第7話
今日から冬休みに入った学生が多いためか、バイト先ではランチタイムがよく込み合った。
そのため、冬季休暇中は普段のシフトと違い、朝から夕方まで働くことが多い。
駅前で一つしかないファミレスは繁盛しており、昼過ぎだというのにほぼ満席に近い状況だった。
とはいえ、昼食からそのままダラダラと残っている客も多く、見た目ほど忙しいという感じでもなかったけれど。
メリーを一人家に残すことは気がかりではあったが、昼飯と念のため合鍵も置いてきたし問題ないだろう。ああ見えて一応来年度からは中学生なわけだし。
いや、とはいえ、あのメリーだからな。
たかが再会してから二日しか過ごしていないが、メリーの常識のなさは十分痛感している。
もしかするともしかする可能性は十分ある。
ちゃんと説明はしたが、電子レンジに金属類を入れても何らおかしくないような奴だ。
その前に、蜘蛛が出たら家具が破壊されかねない。
仕事をこなしながら、何だかんだと気になってしまう。
少しだけ、子を持つ親の気持ちが分かるような気がした。
そんなことを考えているうちに、来店する客足と反比例するように会計に向かう卓が増え、すっかり店内は落ち着いた雰囲気になっていた。
「お疲れー。休憩行っていいよ」
「あ、はい」
作業も一通り終わり、暇を持て余していたところをチーフが背後から声をかけてきた。
シフト終了まであと三時間か。メリーは大人しくしているだろうか。
バックヤードに入り一息ついていると、今度は厨房担当の人がまかないを持ってきてくれた。
「どしたの? なんか浮かない顔してるね」
「いえ、別にそんなことないですよ」
「ふーん、まぁこれでも食べて元気出しなよ。今日のは自信作よ」
「ども、ありがとうございます」
本日のまかないはかなり凝ったリゾットだった。
この人は割と本気で料理人になりたいらしく、メニューにないものまで普通に作ってくる。
合法的に店の食材を使えるまかないは、彼女の格好の練習の機会となっているらしい。
「あ、これうまいすね」
「そっかそっか。わりとイタリアンも向いてるのかもね」
歳は二つほど離れているけれど、何だか歳の差以上に面倒見が良くて、姉御って感じの人だ。
前に一度「敬語じゃなくていいのに」と促されたのだが、癖付いてしまっていたのでなかなか脱却できていなかった。
ただ、感覚としては友達に近く、休憩中も談笑する程度には仲が良かった。
まぁ、話す内容はもっぱらくだらない雑談ばかりなのだが。
当の本人は昼飯を済ませているのか、俺の感想を聞くと「それじゃねー」と、キッチンへ戻っていってしまった。
「しかし、本当に美味いな」
学生の一人暮らしからすれば、毎度しっかりとしたまかない料理にはありがたみを感じる。
噛みしめるようにスプーンを口に運んでいると、バックヤードへと誰かが入って来た気配がした。
休憩終わりで呼ばれるにはまだ早いが、店が混んで来たんだろうか。
入口の方へと目を移す。すると、見慣れた顔がひょっこりと現れ、俺は思わずスプーンを落とした。
「へー、こうなってるんだ。私メリーさん、いまファミリーレストランにいるの」
「……おい」
なんでお前がここにいる。
「あ、お兄ちゃん!」
メリーがテコテコと駆け寄ってくる。
昨日ゲームセンターに出かけた時と同じ格好だ。
「なんでここにいるんだお前!?」
「お兄ちゃんが働いてるところ見たかったの!」
メリーが元気いっぱいに答える。
これが幼稚園であれば、良く出来ましたと褒めてやるところだが。
「そういうことを聞いてるんじゃねぇよ! どうやって入って来た!?」
「え? お店の周りをグルグル回ってたら、そこの窓からお兄ちゃんが見えたから」
「見えたから?」
「裏口みたいな隣のドアから入ってきました」
「それはな、不法侵入って言うんだよ!」
この店のセキュリティにも問題があるが、こいつの倫理観も問題だ。
両方のほっぺたを摘まみながら叱りつける。
指先から伝わるメリーの頬は柔らかくて、そして妙に温かかった。
「……っ、お前、どうやってここまで来たんだ? 自転車でも20分近くかかるってのに」
「へ? 歩いてだよ?」
