天運殺しの英雄譚(ミソロジー)

黒羽@海神書房

第1話

「やった!ついに俺にも最高の人生が訪れたんだ!」

 風通しのいい真昼の草原と、牧歌的な山岳風景を前に、男が一人、肺の全てを声にするように叫んだ。人気のない山あいの草原で、男は何かに打ち震えて喜びをあらわにしたのだ。

「苦節28年…今まで平凡で何の取り柄もなかった俺が、あの日トラックに轢かれそうになったことで異世界への転生のチャンスをもらった。女神様とか美人の秘書とかそういうのは全くないし、異世界に飛ばされる手続きも欠片も発生しなかったけど、それも今の俺があれば何の問題もないなぜなら」

 男はそこまでモノローグを垂れ流すと、右手を開いて前に突き出して、眼を閉じて一念し始める。

 そうすると、男の右手には仄かな光が集まり、やがてそれは右手を包み込むような光源に変わっていった。そして男の念と右手の光が最高潮に達したとき、その男の右手には、尋常ではない気配を有する剣が握られていた。

「お、おぉ…す、すごい…これが俺の得た能力“神機クリエイター”なのか…?」

 何物にも屈しない真っすぐな白銀の両刃、鍔には5色の宝石がはめられており、その全てから強いオーラを感じる。そして豪奢な柄と持ちやすさに配慮した極限までの機能美。それは間違いなく、尋常な人間が持つ剣とは一線を画す代物だった。

「えっとこの剣は…“神剣エクスカリバー”一振りで5つの魔力を放出し、悪しき心の持ち主を一薙ぎする力を有している。歴代の勇者の心が刃の輝きを増しており、持ち主をその魂の輝きが守ってくれる…すごい、これ魔王を倒せるレベルの武器じゃないか」

 男の目は輝きっぱなしだった。

「よし、この剣一つでも俺はこの異世界のヒーローになれる。だったら、ここから俺の…新たな辰野宮 天人の冒険が始まるんだ!」


………


 辰野宮 天人(たつのみや あまと)…そもそもは辰野宮という成り上がりの富豪の家だったが、現代の情勢にあおられて父親の会社は傾き、結果として殿上人の地位を降ろされることになった没落富豪の家の息子だった。両親の「正真正銘の天の人になる」という思いのこもった名前は彼の誇りだったが、会社の盛衰に依存して背筋を曲げて言った父親を見ながら。彼はこう思っていた。

「俺は、こんな人間になってしまうのか」

 天人の心に巣食っていたのは、自分の父親の不甲斐ない姿への克己心ではなく、その父親から生まれた自分への懐疑心だった。“天の人”になるという思いは、父親がその座から蹴り落されたことで、すっかりその光を絶やしてしまったのだ。


………


「あの日、あの親父が失敗していなければ、俺にも色んな場所で活躍するチャンスがあったかもしれない…だけど、今の俺はそうじゃない。不運から生まれた幸運と、その幸運がもたらした能力…これはもう天運と言うべきものだ。だから俺は、この天運をもってこの世界で天の人になる!」

 草原を始まりに、異世界のタツノミヤは拳を高く上げてそう宣言した。それは、彼にとっての始まり。これからを天運と共に生きていく一人の男の物語だった。

「あれ、こんな草原に居るってことは、もしかして旅人か何か?」

「ん?」

 タツノミヤが、背中から聞こえる声を頼りに後ろを振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。やや褐色の肌と純白に近い雪色の白髪、多く見積もってもタツノミヤの3分の2かそれ以下の背丈、着古しのレザー装備と左の腰には片手剣が掛かっている。見た所は冒険者と言った出で立ちの少女だった。この世界にやってきて初めての現地の人間、タツノミヤは、その事実を素早く理解し、咳ばらいを一つして彼女に話し掛けた。

「こほん…君は、この辺の人かい?見たところ冒険者みたいだけど」

「そうだよ。この草原を下った所に町があるんだけど、私はそこに所属してる冒険者。あぁ名前を言ってなかったね。私はアンって言うんだ、アン・クルクって言うんだけど皆からはアンちゃんって呼ばれてるよ」

「そうか…俺は…えっと」

 瞬間、タツノミヤは自分の名前をどう自己紹介しようかと考える。今までの辰野宮 天人はここにはいない。ならば、せめて自分の英雄譚にふさわしい名前を用意する必要がある。辰野宮という名字は正直個人的には気に入っているのでそのまま残したい。だができればもう少し、この土地になじむ名前も欲しい所。目の前にいる少女「アン・クルク」という名前的には英語やヨーロッパの国々の言葉に近ければそれとなく通じる気がするはずだ。そんな逡巡を巡らせた結果。

「…ヘルトだ」

「ヘルト?」

「あぁ、ちょっと変わった名前だが、ヘルト・タツノミヤと言う」

 自分で予防線を張っていかにも自然なように装う天人…もとい、ヘルト。ヘルトとはヨーロッパ語系で言うヒーロー…つまり、彼は自身にヒーローの名をつけたことになる。

「そっか、ヘルト!うん、中々素敵な名前をしてるね。タツノミヤってことは…そんな名前を隣国で聞いたことがあるけど、その質素な服の感じだと、そこから旅してきたってわけでもなさそうだね」

