2-6

 ミズリが成人するまで半年もない時期だった。


 王宮の一室、実務のみを考慮した会議室には机と椅子しか用意されていない。円卓を囲むのは王と王妃、国の中枢である大臣数名とルーファスとバージルだ。

 政務を行うのならば珍しくないメンバーだが、そこに神官長が加わっている。


 神殿には役職名が存在しない。聖女以外はすべて神官と言われ全ての神官を束ねるが神官長である。今の神官長は前代聖女にも仕え、聖女とよく似た清廉な気配を持つ女性である。国王も彼女には敬意を示している。先代聖女の娘である王妃にはもう一人の母のような存在だった。


 神官長の老いた顔に笑顔はない。緊張と覚悟が伺える表情で慎重に口を開いた。

「これからお話する事は、神殿の不明の致すところ。全ての責は神殿と私にある事を皆様に忘れないで頂きたいのです」

 神官長の視線が一瞬だけルーファスに向けられた後に伏せられる。再び視線を毅然とあげ語られる驚愕の事実。


 バージルは自分が聞いた話を信じ切れなかった。

 異世界からの女性の出現。膨大な力を有する神の愛し子。ミズリの聖女の力の喪失とそれに伴いルーファスとの婚約解消を願うミズリの嘆願。

 誰にとっても寝耳に水。息を飲む音が何度も聞こえる。

 バージルでさえ受け止めきれない。ルーファスは呆然としていた。




「………前例のない事だ」

 張り詰めた緊張の中を全て聞き終えて王が重々しく口を開いた。大臣達も王に賛同するように頷く。彼らはいずれも王より年配であり臆する事無く意見を述べる。

「神子の出現は慶事ですが、聖女の力の喪失は凶事。どのように考えればいいのか」

「このような大事を今まで黙っていたのはどういう了見か。神殿の責任は免れぬ」

「しかし、神子とは‥‥‥‥異界とは信じられぬ。我らと同じ人間なのか」

「何よりもまず確認すべきは国の結界だ。聖女の力が万全でないのなら綻びがないか急ぎ調査が必要と思われる」


 前代未聞の出来事に議会は混乱し白熱した。

「まずは国の結界だ。神官長、異常の報告はあがっていないのだな?」

 国王に促されて神官長は頷く。

「聖女の神力はまだ失われておりませぬ。結界は保持されております」


 足りない神力を補うために何時間もかけてミズリは神力を灌いでいる。結界に綻びが今までなかったためにミズリの状態に誰も気づけなったのだ。


 神官長はミズリの献身が痛ましく苦い思いを噛みしめる。

「ですが、今の状態は聖女に負担が大き過ぎます。結界の補強を王族方に申請致します」

「了解した。早急にあたらせる」

「神子とはどのような娘なのだ?」

 大臣の一人が口を開いた。

「歳は二十四歳で成人もした自立した女性です。外見だけならば、私達と何一つ変わらないように感じられます」

 どよめきが起こる。全員の脳裏に同じ憂慮が浮かんだ。


 聖女の選定は幼い頃に行われる。これは聖女としての教育と神力の調和には大変都合が良い。常識や価値観の違う異界から来た確固たる己を持つ女性と聞いては不安の方が大きい。


 王は長い息を吐く。

「今はどうしている?」

「大変混乱されております。無理もない事です。ただでさえ世界を超えられたのです。心痛は計り知れないものと思います」


 世界を超える、その現実離れした現象を即座に受け止めきれる者はいないだろう。


 黙って話に耳を傾けていた王妃が王に懇願する。

「どうか、誠実な対応をお願い致します」


 神子の選べる道は一つしかなく、国はそれを強要する立場である。欺瞞だとわかっていても無理強いはして欲しくはないと思う。負う必要のなかった重責を担って貰うのならば出来るだけの誠意を尽くさねば、国としても人としても誹りを受けるだろう。


「わかっている」

 王はしっかりと頷いた。話は神子への対応に移って行く。


 王妃は一度も発言をしないルーファスを気にしていた。蒼褪め強張った顔に取り繕う余裕は一欠けらもない。ルーファスの様子からミズリから何一つ知らされていなかった事は一目瞭然だった。息子を慰めに行ってやりたいが、この場では王妃の立場を優先しなければならない。それはルーファスとて同じ事である。取り乱し叫び出したいはずなのに王太子としての分別がかろうじて留めている。


 ルーファスの隣にいるバージルと視線があった。ルーファスをひと時でも連れ出す事は可能だろうか。そう思ったがバージルは静かに首を降った。

 ルーファスの片手は机の淵を強く握り締めている。それはこの場を梃子でも動かぬ意志の表れのようである。




 ルーファスの心を置き去りに、長時間の話し合いの中でいつくかの事が決められて行く。

 聖女の原因不明の力の喪失は秘匿される。国防に関わる事であり、不用意に国民の不安を煽る可能性があるからだ。

 次に聖女の力の喪失は神子を召喚した事による代償とし、神子の召喚は神の啓示による奇跡と発表される。

 神子への対応はしばらく聖女に一任し、神子が落ち着き次第王族と面会させ、守護者を探し出す。そして、聖女に対する処分は保留とし、ルーファスとの婚約は解消の方向で検討する。



