第1話

 メリーは親戚の子で六つ歳下の女の子だ。

 母が欧州の人間らしく、その面影を映すよう薄いブロンドと深い藍色の瞳をしていた。

 小さい頃は家が近所ということもあり、よく面倒をみたりもした間柄だ。

 ……しかし、あるとき彼女の両親が事故で急死した。

 身寄りのない彼女は親戚のもとへ引き取られていき、そのまま俺達は疎遠になった。


 大学生になり一人暮らしを始めた俺はメリーのことをすっかり忘れていたが、彼女の特徴ある容姿は、数年を隔て成長していても一目でそれと分かった。

 しかし、その彼女が何故、今俺の家の尋ねてきたのだろうか。


「お前、何でこんなとこにいるの? というか、何で俺の家知ってるんだ」


 腹が膨れ満足したのか、机の上でダラけているメリーに問い掛けた。

 ウトウトとしていたのか、眠たげな視線をこちらへ投げ掛けてくる。


「……私、メリーさん、今……、まどろみの……中にいるの」

「よし、取り合えずこっちに戻ってこい」


 冷蔵庫に入っていた未開封のペットボトルを机に転がすと、メリーの頭部に当たって動きを止めた。こちらの意図に気付いたのか、メリーは小さく礼を言うと蓋を開けボトルを傾けた。


「うー、やっぱり炭酸苦手」

「眠気が覚めるだろ。というか苦手なら飲むなよ」

「久しぶりだったから、どんな感じかなと思って」

「ふーん」


 俺は自分で飲んでいたボトルをメリーのと交換してやった。

 飲みかけのお茶だったが、苦手な炭酸よりはマシだろう。

 メリーは何か言いたげだったが、結局お茶ごと言葉は飲み込んだらしい。

 炭酸がよほど苦手だったのか、若干顔に赤みがさしているように思えた。


「で、何で俺の家知ってるんだよ?」

「えっと、前にね、叔母さんから送られてきた手紙に書いてあったの。遠いから疲れちゃった」

「叔母さんってお袋のこと? お前、連絡先なんてよく知ってたな」

「手紙にはね、何かあったらすぐに連絡しなさいって、連絡先とか住所とか書いてあったんだ。それとは別にね、お兄ちゃんが一人暮らし始めたからって、ここの住所が書いてあったのも送られてきてたの」

「……へぇ」


 お袋がそんな事をしていたとは知らなかった。まぁ、お節介のあの人らしいといえばらしい。

 それと同時に、以前お袋が話していたメリーの家のことを少しばかり思い出した。


「で、結局何しに来たんだ?」

「それは、えっとその、ちょっとした旅行といいますか、自分探しの旅といいますか」

「たった一人でか? それに小学生に自分探しの旅とか言われてもな」

「四月からは中学生だもん。もう立派なれでぃーですよ」

「れでぃーはそんなに小汚くない。せいぜい野良猫がいいところだろ」

「……私メリーさん、今小汚い私にお似合いの六帖間にいるの」

「帰るか?」

「ごめんなさい」


 俺の突き放した言葉尻を捉え、即座に頭を下げる。

 外は相当寒かったのだろう、意地でも、いや意地を捨ててでも外には出たくないようだ。

 しかし、突然の訪問の理由は言いたくないらしく随分と歯切れが悪い。

 まぁ、着ていたブカブカの薄汚れたコート、くしゃくしゃに傷んだ髪、カップ麺をがっつくほどの空腹ぶり、そしてお袋の連絡先を知っていたにも関わらず、俺の家を選んだことを考えるとだいたい察しはつく。後先も考えずに家を飛び出たといった様子だ。


 メリーも年頃ということなのだろう。

 男ほどではなくとも、このぐらいの歳には反抗期というものは必ずやって来る。

 それに肉親のいない家の中では何かと大変なのだろう。

 久々に会った妹分をこれ以上問い詰めるは野暮だと思い、俺は掘り下げることはしなかった。

 何も言わずに理解してやるという兄貴風を吹かせたかったのかも知れない。


「取り合えず眠っちまう前に風呂に入ってこいよ。どうせ今日はもう帰れないだろ?」

「ふぇっ!?」


 メリーは大きく身体をびくつかせると、戸惑いの表情を向けてきた。


「なんだよ?」

「わ、わわわ私メリーさん、今、お、狼の檻の中にいるの?」

「は?」

「いえ、その、ななな何と言うか、『今日は帰らないんだろ? 先にシャワー浴びて来いよ』だなんて、ちょっと早過ぎるというか、もう少し段階があるんじゃないかなとか」

「……」


 こいつまさかとは思うが、貞操の危機でも感じてるのか?

