2-1

 ファストリアは聖女が守護する国だ。

 聖女は神に選ばれたただ一人の特別な人間ではあるが普通の人間と同じで老いては死んで行く。神は聖女が失われてから次の聖女を選定する。聖女の死から遅くとも二~三年以内には次の聖女が出現していた。


 聖女が選ばれる条件は血筋ではない。貧しい孤児にも高貴な血筋にも現れる。その選定は魂によって行われると言われている。神の力を宿すに足る清廉で美しい魂が選ばれるのだ。


 聖女は悪意も私利私欲を持たぬ清らかな者。その者を守護するために存在するのが王族だった。王族には聖女を守り支える力が脈々と受け継がれている。聖女が血筋ではないのに対して、この力は血筋にこそ現れる。ファストリアの王族と聖女は必ず惹かれ合う。その結果、繰り返される王族と聖女の婚姻はこの血筋の力を強める事となった。


 ルーファスの祖母である先代の聖女が崩御して一年が過ぎていた。神力を神聖樹に灌がなければやがて結界は維持できなくなる。次代の聖女が出現するまでの空位の間、出来るだけ神力を根に留め結界の維持補強を行う事が王族の義務となる。国中にある要となる神殿を能力を有する王族が手分けして回って行くのだ。


 結界の維持補強は体力と精神力を消耗するため十二歳以下の子供にこの義務を課すことは本来ならない事だった。ルーファスは七歳になったばかりの子供だったが、能力者の中で最も強い力を有し次代の聖女の最有力守護者候補とされ、王子であり王太子という立場から異例の抜擢をうける事となった。


 ルーファスが任された神殿は五つ。四つ目までは滞りなく事をなしていった。五つ目の最後の神殿を訪れた時ルーファスは妙な胸騒ぎに襲われていた。


 落ち着きのないルーファスに共をしていたバージルは直ぐに気が付いた。

「どうしたんだ?さっきからソワソワしてるぞ」

 八歳上のバージルはルーファスのお目付け役でもある。この国でも珍しい銀髪銀目は鋭く冷たい印象を与えるが、普段から面倒見がよく、ルーファスの様子には特に気を配っている。

「わからない。何だかドキドキして………」

 バージルはルーファスの目線に合わせるために跪いた。


 金髪に紫の瞳は王族特有の色だ。ルーファスもその色を纏っているがルーファスの瞳は青味が強く、夜の帳を思わせる。その青紫の瞳を潤ませて泣き出しそうな顔は女の子ように可愛い。最近はめっきり見せなくなった表情だ。それ程動揺しているという事だろう。


「結界の補強に失敗したのか?」

「違うと思う。何だか上手く言えないけど………ここを離れたくないんだ」

 自分の胸元を握りしめ、眉を顰める幼い王子。


 ルーファスにはまだ知らされていないが、王族が各地の神殿を廻るのは結界の補強ともう一つの理由がある。聖女の探索だ。実に聖女発見の七割がこの機にされている。今回もそれを期待されているのだ。

 一応王族の末席に名を連ね能力保持者であるバージルは特に感じるものはなかったが、ルーファスの直感は無視するべきではないと判断した。


「今日の移動は中止にするか。結界の補強もここが最後だし、先を急ぐ必要もない」

 ルーファスはほっとしたように頷いた。バージルは遠慮なく乱雑にルーファスの頭を撫でる。

「神殿と護衛騎士に話をしてくる」


 バージルを見送ってルーファスは周りを見渡した。都会の神殿とは違って町外れに建てられた比較的小規模な神殿だった。建物よりも庭の方が広くよく整備されている。神殿からは出ていたが、ここはまだ神殿の敷地内だった。


 ルーファスはここでバージルを大人しく待っていなければいけない。ルーファスの行動には制限がかかるのをこの歳でも理解していた。でもじっとしていられない。なんだかとてももどかしく感じてしまう。じりじりと忍耐が焼かれている。

 思い返してみれば、ここに向かう時から何か落ち着かない気分だった。それは嫌なものではなく期待めいた予感のようなものだった。それが今は焦りに変わってしまった。


 一歩足を踏み出した。そうしたらもう駄目だった。二歩三歩とやがて走り出した。ルーファスの頭の中からバージルの事も周りへの配慮も自分の事も零れ落ちてしまう。

 ルーファスは迷う事なく神殿の裏手の森へ入って行く。鬱蒼とした木々は不気味だ。子供の背丈ではちょっとした草でも視界を遮ってしまう。それでもルーファスの歩みは止まらない。


