2-8

 異世界からの神子の出現に対して神殿は慎重過ぎる体制を敷いた。混乱の中にある神子に配慮して、中央神殿の立ち入りは王族も例外なく禁じた。


 ルーファスはミズリに手紙を出し続けた。ミズリからの返事は一向に無く、神官長からミズリへの面会は神子が落ち着くまで待って欲しいと言われる始末。


 神子はこの国の命運を担う存在だ。何をおいても優先される。わかってはいるが、バージルは苛立ちを覚えずにはいられない。手紙一つ寄越さないミズリの所業は納得出来なかった。ミズリの気持ちがわからない、それは強いストレスだった。


 ルーファスは不安や不満を言葉にしなかった。その代り、日々表情を消して行く。感情を閉ざさなければ自分を制御出来なくなっていた。情緒の安定を欠けば能力の暴走を引き起こす。要らぬ失態を繰り返えせば、どこで揚げ足を取られるかわからないからだ。

 ルーファスはよく耐えている。淡々と時が過ぎるのを待っていた。




 1か月後、ようやく叶ったミズリと神子への面会。またしてもバージルは思いもよらない事態に直面する。




 神子はこの国では見られない黒髪黒瞳の美しい女性だった。年の頃はバージルよりも下、ルーファスよりの上に見える。


 神殿の一室を借りて行われた面会だ。約束の時間よりも早く待機していたバージル達は神子達を迎える形になった。神官長が扉を開き見慣れぬ女性を招き入れて、その後にミズリが続く。

 神子との面会と言ってもミズリとの話し合いが主目的だったのでバージルは神子よりもミズリがきちんとそこに居る事に安堵した。


 ふわふわと肩口で揺れている茶色の髪。若葉のような瞳。バージルの胸の半ばもなかった身長は少し伸びている。多少は大人びただろうか。でも、昔の記憶と変わらない姿を見て温かな気持ちが込み上がる。


 ミズリはとても緊張しているようだ。頬が蒼褪めて血の気を失い、倒れる寸前のように見えた。

 久しぶりの対面だ。昔のようにルーファスに飛び付くような真似は流石にしなくなったのだと思うとバージルは感慨深いものがある。

 ミズリはルーファスを見ている。いつまで経ってもミズリの表情は凍りついたまま喜色を浮かべない。バージルが不審に思うのは直ぐだった。

 



 ルーファスは神子を前にしておかしくなった。おかしくなったとしかバージルには見えなかった。


 直前までの緊張による厳しい顔は鳴りを潜め、神子の前に立ち王子として相応しい優雅さで王族として最上級の礼をとると神子に優しく微笑みかけた。

「私は、この国の第一王子でルーファス・ドリシュ・ディ・ファストリアと申します」

 バージルは息を飲む。ルーファスが正式な名乗りを上げ、その上“ディ”を強調したからだ。


 正式な名前を明かすのは相手への敬意と異性には違ったアピールがある。“ディ”は未婚の男性につけられる。要するに相手への好意をわかりやすく表しているのだ。婚約者を持つ者はまず“ディ”を入れたりしない。神子がこの国の事情をしらなくても、ミズリは良く知っている。


 神子の後ろの控えているミズリを伺うが、身長差があだになって俯いているミズリの表情は良くわからない。

 ルーファスが神子に向けた微笑みは、好意を持つ者以外には向けてはいけない類のものだ。案の定、神子は頬を染めている。落ち着いた女性に見えたが、その姿は可愛らしい少女のようだった。


 神子は慌てて頭を下げた。絹糸のような光沢の黒髪が肩を流れる。ルーファスは神子の一挙手一投足を食い入るように見ている。

「わ、わたしは、渡部亜理紗と申します」

「神子様、どうぞ頭を上げて下さい。貴方は誰にも頭を下げる必要はない」

 ルーファスは跪いてアリサの手を取り、アリサの顔を仰ぎ見る。

 突然の行動にアリサは目に見えて狼狽えた。視線を左右に動かしてオロオロしている。

「あのっ」

「貴方には大変な犠牲を強いた。これからもそれはかわらないでしょう。ですが、我々王族は貴方を敬い一生守り支える事をお約束します」

 物語で忠誠を捧げる騎士のように、握ったアリサの手をルーファスの額に押し付ける。

「王子様っ、あのっ」

「ルーファスと、私の事はルーファスとお呼び下さい」

「ルーファス様っ、どうか立って下さいっ。わたしの国にはそういう習慣はなくて、ですね、何だか居た堪れないというか、申し訳ないというかっ、何言ってるの~、わたしっ」

 アリサは顔から湯気が出そうな程真っ赤になって涙目だ。そんなアリサの様子にルーファスが微笑むものだからアリサの上がった熱は下がらない。

 

 アリサの手を取ったままルーファスはアリサを長椅子へと誘導し、その隣に座った。流石に手を握ったままではないが、アリサへの距離が近過ぎる。バージルと神官長は唖然としたが、王子然とした立ち居振る舞いがあまりに優雅なせいでアリサは気が付いていない。



