2-5
バージルは甘酸っぱい青春劇を特等席で眺めている気分でいた。
ルーファスの悩みは思春期の誰しも経験する通過儀礼みたいなもので、そのうち解決されるだろうと高を括っていた。振り返って見れば本人には赤面ものの黒歴史をからかって笑える程度の話だと。ところが、バージルの予想に反して事態は思わぬ方向に転がりだした。
歴代の聖女と守護者がどのように育ちお互いの気持ちを確かめ合っていくのかバージルは知らないが、ルーファスは随分と悪手に出たように思う。
まさかルーファスが恋愛事にここまで不器用で臆病だとは思いもしなかった。自覚のなかった頃にあれだけベタベタしておきながら、口説き文句一つ言えないとは。加えて狂信者にも劣らぬミズリへの幻想がルーファスを雁字搦めにしている。
幼い頃の延長で家族愛などと耳触りのいい無害な言葉で己の欲望を誤魔化そうとするからややこしい事になる。ルーファスはどうも潔癖症のきらいがある。バージルに言わせれば清廉潔白な男などいない。何故バージルの傍で育ちながらこうも青臭いのか。不思議を通り越して奇跡に思えてくる。娼館の一つにも連れて行かなかった事を半ば本気で後悔している。
ルーファスが思春期を拗らせているだけならよかったが、事態はさらに混迷する。
今度はミズリまでもおかしくなった。ルーファスを避け始めたのだ。これがルーファスのように恋を自覚しての変化なら手を叩いて喜んだだろうが、どうにもそんな様子ではない。
ルーファスの狼狽え様はもの凄かった。いい加減好転しない事態に焦れていたバージルはルーファスを締め上げて問いただした。
蒼褪めた顔でようやくルーファスは口を開いた。
「ミズリが寝ている時に口付けをした。それに気が付いて幻滅されたのかもしれない………」
「はあ!?確かに俺は押し倒せとは言ったが、本音をぶちまけてから押し倒せと言ったんだ!!意識のない人間に悪戯をしろとは言ってないぞ!!成人までして何をやってるんだ!」
「い、悪戯じゃない!我慢出来なかった私が悪いけど………まあ、全面的に私が悪い」
ルーファスは深く落ち込んでいる。ここまであからさまにミズリに避けられたことはないのだ。嫌われたのではないかと本気で恐れているのだ。
バージルは頭痛がする。たかたが口づけ一つ。本来なら聖女と守護者の間では多少の行為は見逃される。これは聖女と守護者の肉体的な結び付きが聖女の力にプラスに働くからだ。流石に成人前の聖女との行き過ぎた行為は非難されるわけだが。
ルーファスのやった事は間違っていたが、男としては同情の余地はある。好きでたまらない相手、ましてや将来自分のものになる相手に我慢は辛いだろう。バージルはその手の我慢をした事はないし、好きでたまらない相手もいた事はないが。
いや、そもそも告白一つまともに出来ない奴に同情の余地はない。
バージルは両腕を組んで威圧的に項垂れるルーファスを見下ろした。
「さっさと告白しろ。それから謝罪するんだ。簡単だろうが。」
「………」
「あのな、お前ら運命だろう。何を怖がる必要があるんだ。振られるなんてありえねーぞ」
それを言うなら今の状況だって十分にありえない。こんなに揉めてすれ違った聖女と守護者はいなかっただろう。勝手に惹かれ合って盛り上がって結ばれるものではないのか。特別な運命の二人とはそういうものではないのか。何か禁忌があるわけでも障害があるわけでもない、祝福された二人である筈だ。考えれば考える程ルーファスの不甲斐なさに眉が寄る。
ルーファスは暫く黙っていたが観念したように呟いた。
「ミズリが私と会ってくれない。」
「は?」
「ミズリが私と会ってくれない。手紙も毎日書いている。でもダメなんだ。会えるのは祈りの後のミズリが眠って癒している時だけで。それもミズリの意識が戻る前に神聖樹に追い出される」
バージルは驚いていた。そんな話は聞いていなかったからだ。
「神聖樹が守護者を追い出すなんてあり得ないだろう。神聖樹は王だろうと拒む事があるが、いくらなんでも‥‥‥」
バージルの背にざわりとした不快な感覚が走る。あくまで傍観者として聞いていた緩い気分が霧散する。これは単純な青春劇ではなく、もっと危機的な状況ではいのか。
「なんでそんな事になっている?聖女の絶対的味方である守護者を拒む理由は何だ。」
「わからない。やっぱり、ミズリは私の邪な気持ちに気が付いて嫌悪しているのかも………」
