あたしは悪女よ?……いいえ、反省して幸せになれるようです。

三田部 冊藻

第1話

 あたしの前世は最悪だった。


 なんでもできるお姉ちゃんがいて、両親から一身に期待を受けていた。

 あたしは頭もよくないし、不器用だし。何をやってもつまらなくて、続かなくて上手くできなくて。愛想だけは良かったから、笑顔を振り撒いて両親から可愛がってもらえてたけど、やっぱりお姉ちゃんとは違った。


 お姉ちゃんはやがて公爵さまの息子と婚約を結んだ。花嫁修業をするようになったお姉ちゃんは、ますます完璧さに磨きがかかった。

 公爵さまの息子はすっごい美形で、会うたびあたしは顔が熱くなった。すまし顔のお姉ちゃんが信じられなかった。

 あたしはというと、親戚筋の地味な男が婿に来るらしい。

 この落差はなんだと、駄々をこねて嫌がったけれどダメだった。あたしはお姉ちゃんのことが妬ましくなった。


 あたしは両親や使用人や、お茶会で会う令嬢に、お姉ちゃんの悪い噂を振り撒いた。

 初めは信じてもらえなかったけど、ある日ドジをして作った怪我を、お姉ちゃんにやられた、と言ってから一変した。


 お姉ちゃんは優秀な代わりに、口下手な人だったから、両親や周りから責められても、たいした反論はできなかった。

 あたしはその隙に公爵さまの息子に近づいて、お姉ちゃんから守ってほしいと嘯いた。


 公爵さまの息子は、お姉ちゃんみたいな頭のいい人より、あたしみたいな愛想のいいのの方が好きみたい。


 悪い噂を撒くことと、公爵さまの息子との仲を深めること。

 この二つを使って両親と公爵さまに願った。「お姉ちゃんとあたしの婚約者を交換して」と。

 どちらも渋々だけど了承してくれて、あたしは公爵家の嫁になる権利を得た。

 いつもいつもあたしの上を行くお姉ちゃんに勝ったような気がして、すごく嬉しかった。


 そうじゃなかった。


 公爵さまの息子は、将来の公爵さまではなかった。公爵家の持つ子爵位を継いで、小さな領地を経営することになるらしい。公爵さまの息子は顔はいいけど勉強は嫌いで、だから領地経営はお姉ちゃんに頼るつもりだったそうだ。


 婚約者の交換のために体まで使っていた私は、結婚を避けることはできなくて、避けたところでお姉ちゃんの方は地味な親戚の男と速攻で結婚させてしまっていたから、交換のし直しもできない。


 案の定、領地の経営はすぐに傾いた。


 公爵さまの息子は、すごく乱暴になって、あたしはしょっちゅう叩かれるようになった。怒鳴り声がしないときには屋敷にはいないか寝ている時。もしくは誰だかよくわからない女を連れ込んでいる時だ。


 どうしてこうなったのかわからなくて、ずっと泣いていたら、お姉ちゃんから手紙が届いた。


 ……。どうやら、浮気ぐせや暴力的な所は、経営が傾いたせいではないらしい。お姉ちゃんは、あの人にはそういう面があるから、いつでも逃げて来なさい、と書いてくれていた。お姉ちゃんも、しょっちゅう叩かれていたんだって。


 実家に呼ばれたからと言って逃げ帰ってきたら、お姉ちゃんはあたしを抱きしめてくれた。助けるのが遅くなってごめんね、と泣いてくれた。

 お姉ちゃんは、あの人からお姉ちゃんを引き離すために、あたしがわざと代わってくれたと思っていたみたい。そんなわけないのに。


「こんなに素敵な旦那様ができるのに、あんな人の所へ行くなんて、それしか考えられないわ」


 なんて言うお姉ちゃん。その隣りにいる、親戚の男を見るけど、やっぱり平凡なぼんやりした顔の小太りの男が、素敵な旦那様だなんて思えなかった。どっちがマシかなんて、どっちも嫌だった。


 ああ、あたしはすでに詰みだったのかと悟った。


 幸せそうな顔のお姉ちゃんが信じられなかった。

 同時に、公爵さまの息子あの人と比べて明らかにマシそうな性格の彼を見ても、全く良いとは思えない自分に呆れた。あんなクズ男でも顔が良ければそれでいいのか。いまや実家の伯爵家より低い爵位になったというのに、まだ元公爵家だと、自分が上だと言い張りたいのか。