 なんだ、これは。バージルは呆然と事の成り行きを見ていた。


 神子との面会は国として重要な案件だ。丁寧で誠実な対応を求められる事は理解していたし、それを疎かにするつもりはなかったが、一番の目的はミズリだ。神子への挨拶と神子の為人を確認出来たなら、バージルが神子の相手をする予定だった。


 目の前ではルーファスとアリサが夢中になって話をしている。

 ミズリに口説き文句一つ言えなかったルーファスが女性を口説いているように見えるのだ。全神経をアリサに向けて、見つめる瞳には陶然とした熱が宿っているように見える。

 何よりルーファスの顔には笑顔が浮かんでいる。ミズリの告白から失われていた心からの笑顔だ。ミズリとの面会が叶うと知った時の不安と期待が綯交ぜになった泣き笑いのようなぎこちない笑顔ではなく。


 神子はルーファスと同じくらい熱心にルーファスを見つめている。お互いに意識を向け過ぎていて周りを気にしていないようだ。二人の高揚がバージルにまで伝わって来る。


 バージルは怒鳴りたいのを我慢した。ミズリが息を殺して気配を消しているからだ。ルーファスはこの部屋に来てただの一度もミズリを見なかった。ミズリは声一つ発していない。


 部屋の隅で静かに佇むミズリに、神官長が何事か話かけた。ミズリは顔を横に振った。バージルと視線が合ってもそっと目を伏せるだけだ。ミズリはこの面会を失敗に終わらす気はないのだ。


 ミズリをこの部屋から連れ出してやりたかった。これは違うと言ってやりたい。だが、何が違うのかバージルにもわからなかった。


 部屋の中はルーファスとアリサの楽し気な話声と笑い声だけが響く。

 この異様な光景は面会が終わるまで続いた。




 二人が退室してバージルは真っ先にルーファスの胸倉を掴んだ。ルーファスの不意を突かれたような表情さえ癪に障る。締め上げられてルーファスの顔が苦しそうに歪む。殴らないだけバージルはまだ冷静だ。


「ルーファス、どういうつもりだ?」

 至近距離から睨み付けた紫紺の瞳から熱が消えて徐々に冷静さが戻ってくると、顔面を蒼白にさせてルーファスは呻いた。

「ミ、ミズリは?」

「出て行ったさ。お前とは一言も話さずにな」

 掴んだ手を乱暴に放す。ルーファスは後ろによろめき力なく椅子に座り込んだ。バージルはルーファスの対面に乱暴な動作で腰かけて足を組む。それでも気が収まらず机の脚を蹴る。ルーファスがビクリと反応した。

「正気に返ったか?」

「ミズリはどうしていた?」


 今更それを聞くのか。本当に一度もルーファスはミズリを見ていなかったのだ。バージルは盛大に顔を顰めた。

「黙ってお前達を見ていた。それ以外わからん。それよりわかっているのか?力を失う聖女は前代未聞、ただの平民になった女が王太子の妃になれる可能性は限りなく低い。それなのにお前のあの態度。俺はてっきりお前はミズリを説得するつもりだと思ってが、解消を見せつけたかっただけなのか?それなら大成功だ!俳優も真っ青な演技だったぞ!」

 苛立ちが再燃して来て最後は吐き捨てるように言い放つ。いくら相手側から婚約解消を申し出ていようとも、ルーファスの態度は最悪だった。何故いつもルーファスはミズリ相手では問題行動を起こすのか。


 ルーファスのぐっと握り締めた拳がぶるぶると震えている。振り絞る様に出た声は情けなく掠れていた。

「………演技、じゃない……」

「はあ?」

 ルーファスは頭を抱え込み、吐き気を我慢するように口を手で覆った。

「演技じゃないんだ。アリサを見た途端、アリサ以外どうでも良くなった」

 バージルは眉間に皺を寄せ、低く冷たい声を出した。

「………ミズリもどうでも良かったのか?」

 弾かれたように上げたルーファスの顔は歪み瞳には拭いきれない焦燥がある。

「違うっ、アリサを見る直前までミズリの事しか考えてなかった!なのに、何故っ」

 本気で憤っている様子にバージルは困惑した。

「わざとじゃないのか?」

「そんな事をするわけがないだろう!」

 バージルは眉を顰める。

「………神子の事をどう思ったんだ?」

 ルーファスは酷く動揺した。バージルから視線を反らし俯いた。

「………嬉しくて、アリサが愛おしくて傍にいたくて、彼女の事を知りたくなった。それ以外考えられなかった」

 罪を告白する子供のように項垂れる。

「ミズリがいたのにっ、ミズリを愛しているのにっ、何故こんな気持ちが生まれるんだ」


 ようやく叶ったミズリとの再会だった。真っ直ぐに愛を告白して、どんなに情けなくても愛を請うつもりでいたのだ。けれど、アリサを一目見た瞬間にルーファスの心がアリサの存在で一杯になった。


 自分自身を把握出来ない、そんな事態が起こり得るのか。

 まさか、という思いがバージルに湧き上がる。口の中が異様に乾く。

「………何だよ、それは。お前の相手はミズリだろ。それじゃまるで」

 そこまで言って唐突に言葉を切った。一気に空気が張り詰めた。顔を上げたルーファスを絶望が彩る。


 ―――――それじゃまるで、アリサが運命じゃないか。


 とても言葉には出来なかった。



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