第17話 阿久間と申します。⑤








「ほらっ! はやく起きろ。遅刻するぞっ!」


 その日から、僕の生活は一変した。


「……ふにゃ。あと五分だけ」


「昭和かよ。寝言が古典的すぎる」


 あの日、悪魔さんが僕の枕元に現れた日。突如として転校してきた少女があまりにも美しすぎて、それに比例するかのように、僕に降りかかった災難は数知れず。

 ほとんどがこの悪魔さん絡みで、こんなこと、いつまで続くのだろうかと辟易してはいたが、そんな大騒動だった日々も、数日経った今となっては、もはや昔。

 一部を除き、皆ある程度の落ち着きを取り戻してくれて、いまだ放課後ともなれば、悪魔さんの前には相変わらず告白の順番待ちが列をなすわけだけど、休み時間ごとに告白されていた以前よりはだいぶマシ。

 同時に、以前のように僕経由でどうにかしてくれと、そんなことを言ってくる男子が目に見えて減ったわけだから、ようやく僕というヤツがいかに役に立たないか学校中に知れ渡ったんだろうね。

 彼女本人はいささかウンザリといった面持ちではあるが、あわよくば、そのまま適当な男子と仲良くなってくれれば個人的には言うことない。

 僕に興味をなくし、甘酸っぱい恋に青春にとうつつを抜かし、それこそ例の債務を全て忘れてもらえれば、なおのこと万々歳なのだけど、さすがにまだ、そこまで親しい男子は現れていないようだ。

 ほとほと疲れはしたが、やっと僕の日常が少しだけど戻りはじめたこの頃である。


 ただ、どうやら肩の荷を下ろせるのはもう少し先らしく、――僕の悩みの種、その全てが解決したわけではないのだから頭が痛い。


 高校生にもわかる。いやはや人生とは苦難の連続である。


 あれもこれも全部一度に解決できれば良いのにさ、そうは問屋が卸さない。

 まだ皆にバレていない、いや、バレるわけにはいかない秘密がいくつもあるのだから、困ったもので。

 しかもそれは、いうなればいつ爆発するかわからない爆弾の、いつ導火線に火がつくかわからない危うさを秘めているのだから。

 いまだに疑問しかない顛末なのだけど、あろうことかその日から何がどうしてこうなったのやら。


 タダでさえ胃の痛い事ばかりだというのに、例のあの日から、あれよあれよという間に彼女が我が家に住み着くこともなってしまったのだから、さあ大変。


 こんな美人と同居だなんて、あのクラスメイト達に知れればきっと暴動もんだ。

 せっかく治まりかけたものが再び火を噴き、次こそは大火となりかねないのだから、もうあんな面倒ごとはこりごりだ。いよいよバレるわけにはいかない。

 当の悪魔さんはというと、


『んな簡単にバレはしませんって』


 なんて、相も変わらずよくわからん持論を展開しているし


『なんなら、私の悪魔☆パワーで良い感じにごまかせますし』


 いつものあざといウインク付きでカラカラと笑う始末。


 こんな、お天気暴走機関車となぜそんな。


 しかも住むとなったら隣に爆弾を置いて生活するもんだ。そんなのと一つ屋根の下だなんて、僕だってまさかと思ったし、疑ったさ。


 あの転校初日の下校時に、悪魔さんが居るからだろうけど、当たり前のように例のイケメン集団も付いてきて、彼女とふたり、今日一日でウンザリだからさ、しかも彼女が悪い顔で笑うんだ。『めんどーなので撒きましょう』とニヤリ。


