第5話

「大変だったみたいだね」

「ごめんね、ユハニ。図書室行けなくて」


 次の日、ユハニに謝った。

 放課後の図書室で勉強するのは、あたしたちの毎日の習慣。無断欠席で不安になったりしたのではなかろうか。


「いいよ。みんながエルダの状況教えてくれたから。変な令嬢に連れてかれたって」

「変な」


 どうやら、何があったのかを、図書室にいた他の人たちから教えてもらったようだ。

 けど『有名な』彼女が、『変な』と言われているのはなんだろう。


「子爵以下の令息に、寄親の伯爵家の令息から連絡が回ってるらしいよ。彼女の言うことすること、ぜんぶ無視していいって」

「えっ、何それ」

「困ってる平民にも知らせていいって。あの子、学園出たら平民に戻るからって」

「ええっ」


 彼女の問題児ぶりは、実家どころか寄親にも伝わり、将来の彼女の男爵令嬢という身分さえ奪ったようだ。


「何のために学園に入れたのよ」

「女官にさせたかったみたい。学園入るまで割と利発だったとか」

「王宮への潜入要員かぁー」

「絶対無理だよね」


 平民が貴族の令嬢として引き取られる時にはなにかの理由がある。嫡出子と言うだけでは弱い、何らかの利用価値が出た時にそれはなされる。特に伯爵以下の場合だけれど。高位の伯爵以上だと、その辺別の手段なりあるからね。


「代わりの平民探してるみたいで、僕は声かけられたんだけど、エルダは?」

「かけられてないわ。いくらで?」

「給与の1.5倍だって」

「2倍なら考えるのに」

「給与と合わせて3倍になるじゃん。上級文官になったらすごい額だよ」

「平民がそんななるわけないでしょ。下っ端の給与じゃ3倍だって家族を養えないわよ」

「えー、そうかぁ……」


 身も蓋もない話で盛り上がっていたら、ユハニの視線が変なところで止まった。

 え、何? あたしの後ろになにか……


「ユハニくんと仲良くしてるなんてヒドイ」


 振り向くと、ピンクブロンドが揺れている。

 噂の彼女が、すごい顔であたしを見下ろしていた。


 てか、今なんて?


「ユハニくんは、隠しキャラよ。帝国の王子様よ。なんであんたが仲良くしてるのよ。あんたも転生者ね?」


 ……なんて?


 今すっごいぶっ飛んだ言葉がたくさん並んだけど、一番聞き捨てならない言葉がひとつあった。


「転生者?」


 確かにあたしは生まれ変わりだ。

 バカなあたしを、幸せになれって、神様っぽいひとが生まれ変わらせた。

 だけど、なんでそれを……いや、この子今、「も」って言ったな?


 あたしが目を見開いていると、やっぱり、と彼女は胸を張った。


「全然覚えのないモブがうろちょろしてると思ったら、やっぱり転生者なの! いいこと? この『乙癒』の世界はねぇ、この私、ペネロペ・ヴィーデグレーンが主人公なの! 私がみんなを癒して愛される世界なの! あんたなんかお呼びじゃないのよ!」


 ……??

 なんて?


「申し訳ありません、ちょっとよく分からない言葉が……」

「とぼけないで!」


 あんたも「ゆーざー」なんでしょ、とかさっきの「もぶ」とか「おとゆ」とか、さっぱりよくわかんない言葉から、転生した人間とはいえ何やら誤解している様子。

 いや、なんかの不可思議理論が続いてるだけとも思えなくもないけど、変に具体的でそれだけとは思えない。


「ユハニが……帝国の王子様って?」

「何? あんた隠しコンテンツまでは行ってないの? だったら余計に変なことしないで、ヘビーユーザーの私に任せなさいよ。あんたのせいで全然イベントが起きないんだから!」


 返答はなし。それどころかよく分からない固有の言葉が増えていく。これは潮時かな?


