一面の蒼、擬物の夏

@mmznhmn

第1話

※ 本短編は百合SS Advent Calendar 2021の19日目に作成された作品です。

https://adventar.org/calendars/6318


「見てこれ、もしもノート!」


彼女は隣の席に座ると、得体の知れない赤いノートを見せてきた。

座席なんていくらでもあるのに、わざわざ私の隣までひっついてくるので暑苦しくってしょうがない。

特に興味はなかったが、なにそれ?とだけ定型的に返事をする。


「この前、百均で拾ったの」


おいおい。ちゃんと代金は払ったんだろうね、という問いかけに、彼女はうん、と返す。


「ほらこれ。プロフィールとかルーチンワークとか、細々書けるようになってるの」


電車の窓から差し込む光は眩しくて、ノートの黒い文字は私の視界から白飛びしてしまう。

まだよく分からないので、へぇ、昔流行ったプロフ帳みたいなもの?と適当に尋ねると、いやいやそれだけじゃなくて、と彼女は続ける。


「ほら、ここから『もしもの時のため』ってなってて、いきつけの病院とか、SNSのアカウントの処理方法とか、宗教とか葬儀の規模とかが書き込めるようになってるの」


あぁ、なるほど……そういう意味での「もしも」だったのか。

要するに遺書みたいなものね。


「そうそう。でもさ、遺書って結構敷居が高くて、書こうと思っても書き出しで悩んじゃうじゃん。それに……」


少し開いた窓を通じて迷い込んで来たそよ風は、ジヴジヴとぐずるセミの鳴き声も一体となって流し込む。

喧しい。きっと電車の裏にでも、我慢強くひっついているのだろう。


「遺書なんて書いてる様子を他の人に見られたら、ひょっとして、この人自殺願望でもあるのかな?って心配されちゃわない?」


確かにこういった、自分の内面に深く関わるような文書を人に見られるのは私だって嫌だ。

いや、たとえ人に見られなかったとしても、自分が遺書の筆を取るほどに立派な生き方をしてきた人間だったかどうかを振り返るだけで、その手が止まる光景は容易に想像できる。


「だからさ、これってニセモノの遺書なんだよ。もしものため、なんて理由をつけておけば、ニセモノだからホンモノより書きやすいんじゃないかなって」


ニセモノ……。

これは彼女が好んで使う単語だ。


彼女はニセモノが、なんだったらホンモノよりもニセモノの方が好きな少女だ。

スマホゲームでも、似たようなシステムの後続ばかり遊んでいたし。

ネット通販でも、サクラが評価操作しているような怪しい同名商品ばかりに手を出していたし。

なんなら私達が普段着用しているセーラー夏服だって、ドンキから取り寄せたコスプレ衣装だ。

彼女は情熱価格という単語に弱いのだ。


正直に申し上げると、私はニセモノが嫌いな側の人間だが、それを彼女にまだ打ち明けたことはない。


「ほら、クレカ番号とか書く欄まであるよ。どうせ意味ないのにねー」


そもそも私達の年齢だと高校2年生に相当するから、まだクレカは持てないのだが……。


とはいえもう少し私が関心を持たないとこの話題は終わりそうにないので、パラパラともしもノートなる小冊子を眺めていると、連絡先リストにでかでかと私の名前と住所と電話番号が記入されているのに気づいた。

しかも間柄には配偶者が選択されている。


「ふふん。どう、アタシなりの奥ゆかしさがにじみ出てるでしょ?」


いや、全く奥ゆかしくはないが……。


「なんでよーっ、そろそろ10年の付き合いだよ?どう、アタシで妥協しない?」


でもそれは……といいかけて、口をつぐんだ。

君には私しか幼馴染がいないからだよ。とは声に出さなかった。


人にとっては、思い出したくない故郷もある。

私達は、ただでさえ10代の若者が同い年の女2人しか存在しない、東京の末端の限界集落の出身だ。

しかも一過性かもしれないとはいえ、片方が女性に対する恋愛感情を抱いている。

お互いの家族から一定の理解は得られているが、古臭い考えを持つ権力者の爺婆連中から同意を得られるとは到底思っていない。

だから私達は結婚適齢期を迎える前に、山を下り、線路を辿り、こうして2人だけで逃げてきたのだ。


「はいはい。まーた返事はお預けなんでしょ、もういい、行きましょ」


彼女はすっと立ち上がった。

行くって、どこに?


