第二部

2-0

 氷に覆われた大陸の中心に位置するファストリアは神に選ばれた聖女が国を守護する神聖国だ。不毛の大地にありながら聖女の力によって水と緑に恵まれ、他国がファストリアを侵す事は出来ず、また如何なる災害も疫病も無縁とされている。楽園と謳われる国。


 二十二年前、奇跡のように神子が現れた事によりファストリアの守りはより強固になり国は一層の繁栄を迎えた。


 神子は当時の王太子と婚姻を結び王妃となった。彼女は異世界からやって来たにも関わらずこの国を愛し、長い歴史の中で最も民に慕われた王妃だった。


 彼女の早過ぎる死はこの国の者にとって耐え難い悲しみだった。特に最愛の王妃を亡くした王の嘆きは深く、王妃を亡くして半年を過ぎても人々の悲しみが薄れない中、王は政務を放棄し公の場に姿を見せなくなった。


 二人の仲睦まじい様子を知っている者は非常に同情的であるが故に誰も王に進言するのは憚られ、父王にかわり政務を引き継ぐ事になった王太子であるケントも母親を失い悲しみは深かったが、父を思い遣りそっと見守る者の一人だった。


 そんな中、ケントは父の失踪を知る事になった。





「バージル!どういう事なんだ!!」

 ケントは声を荒げて王の右腕と呼ばれる男の執務室に飛び込んだ。母親譲りの黒髪黒瞳の王子。顔立ち自体は王の面影がある。体格は細身で王よりも優しく見えるが、今は怒りに支配されて剣呑な雰囲気だ。


 部屋の奥には長い銀髪を撫でつけ後ろに一つに纏めた眼鏡をかけた中年の男が机に向かって座っている。眼鏡の奥の銀灰色の瞳は冷静で鋭く猛禽類を彷彿とさせる。

 書類から目を上げたバージルは特に驚く様子を見せなかった。ケントは掴みかからんばかりの勢いだったが、ぐっと顎を引いて机の前で立ち止まった。


「言いたい事ならわかっている。だが、お前の望む答えを俺は持っていない」

 不遜とも言える物言いだが、バージルは臣下という前に王の親友であり、守護者であった王のため執務を半分担っており、もう一人の王と呼ぶべき存在だ。公私にわたり王一家とは交流があり、砕けた物言いを許されていた。


「貴方はっ!貴方達は王が国を捨てるなんて許されると思っているのか!!」

 ケントは激情のまま握った拳をバージルの机に叩きつけた。


 このような重大な事をこの国の王太子であり息子でもあるケントが何も知らされていなかった。説明も相談もなくこのような無謀が王に許される筈がないのだ。


 バージルはゆったりと椅子に座り目の前の王子を凝視しながら口を開いた。

「そんな事実は存在しない。王は王妃を失った事による心神喪失による衰弱死だ」

「ふざけるなっ!!何が衰弱死だっ、誰がそんな話を信じると思う!!」

「信じるさ。国中が王妃への溺愛ぶりを知っているんだ。あの王ならばと思うだろう」


 それ程までに王の寵愛は深かった。可能な限りいつも王妃に寄り添い尽くしていた。最後のその瞬間まで、一番傍で見ていたケントは知っている。国民は納得するかもしれない。だが、ケントは納得出来る筈もない。

「何故事実でない事を捏造するんだ?」


 最愛の者を失って平気でいられる者はいない。ましてや運命だったのだ。絶望を感じて王でいる気力がないのなら、百歩譲って仕方がないと言えただろう。ケントがいる今退位は難しい話ではないのだ。それなのに王は正当な方法を選ばなかった。死を偽装してまで失踪しなければならない理由がわからない。


「何故こんな無責任な方法を選ぶ?退位ではなく失踪なのだ?私達に知らせもせず………これではまるで母の死を利用したようにさえ見える。母の死を、二人の愛を穢すつもりか?」

 自分で口にしながらもケントは愕然としていた。二人の愛を信じていたのだ。疑念など持った事もない。今回の事も理由はわからないが母への愛故の暴挙に違いないと思っていたのだ。王の義務を全て捨てる程の何かが母以外にある筈はない。


 視界が二重にぶれるような気持ち悪さを感じてケントは一度目を瞑った。再び開けた視界にはバージルがケントを冷静に見つめている。

「兎に角、こんな方法は間違っている」

「お前に理解を求めようとは思っていない」

 無情な言葉に一瞬ケントの視界が赤く染まる。目の前の男がこれ程までに憎らしいと感じた事はない。涼し気な顔を殴りたい衝動を抑えて声を低めて問う。

「………貴方では話にならない。父上はどこへ消えた?これは我々家族の問題でもあるんだ」


 ケントの主張は正しい。王の失踪は国を揺るがす大事件である一方でケント達には家族の問題でもある。知る権利はあるだろう。だが、王は何も語らず姿を消した。それが答えだ。