 おそらくあれは、悪魔さんの力だろうね。


 おもむろに僕の手を引いて彼女はしばらく走っただけ。それなのに、――ふと振り向くと、うしろには誰も居なくって。


「いやぁ、せいせいしました」


「だな」


 僕も、そこまでアッパーなテンションの男ではない。

 陽キャ集団に巻き込まれれば、疲れるだけなのは目に見えている。出来れば前もって合図の一つでも欲しいとこだけど、今回ばかりは良くやったと褒めても良いほどだ。

 ただし、その意見には同意するけれど、彼女としては相変わらずの平常運転で、――その後が良くない。


「アナタの手、やっぱり温かいですね」


 キャっと悲鳴を上げたのは僕。

 だって、何年ぶりだろうか。無意識とはいえ女の子と手を繋いで歩いているのだから。

 ニヤニヤと昼休みにも見た顔で彼女がこちらをのぞき込んでくる。


「……手を握ってきたのはそっちからだろ」


 長いまつげに、形の良い瞳、柔らかそうな唇と、……至近距離での悪魔さんは、心臓に悪い。

 異性に対する免疫がゼロに等しい僕では、――いよいよ何を思ったのか彼女が指を絡めはじめたもんだから、おい、やめろ。――せいぜい手を振りほどくのが関の山。


「あれれ~? お顔が真っ赤ですけど~?」


 うるさいな。


 彼女のペースに乗せられると、また今朝の二の舞になりかねない。僕は距離を取ろうとしたんだ。


「もう。女子と手を繋ぐくらいなんですか。慣れなきゃダメですよ」


 近づく度に僕が逃げるから、彼女としても楽しくなってきたのだろう。

 だから、また手を握ろうとするな。いや、腕を絡めてくるのもやめろ。


 その日の帰り道は、一から十までそんな感じなんだ。でも、


「すっごい美味しい甘味店があるみたいなんで、今度連れてってくださいよ」


 とか


「すまほ? ってどこで買えるんですか? いっしょのが欲しいです」


「おい、落とすなよ?」


 こんなアスファルトの上、落とせば一発だ。


 なんて、見せてくれとせがむから貸してやった僕のスマートフォンを手に、隣で元気いっぱいなのは良いとして、もう我が家は目と鼻の先。


 あれれ? いつまでついてくるのかなぁと疑問に思っていたけれど、同時に頭の片隅では、え? そんなことはないよね。考えすぎだよね。と、僅かばかり心臓の鼓動は早くなっていて。

 そのまま、玄関開けて『ただいまで~すっ』と元気いっぱいなんだもん。


 いやいや待って。どういうこと?

 

 僕としては、盛大に意味不明なわけだ。


 母も、『おかえり、あーちゃん』なんて、わざわざ玄関のたたきまで出てきた上に、ニッコニコで悪魔さんの身体をハグ。

 彼女もムフーっと鼻息荒く嬉しそうに抱き返し、その光景はさながら本当の仲良し母娘のよう。


 だから、もうホントにどういうこと? 

 蚊帳の外とはまさにこの事か。


「学校どうだった?」


「モップみたいな髪型の男子がスーパーウザかったです」


「モップって、その子、頭に何乗っけてんのよ~」


 学校指定のローファーを脱ぎ散らかして、ズカズカと上がり込む悪魔さん。


「おい……おいおいおい!」


 ちょっと待ってくれ!

 説明を求めた僕は、この中で唯一正常だと確信した。


「玄関で騒がないでよ」


「思春期特有のアレですかね?」


 二人は馬鹿を見るような怪訝な顔をしたけれど、それについては今回だけ見逃すとしよう。

 なぜ、さも当然のように、この子は我が家に帰宅しているのか? せめてそれだけでも教えてくれ。


『不出来な息子の未来のお嫁さんなんだもん。二つ返事でオッケーよ』とは、母さんの談。


 何がどうやったらオッケーなのか。今日、出会ったばかりの少女があれよあれよと一つ屋根の下。

 誰が誰のお嫁さんなのか。そんな変わり者、どこに居るのか見てみたいもんだ。


 含んだような笑みの、ほんとムカつく顔で悪魔さんは僕の隣、近づいてきてボソリ。


「私、お嫁さんなんですって。良かったですね」


 あぁそうだなと、鼻で笑ってやるよ。


「掃除機みたいな大食らい、嫁にもらうなんて、とんだ罰ゲームだ」


 いまさら見てくれだけの子に何を騙されるものか。母親の盛大な勘違いが手伝った、ホント迷惑な惨劇である。


「まぁヒドい!」


 隣からのウザったらしい連続ネコパンチを肩に喰らいつつ、あのな。と、もういよいよ呆れ果ててどうしようもないけど、悪魔さんはいったん完全に無視で、――僕は、母親にもの申した。


