3-2
夕方ごろ、佐々木さんが帰宅した。私が帰り支度をしていると引き留められてまた夜ご飯をご馳走になった。家族のピースが一つ欠けていても尚、笑顔溢れる佐々木家が不思議で仕方なかった。本当は二人とも寂しくて大丈夫ではないのに。
咲ちゃんは毎週欠かさず見ているというアニメを見始めて私と佐々木さんは昨夜のように向かい合って各々の飲み物で喉を潤していた。
「あの佐々木さん」
「ん?」
「咲ちゃんが今日アルバムを見せてくれて、お父さんを私に教えてくれたんです」
咲ちゃんに聞こえないようにそっという。
「咲ちゃんはどうしてあんな……」
佐々木さんは咲ちゃんを見ながらひとつ頷いた。
「お父さんがいなくなってからもう五年経つの。最初は咲もよく泣いてた。時間が解決してくれてるわけじゃないけど、それでもね、咲の中で何かきっかけがあったのかな? それとも大人になったのかな~。きっと自分でもわかってないよあの様子じゃあね」
佐々木さんもわからないと首を傾げて答えた。咲ちゃんにその答えを聞く気はないけれど咲ちゃんが大人になったというのは少し違う気がする。咲ちゃんはやっぱりまだ子供だし、大人だからって死別は苦しいものだ。
「栗でておいでー」
アニメのCM中、ソファの下に潜り込んだ栗に対し膝をついて覗いている咲ちゃんの元気な声が寂しさを包み込む。
「寂しさはずっとあって、それとどう生きていくか」
佐々木さんがぼそりといった。その言葉が私の中で巡った。
「暗くなっちゃったわね。送るわ」
アニメが終わった頃佐々木さんは待ってましたというかのように立ち上がりそう言った。
「そんな、とんでもないです」
何から何までやってもらい正直もう私自身もこの状況に耐えられないまであった。
「また迷子になっちゃうよ」
咲ちゃんがいう。大人なのに情けないという、気持ちばかりの葛藤をした後、懲りてまた甘えさせてもらう事にした。
外はもう冬のような冷気が漂っていた。鋭い風が火照った頬を刺す。どれだけ家の中が温かかったのかがわかる。
「わぁみて」
咲ちゃんが何やら歓声を上げた。空目掛けていっぱいに背伸びをし指をさしている。寒くて縮まってしまう私の身体とは裏腹に咲ちゃんは手を高く上げ真っ赤な顔を曝け出し夜空を見あげている。咲ちゃんの指さすその先端は私の身長よりも低いのに。私は咲ちゃんに倣って顔を上げる。首元に鋭い冷気が触ると同時に息をのんだ。そこにあったのは、混じりけのない真っ黒のキャンバスの上に散らばった星たちだった。彼の横顔がすぅっと思い浮かぶ。
「さ、車乗って」
佐々木さんの言葉で我に返る。車に乗り込むと星は見えなかった。
「ねぇ小山さん、住所は?」
「え?」
「送るって言ったでしょ」
「ビジネスホテルじゃないんですか」
「まぁ遠すぎたら無理だけど」
私の帰るべき場所はどこなのだろう。暫く黙ってしまう。佐々木さんは「寒いね~」と言いながらエンジンが温かくなるのを待っているようにして、本当は私の言葉を待ってくれていた。私はそっと、彼と過ごした思い出の街の名前を口に出す。
「いける距離だね、行こう」
「しゅっぱーーつ!」
咲ちゃんの元気な声が車内に響く。
彼は星が好きだった。特に冬の夜空は格別だそうで、彼は冬、夜中になると頻繁に車を出した。対して私は特に星に興味はなかったが毎晩当たり前の様に彼に付き合っていた。
「ほら、あれプレアデス星団」
星を見あげる彼の横顔がすきだった。
「死んだら星になってみたいよね」
「星は無理だよ普通に」
「ロマンがないなぁ」
彼とそんな話をしたのを思い出す。あの頃は本当に彼が死ぬなどこれっぽっちも思っていなかった。
車内に音楽が流れる。聞いた事のない曲だった。隣に座る咲ちゃんはノリノリで歌を重ねていた。今の私の心境とは随分とかけ離れたもので寧ろ救いだった。
「いい曲ですね」
「お、気に入った?」
斜め前から佐々木さんが答える。
