「切り札と切り札」

 ニコルがでっち上げた即席そくせきの火矢は、ニコルから見て最も手前の酒樽さかだるねらちがわずにぶちき、粉砕ふんさいされたたるの中で気化していた大量のアルコールを、一瞬いっしゅんにして着火させた。


 激烈な化学反応が巻き起こった。


 矢の激突げきとつによって土手っ腹にあなを開けられた酒樽が、次の瞬間しゅんかんにはおのれの内部にまっていたアルコールの爆発的ばくはつてき燃焼ねんしょう爆圧ばくあつによって破裂はれつするようにぶ。


 人の背丈せたけの数倍の高さに青白いほのおが柱となって燃え上がり、そして炎の巨大きょだいうでは四方八方にびて橋桁はしげたの上に存在するものをまわした。


「うわああああ――――――――!!」


 橋の片方の欄干らんかんわきに並べられていた酒樽が次々に爆発ばくはつし、最初に巻き起こった爆圧の威力いりょくと変わらない炎のうずを巻き起こす。重い荷馬車を後ろからしていた盗賊とうぞくたちがその炎の腕にきしめられ、続いてもう片方の欄干の脇に並べられていた酒樽にも炎は伸びた。


 例外を許さないかのようにそれらも引火、すさまじい爆発を巻き起こし、橋の真ん中から東に寄った地点が、青白い炎の海に満たされた。


 燃え上がる樽の破片はへん純粋じゅんすいアルコールとほぼ変わらない酒の飛沫しぶき豪雨ごううのように一帯へと降り注ぎ、そのすべてが燃え上がっている。炎の川にまれ、さらに炎の雨を浴びることになった盗賊たちも、燃焼のための燃料となって燃えた。


「熱い! 熱い、熱い熱い、死ぬ――――!!」

「助けてくれええ!!」


 衣服に飛び散ったアルコールを浴び、それに炎が燃え移ることで全身を炎に包まれた盗賊たちが燃え上がりながら悲鳴の限りをくす。流すなみだで消火できるはずもなく、橋桁を転げ回って火を押さえようにも、荷馬車のかげかくれるために密集していたのがあだになった。


 まだ火を浴びていない仲間に抱きつくようにしてぶつかることで仲間を延焼えんしょうさせ、炎をゆずられた盗賊たちが自分の体が火におおわれていることに顔をかれるほどにゆがませて新たな悲鳴を上げる。


 五秒に満たない時間で、橋桁の上は炎熱地獄と化した。


「飛び降りろ――!!」


 橋の下が川であることを思い出した盗賊たちが欄干をえ、炎のを引いて飛び降りる。優に五十メルトはある高さにもかかわらず、人を焼く焼却場しょうきゃくじょうと化した橋にとどまるよりはマシだと何人もの盗賊たちが燃え上がりながら落ちていった。


「ふんっ!!」


 絶叫ぜっきょうと炎に満たされた橋の上に眼差まなざしを向けてニコルは次の一射を放つ。押す者がいなくなって止まった荷馬車に向けられたその矢は、狙い違わずに前輪を直撃ちょくげきし、一撃いちげきでそれをくだけ散らせていた。


 右前輪を失った荷馬車が平衡バランスくずし、下手へたなお辞儀じぎをするように右前にかしぐ。その勢いで積んでいた木箱がすべり、荷馬車と欄干の間の橋桁に雪崩なだれさせるようにして落下した。


「…………ぐぅ…………!」


 移動するたてとしてさせた荷馬車が炎の向こうに隠れ、重量物を落とす轟音ごうおんひびかせるのを聞いて、西のたもとから全てを見張っているあか覆面ふくめんの頭目がその目を強張こわばらせる。燃え上がる橋の上から盗賊たちが自らも燃え上がりながら飛び降りる姿も目撃もくげきできた。


「あんな切り札を隠しっていたとは……!」


 荷馬車に橋の半ばまで進ませていた時の勝利の予感などは、遠くに見えた爆発と共に吹き飛んでいる。気化したアルコールを燃焼し尽くして収まりつつある火柱の向こうに、車輪を失って擱座かくざしている荷馬車の姿も見えて、それが頭目の絶望を加速させた。


 仮にもう一度移動用の盾となる同じような荷馬車を持ち出したとしても、あの擱座した荷馬車から先は進めない。自分たちで絶対的となる障害物を用意してやったようなものだ。


 燃え上がっている荷馬車まではそれが矢に対する盾となって橋をわたることはできようが、そこから先が進めない。あの強力に過ぎる矢の威力をおそれて、部下のだれも先に進もうとはしないだろう。


「――盗賊団の首領に告げる!!」


 くちびるみ、ここで望みが絶たれたくやしさにふるえている頭目は、対岸から響いてきた少年・・の声に顔を上げた。阻塞バリケードの陰に隠れて姿を見せていなかった、全ての元凶げんきょうと目される人物がすっくと立ち、首から上を見せてこちらに向かい声を飛ばしていた。


