1-1-2「モノクロの虹」
引き抜いて栓を武器にして中に入ると、その部屋の荒れ様に眉を顰めた。
小さな木屑が床に散らばり、バランスを崩した椅子や机が散乱している。
部屋の中は真っ暗だったが、瞳は暗闇に順応しきっていた。
部屋を見渡しながらバールを扉の近くに立てかけると扉を踏み進んで、しゃがんで床の木屑を取り除く。それが探しているのは部屋に伸びていた黒い跡。探し当てることは容易で、跡は部屋の中央に続いていた。
中央は、木屑も椅子も机も、埃一つもなかった。
しかし、巨大な床扉があった。
床に取り付けられ、地下に備蓄品を保管したり下層に降りるために作られるもの。床扉に耳を当てると、微かに風の音が聞こえる。
当然のことながら、この下には地下がある。
導かれるように床扉の取っ手を取り出すと、その勢いで扉を開けた。
暗闇があった。
この下には摩天楼の一室があると思った。だが、そこは果ての無い暗闇だった。だが、何も見えなかったわけではない。
地下の様子が全て暗順応の下に網膜に焼き付いた。
「あ、……え?」
広い木造の空間に、白色や黒色が高く積まれていた。目が悪ければ気づかなかっただろう。
その白色や黒色は、足だった。胴体だった。頭部だった。
数えきれない死体がバラバラにされて山を作っている。ゴミ捨て場のように乱雑に扱われた死体に頭部が熱を帯びる。目的や原因を無意識に求めてしまうが、どれも一向に解決できない。
白い髪、白い肌、黒い髪、黒い瞳、白い、黒い彼らがこちらを見ている。
筆舌しがたい光景に思考力を奪われた。
廊下に投棄されていた足の持ち主は、この下にいる。だが、この山の中から本人を見つけ出すことは不可能だ。
ここに来るよう使役をして、一体に自分に何をさせようとしているのか。
それは呆然と、モノクロの虹を眺めていた。
*
視線を変えずにいると、視界の中で赤く輝く何かが動いている。
反射的にそれに焦点を合わせると、それもこちらに気づいた。
目だった。
大きな目が、こちらを見ている。
輝きが小さくなり、目が隆起する。
隆起しながら、モノクロの虹から巨躯が浮かび上がってくる。
ガラガラと物と物とがぶつかる音が何十何百と乗算され、
肉塊はその体から触手を作り出し、こちら目掛けて伸長を始めている。
ここにいては駄目だ。理解出来ずともここに居ることを本能が許さない。
振動の中なんとか立ち上がり、倒したり踏んだりして破壊した扉のほうへ走っていく。
扉のあった場所に手をかけた瞬間、意思に反して右足が前に進むことを拒んだ。
予期せぬ方向からの力にバランスを崩し、逃げきれなかった動力によりあっけなく転倒してしまった。
肥え太った肉を引きずる音が近づいてくる。
反射的に後ろを見ると、右足が触手に捕らえられていた。
触手に埋め込まれた眼球が一斉にこちらを見て、見て、見て、見て、見て、見て、見て、見て、見て――
「落ち着け、落ち着こう」
思考回路を稼働させていく。足りない知識の中に、その外にも残置している情報な無いのか。何かがある筈だ。
五感に充てる容量を記憶の回廊へ飛ばす。何も聞こえず、何も感じず、何も見えないが、感じるはずのない熱を頭部から感じる。
本能が、解決策を作り上げていく。
「ナスターシャム。ナスターシャムがいいな。お日様みたいな、明るい色!」
記憶に無い記憶が、回廊に現れた。
太陽のように明るい色のナスターシャム。
五感が戻ってくる。記憶を歩いた探索者は現実へと引き戻され、再び絶望的な舞台へと戻ってきた。
大きな肉塊は難なく巨大な床扉を通り抜け、それと正面から対峙する。
扉のあった場所に立てかけたバールのようなものを右手に、それは無機物に似つかわしくないしたり顔で触手の眼球を殴った。
手加減なしの手ひどい反撃に触手と肉塊は怯み、元の肉塊へと融合されていく。やや大きくなった肉塊はふるふると体を震わせ、怯んでいる。
肉塊の感情に呼応するように地響きが酷くなる。しかし、ここを切り抜けるチャンスはこの一度だけだ。
足場の悪い廊下を走り抜け、置き去りにしたカンテラを乱暴に掴むとライターの灯で着火を始める。
物が倒れる音と、死の足音とが間近に迫る。
点灯したカンテラを迫る肉塊に向けて照らす。
突然の輝きに驚いたように後退し、肉塊の瞳孔が小さくなる。
カンテラを、放り投げた。
「さよなら」
内在的な時刻の速度が緩やかに落ちていく。
ヒビの入ったガラスが割れるまで体感十数秒。
不愉快そうな瞳の奥を覗いた。他者に訪れた悟りを鑑賞した。
それは、知り得ない感情を知ってしまった。
外在的な時間、約三秒。
それは、興奮の境地に立った。
処理できない感情が、口角を歪に吊り上げた。
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