 本音は、

 こんな悪魔を家に置くとはどういう了見だ。

 絶対に面倒なことにしかならないからやめておけ。

 次の瞬間には何するかわからない爆弾のようなヤツなんだぞ、わかってるのか。


 そう言って聞かせたいけれど、例えそれが本当の事だとしても、どれだけ懇切丁寧に説明したところで、どうせ理解はしてくれない。笑われて終わるのが目に見えている。


 だから、建前としての一般論を浴びせたわけだ。


 若い男の住む家に、こんな美人を居候させるなんて、どんだけ非常識なんだ、と。


 正常な人間なら、そんなことはしない。マンガやアニメで見る女子高生との同居ものでさえ、もっとまっとうな理由があるものだ。

 これだけ正論を浴びせれば、少しは思い直してくれるだろ。

 母としては彼女のことを心配してのことだろうけど、彼女は悪魔なんだからその不思議な力で寝床くらいはどうとでもなるはずだ。たぶん。


 とまぁ、子が親を窘めた、ちょっとあべこべな形になってしまったわけだけど、――この悪魔さんとここまで気の合う我が母だ。

 そんな正論、何処吹く風。


「じゃあ彼女はどうするの? 住むとこ決まってないみたいだし」


 ……だからさ、住むとこの無い女子高生なんて、ぜったいに訳ありじゃないか。


 なんて、複雑な理由を抱える子がたくさんいる昨今だから、大声で言えやしないけど。


「こんな美人が夜道をひとりでいてごらんなさいよ、もう最悪なことにしかならないわ」


 世間一般的にはそういう惨劇が起こるかもなんて、そう考えるシチュエーションではあるけれど、彼女のほうから誘ったのなら別として、世の中、そんなクソバカでゴミカスなヤツばかりではない。

 

 ……と、そう思いたいけど、確かに彼女の美貌は、相手に間違いを起こさせそうでもある。


 だけど、そうはいってもこの子は悪魔だ。帰れなくなったと言ってはいたが、人間ごときに、どうこうされるとも思えない。


 とにかくウダウダ述べてはみたが、何がどうであれ、僕としては彼女と暮らすなんてあり得ない。

 理由なんて次から次にわいてくるし、なんといっても悪魔さんは例の『契約書』を持っているわけで、どうにも僕はアレには敵いっこない。

 それだけでも驚異なのに、さらにはそれを使ってどんな無理難題を言ってくるかわかったものではない。

 ことあるごとに脅迫されるとあれば、うんざりだ。

 家の中ですら気が休まらないとか、僕のストレスはあっという間に溢れてしまう。早い段階で気がおかしくなりかねな――


「――なんてったって親御さんの希望でもあるもの」


「は?」


 親御さん? 誰の?


 どうにかして阻止しようと、あぁだこうだと言い続ける僕だったが、不可解なことを言う母に、ブレザーをソファーに放りながら「可哀想に、ついにボケたか」と口を滑らせてしまう。


 そんな僕の頭をピシャリと叩きつつ、母は、


「いや~、参ったわ。同性だけどドキドキしちゃったもの」


 焦った焦ったと大笑い。


「美しさの限界値を100だとすると、200はあったわね」


 なんでも、僕らが学校に行ってる間、彼女の母を名乗る人が我が家のピンポンをならしたらしく、流石に普段なら見ず知らずの来訪者においそれと扉を開けはしないのだけど、――インターホンのカメラ越しに、一発で納得したらしい。


「腰抜かすほどの美人だったわよ。イヤ~、あの親にして、この子ありね」


 僕の中では見てくれだけなら300点満点な悪魔さんだけど、それに匹敵する人ならば見てみたいものだ。

 しかも、当座の入り用にと、これまた目が飛び出すほどにゼロが並んだ通帳と、さらにはどうぞと印鑑を出してきたようで、


「……まさか、受け取ったのか?」


 どこかでその手の詐欺を見聞きしたことがある。そんなもの、受け取った時点で試合終了だ。まともな人間なら突き返すだろう。だけど、この母ならやりかねない。


「いやいや、さすがにアレは貰えないわよ」


「じゃぁ、机の上の、あのピカピカのメロンはなんだ?」


 買ったのか? あんな箱に入ったもん、安いはずがない。ずいぶんと上流階級なお家なんだな、ここは。


「あれは、……いいのよ、もらわないと腐るし」


 ヘタクソな言い訳をモゴモゴと、母は目を泳がせながら誤魔化すように口笛を吹き始めた。

 まったくバカなことをしてくれた。これでは、悪魔さんとの同居がほぼ確定ではないか。

 どうにかならないのか、今からその女性にメロンを突き返して、土下座して、


『あの爆弾娘をすぐに持って帰ってください』


 と、泣きながら足を嘗めれば、どうにかなるだろうか。


 僕の苦悶を他所に、その話を聞いて、悪魔さんが初めて口いっぱいで苦虫を噛み潰したような顔をしていた。もしかすると本当に親御さんなのだろうか、その人物に心当たりはありそうだ。


