2-3

 この国では王家に七大公爵を加えて王族と称する。守護者の能力は血脈に宿り、王族の男子に顕れる。能力の大小はあるが、王族男子で能力を持つ者はいつの時代も一定の割合い存在する。


 聖女が選定されると守護者もまた選定される。聖女と守護者は運命の一対である。過去の事例を踏まえると聖女と守護者の年齢は離れ過ぎる事はない。三歳差以内に収まる場合が殆どである。一番離れていたのが七歳差で、幅をとり十歳差までの能力保持者の王族男子は守護者候補となる。


 守護者の選定に第三者の意志は介在しない。聖女と守護者は精神的、肉体的に強く惹かれ合い誤魔化す事は不可能だからだ。

 王族にとって守護者に選ばれる事は誉である。聖女の伴侶となり公私に渡り支え守護し一生を聖女の傍で過ごす。


 選定前の聖女が守護者と出会うのは聖女の出自が王族や高位貴族でない限り難しく、実際にはあまり例がない。まして聖女の選定に立ち会った者はいない。

 今回筆頭守護者候補であるルーファスがミズリを見つけ、ルーファスの腕の中で聖女に選定された事は奇跡である。加えて、二人の懐きようからルーファスが守護者である事は明白で二人の婚約は何処からも異論はなくスムーズに決定した。


 基本的にミズリは神殿から出る事は叶わない。王宮と神殿は目と鼻の先であり、ルーファスがミズリを訪ねていた。ルーファスは可能な限りミズリの傍にいた。聖女にとって守護者は必要不可欠な存在であり、それが許されていた。

 出会ってから八年が過ぎ、ミズリは十二歳にルーファスは十五歳になっていた。




「ミズリ?」

 ルーファスの呼びかけに巨木が答えるように枝を揺らす。


 神殿の中心であり神殿そのものでもある巨木は神聖樹と呼ばれている。幹は直径十メートル、高さは十五メートルで枝を広げた姿は三十メートル程あるこの国最古の樹である。重量感のある佇まいは圧巻だが、この樹の真髄は地中にこそある。地中深くに張った根はこの国全土に広がり聖女の力を隈なく行き渡らせ、この国を守る結界となる。


 ミズリは一日の大半をこの場所で過ごす。ミズリが朝から姿を見せてくれないと困っていた神官はこの禁域に足を踏み入れる事は許されていない。


「ミズリ、いるのだろう?」


 枝の一画だけがサワサワと揺れる。その揺れる枝の下に行って根気強く待っていると小さな靴が落ちて来た。それをルーファスが素晴らしい反射神経で受け止めた。

 枝が動いて枝と葉で遮られていた視界が広がる。茶色のフワフワとした髪が小さな顔の輪郭を隠すように踊って若草色の瞳は悪戯な光を湛えて輝いている。樹の中ほどまで登ったミズリがこちらを見下ろしている。もちろん足は片方裸足だ。


「ルーファス、ごめんね!靴当たってない?」

「靴は無事だよ。落ちて来たのが本体でなくて良かったよ。じゃなきゃ僕が潰されている」

「神聖樹がわたしを落とすわけないよ。ルーファス、こっちの靴もお願い」

 躊躇いなく片方の靴を脱いでルーファスに向かって落とす。


 上手く受け取りながらルーファスはやれやれと溜息をつく。十二歳になってもミズリの振る舞いは淑女とは程遠い。もう直ぐ成人を迎えるルーファスには微笑ましくもあるし、もどかしくもあり微妙な心を持て余す。


「ミズリ、降りておいで。リーが探していたよ」

「駄目。今、目が離せないの」

「目?」

「そうよ。ルーファスも登って来て」

 声は弾み強い意志を感じさせる。ミズリが動きそうにない事をルーファスは悟った。


 ミズリはすっかり忘れているようだが、この巨木はただの樹ではない。ミズリがこの樹に登っているのを初めて見つけた時の驚愕を思い出す。神聖樹に登る聖女は前代未聞だろう。そうして神聖樹に意志らしきモノがあるらしいと分かったのもミズリのお蔭だ。神聖樹は決してミズリを落とさない。ミズリの意志を汲んでミズリを隠したりもする。ミズリのために小動物にその枝を貸すようにもなった。