 バージルは感情を交えず告げた。

「王は死んだ」

「!!」

 今度こそ感情のままにケントが拳を振り上げた時、凛とした声が響いた。

「ノックもせず、失礼致します。興味深いお話をしていらっしゃるのですね。是非わたくしも混ぜて下さいませ」

「マリア!」


 部屋に入ってきたのはケントと同じ黒髪黒目のこの国の王女だ。顔立ちや声、雰囲気までも王妃に良く似ている。国民の人気も高くこの国の至宝と呼ばれている。兄王子以上に両親から惜しみなく愛を注がれて育った王女はケント以上に厄介な相手である。


 マリアはケントの握られたままの拳を諫めるように撫でてからバージルを見据えた。

「バージル様もわたくし達が何も騒がず黙って納得するとは思ってらっしゃらないでしょう?」

 マリアの言う通りだった。


 バージルは息を吐いた。二人がバージルに詰め寄って来るのは想定範囲内だ。王の死を誤魔化せるとは思っていない。問題はどこまで話すかという事だ。


 本来、子供達と向き合うべきは父親である王だ。王は子供たちに理解される事も納得させる事にも時間を割かなった。王にとってそこに意味はないからだ。逃げたのではない。ただ王は選びとっただけだ。それを理解出来るのはバージルだけだった。


 二十二年だ。王と王妃が婚姻を結び共にいた年月だ。バージルが二人を見守り続けた時間でもある。その間二人は幸福であり続けたと思う。二人は心から愛し合う者同士だった。ルーファスの苦悩を知っていた筈のバージルがやがてそれを忘れるくらいにはルーファスのアリサに向ける愛は本物だった。

 だからこそ、ルーファスから放たれた言葉はバージルを驚愕させた。


 ――――神子は死んだ。だから王族である私も死んでいいだろう?


 そこに居たのはバージルが知るルーファスではなかった。王妃を愛し慈しんだ穏やかな王ではなく、バージルが殺したルーファスがいた。




「バージル様?」

 マリアの訝し気な呼びかけに自分の思考に沈みかけていたバージルは我に返った。こちらを見つめる2人を前に自然と溜息がこぼれる。伝わっていなくともバージルにとって二人は我が子も同然であり可愛がっていたのだ。両親を理想の夫婦だと、自分達家族を完璧だと思っているのなら、出来るならば真実を知らせる事はしたくはない。


 バージルはルーファスから二人が知りたければ全てを語っていいと言われていた。バージルの采配に委ねるとも。

 事実は確実に二人を傷つけるだろう。自分の存在にすら疑問を持つ事になるかもしれない。二人は被害者と言える。だが、二人はもう庇護が必要な子供ではなくなった。優しい嘘よりも辛い真実を望む大人になったのだ。


 ルーファスが残していった全てを背負うと誓っているバージルは厳しい目で二人を見据えた。

「真実はお前達が思う以上に残酷かも知れない。王が死んだと思う方が遥かにマシだと言ってもお前たちは知りたいのか?」

 二人はお互いを見合い固いを表情ながらもしっかりと頷いた。

「私が求めるのは真実だ。どうして母上が死んだからといって死を偽造してまで父上が国を捨てるのだ?そんな必要どこにもないだろう?」

「そうですわ。仮に王でいたくないと言うのなら、お兄様に王位をお譲りになって隠居すれば済むお話です。それにお母様亡き今お父様を支えるのはわたくし達家族がいます。何故わたくし達の前からいなくなるのです?」


 興奮気味に語る二人に王の失踪の理由は思いもよらないだろう。自分達が切り捨てられたとは考えもしない。


 バージルは責任の厳しさを痛感している。

「お前たちが知りたい事は俺が全て話してもいい。だが、その前に一つだけ条件がある」

「………何ですか?」

 ケントはぐっと顎を引き警戒を滲ませる。マリアは不安そうにバージルを見つめた。

「ルーファスを探さない事」

「!」

「そんなっ!」

「それが条件だ」

「………そんな条件を飲めると思っているのですか?」 

 ケントがバージルを睨み付ける。

「真実を知るのは俺だけだ。他の誰をあたっても無駄だ。そう思ったからお前達は俺のところへ来たのだろう?」

 悔しいが真実だった。王と王妃を知る者はバージル以上にはいなかったし、子供の頃より父を知るのもバージルだけだった。

「わかりました。お父様を探さないと誓います」

「マリア」

 ケントが妹の名を咎めるように呼ぶ。

「わたくし、嘘偽りのない真実が知りたいのです。バージル様以外ではそれはきっとむずかしい事ですわ。それにいずれお父様は戻って来て下さると思うのです。だって、お母様をいつまでも一人にしておけるお父様ではないですものね?」

「………そうだな、そうかもしれない」

 マリアの説得にケントは仕方なさそうに頷いた。それを見てバージルは二人に気付かれない程度に複雑な思いを滲ませた息を吐く。


「二人ともそこに座れ。長い話になる」


 素直に従った二人を前にバージルは厳しい表情を崩さない。

 二人は純粋に真っすぐ育った。両親に愛され周りに愛され、愛した相手と結ばれて、王となるケントでさえ絶対的な愛を信じている。

 全てを知って二人はどう思うだろうか。怒るか、嘆くか、悲しむか、あるいは憎むのか。その全てであるかもしれない。どうしたって二人を傷つけずに話すのは困難だろう。

 バージルは重い口を開いた。

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