第13話
目を覚ますと、体調はずいぶんと楽になっていた。
ただ、眠りすぎた身体のだるさが抜けない。昨日、バイトから帰って殆ど寝ていたのだから仕方ないとも思う。
上体を起こすと、腹の上にパサりと何かが落ちた。
濡れたタオルだった。
「おはよう、お兄ちゃん」
ベッドの隣で優しげにメリーが声をかけてきた。
また看病をしていたのかと思うと、少し申し訳なさを感じる。
それに、昨日のことを思い出すと少し照れ臭かった。
「おはよう」
「具合、大丈夫?」
「あぁ、熱も下がったと思うし、かなり楽になったよ。ありがとな」
そう言うとメリーがご満悦そうに顔を綻ばせる。
その様子は純粋に可愛らしいなと思った。
「お熱計らなくて平気?」
「こういったときはな、熱を計らない方がいいんだよ」
「どうして? まだお熱あったら大変だよ?」
「思ったより熱が出てないと、そんな程度でダウンしてた自分が情けなく感じてへこむし、思った通り熱が出てるとまだそんなにあるのかよって余計体調悪くなるからな」
「ふーん、よく分からないけどそうなんだね」
メリーが不思議そうに小首を傾げる。
ただ、俺の体調が良くなっていることで安心したのか、その表情はどこかホッとしたものだった。
それから俺たちは飯を買いに行き、二人で遅めの朝食、というか昼食を取った。
お互いに昨日の昼からまともに食べてなかったせいか、寝起きだというのに結構ガッツリ食べてしまった。
そのまま風呂に入り汗を流すと、かなり頭がすっきりしたように感じる。
風呂から出ると、メリーはテレビを見ていた。
テレビに映る電飾に彩られた都心の街並みは華やかで、昼間だというのに人が溢れていた。
そういえば、メリーのことや風邪ですっかり忘れていたが、明日はクリスマスか。
「都会はやっぱり違うな」
「え? ここも都会じゃないの?」
「テレビ見れば分かるだろ。本当の都会っていうのはそういうのを言うんだ」
「そっかぁ。私がいたところはもっと何もなかったから、お兄ちゃんは都会に住んでるんだなって思ってた」
「まぁ確かに田舎の方よりはマシかもな」
都会ねぇ。
大学を出たら都内に就職しようとは漠然と考えているけど、賑やかなあの地域に住むだなんて、今はまだ想像も付かないな。
そのためにはまずは単位か。
俺はやるべき課題を思い出してノートパソコンを開いた。
すると、こたつと俺の間にメリーが割り込んでくる。
「おい、これから大学のレポートやるだけだぞ。テレビでも見てろよ」
「いいの。見てるだけでなんとなく楽しいもん」
俺の膝の上を陣取ったメリーはそう言って動こうとしない。
こうなったら何を言っても無駄なので、俺はそのまま課題を進めた。
とはいえ、レポート作成がいくつかある程度でそこまで切迫してるわけでもなく、参考にネットを見たり脱線しながらダラダラと進めていく。
ふと付けたままのテレビに目を移すと、何かのイベントでサンタがプレゼントを配っていた。
それを見て何気なくメリーに訊ねてみる。
「そういえばお前、さすがにサンタのことは知ってるよな?」
「それぐらい知ってるよ! お父さんが正体なんでしょ?」
顔のすぐ下でメリーが振り返りながら、少し得意げに答える。
いくらこいつと言えど、どうやらその程度のことは分かっているらしい。
ただ、その自慢げな顔を見たら試しにちょっとからかってみたくなった。
「あぁ、そういえばお前んちは裕福だったし、サンタ制度は使ってなかったんだな」
「……サンタ制度? ってなに?」
メリーがキョトンとした顔で聞き返す。
その顔を見て、俺はさらにいたずら心が芽生えてしまった。
「子供にプレゼントを買えない貧しい家のための制度だよ。一定条件を満たした家庭が申請すると、本物のサンタが派遣されてくるんだ」
「う、嘘だよ! 本物のサンタさんはいないって皆言ってたもん!」
「そりゃ子供に姿を見られたらあいつら死ぬからな。必死に隠すだろ」
「えぇ!? なんで!?」
メリーの表情が驚愕に染まる。
俺は淡々とした調子で当たり前のように続けた。
「極秘事項だからだ。子供に姿さえ見られなければいくらでも言い訳付くだろ? 子供にとって、いるかいないか分からない、そう思わせるのが重要なんだ」
「な、なんで死んじゃうの?」
「説明すると面倒なんだけど、サンタってのは元々、アイルランド地方の魔女がモデルになっててな、大元はあんな爺さんじゃなくてトナカイを使い魔にした若い魔女だったんだよ。それで、そいつがクリスマスに親のいない子供たちに、魔法でご馳走を振る舞ってやったり、プレゼントを渡したのが始まりって言われてる」
「そ、そうなの!?」
