1-7
ルーファスを運命だと思っていた。
ミズリが聖女でなくなるように、ルーファスが守護者でなくなる時が来ても、ルーファスが運命であるのだと盲目的に信じていたのだ。
二人で歩む未来が閉ざされたとしても、どこかでそれを心の拠り所にしている狡さをミズリは思い知る事になる。
神子であるアリサと王族であるルーファスの初対面は神殿の一室でひっそりと行われる事となった。
異世界から召喚されたアリサが神殿関係者以外と対面するのは初めてであり、王太子という高貴な身分もあり、アリサの緊張はピークに達しつつある。
何度もミズリにルーファスの事を確認する。
「本当に、私大丈夫かな?上流階級のマナーとか全くわからないし、絶対失敗して失礼な事するかも」
「大丈夫です。殿下は優しい方ですから。これは非公式な場ですし殿下以外は側近のバージル様しかいませんから、誰もアリサ様を咎めたりしません」
「咎めたりはしないかもしれないけど、失望はされるかも」
「まさか!アリサ様はご自身が思っておられるよりずっとしっかりしておられますよ」
「やめて、買い被りだよ………」
このような感じでアリサは始終落ち着かず、それを諫めるミズリは余計な感傷に浸らずに済んでいた。けれども、扉を一枚隔てた場所にルーファスがいるのだと思うとミズリも平静ではいられなくなった。緊張に喉が渇く。心臓が異様に強く鼓動する。じっとりとした汗が浮かんでくる。
ミズリはアサリの後ろに付いていた。扉を叩くアリサの手を遮りたくなるのを耐えて見守っていた。
扉を開けたのは、ルーファス達を案内して来た神官長だ。その神官長の肩越しに立ち上がる人物がいる。
ミズリの心臓がぎゅっと縮む。次の瞬間全身に送り込まれる血液の流れを感じて体が熱くなる。
会ってはいけないと思った。会えないとも、会いたくないとも思っていた。でも、本当は。
約二年振りに対面したルーファスは知らない人のようだった。きっちりと整えられた衣装に身を包み、、金髪は綺麗に撫でつけられ秀でた額を露わにしている。顔の輪郭はシャープになり、神秘的な紫にも青にも見える瞳は理知的だ。広くなった肩幅、見上げる程に背が高く優しそうな印象の中に凛々しさがある。眩しいくらい立派な青年になっていた。
沢山の言葉に出来ない思いがミズリの胸を激しく突き上げた。目頭が熱くなって慌ててミズリは俯いた。
神官長が入室を促してミズリもアリサに続いた。緊張のあまりどうやって体を動かしていいのかわかならい。意を決して視線を上げた。
見開かれたルーファスの青紫の瞳。その瞳に浮かんだ名状しがたい熱。固く引き結ばれた口元が解け孤を描いた瞬間の華やぎ。
ミズリは息を飲んだ。
ルーファスはただ一人を見つめていた。他には何も目にはいらないように、アリサだけを。
ルーファスはアリサに対して正式な名乗りを上げた。非公式な場であってもその意味はとても大きい。
戸惑い恥じらうアリサを呼ぶ声は慈しみに溢れ甘く響いた。アリサに触れる手は優しく繊細だった。初対面にしては近過ぎる距離も二人は気が付かないようで、うっとりとお互いの姿を見つめ合い、一対の鳥の番いのように寄り添う。
昔からルーファスは王子様然としていてもその中身は素朴でミズリ以外の女性を苦手としていた。人前で平気で女性を口説いたり積極的な行動に出たり出来る性格ではなかった。ミズリとの触れ合いも子犬同士がじゃれ合うような無邪気なものだった。
こんな熱情を灯して女性を見るルーファスをミズリは知らない。
対面中、ミズリはアリサの後ろに静かに控えていた。目の前で繰り広げられる光景がとても遠い。あんなにも熱かった体は芯から凍えるように寒い。時折、神官長とルーファスの側近であるバージルの視線を感じたが、上手く取り繕えていただろうか。
これはアリサのための対面だ。ミズリはルーファスにアリサの味方になって欲しかった。アリサに心を許せる人を作って欲しかった。