 森はどんどん深くなる。行く先もなく走り出している筈なのに、不安がない。ルーファスも自身の行動が良くわからなかった。


 やがて、ルーファスの視界に何かが掠めて、ぴたりと歩みを止める。

 ルーファスの右手、木々の合間から少しだけ高い崖が見えた。その崖の上に小さな黒い塊がある。獣だと思ったその黒い塊は次の瞬間崖から落下した。

「!!!」

 ルーファスは走り出していた。体全体に警鐘が鳴り響いている。

(駄目だ!!絶対に死なせては駄目だ!!!)

 そう強く思った時、体がとても熱くなり燃え上るような感覚を覚えた。驚いたルーファスは木の根に躓き下りの勾配を一気に転がり落ちた。


 ルーファスが己を顧みる事無く、必死に見つめる先には地面に叩きつけられた筈の塊が地面の上に座り込んでいる。それは黒いワンピースを着た幼い子供だった。

 息を切らしルーファスが駆け寄るとその子供は大きな若草色の瞳を見開いて固まっている。荒い息を整えていると痛い程激しく鼓動していた心臓も落ち着いて行く。見たところ子供には怪我はないように見える。地面を転がったルーファスの方が酷い有様だった。


「………えっと、大丈夫?」

 ルーファスが手を差し出すと、子供は状況が飲み込めないなりに自分の身に起こった事に驚いたのだろう、見る見るうちに瞳には涙の膜がはり顔を歪めた。

「ふぇっ………」

 その様子に慌てたのはルーファスだ。咄嗟に子供を抱き上げた。

「だ、大丈夫だよ!泣かないで!もう怖い事はないからね!」

 何が大丈夫なのかはわからないが、取りあえず小さな体をぎゅっと抱き締めた。そうすると泣き出す寸前だった子供の瞳から涙が引っ込んだ。小さな手がルーファスの頬に触れた。

「ん?」

 ルーファスが見つめると腕の中の子供も見つめ返してくる。

(かわいい子だな)


 年は三、四歳、五歳にはなってない感じだろうか。明るい栗色の髪は耳の下まで伸びてクルクルと好き勝手に跳ね回っている。澄んだ大きな瞳は優しい若草色だ。引っ込み損ねた涙が下の睫毛に引っかかっている。小さな鼻には可愛いそばかすが散っていた。ぬいぐるみのように小さくてとても可愛い。小さな子供とあまり接する機会のないルーファスにはとてつもなく可愛く見えた。


 ルーファスが観察していたように子供もルーファスを観察しているのだろう。ルーファスの顔をぺたぺたと紅葉のような手で確認している。

 ルーファスは自然と微笑んでいた。

「僕はルーファスだよ。ルーファス」

「るー?」

「ルーファス」

 子供はまだ言葉を上手く話せないのかもしれない。しかし、ルーファスは自分の名前を呼んで欲しいと思った。

「るー、るー…ふぁ」

「おしいっ!ルーファス」

「るーふぁ、るーふぁっ」

 腕の中で子供が一生懸命真似をする。頬が赤く染まり可愛いのだ。

「う~ん、まあルーファでもいいか、よく出来ました!」

 褒められて嬉しいのか子供が手を挙げて笑う。小さな掌に赤い色をみてルーファスは慌てた。

「怪我をしたの!?」

 吃驚して大きな声を出してしまった。大きな瞳が不思議そうに瞬く。ルーファスは掌を掴みしげしげと眺めた。

 かわいい手に傷はない。ルーファスは自分の頬を擦るとピリリと痛んだ。どうやらルーファスの血だったようだ。

 子供は靴や服の裾は汚れているが、崖から落ちたにも関わらず、他は綺麗なままだ。


 ルーファスは子供を抱えなおして改めて子供が落ちて来た崖を見上げた。

「君はどうしてあんなところに居たのかな?」

 子供はルーファスの口が動いているのが楽しいのか口の周りを触って来る。小さな手がとても愛らしい。

「君がおしゃべり出来たらいいんだけど」

「るーふぁ」

「うん、僕の名前はかんぺきだね、いい子!君の名前は言えるかな?」

「るーふぁ!」

 若草色の瞳をキラキラと輝かせてもの凄いどや顔でルーファスの名前を呼ぶ。

「うん、えらい、えらい」

 思わず子供のふくふくとした丸い頬に頬を擦り寄せた。吃驚するくらい柔らかく温かい。なんだかもう、このまま持って帰りたい気分になってきた。


 窮屈になって来たのか子供が身を捩り出した。ルーファスの頬を押し返そうとしている。子供を諫めながら現状を把握して行く。子供は健康そうであるし、置き去りにされたわけでもないだろう。保護者とはぐれた迷子で間違いない。そうして良く考えると子供が着ている黒いワンピースは喪服ではないかと思った。


