2-2

 最後の結界の補強を終えて急ぐ理由のないルーファスは、それから暫く神殿で子供と遊んでいた。子供はルーファスが見つけて来たのだから、最後まで見届けると言って聞かなかったからだ。


 ルーファスの後を子供が必死について来る。ルーファスを捕まえるととても嬉しそうに笑うので、ルーファスは何度でも逃げてわざと捕まるを繰り返していた。

 今もルーファスの足を捕まえてギュッと抱き着きルーファスを見上げてにこっと笑っている。そうされるとルーファスの口元は勝手に緩んでしまう。


 出会ってたった数時間だがとても懐かれている。保護者と離れて不安を感じてもおかしくないのだが、泣く様子もなく子供は始終ご機嫌な様子だ。こんなに懐かれるとこの子を親元に返すのがなんだか嫌だなと思ってしまう。兄弟のいないルーファスは妹が欲しい。こんなに可愛い生き物ならルーファスは一生大事にするだろう。


「うー、るーふぁ」

 子供がルーファスの服をぐいぐい引っ張る。かなり力が強い。

「はい、はい、何かな?僕のおひめさま?」

 しゃがみ込むと両手で頬を挟まれる。名前がわからないのでおひめさまと呼んでみる。なかなかこのおひめさまはお転婆だ。

「おひめさまは僕の顔が好きだねぇ。僕も君のまるい頬が好きだよ。そばかすもかわいいなぁ」

 口が両方から押されて突き出た。間抜けな顔を見て子供は声を上げて笑った。ぱっと手を離すと今度は自分の頬を抑えてルーファスの真似をする。

「ぶっ!」

 あまりに可愛いのでぎゅっと小さな体を一度抱き締めて、体をくすぐるときゃきゃと喜んでルーファスから逃げ出す。今度はルーファスが捕まえる番のようだ。


 そうやって汗だくになりながら遊んでいるとバージルが一人の老婦人を連れて来た。白髪に水色の瞳の小柄な婦人は子供を見るなり声をあげて小走りで近寄って来る。

「ミズリ!」

「ばあー、ばあー」

 子供がルーファスの腕から抜け出して婦人に向かって走っていってしまう。

「ミズリ、良かった無事で!ばあの寿命が縮んだわ!」

 婦人は一頻り子供を抱き締めて無事を確認した。


「ばあ、るーふぁ」

 ミズリが婦人の服を掴んでルーファスに向かって腕を伸ばすので婦人がルーファスに目を向けた。ミズリとルーファスの間で目線を行き来させて微笑んだ。

「これは、若様、失礼致しました。私はソニアと申します。孫のミズリを見つけて頂いて本当にありがとうございました。私が目を放したばかりに、お墓参りの途中ではぐれてしまって。私一人で途方にくれているところでした。お知らせに来て頂かなかったら、今も森を彷徨っているところでございました」

 丁寧にルーファスに向かって頭を下げる。彼女の白髪は乱れ汗で額に張り付つき服には草と泥がついている。必死にミズリを探していたのが伺えた。


 ミズリは不思議そうに祖母を見上げていたが祖母を真似て同じように頭を下げた。下げたというか、体を二つに折って股の間から向こうを覗き見ているようだ。ミズリの後ろの方にいたバージルと目があったのか、バージルがビクッとしている。


 噴き出してしまわないようにルーファスは真面目な表情を作った。

「どうか、頭をあげてください。たまたま運が良かっただけです」

 ミズリが崖から落ちたなんて云う話はしない方がいいんだろうなと、この優しそうな祖母を見て思う。そうして自分が間に合って本当に良かったと改めて思う。


 バージルがソニアのために椅子を薦めている。その隙にミズリが祖母のところからルーファスの元へ走りながら飛びついた。結構な勢いがあって辛うじて倒れずには済んだけれど鳩尾に入って一瞬息が詰まる。