「このバカ」
「え、え? な、なんで?」
あそこから、歩幅の小さいメリーが歩いたら、小一時間じゃ効かないだろう。
確かに道はそんなに分かりにくいわけじゃないけど、無茶というか無謀というか。
こんな薄着で、バカかこいつは。
「お前、ちょっと頭出してみろ」
そう言うと、メリーはお辞儀するみたいにチョコンと頭を差し出してきた。
「そうじゃなくて、おでこ出せって」
「ん」
言われるがままに今度は額を差し出す。そのまま額に手を当て、メリーの状態を探る。
思った通りだった。明らかにメリーの身体は熱を帯びていた。
あの家から長時間歩いてきたにしては、頬が冷たくないのはおかしいと思ったのだ。
「お前、やっぱり熱あるだろ」
「え?」
「熱だよ、熱」
「別にこれぐらい、なんでもないよ」
「何でもなくねーよ。確かにそんなに高熱ってわけじゃないけど十分熱いぞ」
「でも、40℃超えない限りは大丈夫なんでしょ?」
「どれだけ体温高いんだ。そんなはずないだろ」
どういう基準なんだ。それともこいつ、爬虫類並に体温が変動するのか? いやいや、流石にあり得ないだろ。
ともかく、このままメリーを一人で帰すわけにはいかない。とはいえ、シフトじゃあと三時間もあるしな。
仕方ない、正直に事情を説明して早退させてもらうしかないか。
「お前、ちょっとここで待ってろよ」
「う、うん」
バックヤードを出て、チーフの元へと向かう。
店内はすっかり落ち着いていて、先ほど以上に緩やかな空気が流れていた。
これなら早引けさせてもらっても大丈夫そうだ。
「すみません、チーフ」
「どうした? まだ休憩取ってていいぞ」
「いや、実はですね、ちょっと説明し辛いんですが、俺、今親戚の子を家に預かってまして」
「ん? それで?」
「その子が何故か今、店に来ちゃってるんですよ」
「え、なんで?」
「それが、留守番させてたんですが、俺に会いに来たみたいで……」
「へー。それで、今どこにいるんだ?」
「休憩室にいます。どうやら俺を探して、裏口から勝手に入っちゃったみたいで。すみません」
「ははは、マジで?」
チーフが愉快そうに笑った。
この店のセキュリティとか、不法侵入の件とかはどうでもいいらしく、物珍しい状況をただ楽しんでるようだ。
学校に迷い犬が入ってきたときのような、そんな緩い反応だった。
「しかし、さすがにバックヤードにいさせるのは良くないな。奢ってやるから客席でパフェでも食わせてやればどうだ?」
「いや、それが結構薄着で長時間歩いてきたせいか、熱があるみたいなんですよ。それで出来れば……」
「あぁ、そういうことか。それだったらもう上がっていいぞ。この後も夕食時まで暇だろうし」
「すみません、ありがとうございます」
「で、その侵入者はどんな顔してるのかな?」
そう言うと、チーフは休憩室の方へとスタスタ向かっていった。
メリーの容姿を見たら、少しばかり驚くかも知れない。
外人云々もさることながら、サイズとか整った顔立ちとかで。
後ろから着いていくと、チーフは休憩室の入り口に手をかけ陽気な声で飛び出した。
「こんにちわー、はじめましてー! ……ってあれ?」
チーフが明るい挨拶と共に休憩室へと入っていったが、直後疑問を浮かべる。
「どうしたんですか?」
「誰もいないよ?」
「え!?」
俺も入口へ駆け寄り、休憩室の中を覗くが、そこには確かに誰もいなかった。
「あいつ、待ってろって言ったのに!! す、すみませんチーフ! 落ち着きのない奴で」
辺りをキョロキョロと見渡すが、ガランとした空間には机やテーブル、備品の積んだ棚ぐらいしかなく、いかに小さいメリーとはいえ、どこかに隠れるということは出来そうになかった。
「……っていうか、何ちゃっかり俺のリゾット食ってんだよ!」
見ると、机の上に置いてあった賄いの皿が空になっていた。
猫だの犬だのと言ったが、前言撤回だ。この食い意地の張り方はネズミが正しい。
「うーん、っていうか本当に来てたの?」
「え? いや、居たに決まってるじゃないですか!」
「でも君の家から結構距離もあるしなぁ。店内には子供なんていなかったし」
