追放されたい宮廷魔法使いは今日も健気に画策す

@chauchau

希う


 その日、研究塔の一つが消し飛んだ。

 周囲が無謀と判断した魔法実験を、一人の魔法使いが断行したためである。幸いにも人払いが行われていたために人的被害は出なかったが、塔に収められていた数々の魔法的財産が失われる結果となった。


 実験を行った魔法使いは捕縛され、すぐさま取り調べが行われることとなる。


「何か述べたいことはあるか」


「ありません」


 無機質な空間で、一人の男が老人たちに囲まれるようにして立ち尽くしてる。

 その表情はとても重く、暗い。己が引き起こしてしまった悲惨な事故を深く受け止めていることが見て取れた。


 御年四十歳となる男は決して若くはない。だが、伝統ある魔法使い協会のなかでは、若く、そしてその未来が期待されていた。


「まさか君がこのようなことを起こすとは……」


 男を取り囲む老人たちは一様に顔を伏している。

 誰もが、男に期待を寄せていたのだ。そのなかでの、この度の事故である。


「この度の事故はすべて私の独断であり、私に責任があります。償いきれるものではありませんが、魔法使いの免許永久はく奪を以てして」


「素晴らしい……っ!!」


「あぇ?」


 自身が起こした失態を、自身の未来で償おうと決意を固めた男から出てはいけない情けない声が出た。

 老人たちが顔をあげる。みなが、感動に打ちひしがれていた。涙を流す者さえ居たのだ。


「さきほど君の私室から見つかった調査書により、塔の老朽化、そしてその危険性の高さが判明した」


「え、え」


 塔が老朽化していたことは事実である。

 秘密裏に調べ上げていたからこそ、男は実験をあの塔で行ったのである。そう、これは事故ではない。男が狙って起こした犯行であったのだ。


「もしも塔の崩壊時に人払いがされていなければどれほどの人的被害が出たか計り知れない。君はそれを事前に防いでくれたのだな」


 ひと際立派な髭を生やした老人の言葉に、他の老人たちが大きく頷く。誰もが彼に賞賛の瞳を向けており、非難しようとする者など居るはずがなかった。


「確かにあの塔は、協会設立時に建立された伝統ある塔だ。だからこそ、この調査書を提出したところですぐに解体、補修工事がされないことを理解した君は、自身の未来を投げ打ってでも皆を守ろうと、お、お、おぉぉおっ!!」


 老人が泣き崩れる。

 一人の男が、背負った覚悟の大きさに心が震えているのだ。


「お待ちください、最高導師っ! 御言葉ですが、私の責任であの塔の魔法的財産が失われたことは事実です! どうか! どうか重い処分を私にっ! どうかっ!!」


 計画が狂いだしたことに男が必死で食い下がる。

 だが、食い下がれば食い下がるほど老人たちは、彼の態度を強い覚悟と捉えて泣き崩れるのだ。


「良い、良い。分かっている、分かっているとも。どのような理由があれど塔を破壊してしまった自身を許せなんだな。なんと高貴な魂を持つかっ」


「そういうことじゃ、……、そういうことなんでそれでどうにか私を追放してっ!」


「事前にあの塔の魔法的財産を全て運び出していたことは、君の部下から報告を受けている」


「……は?」


 初耳であった。

 人的被害こそ零にする行動を取ったものの、男は魔法的財産を守る気などなかったのだ。むしろ、財産を破壊することでより罪が重くなることすら狙っていた。


「知らぬと白を切ることで、部下が君の、追放される予定だった君の命令を受けて動いた者であるという誹りを受けることすらも防ごうというのだな。なんと、なんとぉぉぉ!!」


