第9話 『悪魔』で『天使』な『取り立て屋』⑧







 それからしばらく彼女と僕の攻防は続き、時刻は7時を回っていた。


 今更だが、僕は高校生であり、それでいて今日は平日である。言わずと知れた常識に、学生の朝に無駄な時間は無いというものがある。

 夜更かしもしたければ朝寝坊もしたい年頃である。目覚ましを遅刻しないギリギリのタイミングにセットしておくなど当然のこと。

 もちろんそれは、僕にも当てはまる。

 目覚ましのスヌーズ機能は15分おきに四回、それで無理ならいよいよ遅刻覚悟というタイトなスケジュールを組んでいるわけだ。


 そしてすでにその熾烈な攻防の中、二度目のスヌーズが鳴り響いた。


 もう一度言うが、学生の朝は一分一秒が戦い。

 もはや、悠長に朝を楽しむヒマなど僕には無い。すぐさま飛び起きて身支度を整えなければ、それこそ遅刻は必至なこの状況。

 ただし、それは平常時の場合である。

 今ならわかる、寝ぼけ眼をこすりながらも嫌々ながら学校に通う、あの日常はかけがえのないものだったんだ。

 朝一である小テストも、不意打ち気味の持ち物検査だって、ここまで理不尽なモノではなかったじゃないか。

 でも悲しいかな。

 今朝から続く、こうまで混沌たる現状では、もちろん、学校に行くなんて選択肢なんざない。

 こうまで学校が恋しいと思ったことはあるだろうか。いや、ない。

 なんせ、どう考えても今僕の置かれている状況は、『非日常』まっただ中なのだから。

 それでもというか、なんというか。……こんなすぐさま逃げ出したくなるような場面なのに、呆れてしまう。

 僕ってヤツはやっぱり何処まで行っても『僕』なのだろう。それとも、日頃のルーティンのなせる技か。


 こんな状況で食欲なんてと思うけど、自分の意志に反して不思議と決まった時間に腹は空くもので。


 グーグー、キュルキュルと場違いなお腹の音は鳴り止まず、再度、負けじと鳴り響く彼女の腹の虫と、一種のハーモニーを奏でていた。


「……くれぐれも、私のお腹は鳴っていませんからね」


「わかったから、離れてっ! せめて1メートル! 出来れば壁際までお願いしますっ!」


 恥ずかしげに彼女は口を尖らせたが、いやいや、論点はそこではない。

 もう、なんだこの状況は。朝っぱらから身に覚えのない取り立てに合うし、さらには美女が生足さらけ出して迫ってくるし、終いには当たり前のように腹は減るしで、もうメチャクチャだ。


 誰が見ても、まともな状況ではない。


 だけど、まともでないのなら、こうなればヤケクソだ。もはや、このままでは埒があかないのだから。

 クッションを盾に、息も絶え絶えではあるが、僕は堪らず一つの提案をする事にした。


「あ、あの! あの、ですね。……性欲というものは、睡眠や食欲と同じで、その、定期的に、何と言うか、満たさなければなりませんよね?」


 急にどうしたんだろう? といった少しの間の後に、彼女はローブの裾を捲し上げたまま、「まぁ、そうですね」首を縦に振る。


「という事は、その二つのように常に性欲を満たせる、そんな状況というか、相手というか、そういったものを、その都度悪魔さんにお願いしなければならないわけですよね? 」


「こんな足で良ければいつでも言って下さいね」


「いや! 足を見せろと言ってるわけでは――」


「――おや? 私の足では不満ですか。そうですか……適度にお肉が付いていてすみません」


 彼女の手が、力なくローブの裾を離した。どこからともなくしょんぼりといった効果音が聞こえてきそうな雰囲気である。


 いや、そんなに落ち込まないで下さい。悪魔さんの足、細いんだけどちゃんと肉感的な美しさがたまらないし、なんならめっちゃ好みだし、むしろローブを下ろすもんだから見えなくなって名残惜しさを感じてますし、……って、


「だから、そうじゃなくて!」


「……どうせ、エッチな本とかのほうがお好きなんでしょ?」


「ち……ちがうっ!」


 嫌いじゃないけど、むしろ好きだけど、でもそれでもちがう!

 頼む。お願いだから話を聞いてくれ。

 僕が言いたいのはそういうことではない。

 というか我ながら、朝っぱらから性欲だのなんだのとドエライ会話をしすぎだろう。


「とにかく! そういう事を頼んだりだとか、僕に、そんな度胸はありませんから!」


 だいたい、どの面下げて、そんなバカみたいな事を悪魔さんにお願いするというのか。

 それに、例えそんなお願いが出来たとしても、その次がまたやっかいだ。

 まだ百歩譲ってエロ本程度なら、まぁ、きっとこの残念な美少女のことだ。邪悪な笑みと共に上から見下しながら手渡してきそうだが、それでも本なんか簡単に処分できる。

 だけど、……もしそれ以上の希望が叶ったりでもしてみろ。

 仮に、その悪魔さんのスーパーパワーが炸裂して、どこからともなく女の子を連れてきたのなら……考えるまでもない、最悪だ。

 こんな僕なんかの相手をするんだぞ。きっとそこに、その子の意志はないはずだ。

 そうなれば、相手だって一人の人間だ。人権もあれば、尊厳だってあるんだ。それをそんな下劣な理由で踏みにじるなんて、僕には出来やしない。

 そりゃ僕だって健全な男子高校生だから、そういうことに興味がないわけではないけれど、でもそれとコレとは話がちがう。

 人ひとり、勝手に連れてきてるんだぞ? 何もなかったにしても後処理をどうするか。どう考えたってココが説明しづらいし、拗れるに決まっている。


『アナタをこんな最低で意味不明なことに巻き込んでしまって、本当になんとお詫びをしたらいいものか』


 まず間違いなく、誠心誠意、僕は全力で謝るだろうけど、相手としては突然誘拐されたようなもんだ。

 まともな人間なら、『あぁそうなんですね』で済むわけがない。それこそ事案である。僕の見てくれも手伝って、ガッツリ刑事罰案件だ。

 そうなると、いよいよ勘弁してくれ。今、こうやって考えるだけで、ストレスでおかしくなりそうだ。


 そんな僕の必死な説得がどうにか伝わったのか、ふむ。それもそうだなと彼女は思案顔。


 ようやく僕の言わんとするところが伝わったのだろうか。それなら良かった、本当に良かった。

 目の前の彼女が、いかに残念で破廉恥なおバカであろうとも、その小さな頭の中に、ほんの少しくらいは脳ミソがあったという証明だ。

 すぐに何かを思いついたように、彼女はピカリと表情を輝かせ、その『ほほぅ。なるほど』と、どこか感心した表情を前に僅かに僕の心臓はザワつきを憶えたけど、いやいや、流石にこれ以下の発想はない。

 きっと、他の代案がみつかったんだろうさ。

 どうせろくでもない提案だろうけど、どんなものでも今のよりはマシなはずだ。なんて、――確かに、油断したんだよな。ほんの少しとはいえ、この彼女を前に。


 悪魔さんは、「スゴいこと考えますね」と、何やら不穏な言葉を一つ。


「え?」


 ちょっと待て。何を言うつもりだと身構えたところで、


「ようするに、誰からもジャマされない。そんなアナタ専用のハーレムを作ってよこせというわけですねっ!? 」







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