2-9

 それからもミズリとルーファスは二人で会う事は出来なかった。ミズリが必ず神子を伴うからだ。


 神子がいるとルーファスの意識は神子に奪われる。どんな抵抗を試みても運命が嘲笑うかのように無駄に終わった。神子に会っている間はこの世の春のような幸せに浸かっていられるが、面会が終われば絶望が待っている。ルーファスの精神の落差は尋常ではない。

 ルーファスの苦しみを知るのはバージルだけだった。苦しみを何処へも吐露出来ず、ルーファスの中に澱のように静かに降り積もって行った。


 バージルは暫く距離を置く事を進言した事があるが、すでにそんな段階ではなくなっていた。

 神子もルーファスに夢中になっている。神子がルーファスに会いたがるようになればルーファスは無視出来ず、二人での逢瀬を繰り返す。ミズリがその場にいない事だけが救いだった。


 誰の目にも二人が運命なのは明らかだ。守護者候補達と神子との面談もそれを裏付けている。出会えばわかる、その意味をまざまざと見せつけられる。当然の流れでルーファスとミズリの婚約は解消された。


 聖女を欠いてはこの国は存続しない、誰もが理解している事実を王族は殊更に重く受け止めるように教育される。血筋の重要性と存在意義を叩きこまれる。アリサの守護者がルーファスならばルーファスを差し出す。それが当然の選択であり、疑問を覚える者はいない。


 ミズリとルーファスの事は双方にとって不幸な間違いであり、正しい運命に出会えた事は僥倖であると考える者がほとんどだった。聖女と守護者が惹かれ合うのは運命だ。逆らえない運命にルーファスの心が折れた。




 神子が出現し、その守護者も判明して神子が落ち着いてからは王宮や神殿に緊迫感はなくなった。

 表面上ルーファスは落ち着いているように見えた。苦しむルーファスを見る事もなくなった。それでもバージルは不安を拭い切れずに度々ルーファスに付き合って神殿を訪れた。最早ルーファスが訪れる理由はミズリではなく神子になっていた。


 神子は善良な女性だった。聖女に相応しく優しく健気で、関係のないこの国のために懸命に役割を受け入れてくれようとしている。それがどれ程困難な事か、この国の者としてただただ頭の下がる思いだった。

 バージルに神子に対する悪感情はない。ただ、ルーファスと並び立つ光景はバージルにとって違和感があり見たいものではなかった。いつも軽い挨拶を交わして二人とは別の場所で時間を潰すようにしていた。




 その日も特に当てがあるわけではない。何となく神殿内にある森に足を運んだ。聖域がある森の区画は広さを認識出来ないようになっている。当てもなく歩いてもいつの間にか出口に戻る。招かれた者しか聖域には辿りつけない。気分転換くらいにはなるだろうという気軽な気持ちだった。


 木々の合間を縫う零れ日は森を幻想的に見せている。落ち葉を引き詰めた地面は柔らかくバージルを受け止める。風が葉を揺らす心地の良い音と小動物の息遣い。徐々に澄んでいく空気に森の奥へと進んでいる事に気が付いた。


 やがて辿り着いた開けた場所には立派な巨木がある。樹齢何千年を超える巨木は今もなお雄々しく葉を茂らせて、生命力に溢れていた。その太い幹の根元にもたれる様にして女性が眠っている。


 神聖樹を見上げた。子守歌のように揺れる枝。ハラハラと舞う木の葉。疲れた顔で眠るミズリにそういう事なのだろうと納得した。




 誰に知られる事なくバージルの禁域通いは続いた。

 ミズリは今日も泥のように眠っている。


 ふっと笑みが浮かぶ。昔、ルーファスが寝ているミズリにキスをしたと告白した事を思い出したのだ。あの時のルーファスの情けない顔といったらなかった。―――その日々と今は随分とかけ離れてしまった。


 感傷的な気分になるのを振り切る様にバージルは乱暴な動作でミズリの横に座り込んだ。おもむろにミズリの額に手を当てて力を流し込む。ルーファス程の力はないが、ミズリを癒すのは何もルーファスにのみ与えられた能力ではなかった。


 聖女と自分達の関係を考える。聖女と守護者は惹かれ合う。守護者のみに限った事ではなく、能力を持つ血脈と言った方が正確だろうか。惹かれ合うとは曖昧な表現だが、バージルはこうしてミズリに力を譲渡して初めてわかった。