「そうだな」

 ヘルトは、その一言を口にするのに躊躇した。内心、自分の身辺を明かしてもてはやされたい気持ちがあったのだ。自身が異世界の人間であることを告げて、せめてこの少女一人でも驚いてくれれば、この世界の冒険に際して少しはやる気も上がるかもしれない。だが同時に、この世界の人間にやたらと異世界の人間であることをひけらかしても、何が起こるか分からない。彼は、自分の承認欲とそのリスクを天秤にかけて、その一言を発したのだ。

「そういえば、アンはどうしてここに?」

 自分の中の天秤をしまい込んで、ヘルトはアンに問いかける。

「あ、そうだ!町で魔力を食ったオオカミの討伐依頼を受けたんだよ。それでここまで探し回ってきたんだけど」

 ヘルトは彼女の言葉に心なしか居心地の良さを感じていた。冒険者は冒険者でありハンターである。天人が見聞きした物語に違わないアンの動機…ヘルトは、そういったありふれた言葉に、自分のいる場所を噛みしめていたのだ。

「そうだ!ヘルトは戦ったりできる?もし出来ないならせめて一緒に着いて来てくれないかな?」

「俺が?」

「そう」

 アンからの提案に、ヘルトは如何にも新鮮な反応をして見せた。アンの兵装は間違いなく冒険者だ。しかし自分はというと、異世界に来る直前のカッターシャツにジーンズ。仕事でもなんでもない休日から飛ばされた姿のままであり、一見しても冒険者と言う出で立ちではない。それなのに、アンはそんな自分をオオカミ退治に誘い出したのだ。

「いいのか?こんな初対面の俺で?」

「大丈夫!見た感じだと冒険者っぽくないけど、オオカミ退治くらいなら私がなんとかできるし、どちらかと言うと毛皮とかを持って帰る人手が欲しかったから。それだったら今のあなたでもできるかなと思ったの」

「なるほど、荷物持ちか。わかった、そういう事ならお手柔らかに頼むよ」

 アンからの提案に乗り、二人は風吹く草原を山あいに向かって進んでいこうとした。その時。

「まって」

 アンが冷たい声でヘルトの足を止めさせる。周囲に風の音だけが響き渡り。草木が穏やかに、しかし激しく揺らめいている。

「どうしたんだアン?」

「………来る」

 アンが一言発したかと思うと、今まで響いていた風の音は、醜くひずんだ轟音へと変わっていった。



「グオオオオォォォォォォ!!!!!」



 咆哮


 およそ草原に風吹く音とは似ても似つかない、耳を蹂躙する大豪放が飛び、ヘルトは突然の音に身をすくませた。そして、今まで穏やかに浴びせられていた日の光を覆い隠すように、二人の頭上に巨体が浮かんでいた。

「な、これって…!」

「山の向こうの…ドラゴンだ!」

 アンの一言に、ヘルトはこの世界を強く感じていた。そう、自分が来たいと思っていた世界の、待ち受けていた展開。いきなりやって来たのは驚きだったが、まだ足も手も動く。そして何より、ヘルトはこんな展開を待っていた。

「アンっ!大丈夫か!?」

「あ、うん!大丈夫!でもこれは大変だね。ヘルトはさがっ…」

 アンが制止するよりも早く、ヘルトはアンの前に出た。轟音と暴風舞う草原で、そして山ほどの巨体を前に、ヘルトは改めて右手を強く握って念じて見せる。

「ここは…俺に、任せろっ!」

「だ、だってヘルト!戦う武器が!」

「戦う武器なら………ここにあるっ!」

 そういってヘルトが手を開くと、さっきと同じ武器が、再び手の中に収められる。傷のない白銀の刃と、輝きを放つ五色の宝玉。さっきと同じ剣を、ヘルトは再度作成して見せたのだ。

「これだ!この剣があれば!このピンチを脱出できる!これが俺の伝説の第一歩だ」

 高らかに剣を掲げて、ヘルトはその一太刀をドラゴンに振り下ろす。

「食らえ!神剣エクスカリ………」



「グオオオオォォォォォォ!!!!!」



 ヘルトが剣を振り下ろして、ドラゴンを征伐しようとした間際。巨大な飛竜が一際大きなうなり声をあげた。しかしそれは異質中の異質。こちらに相対する竜の叫びではなく…どこか悲痛な、情すら湧くほどのうめき声の様にも聞こえたのだ。さすがに異変を感じたヘルトは、剣を振り下ろす動作を止め、顔をドラゴンに見上げた。


そこには


自分が剣を下すまでもなく


既に翼すら射ち落とされた


ただの巨大な獲物の姿があった。


 ヘルトが状況を理解できない内に、巨大なドラゴンは目の前に射ち落とされ、轟音と共にその巨躯は草原に討ち倒れた。

「ふぅ、これで良しっと」

 後に残ったのは、さっき前の咆哮が嘘のような、鈴の鳴るような少女の声と、何も始まっていないかのような穏やかな風の音だけだった。

「今、一体何が…俺の剣…?」

 状況が理解できずに、神剣を振り上げたまま周囲を見回すヘルト。そんなヘルトに、アンはにっこりと笑顔を見せて一言声をかけた。少女の背中には、打ち落とされたドラゴン、そして彼女の手には、きわめて赤い鮮血を纏った片手剣。そんな状況の中、彼女が言った言葉は、とても穏やかな一言だった。



「さて、この世界にようこそ。天運の冒険者さん?」


つづかない



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