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 聖女はこの国、ファストリアを守護する神聖樹に力を灌ぐ事が出来る唯一無二の存在である。


 この国、ファストリアの起源は氷と雪に閉ざされた永久凍土の大地に神が一本の木を植えた事から始まる。生命が凍結し死に絶える大地に神の力を浴びて木は大地を貫き、地中深く潜り広大な範囲に根を張った。神の力が注がれた木の幹は黄金に輝き青々とした若葉を湛えた。全てを凍らせる寒風も全てを覆いつくす雪も木の及ぶ範囲にはその威力は届かない。


 やがて、木の根が張り廻った大地に植物が芽吹き、森になり川を作り、動物達が憩う楽園が誕生した。その楽園に住まうのは神に選ばれし種。善良なるもの、儚いもの、尊いもの、あらゆる美しいもの。


 神はこの結果に大いに満足した。だが木は神の力を灌がねば枯れてしまう。そこで神に代わり力を灌ぐ乙女を一人選出した。最も清廉とした魂を持ち、神の巨大な力を宿しても穢れぬ唯一人の乙女。そして乙女とは別にこの国を統べ乙女を守護する者を選び、この国をファストリアとした。

 聖女と守護者、この二人により国は永く存続し、神聖樹は今も枯れる事無くこの国の中心に存在している。






 ミズリが聖女に選定されたのは四歳の頃だった。聖女に選定されれば俗世から切り離されるのが慣例だ。ミズリの元の出自は平民に過ぎないが王族貴族であっても例外ではなく、家族とも切り離されてそれ以降を神殿で育つ。これまでの聖女と同様に、この美しく穏やかで規則正しい箱庭が彼女の世界になった。


 神殿という閉ざされた特殊な世界で生きていても8年もの年月が流れれば、自分が世間一般の常識やら機微に疎いのは何となく理解していた。けれども、それはミズリのせいではない。世間一般を知らないのは環境のせいであるし、ミズリが納得出来るような説明がないせいでもある。


 だから、これは我儘とは違うのだとミズリは思っている。

 若草色の瑞々しい瞳に不満を滲ませ、丸みの残る頬を膨らませてミズリは分かり易く拗ねていた。十二歳という年齢の割に幼い仕草が出てしまうのは気心の知れた相手だからだ。

 彼女の前にはこの国の王子でありミズリの婚約者でもある金髪に青紫の瞳をした少年、ルーファスが眉を下げて困った顔をしてミズリを見ている。


 ルーファスはミズリの守護者だ。ミズリが聖女になった時にルーファスもまた守護者に選ばれた。守護者の選定にはどのような意思思惑も入り込む余地はなく、ルーファスが守護者になったのは身分や能力の優劣ではない。


 ファストリアの王族男子は神力とは別の、聖女を守護する特殊な力が代々受け継がれている。その中で聖女と特に強く惹かれ合い伴侶となる者を守護者と呼ぶ。

 確固たる神力を宿す聖女と違って守護者選定は酷く曖昧に思えるが、聖女と守護者は唯一無二の運命の相手だと言われ、出会えば必ずわかるものなのである。本能と呼ぶべきものか、己の右手と左手を間違わないように、聖女と守護者はぴたりと重なり合う一対なのだ。


 出会えばわかる。その言葉の実感を当代も知る事となった。

 ミズリとルーファスとの出会いは歴代の聖女と守護者の中でも特に運命的であったと、今だに神官達の間で語られている。


 聖女と守護者は引き離される事はなく、二人は共に育つ。ルーファスが王家唯一の男児であり王太子という身分であるため四六時中一緒というわけにはいかないが、家族を持たないミズリにとってルーファスは守護者という特別な存在であるより前に家族だ。神官達はミズリを大切にしてくれるが、崇拝の対象である。幼心に神官達からの距離を感じているミズリにとって家族は掛け替えのないものだった。ルーファスだけがミズリ自身を見てくれる、本当に甘えられる存在なのだ。


 それなのに、昨日まで許されていたのに今日からは駄目だと言う。駄目な理由もはっきりしない理不尽な要求。これはミズリの世間からのズレが問題であるわけでは無い筈だ。




「もういい!」

 投げ遣りに叫ぶとミズリはとうとう癇癪を起した。ルーファスから顔を背けると目の前の巨木、神聖樹に足をかけ登り始めた。


 ここは神聖樹が認めた限られた人間しか入る事が叶わない禁域。神聖樹に登る不敬を咎める人間はいない。慣れたもので、あっという間にルーファスの手の届かない上まで登る。神聖樹がミズリを落としたりしないのを知っているので、ミズリもルーファスも恐怖心はない。

 

「ミズリ」

 下から弱ったようなルーファスの声が聞こえるが無視をする。腹立たしいというよりも哀しくなる。もう少しだけ上を目指す。サワサワと枝が揺れる。

「ミズリ、降りて来て。まだ癒しを行ってない。だるいだろ?」


 神聖樹に力を灌ぐ行為を祈りといい、祈りの後は体力を消耗するのだ。守護者は聖女を癒し回復させる。

 神聖樹に抱き着きながら下をちらりと見下ろす。木漏れ日が当たってルーファの金髪がキラキラと輝いている。片手をミズリに伸ばして、少し眉根を寄せている。思わず手を取りたくなる姿だ。

