第19話 いまではないいつか、ここではないどこかで。








 いまではないいつか、ここではないどこかで、とある門扉を背に、女の子が立ち尽くしていました。


 目の前では妙齢の女性が、なにやら呆れたように頭を抱えています。

 女性は、その美しい顔を歪め困りましたねと呟きました。


 ――それで、アナタは戻ってきたわけですか。


 少女は、なぜ彼女がこんな顔をしているのか、状況がよく飲み込めません。


「……はい」


 少女は、この女性からの言付けを、中途半端に終わらせるつもりはありませんでした。

 確かに今、手ぶらで戻って来はしたが、今後も足繁く様子を見に行こうと、そして、ゆくゆくは完遂しようと、そう考えてはいたのです。

 だけど、どうにもその行動が、彼女の意図に反していたようで、――たまらず視線は足下へと泳ぎます。


 ――何か、あちらで気に障るような事でもありましたか?


「……いいえ」


 まさか気に入らない点なんて、ただのひとつもあろうはずがない。


 なんせ、彼女はようやく笑えたのです。

 とてもとても楽しくて、同じくらい嬉しくて、あの日あの時あの場所で、彼のあの寝顔を見たその時に、……少女の胸は破裂せんばかりに暖かくなったのです。


 当初は、目上からの下知ならば是非もない。手早く終わらせて戻ろうと、そう考えてはいたのですが、彼と話し触れ合ううちに、惜しくなったとでも言うのでしょうか、機械的に役目を済ますのがもったいないと言うのでしょうか。

 もっと長く彼と話がしたいと、そう願う自分がいたのです。


 本来なら、目の前の女性に、なぜ途中で帰ってきたのか、その意図を理路整然と全て語るべきでしょう。

 ですが、それがなんなのか、これがどういう感情なのか。なぜこんな行動を取ってしまったのか。

 彼女はそれを語るすべを持ち合わせていませんでした。


 ただひとつわかったのは、たぶん自分は、この御方の期待に応えられなかったんだろう、何か間違えたのだろうということ。


 そして、同時に少女は覚悟もしました。

 厳格な縦社会で、故意にしろ過失にしろ、なにかしらの粗相をしたのであればそれ相応の罰は受けるものである。噂では、数百年もの長い間、大岩の下敷きになった者もいたらしい。

 でも、


 ――ここでヤメにしますか?


「イヤです」


 少女は、罰を受ける事が怖いわけではありませんでした。罪から逃れようと考えたわけでもないのです。

 ただ、それならもう一度。出来ればもう一度だけと願うことがあって、――それだけは、どうしても譲れませんでした。


「これが私のワガママで、貴女様に対し無礼な行いだというのも承知しております。ですが、それでも私は、私は、……」


 女性は、初めて少女の強い言葉を聞いたのでしょう。


 いつも辛そうに黙って空を見上げていた子が、

 けっして自分からは誰とも関わろうとしなかった子が、

 そして、あの女の子が。


「私は、せめてもう一度、……彼に会いたいのです」


 ――あら、まぁ。


 とても明確に、瞳に光を灯しながら自分の意志を告げたのだから、女性はとても驚いたようで、それでいて、優しく笑みをこぼしました。

 女性は少女へと、二三、問いかけます。


 ――良いヒトでしたか?


「……まぁ、どちらかといえば、ですが」


 少女は、気が付きませんでした、


 ――仲良くなれそうでしたか?


「ど、どうしてもとあちらが頭を下げて頼んでくるのならば、あるいは」


 彼の話をする度に、とても、嬉しそうに自分が笑えていることに。

 その光景に、目の前の女性は、やれやれとため息をついてみせます。


 ――それでは、もう一度問います。今回、アナタが彼の元へと行った目的は何でしたか?


「彼の『負債』を回収するためです」


 ――ちがいます。


「え?」


 やっぱりか、そう言わんばかりに、女性はあきれ顔。


 ――私はあの時こう言ったはずですよ。『彼と向こうで仲良くしなさい』と。


 少女は、いよいよ意味がわかりません。なんせ、『仲良くする』とはすなわち、


「ですから、……一度助けた相手の負い目があるうちに、最後の骨の髄の髄までしゃぶりつくしてこいと、そういう意味だと――」


 ――ちがいます。


 少女の前で、女性はいよいよ頭を抱え、『契約の話をしたからかしら』や『でも、それでどうすればこんな曲解に至るのかしら』など、『私の言葉が足りなかったのでしょうね』なにやら溜息交じりに呟きます。


 少女の中では、こちらに負い目を抱えた相手と『仲良く』、イコール、尻の毛まで毟れ。


 そういう事だとどこかで見聞きしていたものだから、例の契約の話も聞かされたことだし、となればなおさら件の『負債』を理由にあることないことイチャモンつけた上で、有らん限りを尽くして根こそぎ搾り取ってこいと。そういう事だと。

 へんなところで真面目な少女です。

 ホントは不本意だけど、あの御方が言うのであれば致し方ないと、……感情と役目の板挟みに翻弄されたが故、彼との間に起きた例のドタバタもここからきたものでした。

 女性は全知全能故、遠くからとはいえ全てを見ていたのですから、この発言でおおよそのことを理解し、

 そして、――こんなもん、犬も喰いませんねと、そう彼女はふっきれたように爽やかな笑みを見せ、


 ――最後に、もう一度問います。なんでこちらに戻ってきたのですか?


「……お腹が減ったから、です」


 ――それでは、そういうことで。


 次の瞬間、少女の頭は、向かい合ったままの位置関係で、女性の小脇に抱えられました。


「え? え? え?」


 ――おバカさんに、一から説明するのも面倒なので、ちょっと力技ですが。


 突然の奇行に、振りほどいて逃げようにも、万力のような力でガッチリと首をロックされていて。


 ――私も、できる限りのお手伝いはしますからね。


 そして、……混乱すらも置き去りに、少女は自分の身体が持ち上がるのを感じ、


「うそ、……うそうそうそ! ウソでしょっ!!」


 まさかの、――目の前には背にしていたはずの扉が。


「ちょ! これ、ちょっと! やだ! おパンツが見えて!」


 女性から逆さまに持ち上げられ、静止した状態で、少女はめくれ上がるローブの裾を、必至に掴みます。

 すぐ耳のそばで女性の声が聞こえました。


 ――これ、地上では “垂直落下式? ぶれーんばすたぁ” っていうみたいですよ。


 その言葉の意味は分からなかったが、……少女は、逆立ちのようなこの態勢からどうなるか。本能的に悟り、全身が粟立ちました。


「ご、ごめんなさい、すみません、ゆるしてください、なんでもしま――」


 ふわりとした浮遊感の後。

 ストン。と、それは見事にストンと――真っ逆さま。

 少女の脳裏によぎったのは、地面で弾ける己のドタマでした。


 ――ほら、こういうのって、自分自信で気づかないとダメじゃないですか?


 響き渡る自分の悲鳴で、少女の耳には何も届きません。ただ、視界の端で、


 ――そのトキメキの意味を理解出来るようになるまで、しばらく向こうに行ってなさい。


 目の前の門扉が、開くのだけは見えた。








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