「最後の罠」

 思わずふらりと足を流してしまい、ニコルはその身体を阻塞バリケードの外に出して、予想もしていなかった情景にひとみふるわせた。


「そっちからも見えるだろう!」


 黒い覆面ふくめん盗賊とうぞく怒鳴どなっているのが対岸の橋のたもとに見える。その盗賊のうでらえられ、ほおきつけられている若い女性・・・・のことが問題だった。


 たまたま通りがかったのか、それともここに来る途中とちゅうでさらわれたのかはわからない。ただ、普通ふつうのどこの街や村にでもいそうな服装の若い女性で、自分の頬に刃の先端せんたんむように当てられているのに震えがっている表情が遠くからでもわかる。


「この女の命がしければ、おれたちに橋をわたらせろ! この要求がれられなかった時は――若造! お前でもわかるよなァ!」

「待て!」


 考えるよりも先にニコルはさけんだ。


「その女性ひとを傷つけるな! かかわりいのない人のはずだ!」

「俺たちが関わり合いがあるようにしてるんだよ! その物陰ものかげからはなれろ! 手にしている弓も捨てるんだよ! 谷河の方に投げ捨てろ! ――でないと!」

「きゃあああああ!」


 盗賊がにぎる刃がその先はしで女性の頬をけずる。刃がなぞった線が赤くれて、その光景にニコルの血がこおるくらいに冷えた。


「くそっ!!」


 次の瞬間しゅんかん、全身の血管がふくらんで自分の身体を破裂はれつさせるほどのいきどおりにニコルは震え、その勢いに任せて弓を谷底の川にげ込む。急斜面きゅうしゃめんがけれることなく、弓は回転しながら底を流れる川の中に落ちていった。


「弓は捨てた! これでいいか!」

こしけんもあるだろうが! そいつもだ!」

「つ…………!」


 騎士団に入った際、ゴーダム公爵こうしゃくから直々に与えられたレイピアを捨てるのには相当の抵抗ていこうがあったが、ニコルは自分の腕をもぎ取るのと同じくらいの覚悟かくごをもって、それを弓と同じく谷の下に投げ込んでいた。


「……これでぼくに武器はない! その女性をそれ以上傷つけるな!!」

「――へっ、わかってるよ! この女はもうこれ以上傷つけねえ! そいつは約束してやる! ――が、小僧こぞう! お前は別だぜ! わかってねえとは言わさねえぞ!」

「く、う…………!」


 女性を人質ひとじちに取っている後ろで、ニコルたちが仕掛しかけたトラップによって火傷を負った盗賊たちが覆面をいだ顔でいかりを表している。皮膚ひふが水ぶくれになりすぐには冷やす水もなかったのか、数十人の男たちに痛々しい火傷のあとがあるのがうっすらと見えた。


 その苦痛をあたえた者を前にして、ただで済ませるわけがないだろう――男たちが橋を渡ってきたあとに自分に加えられる制裁を想像して、あまりもの恐怖きょうふにニコルの心臓の鼓動こどうが調子を激しく乱す。


 傷つけられたうらみ、仲間を殺された恨みをどのような形で表現されるのか、失禁して楽になるのならそうしてしまいたかった。


「小僧、お前はそこでじっとしておけよ。あんまり時間がないからたっぷりじっくりいたぶってやれないのが残念だが、まあそこは我慢がまんしてさっくり殺してやる。いいか、一歩も動くなよ!」

「――――く…………!」


 指が手のひらに食い込み、食い破るくらいに強くこぶしを握りしめニコルがかたを大きく戦慄おののかせる。怒りと絶望に歯の根が合わないほどの震えが来て、それを止めることができない。


「女、歩け! だが橋の上を走るなよ! 俺の腕からけだそうとしたら背中をす!」

「助けて……助けて!」

「歩けよ!」


 顔に赤い線を刻まれて泣きじゃくる女性をひざり、しかし腕からは放さない格好で盗賊が橋に足をかける。対して、阻塞のわきに身をさらして立つニコルは何もできない。


 今まで絶対的な殺し間キルゾーンだったはずの橋桁はしげたを、五十人ほどの盗賊たちがぞろぞろと渡りはじめる。対岸にまだ百人ほどが残っているのは、ニコルという障害を排除はいじょしたら動き始めるのだろう。人質を取られて何もできない騎士を殺すのに百人もらないのだ。


 今の今まで進むことさえ困難だった橋を盗賊たちは進む。橋桁に置かれている廃材はいざいなどの障害物も、普通に歩いて渡ろうとする相手にはつまずかせる程度の効果しかなかった。


