
恐怖の大王が僕の部屋に寄生するようになってから早一ヶ月が経過した。
僕たちが出会ったあの日、あの後アモンは僕の名前を聞くと腹の鐘を鳴らしその場に倒れてしまった。とりあえず相棒の【緑のたぬき】を差し出してみるとあっという間に三個も持っていかれてしまった。
『わたしの目的はこの世界、人類を滅ぼすこと。そう命令されている』命令されているとは不可解な言い方だが、その時は気にしなかった。しかし一ヶ月経っても彼女は未だに行動していない。
彼女の名前はアモン、目的は世界滅亡。それ以外の事は何も知らない。たわいのない会話やどこか一緒に遊びに行ったりはするが別に聞くまでもない。アモンは恐怖の大王というよりかただの引きこもりだ。
しかし今となっては引きこもりなのは僕も一緒だった。アモンが来てから二週間、何の因果かたまたま手に入れた馬券が奇跡の大勝ち、ニートになっても一年は暮らせる大金を手に入れたのだ。
とんだ幸運だが、それだけには収まらず日々感じていた慢性的な四肢の鈍痛や頭痛が気づけば消え去り、肉体は十代の若々しいポテンシャルを蘇らせている。
金、健康。アモンもとい流れ星に祈った三つの内二つは叶ったが、流れ星でさえ僕に彼女という存在は与えたくないらしい。どうせ世界はアモンが滅ぼすんだ、大金を手に入れようが健康になろうが、彼女が出来ようがどれも無意味だ。
不意に笑みが溢れた。そんな僕の心情とは裏腹にアモンがたぬきを啜っているから、きっと僕は過度な期待をしてしまっている自分自身に笑ってしまったのだろう。
「アモンがしないなら僕がするしか......」
「飛鳥には無理だ」
こんな時に限って地獄耳だ。アモンはひたひたと気怠そうにこちらへ近づく......蕎麦を啜りながら。
「熱っ」
激しく音を立てて、蕎麦を勢いよくすすり上げる。わざと勢いをつけて汁をこちらに飛ばしてくる。
「なんでアモンは世界を滅ぼそうとするんだ?」
「なんで......ってみんながそれを求めるから」
まるで神様みたいなことを言う。
「どうやって滅ぼすんだ」
「このペンで地面をなぞればそれでいい、そうすれば目的は完遂される」
そう言いアモンは懐から人間の指を模したようなペンを取り出して見せた。
何とも滑稽な話だ、僕は何でアモンが恐怖の大王だと思い込んでいるのだろうか。急にバカバカしくなってしまった。その後僕が口を開くことはなかった。
そんな僕はアモンの戯言が実現されることを心の隅で願いながら、暮らしていく。
気づけば四季は一巡し、新世紀ともてはやされた一年が終わろうとしていた。
ここ最近アモンの様子がおかしい。相変わらず【緑のたぬき】は啜っているのだが、食生活が悪いのだろうか、同じ物を食べているというのにどこか元気がないように見える。
元気がないと言えばこの一年間でノストラダムスの予言、この話題も一切聞かなくなった。
そして時は再び進み、また大晦日がやってきた。
この日アモンは午前中家を空けていた。別に心配するほどでもないが、あいつがいないと何か締まらないものがった。アモンが帰ってきたのは夜中十一時だった。
どこか神妙な表情を見せ、初めて出会ったあの日と同じ凜々しい顔立ちをしている。
「何やってんだよアモン、早く年越しそば食べようぜ。お前の分のたぬきにお湯入れちゃうからな」
緑のたぬきにお湯を注ぎ、声をかけるが、アモンが玄関から動く様子はない。
顔を俯かせ、握りこぶしを震わせている。まるで何か決心するようだった。
「飛鳥、決断の時が来た。今宵、人類を滅亡させる」
突然だった。アモンの手には件のペンが握られていた。
「また急にどうしたんだよ」
冗談だろうと笑って見せたが、アモンはうんともすんとも言わない。
なんで、なんで滅ぼそうとするやつが苦しそうな顔をするのか。
「飛鳥、どうして飛鳥は一年前、わたしに人類の滅亡を願った?」
「それは」
頭の中が真っ白になった。なんでアモンにはお見通しなんだ。
あの日確かに僕は願った、心の内で願ってしまったのだ。
なぜ願ったのか。
自分は人生に愉しみがあるとは思えなかった、将来に希望を見いだせなかった。
やりたい事があっても自分は凡人以上の能力がないし、努力も出来ない、真面目でもなければ不真面目でもない。
一言で言えばよくわからない人間だ。量産型にすらなれない、空気のような生き方しか出来ない人間だ。でも、その性質を理解しているというのに僕は人生に楽しみを希望を見いだそうとしていた。過度な期待は心を滅ぼすというのに。
「さぁ、飛鳥。ペンを握れ」
アモンから差し出されたペンを手に取る。
生きるのが下手過ぎるが故に未来を思うと辛くなる。
「アモン、教えてくれ。キミはいったい何者だ?」
「飛鳥なら知ってるでしょ。私は恐怖の大王。あなたの望んだ予言の通り、
「そう......わかった。ありがとう......これからもよろしく」
アモンは笑った。僕は地面にペンを走らせた。
暗転。
お湯を入れてから一年と三分が経過した。
テーブルの上に置かれた【緑のたぬき】は未だに熱を帯びている。
一年前のあの日から唯一、そこだけが時の歩みを止めているようだった。
茫っとしていると玄関が開く音がした。そこには赤や緑様々な色が入り乱れた閃光が走る。
あの日、流れ星は二つ願いを叶え、もう一つは永遠に叶わないと思っていたが気づけばその願いもあの日からすでに叶えられていたのかもしれない。
一年前のあの日から。
君はいつも傍に居てくれる。
お湯を入れてから一年と三分 しそむら正 @jhon-to-getu
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