 追放される。

 予定だった。


 不必要な言葉が追加されたことに、男の心に恐怖が巣食う。

 ガクガクと震える足で立っているだけでも精一杯だった。


「君ほど素晴らしい魔法使いが過去に居ただろうか! 君ほど他者を慮る魔法使いが将来に現れるだろうか! 君こそ未来だ! 君こそこの国の宝だ!!」


「ちが、ちが……っ」


「どうして君を追放出来ようか! この度の件はすべて不問、否っ!! 表彰を送ろうと思うっ! みな、賛成の者は拍手を願おう!!」


「な、なんで、いらない、そんなっ、そんなっ!」


 男が膝から崩れ落ちた。

 一筋の涙が頬を伝う。


 喝采の拍手を送りながら、老人たちは国の未来に光を見出したとばかりに喜び部屋をあとにしていく。


「待、待っ! 待ぁぁあああああ!!」


 ただ一人、

 絶望に突き落とされた男だけを残して。


 ※※※


「ンでじゃぁぁあああああ!!」


 この世の怨念すべてをかき集めたかのような地獄の叫びが森の中で放たれた。あまりの邪悪さに動物たちが我先にと逃げ出していく。


「おっかしいだろうがぁぁ!! 塔だぞ!? 塔ひとつをぶっ壊してどうして褒められてんだよぉぉぉお!!」


 感情のままに叫ぶ彼の周囲が崩れていく。

 その身に宿す膨大な魔力が放出されているからだ。


 さきほどまで取り調べを受け、塔を破壊したことで追放されるどころか表彰されることが決まった男は、魔法使い協会に所属する魔法使いである。それも、一握りの者しかたどり着くことが出来ない宮廷魔法使いの位を与えられた優秀な魔法使いであった。

 そして、同時に彼は異世界転生者でもある。だが、それをこの世界で知るものは居ない。彼が、その事実をかたくなに秘密としているからだ。


 異世界に転生を果たしたことを彼は喜び、そして鍛錬を怠らなかった。

 前世の頃から夢であった魔法を身に着け、冒険者として経験を積んでいた彼に魔法使い協会から声を掛けてきた。

 冒険者として幾度となく命の危険に巻き込まれ、そして想像していた以上の命の軽さ、実入りの少なさに絶望していた彼は、協会からの話にすぐさま飛びつき、協会で国の発展に役立つ魔法の研究を始めたのである。


 安全な場所で、魔法の研究に励む日々に彼は満足した。だが、その生活も長くは続かなかったのである。

 この世界の真実に気付いた時、彼は驚き、嘆き、協会を抜け出そうとした。


 だが、すでに優秀な成績を残していた彼を協会が手放すはずがない。では、追放されれば良いと画策した行動はすべて裏目に出る始末。

 追放されることを夢見て、二十余年。彼は、宮廷魔法使いとして誰もが知るほどの存在へと成ってしまっていたのである。


「塔を破壊しても無理だったら無理じゃん! 他に方法が思いつかねえよ!! 他の主人公たちは使えないとかだけで簡単に追放されるとかずりぃよぉぉぉお!!」


 男が追放を望むのは、周囲に虐められるからではない。

 宮廷魔法使いとして、男は賞賛と敬意のなかを生きている。


 恨みを果たしたい相手が居るからでもない。

 追放されるにしても極刑されては堪らないと男は誠実に生きている。


 前世的に追放されるほうが美味しいからでもない。

 男は謙虚に生きることを望んでいる。大それた夢などははるか昔に捨てている。


 ただ、

 男は望んだ。


 魔法使いを辞めることを。


 男は、

 ただ、


「もう四十歳で童貞は嫌じゃぁぁああああ!!」


 大人になりたかったのだ。


 聞いたことがあるだろうか。

 童貞のまま二十歳を超えると妖精さんが見え始め、三十歳を超えると魔法使いになるという都市伝説を。

 この世界では、これは都市伝説などではないれっきとした事実なのだ。ただし、年齢を超える必要はない。男で、童貞であれば魔法が使える世界なのだ。


 どれほど優秀な魔法使いであろうとも、童貞でなくなった途端に魔法が使えなくなる。国の発展に魔法が欠かせないため、魔法使い協会は優秀な魔法使いを囲い込むことを取り決めた。

 魔法使い協会が所有する土地に町を創り、そして、女の居ない世界を作り出したのである。

 女が居なければ童貞を捨てようにも捨てられない。これは、国家が主体となって行っている一大プロジェクトなのである。


 当然、一度協会に所属したものが許可なく町を出ることは出来ない。

 一度入ったが最後、彼らに残された道は童貞のまま死んでいくしかなかったのだ。だが、決してこれは不幸なことではない。剣と魔法の世界は、どこでも危険と隣り合わせだ。それは目に見える魔物の脅威だけではない、飢饉などの生きている上で逃れることが出来ない自然の驚異すらも日常に存在している。

 だが、魔法使い協会に所属していれば穏やかな日常を送ることが出来る。童貞であることを引き換えに、人生を守られることが保証されているのだ。


 だからこそ、協会のなかで己の境遇を憂いに思う者は居ない。

 いや、居なかった。


 転生者である男がこの地にやってくるまでは。


「師匠ぉ! 師匠ぉぉ!!」


「……ぁぁあ?」


 魔王に成り代わろうとしている男に駆け寄る青年が居た。まさしく美青年という言葉を具現化した青年は、甘いマスクに本来であれば女を簡単に魅了する微笑みを浮かべて男に近づいてくる。