 大人おとなしく棒立ちになって身をさらし、ゆがませた顔でうつむくニコルは――それでも、片方の目だけは上目遣うわめづかいで前を向いていた。

 橋をみしめて歩いてくる盗賊たちは残り五十、四十、三十メルトとせまっている。


「二十五……二十二……二十……十七……十四……」


 ニコルはその距離きょりくちびるの先で数えていた。握りしめた手の中にある小石・・の存在を強く意識し、全部の神経をそれに集中した。

 対岸に到着とうちゃくできることを確信した盗賊たちがみをかべる。もう、あと十数歩――。


「十……八……六…………四……」

「――ん?」


 ニコルのほとんど目の前、あと数歩で橋を渡りきろうという位置で、女性をたてにするようにかかえて先頭を進んでいた黒い覆面の男が止まった。


 橋の最後の欄干らんかん、欄干の間を一本の糸が通されていることに目敏めざとく気づく。ただ、それはおのるわないと切断できる緑色の糸ではなく、どこでも手に入るような普通の白い糸のようだった。


「――ふん。あの緑の糸が途中でなくなっちまったから、見せかけの普通の糸か。お前も色々と小細工をしてくれたよな?」


 足を止めた盗賊が、何も持っていないように見える手を握って震えているニコルを見て嘲笑あざわらう。今までおにか化け物のようにここに君臨していた相手が何もできずにおびえているかと思うと、今までの鬱憤うっぷんが逆流するようにして愉悦ゆえつに変わった。


「どうだ、ブルッてるか? ガキひとりで散々やってくれやがって。借りは利子付けて返してやる。手も足も出せないってところだな、ハハ……」

「ああ……手も足も出ないよ……でも…………」

「でも?」


 顔をそむけるようにしてうつむいているニコルの言葉――そして、少年の目がぎょろりと動いて自分を見てきたことに、先頭の盗賊はきょを突かれた。


「指だけなら、出そうだ」

「なに――――」


 ニコルの右手、今まで固く握りしめられていたそれがゆるむように開き、人差し指と中指に小石が乗せられているのが盗賊の目に映る。

 盗賊が口か手を動かす前にその小石は、ニコルの親指によって強くはじされた。


 弾丸だんがんの発射と見紛みまごう勢いで弾き出された小石は、最後の欄干の間で張られた糸を直撃ちょくげきする。その途端とたん、欄干のかげで何かのフタが開く音が聞こえたのが、盗賊の意識にひびいた。


「むぅっ!?」


 その盗賊の位置からでは死角になって見えなかった。欄干の向こう側に銀色のつつがくくりつけられていて、その筒の蓋につながれている糸が弾かれたことで外れたのだ。

 盗賊たちは次の瞬間、見た。いや、正確には見えなかった。


 一瞬いっしゅんにしてその一帯が夜に、いや、一滴いってきの光もないやみおおかくされたのだ。


「な――――」


 欄干の陰に仕掛けられた銀色の筒が、すさまじい勢いで噴出ふんしゅつしている。橋の全長を完全に覆う半径にそれは広がり、対岸でコトの始末を待つ盗賊たちも視界の一切いっさいうばわれた。


「なんだこりゃあっ!?」


 盗賊たちは知らない。知るはずもなかった。

 それがニコルが王都エルカリナを出立する際、フィルフィナから渡された餞別せんべつのひとつであること、筒から闇をき出し一帯の光をすべて吸収してしまう魔法まほうの道具であることを。


「見えねえ――なんにも、なんにも見えね――えっ!」


 視界の全てが真っ暗になり、この世から光の全部が失われたと信じて動揺どうようの声が騒然そうぜんと上がる中、女性を盾にするようにして抱きしめていた盗賊が最後に感じたのは、自分ののどに突き刺さる短剣たんけんの熱い感触かんしょくだった。


「きゃあっ!」


 熱く鉄臭てつくさいぬめり――血が自分の顔に浴びせられたのを感じたのか、闇の中で女性の声が響く。自分を捕らえていた太い腕から力が失われるのと、服を前に引っ張る力が加えられてきたのとはほぼ同時だった。


「こちらです!」


 少年騎士の声が響く。前に引かれた女性は、自分の足が踏んだのが橋桁の木の板ではなく、対岸の土の感触であるということを感じてさらに声を上げた。


 そのまま、強い力に引かれるままに土の地面を走らされる。弾むような息づかいが自分の腕を引っ張っている少年のものだということにも気づき、自分たちが橋から急いで離れているということも理解できた。


 背中に感じていた悲鳴と怒号どごう交じりの喧噪けんそうが遠く離れていく。自分の目がつぶされたと誤解している者もいるらしいというのがき叫ぶ声から伝わってくる。

 そんな混乱の極地から離れると、次第しだいに闇もうすくなり、光の気配を感じ始める。


 その闇が半分薄れた辺りで、自分の腕を引っ張っているのがやはりあの少年騎士であるということがわかる。数百メルトは全力疾走しっそうをしたか、それでも息を乱さない少年の必死の形相がすぐ目の前にあり、闇が満たした範囲はんいからのがれられたころに少年が腕を放した。


「ここからぐに走って逃げるんです! 盗賊たちは僕が食い止めますから、あなたはその間に何としてもこの場を離れて――――うぐぅっ!!」


 ニコルはその台詞セリフを全部言わせてはもらえなかった。

 女性が隠しっていた鈍器どんきが振り抜かれてニコルの腹に重々しくめり込み、意識を一瞬真っ白にさせたニコルが半ばぶように、その衝撃しょうげきで背中からたおれ込んだ。

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