第三回 太史慈、策を練り、三本の矢を放つ
上奏文の事件からほとぼりが冷めるまで逃走を続けていた
その母に世話を焼いていたのは
この当時、
太史慈が実家に戻ると母は言う。
「お前が留守にしている間、孔北海殿はまだ面識もないというのに、私の生活に心を砕き、大変な気遣いをしてくれました。それはとても心のこもったものでした。
現在、孔北海殿は賊に包囲され、危機に陥っています。お前が何をするべきか、わかっていますね」
その言葉を受け、太史慈は都昌へと向かった。
包囲されているといっても、まだまだ隙が大きい。太史慈は夜陰にまぎれると、都昌の城中に入ることができた。そして、孔融に対して謁見を願う。
孔融も(当然であるが)太史慈の名を覚えていた。すぐに目通りが叶う。
「孔北海殿、黄巾の包囲はまだまだ甘い。私に兵をつけていただければ、すぐさま包囲を解いてみせましょう」
しかし、その言葉に孔融は頷かなかった。孔融は太史慈を買っていたとはいえ、その機転と大胆な行動力をであって、将帥として評価したわけではない。当然だろう。彼はもともと役人であり、その後もただ逃げ回っていただけなのだ。
孔融は外からの救援を待つことを選んだ。
しかし、静観していれば事体が好転するわけではない。包囲はより厳しくなり、もはや包囲を抜け出して助けを呼ぶことさえ難しくなっていた。
当時、隣国である平原国の相は
「誰か、平原まで行く者はないか」
孔融はそう喚くが、包囲から脱出できるものなどいるはずがない。城内の者たちは皆沈黙し、顔を俯かせた。
「私がやりましょう」
そう発言したのは太史慈である。
「現在の包囲は厳しく、誰もが脱出は不可能だと言っている。あなたの意気が盛んなのはわかるが、どのような見通しがあっての発言なのか」
それに対し、太史慈は真摯に語った。
「かつて、孔北海殿には老母が大変な気遣いをいただきました。老母はそれに報いるべきだと言い、私は共感してここに来たのです。
今ここにあって、その恩に報いる時が来たのだとはっきりわかりました。皆は不可能だと言いますが、その事態を克服してこそ、私が来た意義があるのです。私一つの命で済むのであれば、迷うことはありません」
孔融はついに太史慈の言葉に頷いた。
そうと決まれば、太史慈は旅装に身を固め、食料を包んだ。
夜明けになると、鞭と弓を手にとって、馬に乗る。二人の騎兵を従わせて外に出ると、包囲していた黄巾党の兵士たちは皆驚き、一斉に武器を構えた。
しかし、太史慈は意に介さず、堂々と馬を歩かせると、弓矢の的を配置し、離れた場所に移動してその的を射てみせた。矢は的の中心を貫き、敵側の兵たちも思わず歓声を上げたが、それだけだった。
太史慈は事もなげに、城門へと帰っていく。
そして、一日が過ぎた。また夜が明ける。
太史慈は昨日と同様に的を配置し、それを射貫いた。まばらに歓声が上がる。昨日と比較して、太史慈に注意を向けたものは少なかった。単なる訓練かデモンストレーションだと思ったのだろう。
事が終わると、太史慈はまた城門に帰っていった。
また夜が明ける。三日目である。
太史慈は前日までと同様に城門を出るが、彼に関心を持つ兵士はほとんどいなかった。昨日までと同じように訓練だかデモンストレーションが始まるのだろうと高を括っていたのだ。
しかし、太史慈はそのまま包囲を突破するべく馬を駆ける。異変に気づいて太史慈を追う者もいたが、騎射によりすぐさま殺害する。あまりのことにポカンとして、追ってくるものはいなかった。
そうして、どうにか平原国に到着すると、劉備に面会することができた。
「私は
現在、管亥の暴虐により、北海殿は包囲され、孤立無援の危機にあります。劉平原殿は仁義に溢れ、困難にあるものを放ってはおかれないお方と聞き及んでおります。北海殿は私を白刃の元を通らせながらも、あなたの助けを待っておられるのです。どうか、あなたが力になってくれることを願います」
劉備は太史慈の言葉に顔つきを変えた。
「孔北海殿は私のことをご存じなのか。士は己を
劉備は精鋭三千人を太史慈につけた。その中には言葉通りに彼の命ともいうべき義兄弟、
太史慈が彼らを連れて都昌に戻ると、それだけで黄巾の兵たちは散り散りになり、逃げ去った。
これ以降、孔融は今まで以上に太史慈を尊重し、「あなたは若き友人だ」とまで言った。しかし、太史慈は孔融に興味を持つことはなかった。北海の戦いを通して、孔融の底の浅さを実感したのだ。
事体が収まると、母の元に帰った。
「お前は北海殿にご恩返しができました」
母は太史慈の行いを称賛したが、それ以上のことは言わなかった。
孔融の心を掴みながらも、彼の下を去った太史慈の求めるものとは何なのだろうか。
この後、南方に動乱が起きる。その答えは南方にあるのかもしれなかった。
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