2-11

 満開の神花の花弁が舞う中で、ルーファスとアリサの結婚式は盛大に行われた。国中から祝福を受けて、アリサは国一番の花嫁になった。アリサの輝かんばかりの美しさは詩になり、二人の馴れ初めは後に物語になった。


 王太子夫婦に祝福を行うのがミズリの最後の聖女の仕事となった。民衆の前に姿を見せる最初で最後の機会に、黒地に精緻な銀の刺繍を全体に施した最高礼服に身にまとい、ミズリの身長程ある金と銀で出来た聖杖を持っている。慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、聖女に相応しい清浄さに包まれていた。

 民衆には己を犠牲にして神子をもたらしてくれた高潔な人物と捉えられている。ミズリの微笑みは式の間中消えることはなかった。


 ミズリへの思いを封じたルーファスはアリサだけを一途に思い、苦しむ事も狂気を見せる事もなくなった。運命であるアリサと名実共に結ばれる今日を心底待ち望んでいた。


 ルーファスはミズリの前に立ちアリサの手をとる。それだけで歓声があがる。アリサの瞳が涙に潤み、頬は薔薇色に染まる。その眩しい美しさは愛から生まれるのだろう。握ったアリサの手にルーファスが恭しく口づけを落とす。


 二人の固く結ばれた手に聖杖を当て、静寂の中をミズリの朗々とした祝福の言葉だけが響く。


 ミズリの胸中を知る者はいない。ミズリの澄んだ声には祝福の力が宿っている。王族なら見えるだろう、キラキラと優しい光がミズリから二人に注がれている。ミズリに残された最後の聖女の力だった。最後までミズリは聖女で在り続けたのだ。


 ルーファスはミズリを祝福を行う者としてしか見る事はないだろう。だから、バージルはこの光景を決して忘れまいと思った。


 人々の熱狂は収まらず、宴は3日間続いた。

 そんな中を一人旅立つミズリがいた。誰にも見送られる事を拒んでいたから、バージルは離れた処から見送った。

 バージルだけではない、神官長も王妃も、ミズリを知る誰もがミズリの幸せを願っている。ミズリが失くしたものをもう一度取り戻せる事を、これから出会う新しい幸せを願っている。


 もう一度その頭を撫でてやりたかったが、バージルの手は必要ないだろう。真っ直ぐに伸ばされた背筋はミズリの決意だった。一度バージルの方向へ向かって頭を深々と下げた。それがミズリを見た最後になった。




 ルーファスとアリサは理想の夫婦になった。ルーファスは許す限りアリサの傍にいてアリサを支えた。惜しみなく愛を囁き行動でも示す。アリサはいつも幸せそうに笑って笑顔が絶える事がない。


 バージルは二人の事を誰よりも注意深く観察していた。ルーファスにかけた術は完璧ではない。術は定期的に掛け直す必要があった。


 バージルの術は思いの封印と共に瞳の色が僅かに変化する。ルーファスの瞳は王族特有の紫だが、青味がかかる紫紺だった。今は青味が薄くなっている。ルーファスを相手に術がいつまで有効であるのかはわからない。少なくとも平民よりは早いと予想していたが、術の綻びが見えない。

 1年が過ぎてようやく、ルーファス自身が術を補強し直しているのだと気が付いた。その頃にはルーファスの瞳に青味が無くなり完璧な紫色をしていた。ルーファスの覚悟の強さを思い知った。


 アリサが笑えばバージルは安心出来た。アリサだけは純粋な幸せに包まれていて欲しかった。そうすればバージルの中の罪悪感が少しだけ慰められる。ルーファスとミズリの決断が無駄でなかったと思える。


 子供もすぐに授かった。黒髪黒目のルーファスに似た王子だ。祝砲が各地で上がったので国中に知れ渡っただろう。その3年後にはアリサそっくりの王女が生まれた。ルーファスはこの王女を特に可愛がった。

 両親の熱愛振りを子供たちが時々からかう。そんな時でもルーファスは堂々と腕の中にアリサを囲う。アリサは恥ずかしそうにしながら幸せが滲むような笑顔を浮かべた。


 ルーファスのアリサへの献身は凄まじいものがある。城下では「王を見習え」と妻達が夫にむけていう常套句になる程だ。ルーファスはアリサを愛する事に全身全霊をかけている。

 これが運命なのだと自然と納得出来るようになっていた。




 十数年が過ぎた頃ルーファス達の幸せに初めて陰りが見えた。アリサの体調がおかしい事に気が付いたのだ。毎日近くにいては気付きにくい事もある。二人が並んで立った時、違和感に気が付いたのはアリサだった。


 まだルーファスは若々しく凛々しい。それに比べてアリサは黒い髪に白いモノが目立つ。目尻にいつの間にか出来た皺。5歳ではなくもっと年上に見える。美しい夫の傍には似つかわしくない姿。

 思い起こせば違和感はぽろぽろと出て来る。体力が低下した事、息が切れやすい、風邪を引きやすくなった等々。


 アリサの体は徹底的に調べあげられた。その結果アリサと我々の体に流れる時間の差異が発見された。

 アリサの体は我々の2~3倍の速さで時間が流れて行く。つまり寿命がこちらの人間よりも短いのだ。アリサの体に現れる不調は老化によるものだった。



 バージル達は懸命にアリサの時間を引き延ばす方法を探した。

 ルーファスは能力でどうにかならないかと考えたが、守護者は器を修復する事は出来ても寿命まではどうにも出来ない。せめて自分の寿命をアリサに与えられないかと考えたがやはり無理だった。