ルーファスの横顔は憂いに満ちている。今のルーファスは不安に駆られて極端に視野が狭くなっている。事の重大さに気が付いていない。
「馬鹿、情けない顔をするな。お前への嫌悪なわけないだろう。もっと違う理由がある筈だ」
「それ以外考えられない。ミズリにしたら大変な裏切りだ。家族だと思っていたら欲を押し付けられて耐えられなかったんだ。気持ち悪がられるだけならいいけど、怖がらせていたらどうしよう‥‥‥‥嫌われて拒絶されて‥‥‥‥、うっ、どうして、我慢出来なかったんだろう‥‥‥‥」
「ミズリがそんなやわなわけがないだろう」
ルーファスが無限ループに嵌りそうであったのではっきりと言い放つ。項垂れるルーファスに苛立ちを覚える。一発殴れば目が覚めるかもしれいと思わず右手で拳を作る。
幼い頃から二人を見て来たバージルにはわかる。聖女や守護者である事実を置いといても、ミズリがそんな事でルーファスを嫌うわけがない。ミズリは確かに箱入りの純粋培養だが、ミズリの精神は柔軟に物事を受け入れる度量がある。驚きはするかも知れないが拒絶はない。バージルの予想ではルーファスの自覚がミズリの自覚を促す筈だった。今頃は周囲が呆れるような熱愛振りを発揮していなければおかしい。
何故そうはならなかったのか。
ミズリがルーファスの気持ちの変化に気が付いていないからではないか。
ルーファスにも同じことが言える。ミズリに関しては人一番敏感だが、思い悩んでいる間ミズリの変化に気付かなった。
ミズリも気が付かない程何かに気をとられている。神聖樹が守護者を拒まなくてはならない何か。
「絶対に他に原因がある筈だ。些細な事でもいい、本当に何か心当たりはないのか?」
「………最近は自分の気持ちで手一杯で、ミズリをちゃんと見ていなかった」
どんどん顔色を失くしていくルーファスにバージルは容赦しなかった。
「だからお前はヘタレだと言うんだ。ミズリの動向を調べるぞ。王族特権を使って多少は強引な事もするからな」
神殿の最大の存在意義は聖女に仕える事である。神力を宿す聖女は神に等しく、聖女に仕える事は神に仕える事である。また、聖女の守護者には聖女と同等の敬意を、守護者を輩出する王族とは密な協力関係にある。
バージルは情報を得るのは容易いと考えていた。守護者であるルーファスに協力しない神官はおらず、閉ざされた中でしか生きていないミズリに隠し事は不可能に近いと思っていた。
ミズリの変化は緩やかに始まっていった。日常に埋没して見過さられるように少しづつ。周りにいる神官が変化に気がついた時にはミズリは強固な壁を作り上げ、事情は誰もわからなかった。そんな中でわかった事と言えば、ミズリが熱心に歴代聖女について調べていた事。この国の歴史や神についても同様に。
ミズリはあまり勉強熱心な聖女ではなかったので、その態度は不自然と言えなくもないが、婚姻を控え将来王妃も兼ねる事を思えば断言は出来ない。
祈りの場に籠る事が多くなり口数が減ったミズリを神官達も心配していた。
神官長とも話し合って、何度か強引にルーファスとミズリが話し合う場を設けた。ミズリは頑なに口を閉ざし、ついには祈りの後でもルーファスを拒むようになった。
聖女が守護者を拒む。どうすればそんな事が起こるのか。
神殿内でも波紋を呼び、はっきりと口にする者はいなかったが、ルーファスを不信に思う者もいた。聖女と守護者の不和はあってはならない事だ。厳しく緘口令がひかれ、一部の者以外には隠された。
ルーファスは打ちのめされている。バージルが慰めを思いつかないくらいだ。ミズリが何をそんなに頑なになっているのか皆目見当もつかず、お手上げだった。それでも探る事は止めなかったが、度重なる拒絶は確実にルーファスを追い詰めた。
神殿は聖女の意向に逆らう事は出来ない。神聖樹に人間の細やかな機微がわかる筈もなく、ミズリの拒絶をそのままに受け止めているのに過ぎないのだろう。
会えないのならば、せめて手紙をしたためているが、ルーファスはどこか諦めている。それでも、無為に時が過ぎてもミズリが16歳になって婚姻する事に希望を見出していた。
―――希望とは打ち砕かれるためにあるのかもしれない。
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