孤独と思い出たち
とがわ
1-1
また夢を見た。
肌寒い秋の風。窓を開けながら眠ってしまったようで、部屋中が凍えていた。人一人分がいなくなっただけで、こんなにも部屋は冷たくなるのだと知った。過去の私は真冬の朝、窓が開いていても温かいと感じていたはずだった。布団を頭まで被る。そうしないと胸にぽっかりとあいた穴が、泣いてしまう。漠然とこわかった。穴が広がり自分という存在が消えてしまうことがこわいのではない。寧ろそうなれるのならそれを望む。私にはもう、ぬくもりが残っていない。私に残るのは、単なる思い出だけ。それも今は蓋をしてずっとずっと奥の引き出しに隠しこむことに必死だった。けれど目覚めたばかりの脳は、ついさっきまで見ていた夢を鮮明に思い出させる。
少しくすんだ黄に染まる銀杏並木。銀杏の木はいくつもの銀杏の葉を作っては地に落として彩りを広げる。彼らは、上からも下からも私たちを覗く。
「すっかり秋が深まったね」
すぐ隣を歩く彼が朗らかにそう呟く。私の左手と絡み合う彼の右手から感じるぬくもりは、いつも優しくて温かく居心地がよかった。これからもずっと。このままで。
そう思っていた。
思い出に蓋をしても夢の中に彼は現れる。所詮夢であって曖昧でおかしな事ばかり起こる夢の中でも、彼がいるという事実だけはこれまでの人生と何ら変わらない。だからこそ目が覚めてまた、彼がいないのだと痛感し枕を潰れるほどに抱きかかえて呻き泣く。そんな一日の始まりを、もう一ヵ月続けていた。
泣き果てた頃、ベッドから少し離れた床に置かれたスマホが音を鳴らした。真っ赤に腫れた眼を擦りもせず、重たい身体を起こしスマホを手に取る。もしかしたら彼からかもしれない、そう期待するだけ虚しいのに私は淡い期待を抱かずにはいられなかった。差出人は母親だった。毎日何かしら連絡をしてくる。娘が死ぬのではないかと心配なのだろう。情けない事に、死ぬほどの勇気は持ち合わせていなかった。〝大丈夫〟。昨日も送ったそれを、今日も母親に送った。
私と彼は長年付き合った延長で一生を誓うべく十月に結婚式を挙げた。秋シーズンは春に比べて忙しさも落ち着いていて、気候も優しい。故に予約を取ることは難しいとの話だったが私たちは十月の予約を難なく取った。二人で何度も結婚式場を見に行ったのも招待状を作るのも幸せいっぱいだったのに、結婚式当日はそれらを上回るほどの幸せと愛で溢れた。幸せ続きだったのだ。幸せすぎて、溺れていることにすら気付かなかった。牧師を目の前に皆の前で愛の誓いをする。どんな時も永遠に一緒にいることを誓った。誓ったからには永遠に一緒なのだ。
結婚式の写真が、今も部屋の棚に大袈裟に飾られている。彼はなんて優しく笑うのだろう。幸せに溢れていたのは奇跡だった。彼は幻だったのだろうか。そう思った方が楽なのかもしれない。
どんな冗談を言っても真実は現実のものだ。彼は確かに傍にいたし、彼は確かに死んだのだ。私はまたベッドに潜った。けれどこれ以上眠ることはできず、泣くことも疲れた私は、不覚にも腹を空かせていた。そういえばと、三日ほど何も口にしていないことを思い出した。結婚する前から同棲していたこの部屋には彼の面影を残す物が多すぎた。私は空腹を理由に窮屈なこの部屋から脱走を試みようとした。突拍子もない、とは自分でも思った。けれどやはりこの部屋にいたら嫌でも思い出は飛び出してくるのだ。食べるものもない。今なら外に出られる気がした。暫くは帰らない覚悟でコートを着て、貴重品だけを鞄に詰めて彼との〝思い出〟を後にした。
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