第14話 阿久間と申します。③







 ……いってきますと、その時、僕が言ったかどうかなんて、誰に聞かれようとも内緒だけど、――それが、ほんの数時間前のこと。


 あの感じでは、帰宅時に彼女がまだ家にいたとしてもきっと僕は驚かないだろう。


 むしろ、なんだかんだ言ってもやっぱり母の事が心配で、今すぐにでもとんぼ返りしたい。どれだけ可愛く見えても彼女は悪魔。甲斐甲斐しく尽くしてくれても結局は悪魔なのだ。


 あぁ、やっぱり勢いに押される形で家を出てしまったが、冷静になればなるほど自分の判断が間違いだった事に気づいてしまう。


 ただただ母とふたり、仲良く家で大人しくしてくれているだけなら百歩譲って許しもするが、でもあの暴走機関車な彼女がじっとしているだけとは思えない。

 やっぱり帰るべきだろう。そして改めて彼女と膝をつき合わせて話し合うべきだ。

 もちろん僕は前世の貸借なんてもの、1ミリも納得していないから、話がだいぶん巻き戻りはするが、そんなもの僕としては望むところだ。


 ただし、悪魔さんが例の『洋紙』を出してこないことが前提だけど。


 ……ぐぬぬ、めんどくせぇ。


 机の上で重苦しい溜息と共に、頭を抱えてしまう。

 そう。あの『借用書』がネックなんだよな。

 僕はあれだけにはどうにも敵いようがなさそうで、変にモメようものならば、きっとまた彼女は切り札として出してくるのは目に見えている。


 クソッタレの卑怯者め。


 どうにかアレを処分したいとこだが、いかんせんよくわからない虚空にしまってあるし、そもそもあんな物騒なモノ、手に取れるかすらどうかもわからない。

 だからって、僕の細腕では力で敵うとも思えない。だってどれほど可憐で華奢な見た目でも、向こうはなんでもありの悪魔なのだから。


 あぁ、イヤだイヤだ勘弁してくれよ。


 何かある度にあの洋紙で無理矢理言うことを聞かされる未来しか見えてこない。

 暗い未来に想いをはせ、なんだか胃が痛くなってきた。

 なんならさっき食べた悪魔さんお手製おにぎりに毒でも盛ってあったのではと疑ってしまう。

 そう考えるとなんだかますます腹が痛くなってきた気がする。――と、そこで僕の灰色の脳細胞がスパークしたわけだ。


 そうだ! 腹痛を理由に早退しよう。


 ちょうど次は自習のはずだし、機を見て抜け出してしまえばあとはこっちのもんだ。

 早退なんてはじめてだけど、保健室に行ってどうにかこうにか不調を訴えれば、たぶん帰れるはずだ。……帰れるよね? たぶん。

 きっとあの悪魔さんのことだから、僕がこんなにも早く帰ってくるなんて想定外のはず。

 当てが外れたもんだから、苦々しい顔で溜息をつきながらイヤミのひとつでも吐いてくるんだろうね、ざまぁ。


 こんな青瓢箪な僕だけど、こう見えてやられっぱなしは我慢ならないからさ、少しはその悔しそうな顔で溜飲が下がるなら、それこそ見ものである。

 ついでにどうにかギャフンと言わせたいという思惑もあるわけだし、まずは、今日この日に、しっかりと吠え面をかせてやるぜ。


 ……そう意気揚々と鼻息荒く構えていたけれど、まさかまさかである。やはり絵に描いた餅は食えやしない。自分の思惑がこうまで外れるとは思っていなかった。


 さして進学校でもない無難な県立高校。ほどよい日当たりの南校舎、その一階の端。

 どこにでもある、さして代わり映えのない教室に、――どえらい美人が降臨したのだから。


 絶句した。今日二度目の予想外。奇襲といってもいいだろう。


 一転して、水を打ったかのような静寂に、聞こえてくるのは誰かの溜息か。


 確かに、今朝、僕の部屋で彼女は『手助けする』とは言っていたけれど、てっきりそれは悪魔的な超パワーで物陰から物理的に支援してくれる。もしくは、軍師のように後方から悪魔的な頭脳を使い手助けしてくれるとばかり思っていた。