 人間の寿命をどうにか出来る方法などあるわけがない。それは神の領域だ。神の残酷さは祝福された神子にすら発揮される。


 八方塞がりで項垂れるルーファス達に向かってアリサが言った。

「寿命ならしょうがないよね。幸い子供達は大丈夫みたいだし。わたし、精々長生きするからね!」

「アリサ」

「ルーファスには介護をお願いするんだから。よぼよぼの皺皺のおばちゃんになっても私を傍に置いてくれる?」

 悪戯っぽく笑いながら、アリサの目尻には光るものがある。

「皺皺でも君は綺麗だよ。どんな姿でも君は可愛いし、私の愛は変わらない」

「下のお世話をさせても怒らないでね?」

 ルーファスが優しい手つきでアリサの目尻を拭い、唇をアリサの額に押し当てた。

「愛しているよ、アリサ」

「私も愛してる。こっちに来られて、貴方に会えて、本当に良かった」


 アリサは強い女性だった。ミズリと同じくらいに強く優しい女性だった。突然異世界に攫われて、重い責務を背負った。寿命という抗えない運命を前にしても恨み言一つない。

 バージルはもう10年以上神に背を向けている。でもアリサを与えてくれた事、ルーファスの運命だった事を感謝すべきだったのかもしれない。


 それ以降二人の愛はますます深まっていった。


 二人の娘であるマリアの婚約が調った日にルーファスの執務室からアリサのすすり泣く声が聞こえた。バージルは扉の前に立ち、扉を開く事も立ち去る事も出来なかった。


 ルーファスがアリサを宥めている。今やアリサとルーファスの外見の違いは親子程の開きがあるが、二人が寄り添う姿は不思議と違和感はない。それは二人がお互いを見つめる目に愛しかないからだ。アリサもルーファスも悲壮さを出さなかった。

 今、アリサの声は悲嘆に暮れている。


「………マリアの、花嫁姿見れるかな……、見たいよぉ、うっ、ふぇ………孫、だって、抱きたいの……」

「アリサ………」

「ル、ルーファスの孫に泣かれて、ふぇ…困った顔も見たいよっ…一緒に、皺皺になって…っ、孫に、囲まれて暮らすのっ」

「アリサ………アリサ、すまない、すまない」

「あ、謝らないで………ただ、悔しい、悔しいよぉ」


 バージルが聞いていい会話ではなかった。歯を食いしばり立ち去った。


 その日の夜、ルーファスは一人夜の庭を眺めていた。この庭は完璧な景観美を計算され整備された庭ではなく、アリサが好むものだけを気ままに集めた雑多な庭だった。アリサはここが落ち着くと言って、ルーファスと二人でよく散歩をしていた。


 月がルーファスを照らしている。

 静寂を乱すのを躊躇われてバージルが踵を返そうかと迷っているとルーファスが振り返った。

「バージル」

 見つかってしまっては観念するしかない。バージルは持っていた酒を掲げる。

「よお、酒でも飲まないか?」


 月を肴に酒を飲む。それは苦い酒だった。

「………アリサは、どうしている?」

「昼間、興奮し過ぎたんだろう。休んでいる」

「そうか」


 バージルは昼間の会話を盗み聞いた事を後悔していた。アリサは弱さをルーファスにしか見せない。バージルは注意深くルーファスを観察した。


 ミズリを失った時のルーファスを思い出さずにはいられない。あの時でさえルーファスは自分を壊そうとしていた。運命を失ったらどうなるのだろう。正気でいられるのか。恐ろしい想像だった。


 余程心配が顔に出ていたのか、ルーファスは困ったように小さく笑い、バージルを見た。

「私なら、大丈夫だ。馬鹿な真似はしない」

 瞳は怖い位に凪いでいた。未熟な頃のルーファスとは違い、全てを受け止める強さが今のルーファスにはあった。


 アリサへの愛がそうさせるのか。これ程に美しい愛をバージルは知らなかった。




 さらに時は過ぎて、アリサは寝たきりで殆ど起き上がれなくなっていた。起きている時間よりも寝ている時間の方は長くなっている。アリサにもう時間がないのは誰もが感じていた。


 アリサは微笑んでいた。髪は真っ白になり顔には皺が刻まれ、瞳は濁って、小さく縮んでもその姿は美しく尊い。日に日にアリサの美しさは磨かれて行く。だから神はこんなにも早くアリサを奪い去るのかもしれない。


 アリサの周りには皆が集まっている。アリサが愛した家族達。愛する者達に囲まれてアリサは満たされた顔をしていた。

 すすり泣くマリアをケントが支え、ルーファスはアリサの手を握っている。徐々に弱くなって行くアリサの呼吸。別れの時が来たのだ。


「さあ、二人にしてやろう」

 バージルが促すとケントが離れ、躊躇いながらマリアが離れた。

 扉を閉めながらルーファスの声を聞く。


「アリサ、愛しているよ」


 優しい囁きだった。この世で一番優しい響きだった。

 扉の隙間からアリサの口元に耳を寄せるルーファスの姿が見える。アリサの声はここまで届かない。それは二人だけの会話だ。誰も聞いてはいけない二人だけの睦言だった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る