「ユハニ、あなた帝国の王子様だったのね」

「馬鹿なこと言わないでよ、エルダ。なんで帝国の王子が隣国の孤児院にいるんだよ」


 呆れた顔のユハニにだよねー、なんて返していると、彼女がキーッと言った。それ、前世のあたしも言ってたけど、他の人が言ってるの聞くとすごい間抜け。恥ずかし。


「皇帝に不貞を疑われた妃が、ユハニを殺されないように隣国に逃がしたの! 治安のいい王都の孤児院に!」

「すごい妄想」

「いっその事、本にすれば?」

「キィーーッ!!」


 妃の不貞って。そんな噂があったのか。10年以上前の噂じゃ知らないかもだけど、後でドッティに聞いてみよう。


「エルダ、ドッティに聞いてみよう、って顔してる」

「バレた?」

「バレバレ」

「面白そうじゃない」

「エルダって時々そういうわっるい表情するよね」


 わっるい表情って言われた。ショック。悪女が全然抜けてないってこと?

 それにしてはユハニ、すっごく優しい瞳でそれ言うのね。おかげで頬が熱い。


「イチャつかないで! ユハニくんは私のものよ!」

「それは聞き捨てならないな」


 ユハニの優しい瞳がぐんと冷えて、彼女の方を向く。怯えるようにビクリと体を強ばらせた彼女が信じられないものを見たような表情になった。


「えっ?」

「僕は僕だ。他人の『物』になった覚えなんかない。それとも、平民じゃなく貴族になったから、孤児院のガキなんか奴隷同然だって?」

「えっ、違……ユハニくん、そうじゃないの」


 今更ながら眉を下げて猫なで声でそんなことを言う彼女。今まで相当の剣幕であたしの事罵っておいて、そんなの効くわけないのに。

 やがて彼女はキッとあたしを睨んでこういった。


「あんたのせいよ!」


 あーはいはい、分かってましたよ。自分のせいじゃないもんね? 相手の近くにいる女のせいだもんね? 知ってるよォ、その理論。


 だからあたしはこう言ってあげる。


「あの……ところで周りはご覧になりましたか?」

「は?」


 そして彼女は周りを見る。彼女の事を冷たく見る、迷惑そうな視線を。


 そう。あたしは別にユハニと二人きりで会ってたわけじゃない。それどころか、ここはユハニの教室で、休み時間に謝るためにここに来ただけなのだ。

 ゆえに、他のクラスメイトたちの目線がある。


「あ……」

「ユハニ、ごめんね。予鈴鳴るから行くわ」

「うん、またあとでね」

「はーい」


 彼女を残して、あたしは立ち去る。騒がせてごめんなさい、とクラスメイトたちに謝りながら。


 ま、ほぼほぼ全員、『有名な』彼女の方ばかりを迷惑だと見てるみたいだけど。


 彼女の固まった青い顔を見ないように立ち去る間際。ユハニの、もう授業始まるから帰ったら? という言葉が聞こえた。



「びっくりするほど恥ずかしい人。さすがにあそこまでは前世のあたしでもなかったわ。……なかった……よね?」


 五十歩百歩、目くそ鼻くそ、どんぐりの背比べ。

 前世では知らなかった色んな例えが私の頭を遮る。ぐすん。


「だけど、目をつけられた理由……ユハニだったんだ」


 ユハニと一番仲がいいのはあたし。

『学園』に入ってもそれは変わらなかった。お互い他にも仲のいい友人は出来たのに、その友人たちからも一番はそうだと認識されている。


 だからユハニを狙ってた彼女が突っかかって来たんだとわかった。

 あの人、顔のいい高位貴族ばっかり狙ってるって聞いてたから盲点だった。確かにユハニも可愛いもんね。


「でもそういう関係じゃないんだけどなぁ」


 恋愛関係にあるんじゃ? と思って聞いてくる子もいる。それは無いし、向こうもない。性格の良さそうな子には応援するよと返してたくらい。

 でも、ユハニに学園を無事に卒業するまで、彼女を作らないと決めてると聞かされて、それからはその決意を教えてあげてから、程々の距離からアピールするようにとアドバイスを返してる。


 ドッティからは、酷いことするねぇ、なんて言われたけど。なにが酷いんだと返せば、肩を竦められるし、わけがわからない。


「そもそも、顔のいいのとは恋愛関係になりたくない」


 前世のあたしは相手を顔で選んだ。そしたらクズだった。

 ユハニがクズじゃないのは分かってる。とんでもなく不器用なだけで、中身はすごく優しい子だ。

 でも、だから気後れする。顔が良くて中身いいヤツなんて、悪女あたしに釣り合うわけが無い。


「ユハニの顔がもっと平凡だったらな」


 そんな事を考えている時点で、もうダメなんだって気がつくあたしじゃなかった。

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