二人を見ればこの出会いがミズリの想像以上だった事がわかる。
ミズリは満足しないといけないのに、どうやって対面を終えたのか覚えていない。ルーファスはミズリを一度も見なかった。アリサの一挙一動に目が離せないようで、ただの一度もミズリとは視線が合わなかった、ただそれだけを覚えている。
身勝手にルーファスを拒絶したのはミズリで、婚約解消まで願いでたのだ。何を期待していたのだろうかと思う。同時に会いたいと手紙に書かれていた事が嘘だとは思っていない。今まで頑なにルーファスを拒絶してきたミズリへの意趣返しだとも思っていない。ルーファスはそんな事をするような人ではない事をミズリは知っている。
―――聖女と守護者は惹かれ合う。
ミズリの頭の中でこの言葉がずっと浮かんでいる。
感情はどこか遠くにあって、他人事のようだった。だから喚き散らさずに済んでいるのかもしれない。
対面を終えてアリサはどこか夢見心地だった。いつもは凛とした大人の女性が目元を染め潤んだ瞳をキラキラと輝かせていると少女のようで、こんなにもはっきりと無防備な姿は今まで見た事がない。
寝支度を整えた今も興奮が抜けきれない様子だ。
「凄く緊張したよ。王子様、凄く素敵で吃驚しちゃった。本当に十九歳?」
「はい」
お茶の用意をしながら、ミズリは細心の注意を払い声を発した。興奮気味のアリサはミズリの様子に気付かない。
「五歳も年下なんだよね、しかも十代。自分が情けない、すごくドキドキしちゃったなぁ」
ミズリには計り知れない理由でアリサが凄い勢いで落ち込みだした。その様子は可愛いらしく、アリサの本当の素顔なのかもしれない。ルーファスが引き出したのだ。きっとルーファスにしか引き出せないアリサだ。
(ルーファス………)
ミズリはアリサには聞こえない微かな声で呟いた。昼間のルーファスを思い浮かべる。アリサの言う通り堂々とした素敵な王子だった。
何かが口を付いて出そうになってミズリはぎゅっと口元を引き締めた。一瞬浮かびあがりかけた感情が遠のいてわからなくなる。
気が付けばミズリは滑らかに話出した。
「五歳の年の差は何も珍しくはありませんし、十六で成人ですから殿下は立派な大人です。成人すればこの国では十代である事を気になさる程では」
年の差を気にするのは相手に好意があるからだ。アリサは少し期待するようにミズリを見た。
「そ、そうなの?」
身近な例をミズリは思い浮かべた。
「はい。先々代の聖女様は、王妃様のお母様つまり殿下の祖母にあたりますが、伴侶となった守護者の方は年下で七歳差であったと思いますが」
「伴侶っ?そっ、そんなつもりで言ったんじゃないのよ?王太子殿下に恐れ多いよ………」
アリサは頬を赤くして慌てる。お茶が零れそうになってミズリがアリサの手を支えた。
「ありがとう」
そう言って、屈託なくアリサが笑うとミズリの胸がぎゅっと締め付けられた。
ミズリはアリサのために全身全霊をかけると誓った。アリサは絶対に幸せにならなければいけない。
アリサの手から茶器を抜き取ってそっとテーブルに戻した。
「アリサ様には聖女と守護者の関係を詳しくお話していませんでしたね」
「えっと、守護者の能力は王族に引き継がれていて、守護者は聖女をサポートしてくれるのよね?」
ミズリは頷く。
本来聖女は幼少期に選出されるが、アリサは成人している。異界から召喚された事もあり、どこまで従来の聖女に当て嵌めることが出来るのか未知数だった。アリサにも守護者が現れるのか、これ程神力が突出しているアリサに守護者が必要なのかもわかっていなかった。また、恋人と強制的に引き離されたアリサの事を慮って聖女と守護者の関係を正しく伝えるのは控えていた。
「生涯に渡り公私共に聖女をサポートする者だけを守護者と呼びます。守護者はどのように選定されると思われますか?」
