第2話

 貴族のあたしは、頭を下げるのが怖かったのだと、平民になって初めて知ることができた。

 頭を下げると何かがガリガリと削られているような気がする。


 あたしは、それが『無駄なプライド』と呼ばれるものだと教えてもらった。これが心の中にうず高く積まれている人は、削られることに強い恐怖を感じるらしい。無駄で、要らないものなのに。


 あたしは生まれ変わる前にそれを消されたようで、頭を下げても全然怖くない。これは何かを手に入れるための手段のひとつでしかないのだ。

 手段として下げるだけでどうにかなるなら、下げてしまった方がいいと学んだ。下げさせるより、下げた方が信頼を得ることもある例をたくさん教えてもらえた。


「どうして貴族はこれを教えてもらえないの?」


 先生に聞いてみると、薄く笑われた。


「教えてくれる家もあるんですが、下げてはいけない、と教える家が多いのです。貴族は家を守らなくてはならないですから」


 何でもかんでも下げればいい訳では無いし、適度と言うものを学べばいいのですよ、と先生は言った。先生は没落貴族だと、あとから知った。先生も、貴族の頃は下げられなかったのかしら、なんてことを思う。



 平民でも、学びたい者は希望すれば教会へ行って、学ぶことができる。特に家が商売をしているような子は、読み書き計算を知らないといけない。

 でもそんな家の大人は忙しく仕事をしているから、子供に基本から丁寧に教える余暇がない。けれども家庭教師を雇い続けるほどの金もない。だから共同で寄付をしている教会に頼んだのが始まりらしい。


 教会には孤児院が付属している事も多くて、だから下手に貧乏なだけの家より、孤児の方が学があったりすることさえもあると、平民になって初めて知った。

 あたしの家は、商売をしているわけではないけれど、貧乏なわけでもないので、勉強がしたいと言えば教会に通わせてもらえた。


「まさかあたしが「勉強がしたい」と言うなんて、前世じゃ考えられないわね」


 前世は勉強なんか大嫌いだった。やってもやっても身に付かなかったからだ。

 でも生まれ変わって、そうじゃなかったんだとわかった。


 今のあたしは、前世より頭が良くなったわけでも、器用になったわけでもない。

 それでも、学んだことは身に付いている、と感じることができる。

 いろんな理由があるが、大きいのは前世のように、こんなことがわからないのか、と呆れられることがないからだと思う。むしろ分からないのは当たり前だと言われてすごくホッとして、肩から力が抜けた。


 他にも、すごく意欲的な子がいるのも理由の一つかもしれない。新しいことを習うたび、細かく質問する子が教室にいて、問答を聞いているだけでだいたい理解できるようになる。これはありがたい。

 他の子は初め、それをすごく迷惑そうにしていた。けれども、試験の結果が帰ってきた時、あたしの満点を見た子にコツを問われて、あの子の問答を懸命に聞けばいいと答えたら、その後からそんな子がいなくなった。


 同じ教室で勉強している子全員の理解度がぐんぐん上がって、先生は嬉しそうだった。


 そんな感じで、あたしは非常に優秀な生徒として、貴族も通う学校……『学園』に推薦してもらえた。でもあたしは一度断った。驚いた先生に問われて、学園に通うにお金がかかることの他に、平民を虐める貴族がいるだろうことを伝えた。


「ああ……確かにいるでしょうね、なるほど」


 先生は濁さなかった。


「学園は実力重視ですが、次男三男以降が多くてね。女子は女性官僚を目指すと言う子が多いから、自分の席を取られると勘違いする野郎が多くて」

「野郎……」

「女性官僚と、そうと限らない官僚の登用は、今のところ枠が別です。どちらにしろ実力主義です。そんなものに惑わされず勉学に励んだ方が登用される確率が上がります。何より、目指すと言ってても本当に全員が官僚を目指してる訳では無い」