当然何から何まで全部嘘だ。
こいつびっくりするぐらい単純だな。
「あぁ、それで色んな地域の魔女が同じことをするようになってな、クリスマスに子供にプレゼントが渡すってのが風習になっていったんだ。ただ、クリスマスってキリストの誕生祭なんだけど、本来キリスト教と魔女って仲悪いのよ」
「なんで? だってその魔女さんたちはクリスマスだから子供たちにプレゼント届けたんでしょ?」
「仲が悪いっていうか、キリスト教が魔女は悪いものって決め付けてたんだ。プレゼントも子供をたぶらかすためとか、キリスト教の社会階級への背信だとか、色々と弾圧対象になったし、子供たちも異教徒の疑いをかけられたんだ。だからいつからか、魔女たちは子供の前には姿を見せなくなって、プレゼントも魔女ではなく違う者として送ることにしたんだ」
「それがサンタさん?」
「そうそう」
最初は懐疑的だったメリーの表情が、どんどん真剣なものになっていく。
俺は面白いのでもう少し続けることにした。
「でもそれだと、見られないようにするのは分かるけど、死んじゃうことにはならないよね?」
「その後も色々あったからな。サンタクロースの文化が浸透して確立した以上、社会的には事実がばれるとまずいだろ? なにせ子供に夢を与える存在が、実は魔女でしたってなると都合が悪いわけよ」
「どうして?」
「さっきも言ったとおり、キリスト教は魔女が悪いものって決めつけてて、魔女狩りなんてのもやってたのさ。それで、捕まえた魔女を裁判にかけて処刑したりしてたからな」
「そ、そんな……」
メリーは余程ショックだったのか、一際悲しそうな表情を見せた。
俺の膝の上で視線を下げてシュンとした様子で口ごもる。
ちょっと方向性がまずいから軌道修正することにした。このままじゃ夢もへったくれもない。
「ただ、実はその処刑されたっていう魔女は死んでなくて、皆サンタとして働かされてたんだよ。罪人って扱いだったけど、魔女の有効利用っていうか、社会奉仕させることで共存することになったんだ。だから、その名残りでサンタは人に見付かると死ぬ呪いがかかってるんだよ」
「でも、良いことしてるのに、悪い人扱いして無理やり働かせるなんてひどいよ……」
……確かに。どう考えてもただの奴隷だ。
しかも見付かったら死ぬ呪いとか鬼畜すぎる。
ここに来て、最初に適当に言った設定が重荷になってきた。
「そ、それがだな、後々魔女の人権を守ろうって動きがあって、今ではサンタは志願制になってるんだ。それに魔女にとっては人気の高い就職先でな、一部のエリートしかなれないんだぞ」
「でも見つかると、死んじゃうのは変わらないんでしょ?」
「うっ……」
「なんで自分からそんな危ない仕事しようとするの? 本当はまだ無理やりやらされてるんじゃないの?」
「それはだな、……魔女がサンタの仕事に誇りを持ってるからだ」
誇りって便利な言葉だよな。
あらゆる行動に説得力を持たせる力がある気がする。
「魔女は社会的地位を認められて、その最たるものがサンタなんだ。だから、サンタに選ばれたことや子供たちに夢を与えることに誇りを持ってるし、絶対に姿を見られちゃいけないって覚悟もある。死ぬ呪いも、絶対に失敗しないように自分で課してるようなものなんだよ」
「す、すごいんだね、サンタさんって……」
メリーが心底関心したように呟く。
それは、架空の存在の胸踊るというよりは、職業に対しての尊敬に近かった。
想定と違った路線を走ってる気がするがもはや引き返しようがないな。
「でもそれじゃあサンタさんって普段は魔女さんなの?」
「休日はな。まぁ魔女って言っても男もいるけど」
「そうなの?」
「さっき言った魔女狩りっていうので男も捕まえられてたぐらいだし、ただの種族名みたいなもんだよ」
これに関しては嘘は言ってない。
女って付いてるのは昔ながらの男尊女卑の感覚で、悪い存在は女だとか、そんな感じで付いたんだろうか。
まぁ日本語での話だけど、魔男じゃ語呂も悪いしな。
「へー。でも、休日はって、クリスマス以外は全部お休みじゃないの?」
「馬鹿言うなよ、サンタって激務なんだぞ。あいつら基本は週六で仕事だからな。長期休みなんてクリスマスの翌日から一月の頭までしかないし」
「が、学校より多いんだね。でもクリスマスじゃない日って何のお仕事してるの?」
「サンタにとっては毎日がクリスマスだよ。考えても見ろ。そんな少ない人数で世界中の子供に一日でプレゼント届けられると思うか?」
「それは、魔法とかで……」
「そう、その魔法だ。あいつらは魔法で毎日、その年のクリスマス当日に時間移動してんだよ」