「聖女と同じで神様が選定するのではないの?」
「いいえ、神は守護者を選定しないのです。選定を必要としないのです。聖女と守護者は惹かれ合う、運命の一対だからです」
「惹かれ合う?」
アリサが少しばかり怪訝そうに呟いたのは仕方がない事だろう。この常識は異世界から来たアリサには胡散臭く思われるだろう。連綿と続いてきた聖女と守護者の在り方と、それに守られて生きて来た者との違い。
ミズリはルーファスとの出会いを覚えていない。物心つく前に守護者と出会った聖女は大抵の場合そうである。守護者に選ばれる明確な基準は設けられていないと聞いている。裏をかえせば、それだけ明確な基準を必要としなかったからだ。
出会えばわかる。一見乱暴であまりに曖昧な、揺るぎのない真実。
本当の事だった。今日の二人を見ていれば一目瞭然ではないか。
ミズリが思い悩む必要など初めからなかったのだ。
「聖女と守護者が結婚するのは、義務みたいなものなのではないの?聖女をサポートするための効率のいい制度なのだと思っていたけど」
「逆なのです。二人が強く惹かれ合うからこそ婚姻という制度になったのだと思います。現に神殿は聖女以外の神官の婚姻は認めていませんし。」
「結婚をしなかった聖女や守護者以外の者に惹かれたりは?」
「わたしの知る限りでは一人も。聖女と守護者は魂から惹かれ合うのではないかと言われています」
「魂かあ……、大袈裟すぎて分かり難いけど、相性がいいって事かな?相性が悪い人とそうでない人ってなんとなく分かる気がするのだけど。守護者はもの凄く飛びぬけて相性がいいって事かな」
「そういう事なのだと思います。過去の聖女達の日記や記録は神殿に保管されていますが、深く愛し合っているのが良く分かるものばかりですから。聖女と守護者との愛は特に若い娘たちの憧れでもありますね」
「成程、運命の二人なんてロマンス小説の題材になりそうだわ」
感心したように言うアリサは自分がその当事者にあたる事を意識していないようだ。アリサにとってはまだこの世界は身に迫るものではないのだろう。
アリサがミズリを伺う。
「どうかされましたか?」
「あのね、これは聞いてもいい事なのかな?」
「どうぞ」
何度か逡巡した後にアリサが口を開いた。
「ミズリの、ミズリの守護者はどうしているの?」
ミズリの心臓が跳ねた。咄嗟の動揺をアリサはどう感じただろうか。ミズリの様子を見てアリサが慌てて言い足す。
「ごめんなさいっ。言い難いなら無理に言わなくていいの」
以前ミズリが自分の事を「出来損ないの聖女」と称した事でアリサはミズリに聖女の事を聞くのを遠慮している事を知っている。
守護者と聖女の関係を説明すれば、手短な聖女と守護者に興味を持つのは普通の事だ。ミズリの中では想定の範囲であった筈が事態は変わってしまった。
ルーファスはミズリの守護者ではなかった。ルーファスの運命はミズリではなく。
「どうやらわたしは、今までの聖女とは異なるようでした。力の喪失もそうですが………」
小賢しく明言を避け、目を伏せ言葉を濁せば、アリサは想像を膨らませてミズリの意を汲んでくれる。
「ごめん、嫌なことを言わせてしまって………」
アリサはお人好しだ。ミズリの気持ちなど気にする必要などないのに、余計な罪悪感を抱え込む優しい人だ。この国を背負わせてしまうアリサにはこれ以上余計な荷を持って欲しくない。
(だから、これは正しい事なの)
ミズリの判断を不誠実と詰る者はいるかもしれない。でもいいのだ。ミズリは聖女ではなくなるのだから清廉潔白でなくてもいい。
伏せた顔を上げて、心配そうにミズリを伺うアリサに微笑む。
「守護者の能力は王族の血筋に受け継がれています。聖女が誕生した時には数名の守護者候補がいるのが普通なのです」