「えっ、そうなの?」

「学園に対する常套句のようなものなんですよ。平民からも沢山の官僚が、というのが学園の評判になるから」

「ああ、なるほど」

「本命は……例えば家庭教師。各ギルドの幹部職員。秘書官も多いね。商人志望もかなりいる。なにより、商家の後継には広い見識のある女性が喜ばれますから、平民で学園の卒業生なら引っ張りだこになります……つまり、『お嫁さん』になるのだって本命なわけです」


 貴族より、平民のほうが女性の学力の高さを尊ばれるんですよ、と先生は笑った。

 あたしは、少し俯いた。


 あたしは前世、位の高い男に嫁ぐのが一番の幸せだと思っていた。けれど、そうじゃないお姉ちゃんの方が、ずっとずっと幸せそうだった。

『いい結婚』は位が高いか金持ち、もしくは自慢できる顔のいい男に嫁ぐこと。

 ……これで、いいのだろうか。


「先生は、女はお金持ちや貴族のお嫁さんになることが一番の幸せだと思う?」


 すると先生はコテリと頭を傾ける。


「私は男ですので、それはよくわからないですね……女性の幸せは結婚だなんていう言葉はありますが、独り身で楽しそうな女性も、結婚して不幸そうな女性も心当たりがありますし。そうとは限らないのでしょう」


 想定と違う答えが帰ってきた。聞き方を間違えた?

 どうやら先生は、結婚が必ず幸せとは限らない、と思っているみたい。

 ……わたしも、そうならいいな、と思ってしまった。


 あたしは、幸せになるように、と言われて生まれ変わった。けれど未だによくわからない。幸せってなんだろう。


「なんで、『幸せ』ってコレだって決まってないんだろう」


 決まっていれば簡単に幸せになれるのに。


「フフ。ものすごく不幸そうな境遇の者が幸せそうな様子だったり、逆に何もかもに恵まれていそうな者がいつも不満げに顔を歪めていたりということは、よくある事です。肝心なのは己を知ることなのですよ、エルダ」


 己って? 自分のこと?

 自分がどんな人間なのかは知ってる。自分のことしか考えていない、浅ましい女だ。人の幸運が妬ましい、他人の足を引っ張るのが得意なクズだ。

 そんな人間の幸せってなんだろう。


 あたしは前世で、なんとなく幸せそうにしてる人たちをとにかく不幸にしてやった。するとちょっと楽しくなるから、これを何人もの相手に幾度となく繰り返した。

 でもそれが幸せだったかと聞かれると、そうじゃない、と思ってしまう。

 なんだかどこかが空しかった。幸せって、あれじゃないと思う。幸せは……。


「お姉ちゃんみたいに笑えること……」


 あたしにあんな顔で笑える日が来るんだろうか。


 あたしには、とてもそうは思えなかった。


 結局あたしは、細かく質問するあの子を推薦してくれるように頼んだ。あの子だって、すごく優秀な子だから。むしろなんで、あたしの方があの子よりいい成績なのかわからない。



 でも、数日後、また先生に呼び出されたあたしは、意外なことを聞かされることになった。


「あたしが一緒じゃないと、学園の推薦を受けない?」

「はい、そうです」


 困りましたね、と先生は全然困ってなんかなさそうに笑ったけれど、あたしの方は混乱した。

 あの子とあたしは仲がいいわけじゃない。

 同じ教室にいて、あたしが勝手に参考にして、勝手に拡散しただけ。どっちかと言えば迷惑だったんじゃないの?

 ちょっとした挨拶以外に話したこともない。というか、誰かと話してるの見たことない。

 ちょっと暗い奴、ぐらいに思っていた。


「なんで?」

「わかりません。が、推薦枠は取れますよ」


 なにせ、二人の成績にそれほどの差はないので、と新事実も聞いたけれど、そんなことはいい。


 あたしは、一度親と相談する、と言ってまた保留にしてもらった。


 でもあたしが先に相談したのは親じゃなかった。


「ええと……、ユハニ? 聞きたいことがあるんだけど」

「うん、何?」


 あたしはあの子……ユハニを広場の大木の下に呼び出した。

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