第6話 『悪魔』で『天使』な『取り立て屋』⑤







「これは、あまり見せてはいけないのですが」


 なにやら奇っ怪な図形のようなものが焼き付けられたもので、どうやらこれが前世の僕が拵えた借用書らしい。

 その高級感のある作りに、たかが夢に、どれだけリアリティを盛り込もうとしているのか。我ながら妙なところで設定過多だと呆れてしまう。

 夢の中だと気づいた手前、何もかもが滑稽に思えて仕方が無い。

 更には、いよいよ自分自身に隠された中二的なエッセンスを感じ、勘弁してくれ、むず痒くてたまらない。こんなもんちょっとした羞恥プレーだ、出来るだけ早急に目覚めたい。


 ――なんて、苦々しさが半分。


 そうは言っても、なんか面白そうじゃね。というのが、あと半分の意見。


 大きな声では言えないけれど、結局のところ僕も男なわけで、心の片隅では今の状況をどこか惜しいと思ってしまっている。

 どう足掻いたところで都合良く目が覚めるわけでもないし、妄想の一種だろうけど、……こんな美人が目の前にいるんだ。

 現実にはこんな子と出会う機会なんかありゃしないだろうから、もったいない。起きるその時まで付き合ってやるのも一興か。

 なんて、それじゃあ付き合ってやりましょうかねと、小馬鹿にしながら、なんともなしに僕は、改めてその洋紙に目を向け、


「っ!?」


 ――大袈裟でなく、腰が抜けた。


 突然だった。


 まるで、高層ビルの屋上から、ふいに突き落とされたかのような。それでいて、真っ逆さまに落下し続けるかのような、そんな、強烈な絶望感が僕を襲ったのだ。

 それは、単純にして絶対的な、『恐怖』だった。


 ――ちょっと待て。待ってくれよ。


 原因は、これしかない。

 心底バカにして、腹の中であざ笑った例の洋紙。


 ふいにその文面を見たその時から、――急に肝が冷えた。


 なんだこれ。同時に身体が震え、どういう仕組みかわからないけれど、僕という生き物はこの書状に恐怖しているようだ。

 逃げようにも、足に力が入らない。カラカラに渇いた喉では、悲鳴の一つもあげられない。そして、冷水をぶっかけられたかのように、頭ばかりが、どんどんと冷たくなっていく。


 いよいよ、おかしい。

 冷静になる頭は、ひとつの答えを突きつけてくる。


 ――夢だよな。これは、夢なんだよな。


 まるで、身体の中心を鷲づかみにされたかのような感覚に、寒くもないのに歯の根が合わない。


 ――頼むから、夢ならばどうか醒めてくれ。


 そう願う僕の心情とは裏腹に、震える身体と、怯える心が雄弁に物語る。

 これは現実なのだと、


「もう、認めちゃいましょうよ」


 ダメ押しの少女の声で、あぁ、これは、最悪だ。

 絶望的なまでに抗いようもないほど納得してしまった自分が、そこにはいた。


 少女は、僕が震えたまま押し黙るのを見届けると、洋紙をまるで手品のように消して見せ、


「言葉での説明は、ややこしいんですよ。でも、――アナタは理解したはずです。なんせこの契約は魂を縛るので」


 どうだと言わんばかりに鼻を鳴らした。

 洋紙が消えたからだろうか。心に絡んでいた、重く冷たい何かから僅かばかり解放される。


「で、でも――」


 頑張って口を開いた僕に、にこりと一笑み。


「――まぁ、言わんとせんところはわかります。本来、借りた本人へ切り取りをかけるのが筋でしょうから」


 そしてすぐに、『ですが』と悪魔さんは言葉をかぶせてきた。


「私どもから言わせると人間の一生が短すぎるのです。それは仕方の無いことかもしれませんが、老いや死という概念のない我々と、平均寿命八十年ほどの人間とでは時間の捉え方が違うのですよ」


 遺憾の意を表します。と言葉を続け、


「なおかつ本来私どもは怠け者なのです。自由気ままにルンタッタ♪ と歌に踊りに昼寝にと、好き勝手やってるタイプばかりといいますか。まぁ、あれですよ。たった八十年ぽっちの期間内で一人の人間のもとに足しげく通うなんて、私なら心の底から嫌ですね。無理です、不可能です、考えられません」


 だから僕の元まで借金は転がってきてしまったのだろう。


「……それでも、一回くらい……」


 そちら側にとっては、たかが八十年。されど、こちら側からすれば八十年もあるのだ。一度くらいは先代の、名も知らない僕に催促くらいはしても良かったのではなかろうか。

 自分でも情けない声が出た。

 だけど、さっきの『借用書』の一件で、泣きたくなるくらいに僕は腰が引けてしまっていて、それで、


「だから、その一回が、今なんですよ」


「え」


 ――虐待された動物は、多分、今の僕と同じ顔をしているだろう。


 きっと、悲痛な胸の内を隠すことはない。加害者に向けて、ただただ『どうしてこんなことするの?』と、歯を食いしばっているはずだ。

 それなのに。


 ……僕の叫びは彼女には届かない。その虹色に光る瞳の奥に、名状しがたい何かが渦巻いていた。


「だからこれが、――最初で最後の『一回』です」







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