 きっと神聖樹も驚いた事だろう。ミズリが七歳の時だった。七歳の子供を落とさぬように必死に枝を伸ばす神聖樹と、受け止めようと必死に届かぬ腕を伸ばすルーファスは同じ気持ちだった筈だ。


『てっぺんがどうなってるか見てみたかったの。』

 頬に傷をつけて落ちそうになっていたくせに、こちらの心配も知らず無邪気に答えたミズリ。それから木登りを気に入ったミズリは頻繁に登るようになった。ルーファスも度々誘われる。


 何度登っていてもやはり毎度躊躇するものだ。神聖樹という名は伊達ではないし、信仰の対象だ。聖女よりも王族の方が厳しく教えられるのだ。ミズリには通用した試しがないが。


 諦めと共にルーファスも靴を脱いでミズリの靴と並べた。

「お邪魔します」

 神聖樹に一言断って慣れた様子でミズリの元へ向かった。


「ルーファス、こっち」

 ミズリが先導するようにさらに上に登り手招きをする。神聖樹の枝は太く頑丈だ。ルーファスとミズリの体重をたわみながらも難なく受けとめる。


 ミズリが腰かけている枝に鳥が巣を作っている。モウナと呼ばれる鳥の小さな巣だった。モウナは青い羽根と黄緑の嘴を持つ小鳥だ。巣の中ではモウナが卵を温めている最中だ。野鳥なので人間には懐かないし警戒心が強いのだが、ルーファスが顔を覗かせても少しだけ首を傾げただけで逃げ出す気配はない。


「もうすぐね、卵が孵りそうな気がするの」

 ミズリがルーファスの耳元に小声で囁く。少し興奮していて潤んだ瞳は本当に芽吹いたばかりの若葉のようだった。近くに来て触れ合った肌が冷えている事にルーファスは気が付いた。ミズリは上着も着ないまま半袖で腕が剥き出しだ。

「もしかして、朝からずっとここにいるの?」

「だって、見逃したくないんだもの………」

「リーが探していたよ」

 ミズリはばつが悪そうだ。今日は祈りの無い日だから、勉強があるのだ。リーは神官でありミズリの教育係だ。

 ルーファスは少し怖い顔を作る。

「後でうんと叱られるように」

「………ルーファスも一緒に謝ってくれる?」

「仕方がないなあ」

 あまりいい事でない自覚はあるが、ミズリにはどうしても甘くなる。神官長から渋い顔をされるのを想像しながらルーファスは上着を脱いでミズリの体を包む。温かさにミズリの頬が緩む。

「ありがとう」

 袖を通すとミズリにはだいぶ大きい。ミズリの袖を調節してあげる。


 ミズリの白い手首はルーファスに比べると華奢で時折心配になる。それを言うとミズリは不服そうに言い返す。

『わたしじゃないの、ルーファスが勝手に大きくなってるのっ!』

 そうだ、ルーファスは日々成長している。時折それがとてつもなく恥ずかしい気がするのだ。ミズリがあまりかわらないせいかもしれないが。何となく自分の服を着たミズリを見ていられなくなってモウナの巣を覗く。


「あれ?この子」

 卵を温めているモウナの黄緑の嘴に茶色の部分がある。それは丁度ハートの形をしていた。

「気が付いた?」

 ミズリが満面の笑みを浮かべる。幼い頃とちっとも変わらない笑顔だ。開けっぴろげで王子相手にこんな風に笑うのはミズリ以外にはいない。王子の知る令嬢は皆恥ずかしそうに真っ赤になって口ごもりうつむいたり、大抵は上品に微笑む。この前はうっとりと熱の籠った瞳で微笑みかけられてかなり怖気づいたのだ。


(ミズリの笑顔がいいな)

 幼くて可愛くて、何よりルーファスへの信頼が溢れている。そういう顔をされるとルーファスは何でもしてあげたい気分になるのだ。


「この子、去年のあの子だと思うの」


 去年、ミズリは神聖樹ではない神殿の木の枝に作った巣から落ちたモウナの雛を見つけた。親鳥が戻って来る気配はなく、雛は瀕死だった。ミズリは必死に雛の世話をした。2時間おきに雛に餌をあげて掌の中で雛を温めていた。もちろんルーファスも手伝った。消耗するミズリの体力を回復させていたのだ。掌に雛を抱えたミズリを抱えるルーファス。それを生暖かく見守る神官達。