ミズリがそれた話題を戻した事で気まずい空気を払拭する。アリサは少しほっとしたようで居住まいを正す。
「ところで、殿下との面会時にもう一方いらっしゃったのを覚えておられますか?」
「え?確か、護衛騎士っぽい人だったかなぁ」
アリサは記憶を呼び起こすように宙を見て、自信がない様子で呟いた。
「どう思われました?」
「護衛の人を?」
質問の意図が見えなくてアリサは首を傾げた。
「彼の印象を聞かせて頂ければいいのです」
「印象っていわれても……ごめん、あんまり覚えてないです………」
王子との面会だけで精一杯で他を意識する余裕はアリサにはなかった。会話自体もほぼ王子としか交わしていなかった事に気が付いた。辛うじて、王子の金髪とは対照的に銀髪だったというくらいの印象しかない。
「うわあ、私って凄く失礼な子だわ………」
あの場にはアリサを含めた五人がいた。それなのに二人で会話をしていたとなると、
酷いマナー違反ではないだろうか。社会人にもなってと、頭を抱えたくなる。
「彼は、バージル様は公爵家の一員で王族に名を連ねています。守護者の能力を有しアリサ様と年も近い、守護者候補です」
「私の!?」
アリサは純粋に驚いていたが、すぐに困惑を滲ませた。
「………申し訳ないけど、全然ピンとこない」
「バージル様は一見近寄り難い雰囲気ですが、情が深く気さくな方ですよ。この国ではあまりない美しい銀髪も端正なお顔立ちも女性には大変人気なのだそうです」
「そうなの?」
ミズリには申し訳ないが、アリサは気のない返事しか返せない。冷めてしまったお茶に手を伸ばす。
「殿下も守護者候補です」
茶器が大きな音を立てた。中身はあまり残っていなかったので零れた量は大したことはない。
「ご、ごめん」
アリサの顔は真っ赤だ。お茶を零してしまった失態に対するものではないだろう。
「殿下は歴代最強と謳われる程とても強い能力保持者です。アリサ様の一対として相応しい能力だと思います」
今や、アリサは顔と言わず体中真っ赤に染めている。口の開閉を繰り返し何も言えずに押し黙る。
ミズリは真っ直ぐにアリサを見据えた。一言一言を噛み締めるように、言い聞かせるように口にした。
「わたしには、お二人が強く惹かれ合っているように見えました。殿下は、間違いなくアリサ様の運命です」
「運命?私の?」
羞恥のためか、抱えきれない感情の昂ぶりからか黒曜石の瞳が潤んで、女性のミズリでもドキリとする艶めかしい表情をアリサは浮かべた。
「ど、どうしょう………、何だか混乱して………王子様にも選ぶ権利がっ。それに今は恋とか愛とか考える余裕なんてないよ!?それに私は異世界人だし」
アリサはしどろもどろになりながら、目を白黒させている。
「お医者様方も言っておられましたが、アリサ様はわたし達と変わらない存在ですよ。異世界人かは問題ではありません。どうか、囚われ過ぎないで下さい。ご自身の気持ちに素直でいて下さればいいのです。運命などと大袈裟に言いましたが、愛せるか愛せないかは別にしても守護者は聖女のこの上ない味方ですから」
「そっかぁ。味方なら有難いね」
「はい」
アリサの傍らで、ミズリにとっては当たり前にあった“運命の一対”その重さを、意味を失くした今になって激しい苦痛を伴って初めて意識していた。
どこか遠くで誰かの嘲笑う声を聞いた。それはミズリ自身だったのかもしれない。
何を奪われても、何を犠牲にしてもかまわない。そう願ったのはミズリだった。苦悶も苦鳴もあげる資格はミズリにはない。
神は願いを叶えてくれただけだ。アリサという光をこの国に授けてくれた。掛け替えのない唯一無二の光を。
女神のように慈悲深く死神のように残酷で、覆る事のない圧倒的な運命を前にミズリは地に頭を垂れて、ただひれ伏すしかない。
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