第10話 『悪魔』で『天使』な『取り立て屋』⑨
まさに、度肝を抜かれた。
「違うよっ!!」
このバカっ!!
さっきの何を聞いてたんだよ。
それにバカな上にあれだよ。顔に似合わずどんだけエロくて残念なんだよ。僕はそんなの不可能だしやりたくないと言いたかったのに。
「え? だから、エッチな本程度では満足できないし、そもそも私の足だけでは足りないと。四六時中たくさんの女の子に囲まれていたいと。それでもってその娘達を、気の向くままちぎっては投げちぎっては投げで肉欲の限りを……」
……開いた口がふさがらない。
この女、人の話を聞かないばかりか、発想が斜め上を突き抜けている。僕は力なくひれ伏してしまった。
「やりますね、スケールが大きい」
むふふ、といった彼女の含み笑いに、……完敗である。僕の完敗に乾杯だ。
「……でも、確かにアナタの言う事も一理ありますね。同じ女の意見としては、好きでもない男に体を許すのは我慢なりません。――ですので、」
彼女の言葉を止めたのは、今日一番の腹の音だった。
「……まぁ、悪いようにはしませんよ」
すぐに『ふひひ』と彼女は恥ずかしそうに笑い、踊るようにホップ、ステップ。二階の自室――その窓枠に足をかけると、ジャンプ。
一息で外へと飛び出した。
「あっ」
全身の血が凍りつく。
ウソだろ、飛び降りた!
唐突な奇行に、僕はとっさに窓際へと走る。
同時に、『大丈夫か!』そう叫ぼうとしたが、……どうやら必要なかったようだ。
僕が窓際へと到達するそれよりも早く、一瞬でその純白の翼を広げ、彼女は宙に浮かび、そして微笑んで見せたのだ。
「驚かせちゃいました?」
「こ、ここ数年で、一番焦った……」
ヘナヘナと力なく抜けた腰に、バクバクと鳴り響く鼓動は、しばらく治まりそうにない。
このとき僕がどんな顔をしていたのか、もちろん自分で確かめることは出来ないけれど、悪魔さんがスミマセンとばつが悪そうな顔で謝ってくるもんだから、どうにもずいぶん情けない顔をしていたんだろうね。
我ながら、さっきまであれだけ貸し借りでモメたくせに、そんな相手の心配しているのだから呆れてしまう。
悪魔さんも、僕が予想以上に心配したもんだから、どうやら似たような感情らしく、どうしていいかわからないのだろうね。口をモニョモニョとさせている。
「まぁ、とにかく」
結局、先にそう切り出したのは彼女のほうだった。
誤魔化すように笑って、ひとつ大きく咳払い。
「ハーレムは自分で作ってもらいます。もちろん手助けはしますので心配しないで下さい。きっと、可愛い女の子達とのイベント満載ですよ。どんなご都合主義のラブコメかってくらいに」
何を言うかと思えば、仕切り直しただけ。無理矢理、話題を元のレールに戻しやがった。
というか、ラブコメって、悪魔もその単語使うんだ。
呆れたように溜息をつくと、悪魔さんはイタズラが成功した悪ガキのような顔で、
「おっと、もちろんエロハプニングはほどほどに、ですよ」
ああいうのは、めったに起きないからエモいのです。そう言いながら、下世話な笑みを浮かべた。
「むふふ。このラッキースケベ」
「うるせぇ! 」
スケベじゃないし! 思春期なだけだし!! そもそも僕が望んだわけじゃない。
「まぁ、あとはその中から気に入った子を選ぶだけです。簡単でしょう? 」
言うだけ言ってようやく気が済んだのか、彼女の体は、今しがた突如として空から降りてきた光の柱に吸い込まれていく。
「ぜひ、その子達に愛されてください。そして、愛してください。自分の幸せを彼女達の幸せにしてあげてください。アナタの幸せは、それすなわち私の幸せでもありますから」
目の前が光に染まっていく。家全体が包まれるようだ。
「……それでは、数多の奇跡と共に、アナタに幸あらん事を」
――とりあえず、お腹が限界ペコちゃんなんで、今日は帰ります。
そんな彼女の言葉とほぼ同時。
目のくらむような閃光の後、彼女の姿はきれいさっぱり消えていた。
「……いったいなんだったんだ?」
あまりの出来事に、しばらく呆けていたが、眩んだ視界をようやく取り戻したところで、――ある不安に駆られた。
そういえばあれだけド派手に退場したんだ。さぞや近所一帯が大騒ぎなのではなかろうか。
ただでさえ閑静な住宅街なんだ。押すな触るなのお祭り騒ぎになりかねない。
なんならすでに通報したご近所さんだっているかもだ。でも、あんな素っ頓狂な事、根掘り葉掘り聞かれても説明のしようがないぞ。
泡を吹くように慌てて外を眺めたが、まるで何事もなかったかのように、そこにはいつも通りの日常が広がっていた。
犬の散歩やジョギングするおじいちゃんなど、当たり前の毎日がそこにはあって。
となると、やはりこれは、そういうことなのか?
……俗に言う、狐や狸に化かされるとはこの事だろうか。
僕は、自分の頬をつねってみると、しっかり痛みを感じた。ならば、現実か? ……いや。それでも、さっきまでの奇天烈な出来事は全て白昼夢の一種なのだろうね。
あぁ、良かった。
それならば、本当に助かった。
――『今日は』帰ります。
悪魔さんの最後の言葉が、喉の奥に引っかかった小骨のように到底無視できないものだったけど、自室の床にへたり込んだまま、でもまぁ考えすぎかと大きく深呼吸をひとつ。
だってアレは夢だったんだ。誰にも話せない馬鹿みたいな僕の夢。
夢診断にかければどんな傑作な診断が下されることだろう。それくらいに、呆れるほどのくだらない夢だった。
――いつもどおりの朝の風景に、見慣れた自室で僕はひとり、大きく安堵の溜息を一つ。
心底安心したのもつかの間、足下に転がった携帯からは、目覚まし音が。その三回目のスヌーズ機能が、僕をいよいよ現実へと引き戻した。
と、同時に、母が僕の名を階下から呼んだ。急ぎなさいとお小言を添えて。
「ヤバっ!」
そういえば、今日は平日で、まさかまさかと眺めたスマホの画面はとんでもない時間。
声にならない悲鳴とはこの事か。僕は泡を食って部屋を飛び出した。
――これが、悪魔と僕のファーストコンタクトであり、そして、これが僕と悪魔の腐れ縁。もとい骨肉の争いの始まりだったと知るのは、もう、すぐのこと。
リビングから響く、あの聞き覚えのある声に、残り一段の階段を踏み外すことになるわけだけど、それはあと、ほんの数秒ほどの未来の話。
その時の僕は、迫る時間に追い詰められていたからさ。
この平穏が長くは続かないことを、そして、これから起こるどうしようもない日常の到来を、僕はまだ知るよしもなかった。
『ママ様ぁ! おかわりくださ~~いっ!!』
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