第7話 『悪魔』で『天使』な『取り立て屋』⑥
血が冷えるというのは、こういうことか。
僕は、唐突に、かつ、感覚的に自分の最後を予感した。
……こんな血の気の失せた僕を前にして、笑顔を絶やさないのだから、彼女は、本当に悪魔なのかも知れない。
それに、そう。
そうなのだ。
そんな面倒くさがりな存在が、今回ばかりは会いに来たのだ。渋々だろうと嫌々だろうと、わざわざやってきたのだ。
それがどういうことかなんて、考えるまでもない。
まさに、これこそが『悪魔』との契約か。
どう足掻いたところで、借り手の側に、ありとあらゆる『権利』はないのだ。踏み倒すなんて選択肢は存在しないのだ。
なにがあっても取り立てるつもりだろうし、当然、手ぶらで帰るつもりなどさらさら無いはずだ。
だとすれば。それこそ今僕の置かれた状況は、逃げ場のない土壇場な状況か。
いや、今朝、枕元で彼女が微笑んだその時に、僕の運命は決まっていたと、そういう事なのだろう。
――何か手はないのか。
どうにかならないのか。
せめて次の世代まで伸ばすことは出来なのか。
悪魔さんから見れば、滑稽な悪あがきだろうけど、足掻いて当然だ。
だって、こんなのってない。あんまりだ。ヒドすぎる。なにが、前世の自分だよ。だれだよそれは。冗談じゃない。バカなのか。ちゃんと理由を説明してくれよ。せめて、納得させてくれよ。
そうでなければ、絶対に僕は被害者なのだから。
無い頭を必死に回転させていく。
だけど、さっきの書状を見てからというもの、心が萎縮しているのだろうか。
気ばかりが焦り、メチャクチャに絡まった思考回路では考えがまとまらない。色々と言いたいことはあるが、ダメだ。言葉が出てこない。
えっと、あれだ。何というのか、ええいくそ。とにかくちょっとでいいんだ、待ってくれ。
アワアワと口を動かすだけの僕に、もう一度ニコリ。
――まぁ、宴もたけなわですが。
彼女はそう言うと、
「私もいよいよお腹がペコちゃんなので、無駄話はこの辺にしてそろそろ仕事を終えようと思います。――何か言い残す事はありますか? 」
音も無く立ち上がり、――本当に空腹だったようで、『きゅるる』と可愛くお腹を鳴らせ、慌てて『こほん』誤魔化すように、咳払い。
普段ならそのかわいらしさに目を奪われるところだろうけど、今ばかりは見惚れている場合ではない。
このままでは、いよいよ謎の負債が僕のものになってしまう。
特に策なんてなかった。
ひとつも場を好転させる術などなかったけれど、追いかけるように立ち上がり、溺れる者は藁をも掴むとはまさにこの事か。
どうにかせねばの一心で、僕は彼女のその美しい手を掴んだ。
なんでもいい、時間が欲しかった。
「あのっ!」
威勢良く声を出してみたが、プランがないんだ。続く言葉なんてないさ。
でも、――僅かに、悪魔さんの動きが止まったように思えた。
ようやく訪れた静寂に、なんでもいい。僕は言葉を探す。だけど、悔しいことに出てくるのは僅かな唸り声だけ。
そんな僕なんだ。やっぱり、声にするのは彼女が早い。
「……と、殿方に手を握られたのは、はじめてです」
けっこう恥ずかしいものですね。
なんて苦笑いしながらも、すぐにお返しですと、彼女は僕の手にもう片方の手のひらを重ねてきた。
お互いによくわからない動作の応酬だったけど、それでも僅かばかり話が出来る雰囲気を作れたのは確か。
僕は、彼女の手を再び握り返し、ここぞとばかりに声をひねり出す。
「い、言い残す事なんて、急に言われても困ります。――そ、そうだ。僕は、どちらかと言えば不幸です。悪魔さんに支払うほどの『幸せ』なんて、とてもとても」
なんせ、僕というヤツは、顔も良くないし、勉強も出来ない。運動も得意な方ではない。
彼女だっていたことないし、そもそも告白されたことがない。金だって持ってないし、権力という名の力もない。そんな僕に他人へと差し出せるほどの『幸せ』があるとは考えにくい。
「見ればわかるでしょ? こんなダメそうなヤツ、探そうたってなかなかいませんでしょ? 」
シラフで、さらにはこんな美人の前で、ここまで自分のダメさを晒すのだ、平常時なら悲しくて死にたくなるだろうけど、――今は躊躇しているときではない。
だけど、
「ふむ、言われてみるとそうですね。ヒクほど幸が薄そうな顔をしていらっしゃいます」
言われた。他人に言われた。しかも、心底哀れむような声色で。
……こんな絶体絶命でなりふり構わない状況なのだけど、僕にもまだ、鼻クソくらいには自尊心が残っていたようだ。
この状況での僕の立場からすれば、何を言われてもへりくだってしかるべきだろうけど。たとえそうだとしても、その一言は流石に堪えた。
薄々は気がついていたが、今回の件も合わせてそうなのだろう。いよいよ僕の顔は薄幸顔らしい。
ちくしょう、放っておいてくれ。なんだか無性に傷ついた。自室の床に目を伏せ、嘆いてしまう。
……もしかすると、彼女もその光景を前に、僕という生き物に僅かばかりの哀れさを感じたのかもしれない。
なんせ、生まれ落ちてまだ十数年のハナタレが、意味もわからないまま、『幸せ』なんて、そんな大事なものを突然取り立てられるのだ。
自称悪魔にも雀の涙ほどかもしれないが、慈悲の心が残っていたのかもしれない。
しばらく、無言のお見合いが続き、
「……それでは、こうしましょう」
悪魔さんは、夕日に染まる川のほとりで、流れ行く空き缶を見つけたときのような、どこかノスタルジーを感じるそんな声色で、――まさかの提案だった。
彼女は、先ほどまで重ねていたその温かな両手で、次は僕の頬に優しく触れると、鼻どうしが触れそうな距離。
「あ、あの」
――悪魔さんからは、とても懐かしい匂いがした。
そのあまりの距離の近さからドギマギする僕へと、さも名案といわんばかりの顔で言ったのだ。
「私がアナタを幸せにします。その後、アナタが幸せで一杯になったら根こそぎ取り立てます。どうでしょう、それで」
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