「何か言ってました?」


「お母様? えっと、人見知りで、泣き虫な子ですけどヨロシクって」


「ぐぬっ。い、いつ帰れるとか」


「うーん、……そういえば、しばらく無理そうって伝えて下さいみたいな事も言ってらしたわね」


 その人との間になにか遺恨でもあるのだろうか、目に見えて悪魔さんの機嫌が悪くなった。


「……あのゴリラめ」


 しまいには、口汚く罵りはじめたもんだから、……よし、弱みを一つ握った。

 今度その人に会ったとき、5割増しでチクってやろう。もしかすると僕の味方になってくれるかもしれないし、そうでなくとも少しはストレス解消できそうだ。


 ちょうど電気ケトルが沸いたから、悪魔さんのぶんもあわせて紅茶を二つ。

 ありがとうございます。隣に座る悪魔さんはふわりと微笑んだ


「……ミルク、いるだろ? 」


「おや、私の好みをよくご存じで」


 別に、僕が入れるからよろしければどうですかと聞いただけだ。そっちの趣味趣向に照らし合わせたわけではない。

 だいたい、悪魔さんの好みなんざ、ただの一つも知らないよ。

 何が嬉しいのかニコニコと、隣でそんな笑顔を見せられると調子が狂ってしかたがない。

 改めて、悪魔さんは美人だとは思う。

 朝のあの時からまだ半日も経ってはいないのに、ずいぶんと気を許してしまっているのは、やはり、僕も彼女の美貌にやられてしまっているところはあるのだろう。

 でも気を強く持て。彼女は悪魔で借金取りなんだ。ある程度の一線は引くべきで、距離感だって彼女のペースに巻き込まれては――


「――ふぇ、入れすぎましたぁ」


 見るからに、白くなりすぎた紅茶が悪魔さんの前にはあって。なんだってそんな泣きそうな顔してるんだよ。


「なにやってんだよもう。ほら、まだ口つけてないから替えてやる」


 自分のカップと入れ替えてやりつつ、溜息を一つ。

 教室ではあんなおしとやかなくせに、ひとつひとつが妙に雑なんだよ。


「あぁ! また入れすぎましたぁ!」


「はぁ。もうそれ飲め」


 悪魔というものは、もしかしてバカなのではなかろうか。


「ほんと、仲良しねぇ」


 ちょっと母よ。その微笑ましいモノを見るような目はやめてもらえないだろうか。きっと、アナタの中で勘違いが更に加速しているはずだから。


「まぁ、仲が良いのは喜ばしいことだけど」


 母は、僕と悪魔さんの脱ぎ散らかしたブレザーをハンガーに掛けながら、……でもねと、一言。


「もちろん、相手さんの意向もあるし、同居の件はアタシも粗方オッケーだけど、そうは言っても、……アンタが淫らなことを企んだ時点で、即すり潰します」


「しないよ」


 なにをすり潰すつもりだよ。怖いこと言うな。


 それに、どれだけ我が子に対して、信用がないのだろうか。母はわかってるわねと僕に目配せをしてくる。

 口やかましく言っておくべきなのは、隣のトンチキ女にだろう。

 だけど、安心してくれ。今日何度目かの神に誓ってもいい。僕は彼女の本性を知っているからね。こっちにだって選ぶ権利くらいある。

 というか、もはや一緒に住む流れで話が進んでいるようだけど、まだ僕は納得してないからな。


「私も、プラトニック・ラブな関係が好ましいです」


「いやいや、どの口が言ってんだか」


 か~、これだから外面の良い美人はやだねぇ。舌の根も乾かぬうちにこれだ。

 ハーレムだの性欲だの、さらには下着の色がどうのこうのと朝も早くから言ってたくせに。


 まるで、僕がクソヤロウかのような言い分に、悪態をついてしまう。

 そんな僕の顔に、何を感じ取ったのだろうね。


 真っ白になった紅茶を口に運びながら、彼女は嬉しそうに笑った。









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