 だからまさか、こんな火の玉ストレートな正攻法で来るとは思わなかった。


 またひとつ痺れた頭が、彼女の言葉を思い出す。


『ご都合主義のラブコメかってくらいに』


 あぁ、やられたな。まさに、ご都合主義もいいところだ。

 こんな4月の後半に、第一学年での転校生だなんて、そうそうあることではない。あることではないけれど、……マンガやアニメでならば、星の数ほど見た。


 あぁなるほどな、コンチクショウ。


 完全に裏をかかれた結果に、ただただ悪魔、恐るべしである。


 さらには、その人心を統べる手練手管にも舌を巻く。

 確かに、彼女は挨拶をしただけだ。とくに奇抜なことを言ったわけではない。ただ単純に、転校生が今日からお世話になります。よろしくねと。

 だが問題は、

 

 ――そう、あの規格外の『美』である。


 彼女は、持ちうるカードを全て有効に使い切る。そう言わんばかりに、開始早々に、彼女最大の切り札を惜しげもなく切ったのだ。


 僕は雰囲気で察したね。


 その、奇跡のような笑顔と歌うようなエンジェルボイスをきっかけに、この教室内全域へ、すべての心臓を射抜かんと、キューピッドの矢が束になって降り注いだことが。


 例えば、僕の隣に座る男子なんて、おそらく息をしていない。


 いや、強烈な美を前に、息をすること自体を忘れているのだろう。

 さらに斜め前の女子にいたっては、長年追いかけていたアイドルと突然遭遇したファンのような面持ちで、今にも泣き出さんばかりである。

 ぐるりと周りを見渡すと、まぁ、誰も彼も似たようなもの。


 さすが悪魔。いや、それでこそ悪魔か。


 しんと静まりかえる室内。入り口から教卓までのほんの数歩で、彼女は見事にクラスメイトを虜にしたわけだ。


 でも、わかるぞ。わかる。今朝僕は皆と同じ衝撃を味わったのだから、キミ達のその反応はよくわかる。

 僕なんか自室であれほどの醜態を晒したんだ。それに比べればこの程度で済んだ級友達はまだマシな方だ。

 今朝と違うと言えば、まぁ擬態か何かだろうか。髪と目の色が綺麗な黒に変わっているし、背中の羽と頭の輪っかもやはり着脱可能だったのだろう。相変わらず綺麗さっぱり影も形もありゃしない。

 どうやって手に入れたのか制服までしっかりと着込んでいるのだから、見た目には、――腰を抜かすほどに可愛いことをいったん脇に置いといて、――僕たちと同じ学校に通う女子高生がそこにはいた。

 言葉遣いや雰囲気から察するに、おそらくこれは、『悪魔さん・よそ行きモード』といったところか。

 結局、エグいまでの見目麗しさは変化ないのだから、決して目立たないわけではないのだけど、でも、それでも今の方がまだ人間味がある。

 あぁ、あの天使な格好のままだったなら刺激が強すぎて卒倒する子も居ただろうから、これはこれで良かったのかもしれない。悪魔さんにしてはナイスな判断だったと褒めておこう。


 僕は、深呼吸をひとつ。良かった良かったと、乱れた自分の椅子と机を静かに元どおりにしながら、……


「……いや、ちょっと待て?」


 ――その僕の声は、決して大きくはなかった。


 せいぜい呟いた、その程度のものだったはすなのに。

 だけど、悪魔さんの美と静寂に支配された今のこの空間では恐ろしいまでに響いてしまって。

 そして、


「あら」


 彼女が、こちらに向かって微笑みながら可愛く手を振るもんだから、――クラスメイト、約三十人。その六十近い数の瞳がいっせいに僕の方を向いた。


 まさか悪魔さんがこんな所に現れるとは思ってもみなかったわけで、本当は彼女が教室に入ってきたあの時に、何故ここにだとか、どういうつもりだとか。すぐさま問いただすところだろうけど、無様にも腰を抜かしそうなほど驚いて、そのまま一種の混乱状態。ようやく頭が正常に働きはじめたころには後の祭り。


 結果、妙なタイミングで、売れない芸人さながらに突っ込んでしまっていた。


「……な、なんちゃって~」


 急ぎ、どこかで聞いたような文言でもって小声で誤魔化してみるも、……馴れ馴れしくもあんな言葉を吐いてしまったのだ。どういう関係なのだとすでに皆の興味はこちらに向いている。