 心地よいのだ。我々王族の持つ能力は聖女と恐ろしく相性がいい。能力を維持するために王族は血が薄まり過ぎないように慎重に交配を重ねて来た。加えて聖女の血も取り入れている。王族の結束の固さはそこに起因しているように思う。


 バージルは母親が平民で愛人の子であり引き取られるまでは平民だった。当然、王族に対して反発心があったが、引き取られた公爵家の居心地は悪くなかった。初めて会う父親も異母兄もすんなりと受け入れたのだ。ここが自分の居場所なのだという妙な納得があった。


 王族に関しては血に刻まれた記憶という方が正しいのかもしれないが、聖女に惹かれる傾向がある。

 それが運命と呼ばれる相手なら強烈なのではないか。神子と過した後のルーファスは夢見心地で恍惚としていた。


 ミズリは聖女は器なのではないかと言った。神の力を受け止める器。ミズリはその器が何らかの理由で―――ミズリ自身は自分が不具の聖女だからだと言っていた―――壊れたのだと。

 それを聞いてバージルは腑に落ちる気がした。


 器の大きさや素材は様々あって一様ではない。どのような器も強い力を受け止め続けて行けばやがて器にひびが現れる。そのひびを修復するのが王族の役割ではないか。ただこのひびを修復するのに何でもいいわけではない。その器にあった素材でなければ、一時は修復出来たとしてもまたそこからひびが生じ、力は零れ落ちる。ひびが広がれば器に溜める力は少なくなり、やがて器は粉々に壊れるだろう。


 すなわち、聖女の器を修復出来るのはただ一人の相手、守護者しかいない。そう考えればミズリの器が壊れて行くのも、聖女と守護者が強烈に惹かれ合うのも辻褄が合うのだ

 


「バージル様」

 いつの間にかミズリが目を見開いてバージルを見上げている。額から手をのければミズリはゆっくりと起き上がった。

「ありがとうございます」

「まだ寝てていい。顔色が悪い」

「いいえ、もう充分です。充分癒して頂きました。守護者でないバージル様に頼ってしまって、申し訳なく思っています」


 バージルに出来るのは精々ミズリの体力を少しばかり回復してやるくらいのものだ。ミズリの器を修復してやる事は出来ないのだから。


「大した事はしてないぞ。それでも申し訳ないと思うなら俺の話に付き合え」

 バージルらしい強引な物言いが面白かったのかミズリは少し笑みを浮かべた。

「わたしで宜しければ」

 バージルは満足そうに頷いた。


 最初は他愛無い話をした。バージルが視察に行った町の事、執務での失敗や甥や姪の話。神殿には関係のないミズリが笑えそうな話。

 ミズリは時折軽やかな笑い声を上げて穏やかに微笑んでいる。子供も頃のように転げまわって笑ったり、行儀悪く足を投げ出したりはしなくなっていた。バージルの話に耳を傾けている姿は咲き始めの花のように愛らしく瑞々しいのに、成熟したような妙な落ち着きもあり、過渡期特有のアンバランスな美しさがあった。

 ミズリはようやく十六歳を迎えた。ミズリの人生はこれから始まるのだ。


 バージルがじっとミズリを観察している事に気が付いてミズリが小首を傾げる。

「還俗はしないと聞いたが」

 急な話の転換に少し戸惑いながらミズリは頷いた。

「はい、地方の神殿でお世話になろうと思います」

「他の王族に会う気はないのか?」


 ミズリに用意された選択肢は2つあった。このまま神官そして神殿に仕えるか王族と婚姻を結び還俗するか。

 ルーファスが神子の守護者である事が判明した時、ミズリの守護者についての議論がされた。ミズリに守護者がいるのか、いた場合は真の守護者が誰であるのか。

 それはずっとバージルも考えていた事だった。ミズリの運命がいるのなら、今からでも遅くはないのではないか。


「―――必要ありません」

 有無を言わせない断固とした拒絶だった。バージルは苦い顔をする。

「同時に聖女二人は存在しません。わたしの守護者ではなく、アリサ様が現れたという事は、私の器はすでに修復出来ないという事だと思います」

「やってみなければわからないだろう。それに何も器の修復のみが目的ではないだろう。真の運命を知りたくないのか?」


 運命とは聖女の器を修復出来る相手。器は言わば魂に匹敵するような物なら、その器を修復出来る相手との相性が普通である筈がない。絆の強さも惹かれ合うのも当然なのだ。そんな相手に出会える奇跡は常人には起こらない。