「あれは…………?」


 頭目が自分の記憶きおくき回す。炎の熱で掻き回される空気によって起こった風に金色のかみなびかせている少年の印象が確実に引っかかっていた。


「確かに見た顔だ。瞬間ではあるが、確かに……」

「お前たちの目論見もくろみはわかっている! ゴーダム家の奥様おくさまとご令嬢れいじょう拉致らちしようする魂胆こんたん見逃みのがすことはできない! 自分は小勢ではあるが、鬼神きしんしてここを守護する!! この命が尽きるまで一歩も退しりぞきはしない――死にたくなければ後退さがれ! その荷馬車から一歩でも進もうとすれば、容赦ようしゃはしない!」

「――あのレマレダールで会った子供か!」


 ひらめきが確信を呼んだ。レマレダールの街にかる橋を渡って街に突入とつにゅうしようとした際、ゴーダム公爵こうしゃくと共に馬をり自分たちの強襲きょうしゅうを阻んだ若い騎士きし拳銃けんじゅうを向けて引き金を引いた際の、かぶとからのぞいていた金色の髪と小柄こがらな体格が確かに印象にこびりついていた。


 その子供にしか見えない騎士が、今また、自分たちの行く手に立ちはだかっている。こうして追いすがってくる力はどこからいているのかと、大鉄柱の陰に身を隠す頭目はひとみを震わせながら覆面の下で噛みしめた奥歯おくばきしませていた。


「――ど、どうします…………」

「どうする、といったところでな……!」


 頭目の側に着いている部下が頭目に呼びかけるが、頭目は声を歪ませるだけだ。


 盾にしていた荷馬車がこれ以上動かないことに、今までそれを押していた火傷だらけの盗賊たちが橋を駆けもどってくる。送り出した六十人ほどの先発隊のうち、半分以上は大火傷おおやけどたおれるか橋から飛び降りるかし、戻ってた者も大半が戦える様子には見えなかった。


 有効な手立てが尽きたという空気が部下にも伝わり、全員がしている覆面からのぞく目にかがやきがなくなっている。ここでこうして手をこまねいているということが、自分たちの破滅はめつを着実に招いているということもよく理解されているようだった。


「この状況じょうきょう突破とっぱする手…………」


 対岸の少年騎士は阻塞に上体を乗せるようにして新たな矢をつがえ、牽制けんせいを続けている。盗賊たちの誰かひとりでも橋桁に乗ろうものならそれを放つと、無言の威圧いあつをかけていた。


「……あいつが相手なら、あれ・・が使えるかもな……」

あれ・・?」


 頭目の曖昧あいまいつぶやきに部下が首を傾げる。その時には、下がっていた頭目の視線は再び、ぐ水平に向けられていた。


「荷馬車に積んでいたものを持ってこい。もしかしたら、ここからは全員無傷で橋を渡れるかも知れん。あの少年の顔立ちからして、成功する目はあるな……急げ!」

「は、はい!」


 土嚢どのうふくろの代わりにした木箱に土をめる際、木箱から出したものを持ってくるようにという意味合いを理解して部下は走り出す。


「もうこっちも時間がない。これが最後の手段となるか……どうせけは勝つか負けるかだ。ためしてみる価値はあるな……」



   ◇   ◇   ◇



 橋の上から炎がはらわれ、橋桁が無人の空間になったことで対岸同士のにらいとなったことに、ニコルは体の半分を阻塞そそくの陰に隠しながら監視かんしの目を光らせていた。


 炎に巻かれながら西にげ帰った盗賊が押し出してくる気配はない。そこからさらに撤退てったいする様子もなく、少し前に橋の上がさけぶ声でれていたのが信じられないくらいの、奇妙きみょうなくらいの静寂せいじゃくに保たれていた。


あきらめて退しりぞくかもと思っていたが、まだ何か切り札を持っているというのか……?」


 盗賊たちが街道かいどうを東進してこの橋にたどり着く際、遠くのニコルたちからも観測できるほどの派手な進軍をしていたのだ。それに街道沿いの街や村、街道を通行する人々が気づいていないはずがない。きっとゴーダム騎士団に盗賊現るの報告が行っているはずだ。


 騎士団がその報を受けて急行してくるのがいつになるかはわからなかったが、今頃いまごろ出動を果たしていてもおかしくないという予測は成り立った。


「そこまでねばれればぼくの勝ちだ……このままの構図で粘れれば……。だけど、それは相手もわかっているはず。どうしてここから逃げ出さない……?」


 ――そのニコルの疑問は、次の瞬間には解消されていた。

 睨みける対岸からガラスを震わせる高さで聞こえてきた若い女性の声・・・・・・に、ニコルの心が一気に冷え切った。


「助けてェ――――――――!!」

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