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ミズリはルーファスに抱き着かないだけで何が変わるとは思っていなかった。8年積み重ねて来た二人の日常や関係性が揺らぐとは思ってもいなかったのだが、ルーファスの傍に居るのに落ち着かない。それはきっとルーファスのせいだ。
抱き着き禁止令が出でからルーファスの態度が目に見えて余所余所しい。何故かミズリから距離を取りたがる。不意にミズリが近づくと身構えるし直に視線を反らしてしまう。ミズリが拗ねれば困った顔をするくせに。
神官に相談してみると「そういう時期なのですよ、温かく見守ってあげましょう」と言われた。同年代の子供と接する機会のあまりないミズリには何が「そういう時期」なのかわからないが、神官達の態度からこれは一過性のもので長くは続かないのだと思っていた。
無意識に溜息が出てしまう。
ルーファスはスケッチブックを抱えて少し離れた処からミズリを観察している。絵を描くのはルーファスの趣味だ。本人の申告通り絵の才能はないが、昔から時間があればミズリをモデルにして熱心に描いている。
よく飽きないものだと思う。幼い頃に一度子供の無邪気さで「こんなのミズリじゃない」と言った事があった。それ以降ルーファスは意地になったのか、ミズリしか描かなくなった。
今のルーファスにミズリはどんな風に見えているのだろう。ミズリは幼いルーファスが描いたミズリしか知らない。思い出して小さな笑みを零す。
(あれは仕方がないと思う。だって、人間の形をしてなかったし)
ルーファスは納得いくものが描けるまでミズリには見せないと言った。ミズリが死ぬまでには見せてくれるのか。それともルーファスが納得するよりもミズリをモデルにするのを飽きる方が早いかもしれないと思うと少し苦しくなる。
ずっと描き続けるにはミズリはとても平凡だ。何処にでもいる栗色の髪に、珍しくもない若草色の瞳。鼻の辺りには邪魔な雀斑まである。ちっとも綺麗じゃない。
ミズリをモデルにするくらいならルーファス自身をモデルする方が余程良いのではないかと思う。光を受けて輝く金髪も神秘的な青紫色の瞳も端正な顔立ちも絵になる。
(おまけに、本物の王子様だもの………)
若い神官が騒いでいたのを思い出した。
今までは自分やルーファスの容姿がどうだとか他人がどう思っているのかなど考えもしなかった。そんな事を気にする自分が情けなくて恥ずかしい。
ルーファスはミズリと目が会うとスケッチブックでさっと顔を隠す。なんてあからさまなのか。
ルーファスは情けないミズリに気が付いているのだろうか。呆れているのだろうか。だから距離をとりたがる?
ミズリなりに原因を考えている。ルーファス側の問題なのかミズリ側の問題なのか。ルーファス側ならミズリにはさっぱりだが、自分に原因があるのなら治したいと思うのだ。
態度が悪かった?何か傷つけるような事を言った?
思い出す限りではルーファスは怒ったり悲しんだりはしていない。
家族のようなルーファス。ミズリはいつだってルーファスの前では自由で自分を偽らなかった。ルーファスは違ったのだろうか。
ミズリが気付いていない事、わかっていない事があるのだろうか。
ルーファスとの関係に思い悩む中で、それは小さな違和感だった。
祈りを終えた後外に出た時、日が随分と陰っていた。ミズリの感覚では日はもう少し高い位置にあるものと思っていたのだ。
祈りの場は神聖樹の内部にある。亜空間と言えばいいのか、この場所だけは聖女しか入れない聖域で守護者も例外ではない。内部に入ってしまえば時間感覚は失われてしまう。必要なだけ神聖樹に力を灌ぎこめばいつの間にか外に出ている。
今日はミズリの想定よりも長く内部にいたように思う。いつも同じだけの力の量が必要なわけではないが、経験上なんとなくわかるものなのだ。
ミズリは首を傾げながらも、こういう日もあるのかもしれないとその日は思うだけで終わった。
ミズリの想定とのずれはその後も続いた。小さな違和感は無視出来ない程膨れ上がり、想定時間と実際の時間を比較してメモをとるようになった。
おおよそのズレは約1時間。これを誤差範囲ととっていいのかが問題だった。聖女の事は誰に聞いてもわからない。聖女は同じ時代に2人は現れないからだ。楽観視出来なくて半年程メモを取り続けた。それはある傾向をはっきりと示していた。時間が少しずつではあるが伸びているのだ。
その結果がどういう結論に結びつくのかミズリは考えた。考えて愕然とする。
(力が弱くなっている………?)
器を神聖樹で水をミズリに例えるなら、10個の器を水で満たすのに1時間ですんでいたのが2時間かかるようになったのならそれは水の勢いが弱まったからだ。
そんな事があり得るのだろうか?
聖女の力が不安定になる事はある。例えば聖女がまだ幼い時。でもそれは守護者がいれば解決する。仕組みは解明されていないが守護者は聖女の力を安定させる事が出来るのだ。祈りの後の疲労を回復させるだけはなく、守護者はあらゆる意味で聖女をサポートする立場にある。
ミズリにはルーファスがいる。ルーファスは歴代守護者の中でも強い能力を有し、これ程守護者として相応しい者はいない。そのルーファスを守護者に持ちながらミズリの能力が不安定になるなどあり得るだろうか。
それともどこか噛み合わない二人の関係が力を不安定にさせている?
(どうしよう、どうすればいいの?)
成人して最近のルーファスは本当に忙しそうだった。守護者としての役割は果たしてくれるが、以前のように何気なく過ごす二人の時間は減っている。こんな事をみだりに相談してもいいものだろうか。間違いかもしれないのだ。
(そうよ、間違いかもしれないもの。まずは自分で調べなくては)
ミズリは神殿のあらゆる文献を調べた。聖女に関係する本や聖女の手記、神に関する文献や国の成り立ちや歴史、一見関係のなさそうな本も全て。その傍ら記録を取り続けるのも忘れない。
何度見ても月日の経過と共に時間は伸びていく。止まらないのだ。確実にミズリの力は弱まっている。
どの文献を探しても守護者を得て力が強まる者はいても弱まる聖女はいない。
日々弱まっていく力にミズリは戦慄した。
このまま力を失えばどうなるのだろうと眠れない頭で考える。力を失えばミズリは聖女ではなくなる。聖女は死ぬまで聖女であり続けるのに、この国始まって以来の力を失くした聖女になるのだ。
聖女でなくなれば、ルーファスはどうなるのだろう。守護者ではなくなるのだろうか。守護者でなくなれば彼は王子だ。ルーファスは将来この国の王になる者でミズリはただの平民だ。
(結婚なんてあり得ない………)
王族の婚姻に貴賤結婚は許されていない。守護者の能力は王族の血族のみに受け継がれるため、王族はそれを守る義務を負う。血を薄める事はこの国の成り立ちを危険に晒す。ミズリがせめて貴族であったなら希望はあったかもしれない。
怖くてたまらない。
物心つく頃には既に聖女だった。聖女以外の生き方を知らない。聖女でなくなればミズリの価値はなくなる。そして、ルーファスを失う。すべてを。
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