第13話 阿久間と申します。②








「――帰れなくなっちゃいまして」


 朝日の射すリビング。

 僕の定位置でお茶碗を片手に、悪魔さんは困りましたねと笑った。


 あの時、聞き覚えのある声にまさかと思ったが、階段を踏み外しながらも向かった先、そこには、あの息の止まるほどの美少女がひとり。

 むぐむぐと不器用な箸使いで、なぜそのように茶碗へとよそったのか。まるで日本昔話に出てくるような、大盛りのごはんと戦っていた。


 清楚なローブの袖をまくり上げ、真っ白なほっぺにお弁当を付けたまま。僕の方にやっとこさ気がついたようで、味噌汁をひとすすり。

 その一息ついた様に、またもや僕の心臓がドキリと揺れる。


「おさきしています」


「……頬にご飯粒付いてますよ」


「およよ。……お恥ずかしい」


 どうしてこの人はこんなにも魅力的なのだろうか。慌てて顔を触る仕草ひとつとっても目を奪われてしまう。

 ほんのさっき会ったばかりで、しかも、あんなメチャクチャな目に遭わされてもなお、僕の中でこんな感情が顔を出すんだ。


 もしかすると、僕は面食いなのかもしれない。


 見た目に惑わされると馬鹿を見る。そんなことはわかっているのだけど、そうやって、自分の浅はかさを認めざるを得ないほどに、今朝、初めて会ったその時から、彼女は僕の心臓を掴んで離さない。