 あの時は何も思わなかったルーファスだが、後々思い出すと悶えたくなるのだ。別段恥ずかしい行為ではない。祈りを終えて消耗したミズリをいつも抱きしめて回復させてきたのだ。幼い頃からそうしてきたのだから。それなのに周囲の目は二人が成長するにつれて変わって来ているのだ。特にバージルのニヤニヤした顔は気に入らない。


「ルーファス、どうかした?眉間に皺が寄ってるよ?」


 話を戻そう。そうやって世話をした雛は見る見る回復していった。ミズリにとても懐いた。しかし、野生の鳥である。旅立ちの時はあっという間だった。小鳥は翼を広げて自由に空を飛んで行く。あの時のミズリの寂しそうな羨ましそうな様子をルーファスは覚えている。


(きっとあの時、ミズリは自由がどういうものか知ったんだ)

 神殿と言う狭い世界に押し込められたミズリ。元来ミズリは好奇心旺盛で活発だ。もしミズリに翼があったなら自由にどこまでも飛んでいきそうな気がする。

 何度思い出してもルーファスの胸は疼く。ミズリが小鳥だったらいつまでもルーファスの手の中に居て欲しい。


 人間の存在を無視して、小鳥は目を閉じて卵を温める事に集中する事にしたようだ。


「嘴のハートの柄、滅多にないだろうね。それに僕達がいるのに逃げないし」

「そうなの。間違いないよね。帰って来たんだよ、きっと」

 自由に世界を飛び回って、またここに。ミズリは嬉しそうだ。ルーファスだって二度と会えないと思っていたのだ。ミズリの高揚がルーファスにも伝播する。

「じゃ、おかえりって言うべきかな」

「そっかあ、そうだよね!」

 とびきり素敵な提案を聞いたとばかりにミズリは力強く頷いた。モウナは首を傾けてミズリを見ている。

「おかえり。またあなたに会えて嬉しいよ」




「ルーファスは今日時間があるの?」


 リーから受け取ってきた課題をミズリに渡す。リーには苦情をしっかり聞かされた。ミズリの我儘はそんなに多くないので大目にみて欲しいと頼み込んできた。リーには呆れた顔をされたが、今日の分の講義をルーファスが受け持つ事で納得して貰えた。もちろん、後でミズリはたっぷりとお説教されるだろうが。


「うん。夕方まで時間がある。取りあえずここまで目を通して。それからわからない所は解説するから」

「折角時間があるのにお勉強をするの?」

「そうだね、僕はミズリの今日の講義は終わっていると思っていたんだけどね?」

 ミズリは黙ってしまった。


 二人はまだ木の上だ。ミズリが降りたがらないので仕方がない。ミズリが大人しく本を読むのを確認してからルーファスはスケッチブックを手に取った。


 ミズリはルーファスの趣味が絵を描く事だと思っている。時間がある時はこうやってミズリの絵を描くからだ。否定はした事はないが、別段ルーファスの趣味ではない。絵を描くことはそれ程好きではないし、才能もない。それでも一年に一冊スケッチブックにミズリを描く事にしている。下手なりに何年もただ一つをモチーフにして書き続ければ何とかなるものだった。色をつけるまでは出来ないが、ミズリを描くのはかなり上手くなった。最初の頃のひどさは目を覆うものがあるだろう。ルーファスの手元には残らないから確認は出来ないのだが。


 ミズリは真面目な顔で本に目を通している。ルーファスはミズリが座っている枝の少し下の枝にいるからその顔が良く見えた。


 見慣れた顔だ。出会った頃よりも成長したけれど基本的には変わっていない。柔らかそうな丸い頬、大きな瞳に小さな唇。鼻の上に散った雀斑。くるくる跳ねる柔らかな栗色の髪は相変わらず短い。この国で髪が短い女性は子供か神官くらいだから、ルーファスと結婚したら髪を伸ばして貴婦人のように結うのだろう。ルーファスとしては結わずに背を自由に流れるミズリの髪を見てみたい。それはとても美しいだろうと思うのだ。


 ルーファスが想像しているとミズリと目が合った。ミズリが舌を出して目は上を向き鼻の頭を上に抑えて変顔をしておどける。ルーファスが笑うと満足そうな得意そうな顔をする。