「待って下さい!ミズリと話し合いをさせて下さい。私はミズリの守護者だ。まずは私と二人で話し合うのが筋です」

 取り乱し声を荒げるルーファスを誰もが痛ましいものを見る様な目でみる。


 ルーファスの反発は予想範囲内である。問題はルーファスがどの程度客観的かつ冷静に判断出来るのかである。大臣達はお互いを見合い一番の年長者がルーファスと向き合った。

「話し合う必要がありましょうか?聖女は意志を明白に表明いたしております。聖女の心情は察するにあまりある。それ故に聖女の決断は重く尊重すべきものと思います」

 もう一人の大臣が続く。

「守護者と仰いますが、今となっては本当に殿下が守護者であったのでしょうか?」

「‥‥‥‥どういう意味ですか?」

 地を這うように低く掠れるような声が出た。見据える瞳は強い感情のために昏く鈍く光った。

「そのように睨みますな。殿下らしくもない。ただ我々は不思議でならない。守護者を得て力を増す聖女はいても、力を失う聖女は聞いた事がないのです。これは異常な事態ですぞ。異常な事態が起きたと考えるより、そもそも殿下は守護者ではなかったと思う方が自然なのですよ」


 言葉が無造作にルーファスの心臓を刺した。愕然とした様子にルーファスが一度もその可能性を考えていない事がわかる。

 大臣達も、誰もルーファスが憎いわけではない。だが、ここで曖昧に終わるのは得策ではない上に時間の無駄でもある。国王や王妃にこの役割を割り振らないだけの忠心と分別が大臣達にはあった。


「守護者を得て力を増すならば、守護者を得られない聖女はどうなるか。我らは一度もそのような事態に陥る事無く来られた。真偽の程はわからぬが、神に選ばれた聖女殿が歴代の聖女に劣るとは思えぬ」

 ルーファスは歯を食いしばり拳を固く握りしめる。

「聖女の資質はここで論ずるものではありますまい。しかし、王妃の資質は別です。この度の聖女殿の振る舞いは将来の王妃としては失格です。神子が召喚されて万難を排したとはいえ、自身の保身に走り国を危険に晒したと見ようによっては考えられるのです」

「それはミズリの責ではない!私が不甲斐なかったからだ!」


 ミズリが頼れるのはルーファスしかいなかった。ミズリが国を背負って苦しんでいたその時にルーファスは己の欲を持て余し右往左往していたのだ。一番傍にいて支えるべき時にミズリを自ら遠ざけたのだ。これ程の愚者が居るだろうか。過去の自分を殺してやりたい。


 悔やんでも悔やみきれないルーファスに大臣達は容赦がなかった。王太子である以上甘えが許されない時がある。

「聖女の力を失い、殿下の運命かもわからない。王妃の資質もないただの女性を王妃として迎えるのは臣下として認められません」


 固く握られたルーファスの拳から火花が散る。感情を抑えられないのだ。能力が暴走を起こそうとしている。バージルが咄嗟にルーファスの拳を握る。皮膚の焼けた臭いがする。

 ルーファスは痛みを感じないのか前を見据えている。


 大臣達は一瞬躊躇を見せたが、直に平静を取り戻し、一層厳しい表情を見せた。

「そのように守護者としての力を見せつけられても我々の意志は変わりませんぞ。兎角、守護者は聖女第一で国を蔑ろにしがちだ。確かに神は守護者の役割を王族にお与えになったが、国を治める事も同様に課した。貴方は守護者である前に王となる者だ。それをよくお考え下さい」


 悔しいが正論だ。長年、国の中枢を担って来た者達の言葉は重い。バージルも返す言葉がなくルーファスを見れなかった。


 膠着を破るように王が机を叩いた。

「もうよい。この話は一旦置いておく」

 大臣達は不満げだ。ルーファスを気の毒に思うが、彼らには婚約解消は覆りようがないからだ。

「優先順位を考えよ。婚約解消は今でなくても良い」


 王は凍り付いたように動かない自分の息子を見やった。心配げに息子を見つめている王妃の手を机の下でそっと握る。

「ルーファス、少し頭を冷やせ。ミズリと話し合うのもいいだろう。だが、ミズリを追い詰めてはいけない。婚約解消を申し出たミズリの気持ちを考えるように」



 次々と会議室を退室していく中ルーファスは一点を見据えたまま微動だにしなかった。そのあまりに苛烈な目を前にバージルは言うべき言葉を失う。


 どのくらいそうしていたのか。ルーファスがほとんど聞き取れない掠れた声で呟いた。

「………それでも、ミズリは私の運命だ。ミズリ以外にはいない………」

 祈るような声だった。痛々しく心を抉るような。

 バージルはただ罵りの言葉を胸中で喚くしかなかった。



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