 黙っていれば可愛くて、ただそこにいるだけで美しい、ふわりと微笑む――『悪魔さん』だった。


「取れましたか? 」


「いいや、まだです」


 結局のところ、まだ例のご飯粒は付いたまま。

 悪魔であるなら、それくらい簡単に対処してほしいものだけど、そうもいかない事情があるのだろうか。

 と、いいつつも、こういう抜けたところにすら、僕という生き物は弱いのかもしれない。

 呆れながら溜息をつき、僕は、彼女の頬に手をやって、その厄介者を取り除く。


「ふひ。どーもです」


 悪魔さんは照れたように笑いながらも、僕の目を見てお礼を一言。

 えらくしおらしいな。

 ついさっきまであんなやりたい放題の暴れ馬だったくせに、あの破天荒さを何処に置き忘れてきたのだろうか。

 別にそうであれと言うわけでもないが、ずっとこうならどんな男子もイチコロだろう。


 だけど、そうは言っても、あの悪魔さんだ。


 いかんいかんと、誤魔化すように咳払いをひとつ。ハリボテの外観に騙されるとろくな事にならないぞ。

 残念な中身は、さっきイヤというほど味わった。

 きっと、お腹が満ちて落ち着いただけに決まっている。ほっと一息ついた。その程度の事だろう。

 なんて、僕としては、 “頬に付いたご飯粒を取る” その行為にたいした意味は無かったけれど、


「――あのね。アンタ、それセクハラよ」


 唐突に、聞き慣れた声の冷たい一言が僕を襲った。


「なんでだよ」


 見ると、うしろではジト目の母が立っていて、どうせ悪魔さんにと用意したのだろうけど、手にもったお皿には、卵焼きやウインナーなどをこれでもかと乗せていた。


「可愛い子にはイケメンしか触っちゃいけないのよ? 知らないの? 」


 無知って怖いわねぇ。いやよ、アクリル板越しに会話するのなんて。


 言うと共に、僕の尻を邪魔だと言わんばかりに軽く足蹴にする。悪魔さんも、その光景にカラカラと笑う。

 まったく、なんと辛辣な一言だろうか。実の親が実の息子に放ったとは思えない物言いである。


「ごめんねー。ウチの子、女の子と縁が無かったから」


 はいはい。ごめんな、どうせ僕はイケメンじゃないですよ。悪かったね。


「いいえとんでもない。こういうのも美人に生まれた宿命なんで」


「すげーな。それ自分で言うんだ」


 かといって否定できないその美貌が、歯がゆくてたまらない。


 そもそも、そっちが取ってくださいって頬を寄せてきただろう。そのお願いを聞いてあげたのに、何処をどう取ったらセクハラなのか。

 もうちょっとブサイクにも分かりやすいよう法整備を求むところだ。


「分かりやすくもなにも、可愛いは正義。でしょ」


「どやぁ」


 母のその言葉に気をよくしたのか、悪魔さんは鼻高々に、またもやその恵まれたサイズの胸を張ってみせた。


「や~ん、ホント可愛いわねもう」


 母親も、悪魔さんの美貌を前にメロメロのようで、ったく、いいおばさんが年甲斐もなくはしゃぐもんだから、見ていられない。

 僕は、先ほど階段を踏み外し、したたかに打ちつけた我が尻をさすりながら、――またもや白飯と格闘しはじめた悪魔さん。

 ただ焼いただけのウインナーに、


『おおぅ……、ママ様は料理の天才ですね』


 なんて、キラキラの目をよりいっそう輝かせ――そんな彼女に聞かれないよう小声で、母に苦言を呈した。


「……あのな母さんよ。言いたいことは山ほどあるけど、一般常識として不審者を入れちゃダメだろ」


「あら。こんな可愛い不審者なら、いつでも大歓迎よ」


「いやいや、パンダも熊の一種だからな」


 可愛いから無害というわけではない。許されるのにも限度があるだろう。


 まぁ、いったんパンダの件はともかくとしてもだ。

 いいか、今は何処においてきたのやら、例の背中の羽と頭の輪っかは見当たらないけれど、さっきまでそんなもんつけてたヤベーヤツなんだぞ。

 そりゃあ、金髪で虹色の瞳をした人間なんざ探せば少しくらいは居るだろうが、それでも初対面なのは間違いないはずだ。そんな人を、家に上げるとは、防犯意識の欠如を疑ってしまう。

 しかも、よくよく詳しく聞けば、――朝ごはんの用意をしていると、何か庭の方で不可解な音がしたとのことで。

 母はなんとなしに庭を見たらしい。


「いやぁビックリしたわよ」


 少し時系列に誤差が生じているような気もしないが、そんな釈然としない僕を他所に、あっけらかんと、まるで他人事のように母は笑うもんだから始末に負えない。


「はじめはさ、どこのどいつだコンニャロメって勢いだったけど、見れば見るほどメッチャ可愛い子なわけじゃない。そりゃときめくでしょ」


 まったく、ホント何を言ってんだろうね、このおばさんは。


 とにもかくにも、そこには、植木に引っかかって宙ぶらりんの『悪魔さん』が、シクシクとベソかいていたらしい。


 いやいや、そんなもんガッツリ不法侵入だろう。


 仮に、どれだけ彼女に悪気がなかったとしてもだ。

 こんな朝っぱらから、ちょっとこの辺で見ないほどの美人がひとんちの植木に引っかかってんだぞ。それだけで事件性が高すぎる。すぐさま通報しなさいよ。

 しかも、我が母ながらいよいよ呆れたもんで、ついには植木の枝が折れて、彼女が『ふぎゃ』っと落ちてきた上に、お腹が減りましたって泣くもんだから――母曰く母性本能をくすぐられたらしい――つい招き入れてしまったとのこと。