 まぁ確かに言葉の字面だけを考えるとそう解釈出来ないこともないが、何と言うか……。


「マセガキ」

「!?」

「生意気なこと考えてないで、さっさとサッパリしてこい。そのままじゃ疲れも抜けないだろ」

「うー」


 何故か恨めしそうな顔で見つめてくる。

 子供扱いされたのが気にいらなかったんだろうか。


「わ、分かった。でも、絶対に覗かないでよ!!」

「安心しろ、そこまで道を踏み外す自信はない。というか、興味もない」

「ぜ、絶対だよ!!」

「お前は恩返しに来た鶴か。早く行け」

「……じゃあ、タオル貸して?」

「ほら」


 放ったタオルを受け取ると、メリーはもじもじとしながら後ずさっていき、扉を閉めるとき念を押すよう、「本当に見ないでね?」と一言残していった。

 最後の一言には照れとかではなく、本当に見られたくないという真剣な響きがあったので、俺は本気で疑われているのかと少々へこんだ。

 昔は風呂に入れてやったこともある間柄だというのに、なんていう信用のなさだ。

 数年経つと人間も、持たれる印象も変わるものなのだなと、どこか感慨深いものさえ覚える。


 扉一枚隔てて、メリーが服を脱いでいくきぬ擦れ音が聞こえる。

 当然大学生の一人暮らしに洗面所などという上等なものはあるはずもなく、浴室はキッチンから直接入る構造上、台所で着替えるしかない。

 キッチンと居間を隔てた扉は、木枠に磨りガラスという作りなので、メリーのシルエットが生々しく映しだされていた。

 というかこいつ、さっきあれだけ見るなと念を押した癖に、ガラス越しは気にならないのだろうか。

 メリーの羞恥心のツボに若干の疑問を覚えつつ、やれやれといった調子で視線をテレビへと移した。

 電源を入れると、自分の姿を映していたディスプレイが灯り、暢気なバラエティー番組の笑い声が聞こえてきて、どことなく一息付くことに成功した。

 しばらく呆けるように眺めていると、俺にも睡魔が襲ってきたようで徐々に瞼が重くなっていく。

 冷静に対応していたつもりだったが、俺もどこか緊張していたのだろう。こたつの温もりが意識を遠くへと誘う。

 ――しかし、その心地よいまどろみも、突如聞こえてきたメリーの絶叫に吹き飛ばされてしまった。


「今度はいったいなんだ……」


 キャーなどという黄色い声ではなく、涙混じりの断末魔に近かった。ご近所さんもいるんだから勘弁してくれ。

 腰をあげると、今だ続く奇声とともに浴室でバタバタと何やら騒いでる音が聞こえた。

 俺は、扉に手をかけながら一応一声かけるべきかと思案していると、扉がこちらへ迫ってきた。引き戸、なのにも関わらずだ。

 そのまま扉は俺へともたれ掛かり、バランスを崩して俺ごと居間へと倒れ込む。

 目を開けるとガラス越しに人影が乗っかっており、メリーが扉に衝突した拍子に扉が外れたのだと把握した。ガラスが割れなかったのは不幸中の幸いか。

 扉の下から這いずるように脱出し、下敷き事件の加害者に目を向ける。


 すると、衝撃的な光景が目に飛び込んできた。

 当然風呂場から出て来たのだから、メリーは素っ裸なわけだが……。


「お、お兄ちゃん、くっくく、蜘蛛が、でっかいやつが!! わ、私メリーさん、いいい今、地獄にいるの!?」


 メリーが扉の上で俯せになりながらバタバタと騒いでいた。余程苦手なのか、指先だけを風呂場へと指し、必死に嫌悪感を主張している。

 しかし俺はというと、「地獄で蜘蛛なら救いの糸だろ」というツッコミも入れられないほど、メリーの身体に釘付けになっていた。

 まだ冷静さを欠いた頭で、一先ずメリーを落ち着かせるために風呂場へ向かい、蜘蛛をつまんで玄関から放り出す。


「蜘蛛、外に出したぞ」

「本当!?」


 メリーは俺の報告を受けると、ガバッとこちらを振り向いた。

 当然、一糸まとわぬあられもない姿の前面が視界に飛び込んで来る。

 俺はやはり目を逸らすことは出来ず、それどころか隅々まで凝視してしまった。

 まだビクビクとうたぐり深げにこちらの様子を窺ってくるメリーと目が合う。


「……お前、それどうしたんだ」


 メリーは一瞬、何を言われているか分からない様子だったが、俺の視線が自分の身体に向いていることに気付くと、大きく肩をびくつかせ、両腕で自分を抱きしめるように身体を隠した。

 しかし、その細い腕では到底隠し切れるものではなくて……。



 ――メリーの身体は、無数のアザや傷跡で被われていた。

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