 ミズリといるとルーファスは笑い過ぎる。笑うだけではなくて色んな感情が刺激されるのだ。冷静沈着という事が難しい。ルーファスは出来れば泰然とした大人になりたいのが。


『それが運命ってものなんじゃないか?』

 そう言ったのはバージルだ。ミズリがモウナの雛の餌を探してミミズを捕った時の事だった。ミズリにミミズを見せられてルーファスは驚いてひっくり返ったのだ。ルーファスは由緒正しい王家出身の王子である。ミミズを見た事はなかったし、茶色のうねうねとした物体はルーファスの審美眼には到底受け入れられず、情けない姿を披露する羽目になった。ルーファスの名誉のために加えておくと、今は平気だ。そういう生き物だと受け入れたのだ。

 ミズリがケロリとしていたのもあって、ルーファスは情けなさに落ち込んだ。傍らでバージルがヒーヒー笑っていた。


 ミズリは何を仕出かすかわかない時がる。ルーファスは頭上やら足元やら周囲に気を配らなければならない。そしてミズリが巻き起こす悲喜こもごもを格好よく引き受けたいのだ。理想は。バージルはミズリに振り回されてあたふたするルーファスが面白いらしいが。


 スケッチブックに線を走らせる。いつも出来るだけ丁寧にミズリを描く。ミズリの成長の記録だ。本来いつも傍にいるルーファスにはミズリの成長を感じ取る事は難しい事だがこうやって描いているとよくわかる。昨日のミズリと今日のミズリは少しづつ違うのだ。時間を押し留める事は出来ない。でも、ルーファスは鮮明にミズリの記憶を刻んでいく。


 例えばミズリの若草色の瞳は一つ新しい事を知る度に知性を宿して煌めく。悲しみを知って陰りを宿しながらもどこまでも澄んでいた。結界の外の世界に広がる雪原を赤子のように無垢な瞳で眺めていた。その後にルーファスに見せた強い決意の滲む横顔。ルーファスと遊ぶ時に見せる悪戯な瞳。幼い時と変わらない寝起きのミズリのトロンとした瞳。

 悔しい時に噛みしめている唇とか笑いを我慢している時の口角や、雷鳴を怖がりながら光った空をみて綺麗だと呟いた時の震えた睫毛。ルーファスの頭を撫でた小さく温かな手の感触。


 スケッチブックに描くように、ルーファスの心に降り積もる他愛のない、けれども愛しい記憶。


 ミズリを描く事はライフワークのようになっている。最初は思い付きと少しの同情心からだった。

 幼い頃に引き取られる聖女に家族はいないとされている。幼いが故に家族を覚えている聖女はあまりなく、そのかわり国中から敬愛されて育つ。

 一方で娘を失った家族の事を語る者はいない。ルーファスもミズリの祖母に会わなければ考えもしなかっただろう。ただのミズリの幸せを願っている優しい人のために、ミズリに代わってルーファスが出来る事を考えた。誰にも迷惑をかけず、一番知りたい事を伝える方法を。




 夢中になって絵を描いていた筈がいつの間にか眠っていた。日が少し陰りかけていて肌寒さに目を覚ました。木の上で、スケッチブックは下の方に落ち枝に受け止められている。握っていた筈の鉛筆は何処に落ちたかわからない。自分が落ちていないので胸を撫で下す。


 ルーファスの目の前には足がぶら下がっている。

 ミズリだ。ミズリも眠っていた。こちらは神聖樹の枝が揺り籠のようにミズリの体を支えている。枝から落ちたのだ。ミズリは寝ていても活発だから。


 ミズリの片足が揺り籠からこぼれている。起きる気配はない。ミズリの寝息が密やかに聞こえる。ミズリが履いているのはゆったりとした足首まであるズボンだ。靴を履いていないので踝と裸足の足がルーファスの目の前だ。

 流石のルーファスもミズリの足をじっくりと観察する機会はあまりない。小さな足だった。ルーファスの足とは比べるまでもない。細い足首と出っ張った踝、綺麗なアーチを描く土踏まず。なだらかな足の甲の曲線。

 ルーファスのよく知らなかったミズリの一部を不思議な胸の高鳴りを感じながら眺める。ルーファスの小指よりも小さい足指に桜色の爪が乗っている。その爪が光を受けて煌めいていた。


 何故そんな事をしたのかルーファスにもわからない。唐突に沸き上がった衝動は強烈でルーファスの思考を止めた。

 気が付いたら、その愛らしい桜色の爪に口づけていた。




 その夜、ルーファスは人には言えない夢を見た。とても罪深い夢を。

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