「女親ってね、娘を可愛がりたいもんなのよ」


「しらないよ」


 母親は、『おかわりっ!』と悪魔さんが突き出した茶碗に、これでもかとニッコニコで白飯を盛っていく。

 いよいよ炊飯器が空なんだが、まだ食べるのかよ。さすが悪魔、図々しいヤツめ。


「それに彼女、アンタの友達だっていうじゃない」


「友達?」


 それは初耳だな。

 いつ僕が彼女の友人になったのか。

 借金を取り立てに来た美女が、最終的には生足を晒して迫ってきたわけだけど、いやはや、今朝のあのドタバタに友情が生まれるシーンがあったとは恐れ入る。

 友人ってのはもっとこう上下関係や損得勘定のない関係性だろう。対してストレートに言わせてもらえるなら、僕らの関係は詐欺師と被害者か。

 まったく、嘘八百も良いところだ。


「違うの? じゃあどういう関係よ」


 どういう関係って。たぶんその辺りを明確に知りたいのは僕もだけど、彼女に尋ねてもどうせ返ってくる言葉は意味不明に決まっている。

 だから、……そうだな、強いて言うなら、


「……借金取りと、連帯保証人。かな?」


 僕の口からするりとこぼれ落ちた物騒な単語に、はぁ? と、母が怪訝な顔をするもんだから、どう説明したものか。口をつぐんでしまう。

 えっと、朝起きたら枕元に天使がいて、その子が悪魔だと名乗って、僕が前世で作った借金を取り立てに来たんだよ……。

 いやいや、まさかこんな。――朝から、ヤベー話をするブサイク。それが僕です。


「……アンタ、彼女に何か借りてるの?」


 即答しない僕に、何をどう勘違いしたのか、母がトゲのある声で睨みつけてきた。

 だけど、こんな美少女が、朝一でわざわざ『返せ』と家にまで来るのだから、よっぽど高価で大切なものを借りているのだろう。そう考えるのは当然と言えば当然。

 でも、説明しようにも本当の事を言えば誤魔化しているように聞こえるだろうし、嘘をつくなと叱られるだろう。

 しどろもどろでいると、むぐむぐとリスのように白飯をかっ込んでいた悪魔さんが、ふと、僕への助け船のつもりか、なにやら聞き覚えのある台詞を口ずさんだ。


「……ヤツはとんでもないものを盗んでいきました」


 どうしたんだ唐突に。しかも、僕の顔を見て彼女はニヤリ。


 その言葉と光景に、母が、少し遅れてパッと表情を明るくした。


「まさか……。あらー、やだもー」


 アンタも意外とやるわね。


 母親は下世話な事柄を含んだような笑顔で、僕の肩をひっぱたいた。

 このはしゃいだような力加減の無さでわかる。きっとこのおばさんは盛大な勘違いをしているだろう。


「そういう関係じゃないからな」


「え? 私は本気ですよ」


 おいやめろ。真顔の悪魔さんが変なことを言うもんだから、


「やだも~っ」


 二発目の小気味のいい音が辺りに響く。

 

 痛みに悶える僕と、それを見てさぞ愉快痛快なのだろうね。腹がよじれてしかたないと言わんばかりに、悪魔さんはヒッヒッヒッと息苦しそうに笑う。

 まったく、朝から散々である。彼女のペースに付き合うとろくな事が無い。


 そんな、悪魔さんの思わせぶりな態度は、僕が玄関を出るその時まで続き、正直、こんなとんでもない生き物をひとり、家に置いて学校なんて行ってる場合かと、僕としては一日かけてでも、どうにかこのストレスの元を追い出してしまおうと、そう構えていたのだけど、


「あんた、ずいぶん余裕ね?」


 遅刻するでしょ? 母が、オタマを片手に、そう凄むから。その背中には、張り付くようにして立つ悪魔さんのオマケつき。


 そうはいっても、あぁも見た目は良い子だけど、本当に何するかわからないヤツなんだ。

 いまだ寝間着姿の僕に、母の味噌汁に濡れたオタマがいつ襲いかかってくるかわからない。でも、この家のためにと、僕だって言い分くらいあるからさ、いよいよ誤魔化すのも窮屈になってきたわけだし、どう思われようが今朝の出来事、全部吐いてしまえと――