「そ、そうなの!?」
「当たり前だろ。一人辺りのノルマが数万件だぞ。しかも子供が寝てから夜が明けるまでのタイムリミット付き。どれだけ早くトナカイで空を飛んでも、一日で届けられる件数は限られてるんだよ」
「でもなんで? そんなに便利な魔法が使えるんだったら、いっぺんにプレゼントだけ飛ばしたりすればいいのに」
「なに言ってんだお前。直接届けなかったら宅急便と変わらないだろ。夢のないやつだな」
「そ、そっか……。そうだよね、ごめんなさい」
夢がないやつと言われ、メリーが訳も分からず謝る。
しかし、訳が分からなくなっているのは話している俺の方も同じだった。
「あいつらが年間にトナカイで移動する距離は、地球五周分とも十周分とも言われてるんだ。すごいだろ?」
「た、大変なお仕事なんだね」
「あぁ、そのうえ子供に見られたら死ぬからな。さっきも言ったとおり、一部の優秀なエリートしかその仕事に就けず、誇りと覚悟を持って、俺らが平日だと思ってる日でも世界中の子供にプレゼントを届けてる。それがサンタって存在なんだ」
「……私、サンタさんのこと全然分かってなかった」
メリーが反省と共に、サンタに敬意を払うように呟いた。
その様子を見て、これ以上質問は飛んで来ないだろうなと俺は胸を撫で下ろす。
やっと話を着地させることが出来た。
しかしどうしたものか。あまりにメリーが簡単に信じるもんだから、つい調子に乗りすぎた。
今更嘘とは言えないし。
「だけど、なんでお兄ちゃんはそんなにサンタさんのこと詳しいの? サンタさんのことって秘密じゃないの? 大人は皆知ってるの?」
「……と、友達がな、ちょうどサンタを目指してて」
「友達!? お兄ちゃんって友達に魔女の人がいるの!?」
「あ……」
やべ、油断した。
もう話が終わったかと思って気が緩んでしまった。
「……いや、そいつは魔女じゃないよ。ただ、自分が史上初の魔女じゃないサンタになるんだって、昔から調べ回ってたんだ」
「へー、その人はサンタさんになれそうなの?」
「残念ながら難しいだろうな。だってまず、トナカイ持ってないし」
「そうだよね、トナカイさん飼うのは大変だよね」
「あぁ、昔と違ってワシントン条約にも引っかかりそうだしな」
なんなんだこの会話。あまりに間の抜けた内容に笑いが込み上げてきてしまった。
素直すぎるだろこいつ。
「それで、お前は? やっぱりサンタに来てもらいたいか?」
「うーん……」
二つ返事で来て欲しいと答えると思ったが、メリーはそのまま考え込んでしまった。
こいつは両親もいないし、間違いなく先ほどのサンタであればプレゼントを届ける対象に当てはまるはずだ。
いい歳して少し恥ずかしくもあるが、メリーが喜ぶならサンタに扮するのも悪くないと思う。さすがにすぐバレるだろうけど。
でもそこで先ほどのホラ話もネタを明かせば、和やかに収拾を付けられる気もする。
「私は、いいや」
「なんでだ? プレゼント欲しくないのか?」
「欲しいものって分からないし、サンタさん大変そうだし」
メリーの返答は意外なものだった。
サンタのハードルを上げすぎたかと後悔すら覚える。
ただ、遠慮だけが理由でないと、次の言葉で分かった。
「それに、私にはお兄ちゃんがいるから」
「……? 俺じゃ代わりにはならないだろ?」
「ううん。だってサンタさんって、寂しい思いしてる子のところに来るんでしょ? だから、私はいいんだ」
なんで、「だから、私はいいんだ」になるのか。
その理由は先に言っていた。
大人には出来ない、好意を欠片も隠そうとしないその無垢な笑顔が眩しかった。
いや、メリー特有かな。俺は子供の頃でも、こんな風に親や友達に笑いかけられなかった気がする。
俺は仏頂面のままメリーの頭をワシャワシャと撫で回した。
「な、なにするのお兄ちゃん!?」
「あ? なんとなくだよ」
「もー、髪の毛ボサボサになっちゃったじゃん」
すると、メリーはこたつの上で手を伸ばして、クシを手に取った。
「はい、ちゃんととかしてね」
「……」
俺は無言で櫛を受け取ると、そのままメリーの髪を梳かし始めた。
数日とはいえ、俺の家に来た直後よりいくらか髪もマシになった気がする。
きっとちゃんと手入れをしていけば、元の綺麗な髪に戻って、髪飾りなんかもよく映えるようになるのだろうなと、そんなことを思った。
いつも通り、「ふへへ」とメリーが笑う。
サンタにはなれないけど、こいつがずっと、サンタが来なくてもいいと思えるようにしてやりたいなと思った。
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