 とても活発な子なのだろう。老人には少々世話は大変そうである。


「ミズリ、いい名前だね。あんまりおばあ様に心配をかけたらダメだよ」

「るーふぁ」

 よっぽど気に入ったのか、ミズリはルーファスの名前ばかり言っている。


 二人の様子にソニアは慌てた。相手の身分はわからないが、見るからに高貴な出自とわかる子供である。保護者ではなく従者もしくは護衛を引き連れているなら貴族で間違いないだろう。ただの平民でしかないミズリの相手ではないし、幼いとは言え失礼があっては大変である。ミズリはとにかく活発なのだ。怪我をさせるのが目に見えるようだ。もし、怪我などさせた日にはどう償えばいいのか。


 弱冠顔を青くさせながらソニアはミズリを引き寄せた。ミズリは吃驚して目を丸くしてソニアを見上げた。

「こんなに懐くなんて、若様はミズリにとても良くしてくださったのですね。本当にありがとうございます。さあ、ミズリも若様にお礼をいいましょうね。『ありがとう』よ」

「あーとう?」

「そうよ、上手よ」

 ミズリの頭を撫でるともう一度ルーファスに向かって頭を下げる。ミズリも祖母を真似して頭を下げる。勢いが良すぎてもう少しで頭と床がぶつかるところだった。バージルが噴き出している。

「本当にありがとうございました。何もお礼出来る物がなくて大変申し訳ないのですが」

「そんなことは気にしないで下さい。ミズリと遊べて僕は楽しかったです」

「そう言って頂けると気が楽になります。ありがとうございます。ですが、若様方の貴重なお時間をこれ以上頂くわけにはまいりません。私達はこれで失礼させて頂きます」


 ルーファスやバージルに丁寧に頭を下げてやや強引に退室しようとしたソニアだが、手を引いたミズリがぐずり出した。

「やー、やー、ばあ、やあ、るーふぁるーふぁ!!」

「どうしたの、ミズリ?お家に帰るのよ?」

 連れて行かれまいと踏ん張り顔を赤くさせて小さな体で抵抗する。祖母は困惑してオロオロしている。

「るーふぁるーふぁっ」

 見る見るうちにミズリの瞳に涙が溜まる。


 ミズリに引きずられるのかルーファスもとても寂しく悲しい。手を伸ばされて掴まずにはいられなかった。ミズリがルーファスにしがみ付く。

「ミズリ」

 ミズリの瞳から涙がポロリと零れ弾けた時、変化が起きた。


 突然強烈な光が部屋全体を包み込んだのだ。

 眩しさに部屋に居る全員が目を瞑る。何が起こっているのかルーファスとバージル以外は把握出来ないだろう。

 この光を、波動を二人は知っていた。


 数秒で光は収束し、皆呆然としている中ルーファスが腕の中のミズリを見下ろして呟いた。

「ミズリ………君が聖女なの?」

 疑問を投げかけながらも、光の波動をミズリの内から確かに感じていた。





 生まれながら力を有する聖女はいない。神の選定により幼少期に力を与えられ聖女となる。聖女が国を守護している事は幼子でも知っているが、聖女に対する正しい知識は平民にはあまり知られておらず、ミズリの祖母は事実を受け止めきれない様子だった。


「失礼を承知で伺いますが、本当にミズリが聖女なのですか?」


 彼女には祖母の膝を枕にして眠っているミズリはいつもと同じミズリに見える。ごく普通のどこにでもいる女の子であり、可愛い彼女の孫。


「間違いなく聖女です。聖女の力を確かに感じます。それに聖女の力の顕現を見せて頂いたのですから疑いようがありません」

 バージルの言葉には感嘆が込められている。


 過去の事例において聖女の選定に立ち会った者の記載はない。とても貴重な体験だった。力を顕現させるまでミズリは確かに只人だった。神に選ばれたその瞬間に力を授けられ聖女と呼ばれる存在になったのだ。


