第六回 太史慈、乱世に立つ

 劉繇りゅうよう孫策そんさくに敗北した。

 その戦いに太史慈たいしじは何も寄与できなかった。結局、劉繇は太史慈に活躍の機会を与えなかったのだ。

 太史慈は劉繇に従って豫章よしょうへ落ち延びる振りをしたが、もはやとっくに劉繇のことは見限っていた。途中で姿をくらませて、劉繇の下を去った。


 太史慈は山中に逃れると、丹陽太守を名乗った。勝手に。

 当然、自称であり、その称号を保証するものなど誰もいない。

 すなわち、太史慈は独立したのだ。頼りにはなるのは自分と自分に従う配下の者たちの腕力のみ。その腕力を背景に、太史慈は自分の国を造り、自分たち以外のすべてに戦いを挑んだ。


 この時、丹陽に太守は不在となっていた。丹陽太守は戦いのどさくさでその座を追われ、その座を奪った者もやはり戦乱の中で逃亡を余儀なくされている。

 だとすれば、太史慈が丹陽太守を名乗るのは、空いたピースを埋めるということであり、混乱を生むことはなかった。実際、太史慈は丹陽を上手く治めたのだろう。反乱や暴動が起きたという記述は正史にない。


 そして、太史慈には求心力があった。太史慈が幕府を打ち立てると、山越さんえつが多数帰属してくる。

 山越とは江東の原住民であり、強兵としても知られる。彼らは独立志向が強いため、時の政権におもねることは少なく、たびたび反乱を起こした。三国志における呉の存在感が薄いのは、軍事の何割かを山越の討伐に当てなければならなかったことが理由の一つである。

 その山越を太史慈は統制していた。


 また、重要なのは孫策の動向である。

 孫策は劉繇に勝利すると、丹陽に留まらなかった。すでに平定したと思ったのだろう。主力を引き連れて、呉郡、会稽郡の平定に乗り出し、転戦していった。丹陽は手薄なのである。

 そのため、丹陽は易々と太史慈の手に渡った。太史慈は丹陽を拠点として力を蓄えていく。そのつもりだったのだろう。


 しかし、太史慈には誤算があった。孫策は戦争の天才だったのだ。呉郡と会稽郡は瞬く間に平定され、驚くほどのスピードで丹陽に戻ってくる。

 太史慈には彼らに抵抗する戦力は整っていなかった。太史慈は敗北し、捕虜となる。


 捕虜となった太史慈を孫策が見つけると、話しかけてきた。

「我々二人の一騎打ちを覚えているだろうか。あの時、あなたが私を捕らえていたら、私をどう扱っただろう?」

 殺していたさ。

 頭に浮かんだ言葉は口に出さず、孫策の問いに表情を変えずに答える。

「想像もできませんな」

 太史慈はすでに死を覚悟していた。


 孫策はその答えに高らかに笑う。

「今から、あなたが行ったであろうことをしようではないか」

 孫策はその場で太史慈の縄を解かせ、太史慈の手を握った。そして、役職を決め、地位を与えた。さらに、部下として兵士を千名つける。


 これは意外だった。太史慈に遇した孔融も劉繇も、彼を重用しなかった。その実力を危ぶみ、閑職に就かせたのみである。それが敵対して命のやり取りをし、さらに自己の判断で独立までした自分に兵を与えるのだ。

 太史慈は孫策の度量に敗北を実感したのかもしれない。あるいは、自分が一騎打ちで勝利していたとしても、孫策を殺しはしなかったと、孫策の行動から実感したのだろうか。


 この頃、劉繇は豫章で死亡した。彼に従っていた一万余の兵士や民衆は路頭に迷う。

 太史慈はその状況を見て言った。

「私が出向き、孫策殿の仁義を伝え、一つにまとめてこようと思います。どうかご許可を」

 その言葉を待っていたとばかりに、孫策は手を打つ。

「私の心中を察していただけたのだな。是非にと、お願いしたい」

 太史慈はその言葉を聞くと、旅支度を始めた。


 孫策の側近たちは皆口々にこう言った。

「太史慈はもう戻ってくることはあるまい。曹操そうそうにでも仕えるつもりです」

 そんな言葉を孫策は笑う。

「子義殿は私を捨てることはない。我々の心は強い絆で結ばれているのだ」


 孫策は太史慈の出発を腕を取って見送る。

「いつごろ戻ってくれるだろうか」

 太史慈は帽子を目深にかぶり、馬の手綱を握りつつ答えた。孫策に自分の目を見られたら、その感情が見抜かれると感じていた。

「六十日以内には」

 士は己をる者のために死す。孫策は太史慈以上に太史慈という男を理解していた。ならば、この孫策という男を裏切ることはできまい。


 果たして、太史慈は兵と民を引き連れて、六十日後に戻ってきた。


 孫策は一度は死闘を演じた太史慈を信用している。

 太史慈もまた一騎打ちを通して孫策に友情を抱いていたのだろうか。孫策は太史慈にすらわからなかった太史慈を知っていた。ならば、太史慈は孫策のために死ななければならない。

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