2-12

 雲一つない青い空の下、弔いの鐘が全土で鳴り響いた。アリサの死に国中が哀しみに包まれ、献花に訪れる人の波は途切れず神殿は白い花に埋もれた。


 ファストリアでは死者の魂は三日間この世に留まるとされる。死者を偲ぶ者はこの間に別れを告げて、死者の安寧と来世での幸福を願う。


 アリサの棺は特別な部屋に安置され、アリサは白い花に埋もれるようにして眠っている。傍らにはルーファスがアリサを見守っている。

 

 アリサが息を引き取ってから、ルーファスは誰とも口を聞かなかった。アリサの清めも着替えもルーファスは一人で執り行った。バージルの声も、子供達の声もルーファスには届いていない。アリサの魂と語り合っているのかもしれなかった。


 子供達の隣にはそれぞれの伴侶が寄り添っている。それだけがバージルには救いだった。


 魂が留まる三日間は親族が交代で遺体の傍に侍るのが常識だが、ルーファスは食事もせず眠らず片時もアリサの傍を離れずに、アリサを見守り続けた。


 四日目の朝、アリサの遺体は荼毘に付される。神聖樹から切り出した枝が組まれ棺がその上に安置される。

 マリアが泣き崩れて棺に縋りついた。それをケントが諫めている。

 

「マリア、笑顔で見送ってあげよう。母上はそれを望んでいた」

「でも、お兄様、こんなの嫌だわ‥‥…、もっと、一緒にっ」

「母上は、満足だったと言っていたよ。自分の人生は素晴らしいものだったって。だから笑顔で見送ってほしいと。そんな泣き顔では母上の魂が迷ってしまうよ」

「お兄様っ」

「マリア、笑って。お前の笑顔は皆を幸せにするから」

 マリアがぎこちない笑顔を浮かべるとケントがマリアを支えた。


 黙って控えていたルーファスが前に進み出て棺に手をかざす。ルーファスの掌から青白い炎があがり一瞬で棺を包み込んだ。


 浄化の炎だ。この浄化の炎に包まれて聖女の魂は神の元へ昇とされている。


 異世界人であったアリサの魂は何処へ還るのだろう。ファストリアの神の元だろうか。それとも元の世界か。バージルが知る限り一度もアリサは元の世界に帰りたいとは言わなかった。言えなかったのかしれない。


 願わくば、アリサが望む場所へ。


 ルーファスは最後までアリサから目を放さなかった。炎に照らされた横顔は静かに全てを受け止めているようにバージルには見えた。




 葬儀を終えるとルーファスは部屋に閉じ籠り姿を見せなくなった。執務を投げ出した状態ではあったが、ルーファスを思い遣り誰も何も言えなかった。


 歴史を見ても、運命をこんなに早く失う守護者はいなかった。今までの聖女は天寿を全うし亡くなっていた。守護者は聖女の後を追う様にそれ程時を置かずにやはり老衰で亡くなるのが常だった。


 幼少期に出会い、死ぬまでの五十年から七十年を共に生きる事を思えば、ルーファスとアリサはあまりにも短い。アリサの寿命が発覚してからは時間を惜しむように寄り添いあっていた。

 バージルが直接知る守護者と聖女はルーファス達以外を知らないが、二人の絆はどの運命よりも強いと思っている。世界という隔たりがありながらも結び付いた魂が、このような結果を迎えねばならなかった事に深い憤りと悲しみを感じる。


 守護者は聖女にとっての価値を言われるが、守護者にとっても聖女は無くてはならない存在だ。運命はバージルが思うよりもずっと重い。


 ルーファスの絶望を思う。昔からルーファスは肝心な時に限って人を頼る事をしない。上に立つ者の性なのか、弱音を吐露しなくなった。ルーファスはバージルに向かって馬鹿な真似はしないと言った。その言葉を信じていいのかバージルはずっと迷っている。




 アリサが亡くなってから王宮は精彩さを欠き静寂と緊張に包まれていた。ルーファスが姿を見せなくなって十日が経った。ルーファスの私室の前には娘のマリアが立っていた。


「お父様、マリアです。どうか扉を開けて下さいませ。一目でいいのです。お姿を見せて下さい。お父様」

 ルーファスの返事はない。マリアの手がノブに伸びるが、鍵がかかっているためガチャガチャと虚しい音だけが響く。マリアは扉に両手を付けた。

「お父様………、せめてお食事だけは召し上がって下さいませ。このままではお体が弱ってしまいます。‥‥‥どうか、お願いです。お父様はお一人でない事を忘れないで下さい」


 項垂れるマリアにバージルはそっと声をかけた。

「マリア」

「バージル様」


 マリアはアリサによく似ている。涙に塗れ悲嘆にくれた様子はまるでアリサがそうしているような気分にさせられる。バージルでも心が痛む。


「心配なのはわかるが、ルーファスはもう少しそっとしておいてやれ。時間が必要なんだ」


 今、マリアを目にするのは辛いだろう。マリアはルーファスの慰めになるかもしれないが、逆に失くしたものの大きさを思い知る事になるかもしれない。


「わかっています。でも‥‥‥、お父様を差し置いて、わたくしが悲しんでしまったから、お父様はわたくしの前で悲しめなくなってしまったのでしょうか」


 アリサの葬儀でマリアは身も世もなく泣き伏した。そのためにアリサを見守っていたルーファスは泣けなかったのではないか。マリアは少しでもアリサの代りにルーファスを支えたいと思っていたのに、逆に負担になってしまっているのだと思うと自責の念を抱かずにはいられない。


「そんなわけあるか。お前とルーファスの悲しみは別物だ。悲しみ方も人それぞれだ。人の慰めが必要な奴もいれば、自分一人で昇華していく奴もいる。いいか、悲しんでいいんだ。負い目に思う必要はない。皆、アリサを愛していた。愛が大きければ悲しみも大きいものだ。大事なのは、悲しんでばかりいない事だ。アリサの望みを叶えてやる事だ」

 バージルが強く言い切ると、マリアは縋る様にバージルを見た。

「お母様の願い?」

「そうだ。お前はちゃんと知っているだろう?」


 アリサは子供達を愛していた。家族をとても大事にする人で、沢山マリア達に心を残してくれた。

 マリアの黒曜石の瞳が潤みだす。

「お母様は、わたくしの花嫁姿を楽しみにして下さっていたわ、幸せな人生を歩みなさいと」

 マリアの瞳からポロリと涙が零れた。それを拭ってマリアは少しだけ微笑んだ。それを見てバージルはほっと息を吐く。


「お父様は、お父様は、お母様の望みをわかっていらっしゃる?」

「当然だ。ただ、ルーファスの悲しみは誰よりも大きい。だから、誰よりも時間が必要なんだ」

「‥‥‥お父様までいなくなったりなさらない?」

「大丈夫だ。ルーファスはそんな弱い男じゃない。きっと立ち直る。今はお前達がルーファスを黙って見守ってやってくれ。ルーファスが手を差し出した時は躊躇わず握ってやればいい。」

「そうですね。それがいいのでしょうね」


 マリアが少しだけ顔を明るくして立ち去るのを見送って、バージルはマリアには見せなかった厳しい視線を開かない扉に向けた。

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