 ジリジリと熱を帯びた視線に晒されて、僕の身体は穴だらけになってしまいそう。

 生来、目立つのが苦手な僕だ。注目を浴びることは苦痛でしかない。頼むからこっちを見ないでと懇願してしまいそうになる。


 そんな僕の心情を知ってか知らずか、いや知り尽くしているのだろうね。僕の嫌がることならばそれこそ全力で。


 ――やっぱり『阿久間』と名乗った彼女は『悪魔』なのだろう。


 歩き姿ひとつとっても絵になる彼女が、皆の視線が集まる中である。……ふいに近づいてくるもんだから、何をされるかわかったもんじゃないからさ、何事かと身構えてみれば、――僕は、背筋が凍ったね。

 学校指定の真新しいスクールバッグから、見慣れた包みを取り出すもんだから、さぁ大変。

 しかも、トドメと言わんばかりの、


「お弁当をお忘れですよ」


 ママ様から渡してくれとお願いされまして。


 そんな爆弾発言と共に、アルカイックなスマイル。

 神的なパワーは隠しているはずだろうけど、ひぃい、まぶしい。僕には後光が射して見えたね。

 同時に、力を増す複数の視線。

 おいちょっと待ってくれ。本当にそういう関係ではないんだ。苛立ちを含んだ舌打ちは、どうかやめてくれ。


「あー、なんだお前ら知り合いか」


 担任教諭も、いつもと違う教室の雰囲気にちょっとやりにくそうで。

 本来なら彼女の視力や、馴染みやすいように同性の近く。その辺を考えるところだろうけど、まさに鶴の一声だった。


「じゃぁ、隣の席を転校生と代わってやれ」


 急に話を振られ、僕の隣の席――さっきまで息の仕方を忘れていたあの男子の身体が、僅かに跳ねた。


 なんせ、その言葉の後に、悪魔さんがぺこり。その小さな頭を下げるもんだから、さらには、「感謝します」丁寧にお礼を述べるもんだから、あぁ、ありゃ一時の間ダメだな。可哀想に、彼はもはや軽いパニック状態というべきか。

 人間はああも素早く動けるのか。

 あたふたと盛大に持ち物をばらまきながら、彼は飛び退くように新しい席へと移っていった。


 その後、おすまし顔で教卓へと舞い戻った悪魔さん、いや、『阿久間さん』は、一通りの個人情報をよどみなく皆に提示していく。


 遠くから引っ越してきましただの、家族はいますが仕事の関係で離れて暮らしていますだの。好きな食べ物に、音楽に、スポーツに、趣味趣向を述べていく。

 その声にクラスメイト達は熱心に耳を傾けながらも、いっせいに机の下でスマホをいじりはじめ、きっと、誰よりも早くお近づきになるために、彼女が興味を持ちそうな事柄の情報収集をしているのだろう。


 だけど、その光景を、僕は苦々しく思う。


 彼女の言うことを素直に鵜呑みにするのはどうだろうか。いくつか本当のことを言っているかもしれないけれど、その全てが信用には値しない。

 なんせ、彼女は悪魔なのだから。嘘をつくなど朝飯前だろうさ。しかも、あの本性を僕は知っている。

 もし僕がもう少し度胸のある奴なら、大声で注意を促していることだろう。

 きっと外面に騙されて、誰も信じてはくれないだろうけど、とんでもないヤツなんだ、本当なんだ。みんな冷静になってくれ。このままでは良いように掌の上で転がされるだけだ。と、力の限りね。


 その後、一通りしゃべり終わったのだろう。静々と戻ってきた彼女は、音もなく隣に座り、ふぅと一息。

 ニヤニヤと何か面白いものでも見つけたのだろうか。軽く手招きするような動作を見せたから、あまりこれ以上目立ちたくないのだけど。……仕方なしにちょっとだけ顔を寄せ、小声で問いかける。


「……なんだよ」


 内緒話をしたいのか、僕の耳に顔を寄せてきた。


「可愛い子、多いじゃないですか」


 最初はどの子がいいですか?


 むふふ。と、下品に笑うその顔に、ギョッとする。


 思春期真っ只中の学びの園で、こいつは何という事を言うのだろうか。


 誰にも聞かれていないだろうかと、あたりを見回す僕の隣で、いよいよ彼女は小悪魔的に笑った。








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