第18話 阿久間と申します。⑥







 ……それが、もう数日前の話。


 放っておけという僕に、母がいいから起こしに行けとうるさいもんだから、僕の自室の隣、先日前までは物置と化していた部屋に、苛立ちをアピールするよう足音高く突入した。

 ここ何日か掃除を手伝ったおかげか、ある程度女子の部屋だというくらいには見れるようになった。

 その窓際に、ベッドはまだないので布団を床に直敷きなのだが、――例の彼女は高いびき。

 枕がヨダレまみれなのだから、せっかくの美人が台無しだ。

 はじめのうちは、あんな破天荒な少女だけど見てくれだけはいいもんで、部屋に近づくだけでドギマギしていたが、美人は三日で飽きるとはよく言ったもんだ。

 今日も今日とて、まるで蓑虫のように布団にくるまって、見事なまでの爆睡。

 まったく気持ちよさそうに大口開けちゃって、品性のかけらもないヤツめ。

 僕は、取り上げるように掛け布団を引き剥がす。

 言葉では埒があかないことをすでに学習しているのでね。小手先の様子見なんて時間の無駄だ。ストレートに行動する、これ一択である。

 ひぃい。と、外気の寒さに小さく悲鳴を上げる悪魔さん。

 続けて僕は、勢いよくカーテンを開け放つ。射し込んだ朝日はちょうど彼女の顔を焼いた。


「ぎぎぎ……目が、溶けるぅ……」


 ああ、そりゃいいや。寝てばっかりなら必要ないだろうさ、溶けてしまえ。


「きのぉ、おそかったんですよぉ……」


 寒さから逃れるように背を丸め、日の光に顔をしかめながら、堪忍してつかぁさい、見逃してと、悪魔さんはガラガラ声で言うけれど、僕は知っているんだからな。

 窓という窓、入り口のドアまで開け放ち、冷気によるいやがらせ、もとい、換気を行う。


「遅くまで、母さんと深夜ドラマ見てたんだってな」


 長い無言は肯定と受け取るぞ。


「……ふぁい」


 アクビのような気の抜けた返事。でも、どうにも目が開かないらしく、イモムシのようにもごもごもじもじと、起き上がる気配はない。

 どうやら、ここ連日、深夜の海外ドラマにお熱らしく、母共々、テレビにかじりつくように見ているようなのだ。

 あのドラマの、何がどう面白いのか。

 以前、何回か強制的に見せられたが、幼馴染の男女がすれ違いながら成長していく話で、まぁ、何処にでもある話だった。

 お互いに自分の気持ちを伝える事が出来ずに、周りを巻き込んでモジモジと。ハッキリ言わせてもらうと、男の自信のなさからくるナヨナヨとした及び腰と、天性の鈍感っぷりに、胸がモヤモヤしてストレスが溜まる一方だった。


「ったく、あんなダメ男の何が良いのやら」


 僕は、カーテンを房で纏めながら独りごちた、……はずだったけど、


「……は? あれは、あのバカ女が消滅すべき。見当外れな解釈違いは、……戦争ですよ」


 ――なんと物騒な。


 飛んできたのは、刃物のような言葉。

 声の先では、彼女が寝転がったまま、その半分開いた片目で睨みつけてきた。


「彼は、ちゃんと気持ちを伝えようと頑張ってたでしょうが。でも、あの女が悲劇のヒロインぶって、メソメソうじうじ鬱陶しい。なんど彼が告白のチャンスを逃したことか」


「いや、それでもああいうのは男から言うべきだろ」


「女からガツガツ行けば光速でハッピーエンドでしょうが」


「あの子はそういう子じゃないだろう。清楚で可憐で奥ゆかしくて、」


 誰かさんと違ってな。とまでは言わなかったけど、僕の残念そうな顔で色々と察したのかも知れない。

 悪魔さんは、寝ぐせでぼさぼさの黒髪をそのままに、敷き布団をおもいっきり叩いた。


「……もうっ! わかりましたよ! 起きれば良いんでしょ、起きれば!」


「キレる方向が意味不明すぎだろ」


「……だいたい女の子の部屋に勝手に入るとか、さすがにないですよ。サイテー」


「あ、それを言うのはズルいぞ!」


 いつぞや、扉を挟んでの『起きろ』『起きます』『だから起きろって!』『だから起きますって!』を、十数分ほど繰り返した苦い記憶がよみがえる。


「そっちが起きないから悪いんだろうが」


 アレを経験すれば、誰しもが強引に部屋へ乗り込むってもんだ。

 だけど、相も変わらず僕の言い分なんて、全部無視。

 ばーか、あーほと、悪魔さんは吐き捨てて、跳ね散らかした髪のまま、ムスくれた顔で、階段を降りていく。

 おぉ、おぉ、なんとまぁ足音の高いことで。


 ……彼女の来たあの日から、僕の日常は一変した。


 これだけの美女と、同じ家で暮らしているんだ。

 未だに、ハーレムだのラッキースケベだのには、全くこれっぽっちもご縁がないけれど、あの時の予告どおり、まるでラブコメの主人公になったかのような日々が続いている。

 その相手が、『悪魔』でなければ言うことなしなんだけど。

 でもまぁ、隣で話しかけてくるのも、笑ってくれるのも、今みたいにケンカするのも、この数日の間で、たまになら悪くはないのかなと思ってしまっている。


 僕は、もしかすると彼女の美貌に、魅了という名の暗示をかけられているのかもしれないな。


『ママ様ぁ、ちょっとセクハラされたんですけどぉ!』


『はいはい。とりあえず、顔を洗ってらっしゃい』


 いや、――やはりこれは洗脳に近い何かだろう。悪魔的なパワーによって、僕の精神は改変されていると疑うべきか。


 あの子には、あとでグーパンしとくから。なんて、階下から聞こえる身の毛もよだつやりとりに、慌てて僕は、いつぞやの時のように階段を駆け下りた。

 窓から見える空は雲ひとつない青で、イヤミのように晴れ渡ったそんな日に、僕は朝からドタバタと、いい迷惑である。


「――そういえば言い忘れてました」


 ひょっこりと、洗面台からは歯ブラシを咥えた彼女が顔を出した。

 泡だらけの口のまま何を言うかと思えば、


「おはよーございます」


 不服そうに口を尖らせて、言った台詞がそれかよ。


「あぁはい、ったく、おはよーさん」


 だから、こちらも嫌みったらしく挨拶を返した。


「何ですかその言い方は。あいさつは礼儀ですよ礼儀」


「はっ、何が礼儀だ笑っちゃうね。それによく見りゃ、そのTシャツ僕んだろ。無いと思って探していれば、とんでもないヤツめ」


「寝るときはゆったりした服が好きなんですぅ! 別に一枚くらい良いじゃないですかっ、けち!」


「誰がケチだ、返せこのヤロ!」


「あぁ、ママ様! 今ですよ、セクハラの現行犯です!」


 母が、僕の尻を蹴りつけるまで、今日も今日とて喧々諤々と。


 どうやら今日もまた、騒がしい一日になりそうだ。









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