「はい、自然と元気になれます」
「でしょ。この曲旦那も好きだったんだ」
「え」
私は一人静かに驚いたが、二人は変わらず口ずさんで楽しそうにした。不思議で仕方なかった。大切な人が好きだったものを傍に置いておくことは苦しくはないのだろうか。
夜が更に濃くなっていく。車内からみる景色は一瞬で後方へ去っていく。見たことのない街の風景だ。私はどこまで遠くに来ていたのだろう。佐々木さんはいける距離だといったけれど、車を走らせてはや三十分。あぁ。あの部屋に帰るのかと思うと急に溜息をつきたくなった。これでは佐々木さんに失礼極まりない。
曲がコロコロと変わる。アーティストは同じ様だが静かな曲へと切り替わった。隣で元気いっぱいだった咲ちゃんもいつしか眠っていた。初めて咲ちゃんに逢った日、私は咲ちゃんにはお父さんもいて幸せなのだろうと羨ましがった。でも実際咲ちゃんにお父さんはもういなくて私はそれを酷く悲しく思った。私よりも幸せな人を見たくない気持ちは確かにあったけれど、同じような思いをした人がいることが悲しくてたまらない。咲ちゃんがこの先幸せであるように願う。
咲ちゃんの小さな寝息を聞いていると私も眠くなってきた。程よく揺れる車内。程よい騒音に穏やかな旋律。そして温かい空間。そのどれもが私を夢へ誘った。
「ねぇ! 今流れ星流れた! 見てた?」
彼の横顔が突然私の方に向けられる。目があう。
「あ、みてなかった」私が答える。
「勿体ないなぁ」
「そんなことない」
そう、そんなことはないよ。流れ星よりも、ずっと、ずっと、君が愛おしいんだ。
身体を優しく揺さぶられ目を覚ました。目の前には佐々木さんがいて、私はだらしない眼を擦って素早く姿勢を正した。
「着いたよ、小山さんの家」
ドアが開かれたことで車内に冷たい空気が入り込む。眠っている咲ちゃんを冷やさないようにと慌てて車を降りた。見慣れた風景が視界いっぱいに広がる。時刻は八時。出発から一時間半も経過していた。
「すみません、こんな遠いところまで送っていただいて。それに寝てしまって」
咲ちゃんを起こさないよう、私は深々と頭を下げながら小さく礼と謝罪をする。
「ううん、いいんだよ」
これで佐々木さんとはお別れなのかと思うと寂しさを覚えた。咲ちゃんを起こすわけにはいかないが、無言で去るのもなんだか卑怯な感じだ。
「いいのよ咲は」
「でも……」
「だから、また遊びに来てね」
そういうと佐々木さんは紙きれを渡してきた。そこには携帯番号らしき数字が書かれていた。目頭が、身体が熱くなる。
「本当に、ありがとうございます」
「泣かないでよ」
私はまた、泣きそうになっていた。
「はい、もう大丈夫です」
「本当に大丈夫?」
「え?」
少し、沈黙が続いた。車内には出発した時の音楽が小さな音量で流れていた。
「悲しかったらおいで。逃げていいと思う。でも彼はちゃんと思い出の中にいるよ」
それはありきたりの綺麗ごとだった。けれど今まで聞いた何よりも重く響いた。佐々木さんがそういうなら間違いないのだと思える。彼との思い出から逃げようとしたって彼を思い出さないことなどできなかったように、彼はずっと思い出の中にいた。そしてそれは何も思い出の中だけでもなくて。
私は真上を見あげた。星が煌めいている。彼の横顔ばかり見ていた私のすぐ隣で彼はこんな空を見ていたのだろう。
「実は」
目をそっと閉じて瞼の裏で浮かび上がる彼の横顔に出逢う。もう一度目を開ける。
「実は、星ってものすごく綺麗なんですね」
本当は彼との夢を見ていたのだと、そこで見つけた答えを伝えようと思ったが不必要だと思いやめた。佐々木さんはやはり言葉の奥まで受け取ってくれて「そっか」と微笑んでくれた。
その後何度も頭を下げ、星空の下、佐々木さんの車を見送った。
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