 涙が流れているのに、泣いている気がしなかった。もっともっと泣きたかった。あたしは最初から、幸せになる予定じゃなかったんだと。


 幸せになるのは、あたしの目の前であたしのために涙を流す、お姉ちゃんの役目だと。

 理解した。


 逃げてきて三日後。公爵さまの息子あの人が実家に怒鳴り込んできた。わーわーと喚き立てて、あたしの腕を掴んで無理やり連れ帰ろうとした。

 伯爵家の護衛たちが拘束しようとしてくれて、だけどもそれを振り切ったあの人の手には長く光るものが見えた。その視線の先には、お姉ちゃん。


 とっさに体が動いて、あの人とお姉ちゃんの間に躍り出た。あの人は怒りのまま剣を振り下ろし、あたしは肩口から背中を斜めに切られた。


 倒れ際に呆然としたあの人の顔が見えた。

 お姉ちゃんの叫び声が響いてもそのままだった。


 ああ、お姉ちゃんダメだよ。あの人の前で治療魔法なんて使っちゃダメだ。隠し通していたのは、あの人が絶対利用しようとするからなんでしょ? それにもう、あたしは。


 カラン。と耳元で固い音が響いた。

 剣が落ちていた。

 その銀の光を見た時、あたしはあたしの役目が何なのか分かった。


 違う、自分のせいじゃないと譫言を言うあの人の目線は、親戚の男お姉ちゃんの夫に向かっていた。今日は家にいなかったんじゃなかったっけ? 急いで帰ってきた?

 ……ま、いっか。おかげであの人はこちらに背を向けている。


 あたしは剣に手を伸ばすと、自分でもどこに残っていたんだろうかと思うほどの力で起き上がり、あの人に向かって走った。


 剣は、うまくあの人の胸に刺さった。


 ああ、やっぱりこれがあたしの役割だったんだと思った。


 優しくてキレイなお姫様お姉ちゃんを、引き立てる悪役。悪女があたしの役割。


 だから、そんなあたしが力尽きて倒れるのを、絶望的な目で見るお姉ちゃんを見ても、笑いしか出なかった。




 そんな前世を、まるで舞台でも見るように、あたしは今見ている。

 真っ白で何も無い空間。ぽつんと箱が置かれている。その箱の一面に映像が映し出される。それはあたしの半生。

 お姉ちゃんを妬むあたし。貶めるあたし。努力を嘲笑うあたし。媚びた笑顔で周りを馬鹿にするあたし。嘘で手に入れたものが思ったものと違うと憤るあたし。――そして醜い顔のまま死ぬあたし。

 理解できるまで、その映像は繰り返し繰り返し、小さな箱の中に流れ続けた。



 なんて可哀想でおバカなあたし。

 全部自業自得で、最後の最後まで自分は悪くないと信じていた。


 お姉ちゃんは別に何もかもに恵まれた人ではなかった。

 口ベタだし、友達をつくるのも下手だった。両親の愛情もあたしのほうがずっと上だった。虐げられてたのはお姉ちゃんのほうだと言ってもいいぐらいだった。


 生きていた時、あたしにはそうは見えなかった。

 改めて外から見せられて、やっとあたしはお姉ちゃんの幸せを心から願えた。


 本当、なんてあたしは可哀想なおバカさんなんだろう。


 やっと、泣けてきた。




 すると、どこかから声がした。この『あたしの前世』という舞台を見せてくれたモノの声だと、何故かわかった。


 もう一度、今度は全然違う人間になって、生きることができるらしい。

 お姉ちゃんをかばって死んだから、と。


 あたしは別にいらない、と返した。

 このまま溶けて消えてしまいたい。


 声は、君はしっかり反省したから、同じような失敗はしないはずだ、と言った。

 失敗ってなんだ、と言えば、幸せを見誤ったことだという。

 他の人が手に入れたものだけが幸せで、自分の中にあるものを幸せでないと見誤った、それが失敗だと言った。


「じゃあ、あたしはまた失敗するわね。だってあたしは悪女だもの」


 悲しそうな気配がして、君はもう失敗しない、と強い声がした。

 君はちゃんと自分の中の幸せを見つけて、幸福な未来を手に入れられる。だって、すべての人に幸せになる権利はあるんだからと。そんな声がした。


 そんな甘いものに騙されるつもりはなかった。すべての人が幸せになれるわけがない。幸せを手にいれるのは、お姉ちゃんのような特別な人だけだ。


 そう強く思ったけれど、心の隅っこに蹲っていた弱いあたしが、か細い声をあげた。


 幸せに、なっていいの? と。


 両目から涙がまた溢れた。舞台を見ながら何度も泣いたはずなのに、いや、それとは違う涙が溢れてきた。


 あたしはずっと、幸せになりたかった。

 幸せになりたいのに、幸せと言うものがわからなくて、ただただ心から幸せそうな顔をすることができるお姉ちゃんが妬ましかった。


 そんなあたしが幸せに。幸せを、感じることができるようになるだろうか?


 期待と不安を感じているあたしを、柔らかく暖かく声が包んでくれる。大丈夫、大丈夫、と声が響いて、あたしは温かなその場所に身を任せた。


 温かく、安心できるその場所は優しくて。うとうととしているうちにあたしの体はギュッと縮んでいった。




 そして、突然寒くなった。


 びっくりしたあたしは、産声をあげた。




 生まれ変わったあたしは、エルダという名前の、平民の女の子になった。

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