「ちゃんといましたって! 小学校半ばぐらいの身長で、ちょっと傷んでますけど淡い金髪のストレートで、藍色の瞳してて、真っ白い肌の人形みたいに顔が整った女の子ですよ!」
「そ、そうか」
「……ハッ!」
――まずい。しまった。やらかした。
昨日スーパーで店員に怪しまれたことが脳裏によぎる。
チーフと目線を合わせると、その目は、何か可哀想なものを見るようなものになっていた。
明らかにあらぬ誤解を与えてしまっている。
「い、いや、チーフ、本当に」
「うん、取り合えず今日はもう帰って大丈夫だぞ。ごめんな、最近シフト入れ過ぎてたみたいで。来月は少し減らすようにするから」
「ち、違うんですってチーフ!」
「あー、その、なんだ。脳内のかわいい彼女によろしくな」
そう言い残すと、チーフは「最近の学生は大変なんだろうな」と呟きながら休憩室から出ていった。
弁解の言葉を聞くこともなく、機敏な動きで取り付く島もなかった。
俺はさながら、真っ白な灰になったボクサーのように、ガックリと椅子へ腰を下ろした。
軽く社会的に死にかけてる。そんな気がした。
すると、休憩室の入口から、誤解の種、冤罪の元凶、濡れ衣を羽織らせたメリーが顔を出した。
「もう、なんなんだよお前……」
チラッとメリーの方を確認して、力なく呟く。
こいつのせいでここ数日、俺の不審者としての株はストップ高を更新し続けている。
そんな俺の苦悩を知ってか知らずか、メリーが何か言いたげにオズオズと近づいてきた。
そしてすぐ側まで近付くと、耳元で内緒話のように囁く。
「わ、私メリーさん、今、あの、その、お兄ちゃんと、恋仲にあるの?」
「…………はぁ」
先ほどのチーフの『かわいい彼女』という言葉を盗み聞きしていたのか。
何故か一人で照れるようにしているが、もはや怒る気にもなれず力なくため息を吐く。
というか誰もいないのに何故ヒソヒソ話しなんだ。あと恋仲って、いつの時代の人間だよ。
こいつの言動は何かと偏ってる。おそらく知識もだけど。
そういえば昨日のゲームセンターでクイズゲームをやらせたときも、一般教養は年相応、というか結構出来そうな感じはあったが、雑学分野がほぼ壊滅的で、世間話が成り立ちそうにないレベルだった。
「まぁいい、取り合えず帰るぞ。俺の上着貸してやるから着てけよ」
「え? でもそれだとお兄ちゃん寒いよ」
「俺はこれ着てくから大丈夫だ」
休憩室のロッカーの中に入っていたパーカーを取り出しながらそう告げる。
冬場は寒いので、休憩中用に上着を置いておく人が多く、俺もその一人だった。
「ほら、着とけ」
「あ、ありがと」
メリーは受け取った上着をはにかむようにして抱きしめている。
羽織れって言ってんのにこいつは分かっていないんだろうか。
とにかく、俺が着替えないことには出られないので、そんなメリーを余所に更衣室へと入り、ユニフォームから私服へと着替えた。
更衣室から出ると、メリーはちゃんと上着を羽織っていた。やっぱり寒かったのだろうか。
袖から手の出ていない腕を胸元でたたみ、顔を覆うようにして俯いている。
「だ、大丈夫か? やっぱり寒いのか?」
すると、メリーは首を左右へ振り、「お兄ちゃんの匂いがする」と顔を綻ばせた。
「ふへへ」と、例の緩んだ笑い声をもらし、小さく丸まっている。
「……お前さ、流石にそれは俺も照れるよ」
メリーの頭に手を乗せ、やれやれと呟く。
しかし、日に日に懐かれてる気がするな。
確かに小さい頃はよくくっ付いてきてたけど、あれから何年も経ってるし、再会してまだ二日だ。
この警戒心のなさは色々と将来を心配にさせる。
「さ、早いところ帰るぞ」
「うん」
だけど今はそんな心配より体調の心配だ。
こいつは平気そうにしてるけど、子供ってのはただでさえ熱に鈍感なところがあるからな。
裏口から出るとき、チーフにメリーを見せて弁解することが頭に過ったが、メリーの赤い顔を見て少しでも早く帰ることにした。
昨日と同じように自転車の荷台にメリーを座らせ、俺たちはバイト先を後にした。
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