 ここは神殿の裏手の森だ。もしかしたら近くに墓地があるのかしれない。

 今のところ近くに人の気配はない。ここにずっと留まっているわけにも行かず、ルーファスは子供を連れて神殿に戻る事に決めた。




 ルーファス達は森の入り口でバージルと護衛騎士に見つかった。何処か物々しい雰囲気なのはルーファスがいなくなったせいだろう。


 ルーファスの姿を確認したバージルは目を吊り上げた。

「ルーファス!この馬鹿!!」

 真っ先に声を上げて、ルーファスの頭に制裁を加えた。周りの護衛騎士は顔を引きつらせているが誰も止める者はいない。


 バージルは先代筆頭公爵の隠し子で9歳まで下町で育った経緯があり、王太子を下町の子供と同じように扱う。多少言動に難があっても性格は裏表なく優秀、バージルを気に入った王や公爵によってルーファス付きになったのだ。


 殴られたルーファスは涙目だ。自分の非はちゃんと理解しているので文句は言わず謝罪を素直に口にした。

「ごめんなさい」

 納得いかなかったのはルーファスの背中の子供である。急に暴れ出したのだ。

「あっ、こらっ、ダメだよ、暴れないで!」

 上着でなんとか固定をしていたが子供を落としそうになって前傾姿勢をとる。バージルもルーファスが背負っている子供に気が付いた。

「なんだ、この子供は」

 バージルが簡単にルーファスから子供を取り上げてしまった。子供の脇に手を入れてバージルの視線まで持ち上げる。

「るーふぁ!るーふぁ!」

 驚いたのか、単に嫌だったのか、バージルから顔を背けて涙を浮かべて子供がルーファスに向かって手を伸ばす。

「バージル!返して!」

 ルーファスは手を伸ばしてバージルの腕を掴もうとするので、反射的に腕をさらに上にあげてしまう。

「やあっ!やっ!るーふぁ!!」

「バージル!」

 必死な子供二人。バージルは自分が人さらいになったような気がする。そこで気が付く。

「まさか、聖女か!?」

 繁々と子供を見る。子供はバージルに悪意がないことが分かったのかきょとんとした顔でバージルを見ている。ルーファスも同じ顔をしている。

「えっ、違うと思う………」


 子供には何の力も感じない。聖女ならば神力で満たされている。能力保持者がそれを感じられない筈もない。バージルはもちろんルーファスでも感じ取れないのならただの子供という事だ。


「だよなあ」

 まさかと思ったが。そう都合良く聖女は現れないもののようだ。

 小さな手がぺちっと可愛い音を立てた。バージルの額を叩いたのだ。がっかりとしたバージルを咎めるようなタイミングにバージルは笑ってしまった。


 バージルはそのまま子供を肩に乗せた。ルーファスがとても恨みがましそうな顔をしてくるが無視して歩き出す。子供を背負って歩いて戻って来たのだから、そろそろルーファスの体力が限界だったのだ。


「それで、この子供はどうしたんだ?それにお前のその恰好、怪我はないよな?」

 ルーファスの髪も服も土で汚れて酷いものだった。ルーファスは自分の体を見下ろして赤くなる。ルーファスが勝手に転んだのだ。正直に言うのは恥ずかしい。

「これは………何でもないから、いいんだ」

「へえ」

 何事かを察したバージルは人の悪い笑みを浮かべた。そんなバージルの銀髪を掴んでは引っ張るという地味に痛い攻撃を子供は仕掛けている。しまいには髪を口に入れそうになるのでルーファスは慌てた。

「あ。こら、汚いよ、ぺっして、ぺっ!!」

 ルーファスの物言いが面白かったのか子供はご機嫌に笑っている。

「この辺に墓地はあるかな?たぶん、親とはぐれたんだと思うんだ」

「なるほど。今頃親も探しているかもな。聞いてみよう」



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