 「っ!!」


 ――母の肩越しに見える悪魔さんの手が、何かを探すように虚空をまさぐっていた。


 そして、こちらに向けて……ニヤリ。


「安心して下さい。一宿一飯の恩義、それだけは違えません」


 母を挟んでの、意味深な言葉と、嫌な予感しかしない笑みだった。


 まだ、彼女が何を探しているのかなんてわからないけれど、瞬時に僕の全身が粟立った。

 きっと、例の『洋書』だ。心と身体があの恐怖を忘れるわけがない。

 余計なことを言うな。悪魔さん的にはそういう事だろう。

 ブツを見る前からこうまで過剰反応を起こすんだ、どうにもやはり僕はあれには敵わない。


 立ちはだかる母と、後ろでせっせと殺戮兵器を用意する悪魔さん。

 チクショウなぜだ、味方がいやしない。


「……この悪魔め」


 唯一出来た悪あがき。苦々しく悪魔さんを睨みつけ、……同時にパカンと母のオタマが僕の頭を襲った。



「――あぁもう! いってきます!」


「あ! ちょっ! ちょっと待ってくださ~いっ!」


 いつもの倍速でバタバタと身支度を済ませ、それでももう時間が無いというのに、最後の最後まで彼女は僕の足を引っ張ってくる。

 この忙しいときに一体何だというのか、台所の方から、悪魔さんに呼び止められた。


「これ以上は遅刻しちゃんですけど!!」


 待てと言われて待つほうもどうかと思うが、ウズウズと気が急く僕を、


「いいから、黙って待ってなさい」


 母が隣で睨みつけてくるのだからたまらない。


「お待たせしました~」


 先ほどの返事から、ものの数十秒でパタパタとスリッパを鳴らせて駆けてきた悪魔さん。待たせた上で何をやっていたんだと、いよいよ文句のひとつでも言ってやろうかと考えて、――その華奢な手にはお弁当用の風呂敷に包まれた何かが握られていた。


 これは? 中身を知るのが何だか怖いんですけど。


 そう、怪訝な顔で尋ねた僕は、母に頭を叩かれた。


「アンタって子はもう!」


「痛いんだよ! もうちょっと手加減してくれよ!」


「おにぎりです」


 不格好ですけど。そう言ってはにかむ彼女に、不覚にも、今日何度目かわからない。胸が高鳴った。


「朝ご飯、食べてないですよね」


 見ると、彼女の手は真っ赤になっていて、


「おにぎりって、慣れないとすごく熱いのよ? 知ってた?」


 隣で母が余計なことを言うもんだから。


 目の前の彼女は、悪魔で借金取り。絶対に心を許してはいけないヤツ。それはわかってはいるけれど、僕は、――やっぱり面食いなのかもしれない。


「どうしても、自分で作るって聞かないんだもの」


 きっとその行動は彼女にとっていろいろと打算的なものがあるのだろう。なんせ、悪魔だ。僕と仲良くする意味があるのだからやっているのだろう。

 でも、どうにも彼女が僕の為にと行動してくれて、笑いかけてくれて、そこに、不思議と安心感があって。


「早いうちに、ちゃんと食べてくださいね」


 ……お腹がいっぱいだと、それだけで幸せなんですから。


 その一言に、もう僕はお手上げだ。


「……わかったよ」


 僕は、彼女から受け取った弁当風呂敷を鞄に押し込む。

 迫り来る時間と、気恥ずかしさも手伝って、勢いよく踵を返すと背後から「あ」っといった彼女の声が聞こえた。


 まだ何か?


 その、何か言いたげな声が、僕の足を止めるには充分で、――そして、またもや余計な手助けをしたのは母だった。


「ほら、こんなときなんて言うの」


 母の声に振り向くと、彼女がモジモジとらしくない仕草を見せるから、……そうか、そういえばそうだ。うっかりしていた。


 まだお礼を言っていなかったっけ。


 本当は、母の存在が気恥ずかしくて出来れば外して欲しかったけど、でも、確かにお礼は大切だから、あんなにまで手を腫らして作ってくれたんだ。いかに彼女が悪魔といえど、感謝していないと言えばウソになる。


「……ありがとう」


「アンタじゃないわよ」


「何がだよ」


 その母の一言に、もういよいよ意味がわからない。だけど、それはほんの少しの間だけ。


 母は、ほら。と優しく彼女の背を押した。


 いつも見慣れた玄関先で、悪魔さんは、どこか控えめに僕へと手を振った。


「い、……いってらっしゃい。です」












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