「探しましたよ、師匠! どうしてこんなところに居るんですか! はやく今回の件を一緒にお祝いグぎゃぁ!?」


 一本。

 男の華麗な背負い投げが、青年を大地へと横たわらせる。


「お、ま、え、が……っ!」


「し、師匠?」


「余計な事さえしなければぁあああ!!」


 塔と共に失われるはずだった魔法的財産全てを事前に運び出した優秀で余計な弟子である青年への恨みつらみが男を人外へと変容させる。

 歯は牙となり、爪が赤黒くそして大きく伸びる。腕は膨れ上がり、全身から体毛が生えていく。


「し、し、師匠……っ」


「この、このぉぉ!」


「変身魔法を使いこなすとはさすがは師匠!! 感激です!! うわぁあ!! うわぁああ!!」


「うがぁあああ!!」


 醜い化け物に成り果てた男に恐怖するどころか、魔法技術の高さに感動して褒めたたえる純粋な青年の瞳に、男の心に微かに残った良心が悲鳴をあげる。


「もしかして、……、僕に変身魔法を教えてくださるためにこの場所で待っていてくださったのですか! そんな、そんなっ! 師匠大好きっ!!」


「違うわぁあああ!!」


 数倍の体躯となった男に抱き着く青年が、男の苦悩にあわせて揺さぶれる。

 所謂だいしゅきホールド状態になった青年が離れるのはそれからしばらく時間を有した。


「俺はっ! 魔法使いを辞めたいのっ!」


「また師匠の悪い癖が出てますよ。いくら尊敬する師匠といえど、その冗談は笑ってあげませんからね」


「冗談じゃなくて真剣なんだよっ!」


「はいはい」


「聞けぇええ!!」


 森の中での訓練は男の叫びの合間に進められていく。

 根本的に真面目な男は、弟子に頼られれば応えてしまうお人好しでもある。それゆえ、本日は変身魔法の訓練が執り行われていた。


「ていうか、どうしてお前は塔から資料を運び出せたんだよ」


「え? 師匠の部屋の掃除をしている時に塔の調査書を見つけたので、ははーん、これはそういうことか、と」


「一応聞くが、どういうことだよ」


「俺の考えに気付き、指示されずとも俺の手助けが出来るか試してやるぜ、優秀な愛弟子よ……、ふっ、ということですよね」


「本当に、自分が、愛弟子だと、思うなら、俺の、邪魔を、するな」


「いやぁ、御役に立てて光栄だなぁ!」


「くぉぉぉぉ!!」


 ただでさえ行動が裏目に出ていた男だったが、この青年が弟子になってからというもの裏目の出方が大きくなっている。

 青年を弟子にとったのが六年前。そして、その一年後には宮廷魔法使いの地位を賜った。

 通常であれば、幸運を呼ぶ良い弟子だと喜ぶべきだが、男にとっては不幸を運ぶ悪魔の使者でしかない。それでも、素直に慕ってくれる相手を本気で嫌うことが出来ないことも男にとっては不幸でしかなかった。


「……分かった。よぉく聞け」


「どうかしましたか」


 男は覚悟を決めた。

 恥ずかしくて言えなかったことだが、これ以上時間をかけてしまえば間に合わなくなる。具体的に言うと、息子が起きなくなるのだ。年齢的に。


「俺は魔法使いを辞めたいといったが、それは本音じゃない」


「はは、そんなこと分かってますよ」


「違う、聞け。いいか? 俺はな……」


 真剣な男の態度に、青年は首を傾げる。

 これほど追い詰められた男を青年は始めて見るからだ。


「……童貞を捨てたいんだ」


 四十歳が美青年相手に言う台詞として、これほど情けないものがあるだろうか。

 羞恥で死にたくなりつつも、男は己の心を吐露する。すべては、自身の未来のために。


「ちょっと意味が分からないんですけど」


「なんでよ!?」


「え? あ、もしかして、外の世界に残してきた許嫁がいらっしゃるのですか!?」


「いや、居ないけど……」


「師匠の片想いではあるけれど結婚したい相手がいらっしゃるとか?」


「それも、居ないね……」


「……魔法を使えなくなって食べていく当てとかあるんですか?」


「……ない、けど……」


「……」


「……」


「……」


「……」


「ちょっと意味が分からないんですけど」


「俺も否定しにくくなってきた……」


 冷静になれば、男が魔法を失ってこの厳しい世界で生きていく術はないのだ。宮廷魔法使いとして溜め込んだ金はあるが、追放という形となればそれを持って行けるかは分からない。

 いままで誰にも話したことがなかったために見逃していた大きな事実に直面し、男は暗く落ちて行く。


「……ふむ……、そういうことであれば」


「え?」


 ――がしっ!