「私は聖女ではなくなります。聖女でないのなら守護者も運命も必要ありません」

 守護者の資格を持つバージルを相手に少し強く言い過ぎたと思ったのか、ミズリは少し考えるように黙った後にまた口を開いた。

「私は聖女の資格を失いました。聖女が受ける恩恵は私には過ぎたものでしかありません。それに今後の人生は、許されるならただの一般人として生きたいと思ったのです」


 真っ直ぐと前を見据えて揺らぎが無い。ミズリには頑固なところがある。ルーファスも時に手を焼いていた。その頑固さが一人で何年も耐えルーファス達に秘密を悟らせなかった。きっと恐ろしかっただろうに。その方法が正しかったとは思わないが、それでも。

「お前は頑張ったよ。資格を失ってもこの国を守る立派な聖女である事に変わりない」


 大臣達もルーファスの手前敢えて厳しい事を言っていたが、誰もがミズリの頑張りを苦しみを知っている。ミズリはたったの十二歳だった。逃げ出さず、責任の取り方も自分で決めた。その姿は潔く称賛に値する。ミズリからの婚約解消もこうなってしまった今となっては国としては有難い事であった。


 ミズリが虚を突かれたような顔をする。無防備で幼げでバージルの手が伸びた。幼子にするようにミズリの頭を撫でて髪を乱す。

「バージル様っ!」

「何だ?昔はこうすると喜んでいただろう?」

「子供の頃の話ですっ」

 ミズリは慌てて髪を整える。口元は微笑んでいるから何度でも撫でてやりたい気がして手がうずうずして困った。

「なあ、ルーファスとはこのまま会わないのか?奴はずっと手紙を送っているだろう?」


 婚約は解消されて、神子との婚姻は決定事項。そんな中で会う必要があるのかとルーファスを諭しても譲らなかった。気持ちの落としどころがないのだろう。何らかの決着をつけたいのかもしれない。それはミズリにも言えるだろう。

 ミズリは不自然な程ルーファスの話題を口にしないし、決して会おうとしない。ミズリにルーファスへの気持ちがなかったとは到底思えない。全てを吐き出せば楽になる、そういう方法もあるのだ。


「一度話し合う事も必要だと思うぞ。ミズリにはルーファスを詰る権利がある。殴ってやればれいい。泣いてわめいたっていい。ミズリの気持ちをぶつけてやればいい」

「………言いたい事がないのです」

「こんな時まで慈悲深い聖女である必要はないんだぞ。ルーファスや俺にはただのミズリでいればいい」


 運命でなかったとしても一緒に過ごした時間が偽りであったわけではない。ルーファスはミズリと本当の家族であろうとした。バージルにしてもミズリは妹だ。家族なのだ。どんな事があってもミズリは変わらず大事で大切な存在だ。


「違います。そうではないのです。上手くは言えないのですが………」

 ミズリは自分の胸に手を当てて慎重に言葉を紡ぐ。

「わたしは、アリサ様のお相手が他の誰でもなくルーファスで良かったと思っています」

 いくら清廉潔白な聖女でもそれは直ぐには信じられない言葉だ。バージルの不信が顔に出たのだろう、ミズリが言葉を続けた。

「ルーファスはわたしが世界で一番信頼している人です。これ程アリサ様を託すのに相応しい人はどこを探してもいません。アリサ様は絶対幸せになります。ルーファスが幸せにしてくれます。私は運命を信じられます。だから何も心配していないし、ルーファスに言いたい事もないのです。」

 そう言って、ミズリはとても綺麗に微笑んだ。


 バージルは言うべき言葉が見つからなかった。ミズリに偽りはなく、翡翠の瞳は澄んだ心を表すように見た者の心を打つ。バージルは眩しそうに目を細めると徐にミズリに向かって両手を広げた。バージルの不可解な行動にミズリが小首を傾げる。

「?どうかしたのですか?」

「いや、抱き締めたくなった。いつでも俺の胸に飛び込んで来ていいぞ」

 バージルは芝居がかった動作で胸を張る。

「大変有難い申し出ではありますが、今は遠慮しておきます。バージル様には沢山の女性が列を作って順番待ちをしているとお聞きしていますよ。そうですね、わたしは一番最後でいいのです」

「なんだ、今ならサービスしてやれるのに。祝福のキスもしてやるぞ」

 堪らず、くすくすとミズリが今日一番の明るい笑い声をあげた。




 この時、二人の死角で二人の話を聞いていた人物がいる事を神聖樹だけが知っていた。はらはらと落ちる葉は、流れる涙を隠すように慰めるように舞っていた。


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