「どこでもいいわよ。とにかく楽しい場所なら。天国でも、地獄でも」


そう言うと彼女は突拍子もなく電車の扉をこじ開け、外に飛び出す。

危ない、と悲鳴のように叫んだ直後、ドボンと水が大きく跳ね、その飛沫が電車の中まで跳ねた。


*


「いやーっ、流石に危なくはないってー」


車両の外の世界は、見渡す限りどこまでも海が広がっている。

厳密には、塩分濃度が高すぎるため水性生物が生息できず、水の奥底まで蒼く澄みきったニセモノの海。

彼女が飛び込んだ地点から広がる水紋は、わずかな波すらも発生しない穏やかな水面に小さなざわめきを与えた。


私はほっと胸を撫で下ろす。

いくら海面から車両によじ登れるとはいえ、潮の引いている時間帯では怪我も十分考えうる。

ハッとしてから、私はカンカンになって御小言を連発したものの、顔だけ浮かべて流れに身を委ねる彼女の耳にはどうも届いていないようだ。

両脇にはビル群がずらりと立ち並び、その間の空間を縦に二等分するかのようにまっすぐと伸びた高架はわずかに海面から顔を浮かべ、それは「立川北」駅へと繋がっていた。


5年前の東京大水害によって首都圏がほぼ水没し、ほとんどの政府機能が関西圏に移動した後の東京は、広大な廃墟と化した。

排水機能の壊滅と、異常気象による連日の日照りによって、皮肉にも東京という湖の水質は世界でも有数の透明度を誇るほどに澄み切っているらしい。

そこに出来上がったのは、ニセモノの海に浸かりきった、何も本来の機能を有さないニセモノの街。


調査目的の調査船は定期的に都内を巡回するものの、安全のため都内に個人の船が立ち入ることは原則禁止となっている。

だから真実の報道に使命感を燃やすカメラマンや、怖いモノ見たさや廃墟泥棒を目論む若者たちは、かろうじて海上に陸路の現存する多摩モノレールの高架や青海線の線路を辿りながら、都内最後の非浸水駅である立川駅をひっそりと目指すのだ。

そしてこのような人気のない場所は、追われる私達にとって住心地のよい場所でもある。

私達はこのモノレールの廃車両を寝床として暮らしていた。


「ねー!今日はどうする?」


足をばたつかせながら彼女は叫んでいた。

そろそろ食料も底を尽きそうだ。缶詰食料の探索と飲水の探索が今日のメインタスクになるだろう、と伝えた。


「えー、そんなのつまんないじゃーん。どうせなら立川近辺で探検しようよー!この近くに凄い音響の映画館があるらしいし、昔は漫画がたくさん読める図書館もあったんだってー」


いやいや、サバイバル生活で漫画なんぞにうつつをぬかしていたら餓死するって。


「じゃーほら、代わりに南武線を辿って川崎まで探検しに行こうよ。そこまで行けば東京もだいぶ近いんでしょう?」


海に近い川崎が水没していないわけがないだろう。

そもそも代わりにもなっていないし。


「じゃああれ、よみうりランドで我慢するから!遊園地で一日遊べればそれで……」


はぁ、これ以上話しても無駄なようだ。

彼女にとってニセモノだらけのこの世界は、私とは違い、居心地がよくてたまらないのだろう。

ふう、と一息ついて壁掛けのカレンダーを眺める。


今日は12月19日。

季節感すらもニセモノの世界に、私はこんなにも飽き飽きしているというのに。

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