 青年が男の肩を掴む。

 思わず男が見上げると、男が女であれば間違いなく惚れていたと断言できるほど良い笑顔の青年の顔があった。


「一番弟子であり、愛弟子であるこの僕にお任せください、師匠!」


「……ぉ、ぉ」


「必ずや、師匠のためとなる結果を生み出してみせます!!」


「ほ、んとうか……っ!」


「勿論ですとも!!」


 この日、

 男は再び涙を零した。

 だがそれは、とても暖かい涙であったと云う。


 ※※※


「ズラを取るんです」


「ちょっと意味が分からない」


 後日、男の家で行われた作戦会議にて、青年が放った一言が男を悩みの海へと駆り立てた。


「つまり、師匠はこの地を追放されたい。でも、その後のことを思うと財産は持って追放されたい、そうですね?」


「あ、ああ」


「では、追放されるほどのことでかつ、その事実を公表出来ないことをすれば良いのです!」


「おお!! そうか。公表出来ないことであれば俺にも口止めする必要があるから!」


「ええ、ある程度の財産を持ち出すことは許してもらえることでしょう」


「だから、ズラ!! ……ズラ?」


「最高導師はズラであることは御存じですね」


「誰も知らないことになっているあれな」


 最高導師とは、塔の一件で男に判決を下した老人である。

 御年九十歳になられる最高導師は、髭も頭もフサフサなのだが、それは見栄の塊であることは誰もが知っているから知らない事実なのだ。


「でもなぁ……」


「何か問題でも?」


「最高導師が可哀そうで」


 追放されるために様々な手段を取ってきた男が絶対としてきたのは、直接誰かを手にかけないというものだ。

 情報などで迷惑をかけることは仕方がないとして、誰かが怪我を負うようなことは忌避してきた。


「それが師匠の甘さなのです!!」


「!?」


「成し遂げたいことがある時に、何を日寄っていらっしゃるのですか!!」


 青年の言葉が、男の心を貫いた。

 その通りだと男はよろける。男は、他人に怪我を負わせないことで自分が傷つくことを避けていたのだ。

 自己を押し通す際に、他者を傷つけるのは必然。その覚悟なくして、男の野望が叶うはずがなかったのだ。


「そうだな……、俺が馬鹿だったよ」


「師匠、分かってくださいましたか」


「ああ……、出て行こうっていう馬鹿な師匠に、ありがとうな」


「良いんですよ、僕は……、たとえ師匠が魔法を使えなくなったとしても、ずっと師匠の弟子なんですから!」


「……ああっ!!」


 男は顔をそむけた。

 落ちそうになる涙を青年に見せたくなかったからだ。


 男の別れに、涙は似合わない。


「やりましょう、師匠!」


「見てろ、お前の師匠の生き様を!!」


「はいっ!!」


 他の宮廷魔法使いに囲まれている最高導師へ、男は野望の一歩を踏み出した。


 ――そして。


「ありがとうっ!!」


「……ちがう」


「なんと、わしは愚かであったことか」


 男が首を振る。

 弱弱しく首を振る。


 ズラを剥かれ陽光を美しく反射する最高導師が、そして、周囲の宮廷魔法使いたちもが涙を流す。


「最高導師という名に踊らされ、己の矮小なプライドにしがみ付き、他者を騙し、いや、無理やりに嘘を押し付けてきた……っ!」


「我々とて……、最高導師に真実を指摘することなく自分の立場を守ることだけに……っ!!」


「それを君が正してくれたっ! なんと、なんと素晴らしいんだ!!」


「……ちがひまふ」


「ありがとうっ! 君はなんと……、なんとぉぉぉ!!」


「うぉぉぉぉぉっっ! 涙が止まりませんぞぉぉぉ!!」


「聞ぃへ……」


 男が最高導師のズラを外したことで、最高導師は己の愚かさに気が付くことが出来た。他の宮廷魔法使いは自己しか考えない己の醜さに気が付くことが出来た。


 この一件を経て、男の昇格が決まることになるのだが、

 それはまた別の話である。


「ありがとぉぉぉぉおおお!!」


「ンでじゃぁぁぁああああ!!」

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