「………じゃ、抱っこしてくれる?」

「………」

 沈黙が答えだ。これがミズリの癇癪の原因である。ミズリはルーファスから顔を背けた。

「じゃ、いい。別に癒してくれなくても、時間が経てば回復するもの」

 そう言いながらも、なんだか泣きそうだ。


 小さな頃からルーファスに抱きついていた。ルーファスが来たら飛び付くのがミズリの常態だ。受け止めきれずルーファスが倒れるのも多々あって、倒れた際にルーファスの頭が凄い音を立ててもルーファスは怒らなかった。体が大きくなるにつれ飛び付くのは遠慮するようになったが、祈りが終わった後は抱っこしてミズリを癒してくれていた。それを急に拒絶されたのだ。


 酷いと思う。ルーファスが抱き締めてくれないと誰もミズリを抱き締めてくれないのに。


「ミズリ」

 希う声だ。ミズリを心配してもいる。ここで折れたらミズリの負けだ。

「ミズリ」


 柔らかく名を呼んでくれるルーファスの声が好きだ。この声を聞くと我を通すのが難しい。思いとは裏腹にルーファスの近くまで降りて来てしまった。ルーファスの安堵した顔が癪で木から飛び降りた。


「うわっ」

 ルーファスは慌てて両手を広げた。受け止めきれず倒れそうになるがルーファスは何とか耐えた。ミズリはルーファスの首に縋りつく。

「無茶をするっ」

 一瞬だけミズリを抱く腕に力が篭ると直に引き剥がそうとするから両腕に力を入れて余計に密着すると乱暴に引き離された。ショックだった。今まで有無を言わさないような扱いをルーファスにされた事はない。掴まれた肩が痛い。ルーファスの腕の分だけ離れた距離が。


 ミズリが呆然としているとルーファスは絶妙に顔を反らしながら素早くミズリの手を握った。

「こっち」


 手を引かれて神聖樹の根元に二人で座り込む。ルーファスはミズリを見ない。視界がぼやけてミズリは立てた膝に顔を埋めた。

 握り合った手からルーファスの心地の良い力が流れ込んでくる。いつの間にか大きくなったルーファスの手。今やすっぽりとミズリの手を覆ってしまう。手だけではなく体も大きくなった。もう直ぐ16歳を迎えるルーファスは急に大人びてきている。そんな変化もずっと傍にいると気付かずにいた。


 息が詰まるような胸を締め付けるような心地がして、口を開けなかった。

 暫く沈黙が続いた。


「その、実験をしようと思ってね」

 ルーファスが恐る恐る話出すが、ミズリは顔をあげない。

「力の譲渡の効率が接触面積にどの程度影響するかとか、離れても可能かどうか、どの程度離れても大丈夫か、データを取って分析しようかなって」

「………よく、わからない」

「つまり、もうすぐ僕も成人して忙しくなるから、少しでも効率のいい方法を」

「“僕”って言った」

「うっ」 

 顔だけ傾けて上目遣いでルーファスを見た。ルーファスの頬がうっすらと赤く染まる。


 ルーファスは成人を機に一人称を“僕”から“私”に変更すべく悪戦苦闘中なのだ。“僕”と言う度ミズリにルーファスのおやつを一つ差し出すペナルティーを課している。

 じっと見つめているとルーファスは反対を向いてしまった。


「つまり、暫く抱き着くのは禁止!」

「……」


 ルーファスが忙しいのは本当だろう。行く行くは王になる身だ。守護者でもあるため執務の半分を片腕たるバージルが担うとしても。一方、ミズリは王妃だが、こちらは名目上と言う事になるだろう。きっとミズリにはわからない負担があるのだろう。


 握った手に力を籠めるとルーファスはピクリと反応した。話している最中もルーファスの力はミズリに灌がれている。微睡みたくなる程に温かく心地いいが、抱き締めてくれる時のルーファスの体温や匂い、心臓の鼓動が何よりもミズリを癒してくれるのだ。ただの力の譲渡だけでは物足りない、そういう気持ちをルーファスはわかっていない。


(抱き着くのが駄目………なら、今度は手を握るのも駄目になるのかな?)

 つまりは、そういう話ではないのか。ルーファスの負担を減らすなら、それこそルーファスが王宮にいてミズリが神殿にいる状態での力の譲渡が望ましいだろう。

 ルーファスはそれでも平気なのだろうか。考えるまでもなくミズリは嫌だと思った。思ったが言葉には出来なかった。言葉にするのは酷く恥ずかしい気がしたし、ルーファスに平気だと言われるもの諭されるのも嫌だ。


 ミズリの反応を気にしてチラチラとルーファスがミズリの方を伺う。いつもより少しだけ顔色が悪く疲れて見える。神殿だけで過ごすミズリと違いルーファスは王宮と神殿の行き来もある。ルーファスはミズリを癒してくれるが、ミズリにはルーファスを癒す事は出来ない。

 ルーファスがそうしたいなら仕方がないのだろうか。もどかしく思ってもミズリがルーファスに出来る事はこんな事しかない。


 だけど、直に納得するのは不本意だ。ミズリは顔をあげて、ちょっとだけ意地悪く微笑んだ。

「今日のおやつはプリンだよ。ルーファスの分はわたしがもらうからね」


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