 ソニアの顔には嬉しさや誇らしさ等は微塵もない。ただ苦しそうに哀しそうにミズリを見つめている。

「この子が聖女様なら、今後はどうなるのでしょう?」

「聖女は直ぐに神殿が引き受ける事になっています」

 そう答えたのはこの神殿を預かっている中年の神官だ。神殿の一室にはルーファス、バージル、神官、ミズリとソニアで話し合いが行われている。

「………私はこの子に会えますか?」

 神官は言葉に詰まった。


 聖女は完全に俗世から切り離される。それはつまり肉親とも縁を切るという事だ。これは聖女をあらゆる権力や陰謀から遠ざけ、この国にとって神にも等しい聖女を守るためである。何かの折にソニアが聖女を見る機会はあるかもしれない。しかし彼女が望んでいるのはそういう事ではないだろう。

 ソニアに拒否権はない。それはわかっている。事は国の根幹に関わる。ミズリは孫ではなくなったのだ。唯一無二の存在になってしまった。遠い存在に。


「この子は肉親との縁の薄い子で、三年前両親を事故で無くしました。ミズリの父親が私の息子なのですが、遅くに出来た一人息子で甘やかしたのがいけなかったのか、息子と夫の折り合いが悪くて若い頃に出て行ったきり音信不通でした。夫が亡くなって私が体を壊して、どこかでそんな私の現状を聞き及んだのでしょう。妻子を連れて戻って来る途中の事故でした。息子夫婦は即死でしたが、二人に守られるようにミズリは無傷でした。ミズリの母親も天涯孤独な身の上だったようでミズリには私しかいないのです。」

 皺の多い手がミズリの頭を撫でる。その愛情を溢れる手が震えているから、ルーファスには無邪気に眠るミズリがとても哀しく映った。


「我々が大切にお育て致します」

 神官が力強く言い切るが、ソニアの不安を払拭出来ない。

「聖女様としてなら大切にして下さるでしょう。」

「何をおっしゃりたいのでしょうか?聖女を崇めぬ者は神官には一人もいません。誠心誠意お仕えいたします」

 含みを持たせたような言い方に神官は多少気分を害したようだ。ソニアはただ哀し気に首を振る。

「皆様の信仰心を疑ったわけではありません。きっと神殿での暮らしは、こんな年老いた祖母と暮らすよりもこの子にとって幸せかもしれないと思います」

「ならば」

「でも、こうも思うのです。聖女として大切にして頂ける。でも、誰がミズリを愛してくれるのでしょうか?」

 神官は当惑顔だ。彼にはソニアが何を言わんとしているか理解出来ない。

「誰が、ただのミズリを愛してくれるのでしょうか?」


 ミズリは聖女だ。聖女だから大切にされる、敬愛される。でもソニアにとっては違う。ミズリはミズリだ。ミズリだから愛している。自分が傍にいられないのなら、せめてただのミズリを愛してくれる人がこの子の傍にいて欲しいのだ。


 静まり返る中、立ち上がったのは黙って話を聞いていたルーファスだった。彼はソニアの傍に寄るとその手をそっと握り、真剣な面持ちで目を合わせた。

「僕がミズリをあいします」

 ソニアが目を丸くする。この小さな男の子が王子だと言う事はもう知っている。重ねられた手は小さくとも温かい。

「少しの間だけだったけれど、僕はミズリを知っています。僕はあなたの孫が大好きです。僕がミズリのお父様にもお母様にもおばあ様にもなります。あなたの代りにたくさんミズリをあいします。だから………だからダメでしょうか?」

 最後の方は不安気だ。ソニアの瞳に涙を見たからだ。

 ソニアは泣きながら微笑んだ。ルーファスは「あなたの孫」だと言ってくれた。それがとても嬉しい。

「王子様、ミズリをあなた様に託してもいいのでしょうか?」

「はい。僕がミズリのかぞくになって守ります」

 言い切ったルーファスに迷いはなかった。子供の戯言とは思えず、その美しい青紫の瞳は真摯に力強くソニアに訴えている。

 握られた手は震えるのを止めていた。それがソニアの答えだった。




 その日ミズリは神殿に引き取られた。聖女出現の報はすぐに広がった。その一ヵ月後ルーファス王太子との婚約が発表され国は大いに湧き上がった。

 その知らせを何よりも喜んだ老女がいた。手の中には丁寧に描かれた彼女の孫の姿がある。送られて来た絵を胸に抱いて、彼女はそっと感謝の言葉を呟いた。


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