「差し入れの細工」

 し固められた土の防御力ぼうぎょりょくは想像以上に強い。


 ふくろに土をめて作る土嚢どのうは、一般的いっぱんてきの大きさのものならば、大口径だいこうけいの銃によって放たれた銃弾じゅうだん貫通かんつうを防ぐことが可能だ。


 高威力こういりょくの矢に対しては土嚢は貫通を許す場合もあるが、それとて土嚢を複数個並べれば、矢の貫通力を土嚢の抵抗ていこうが上回る。


 盗賊とうぞく団は袋の代わりに数十個の木箱を使い、その中に大量の土を詰めていた。荷馬車の長さとはばいっぱい、高さは立っている人間の背丈せたけえる程度にそれが積み上げられ、かなりの重量になっている荷馬車を数十人の盗賊たちが押している。


 列を作った盗賊たちは全身のあせさせ、歯を食いしばり鈍重どんじゅうすぎる荷馬車に手をかけ足をって、かめあゆみのようにおそいが確かに前進を果たす。列の最前で馬車に手をかける者は後ろから仲間に押され、最前列の背を押す者もまた後ろに背中を押される。


 あまりにも重すぎる積載せきさいの重量に、半ば曲がった荷馬車の車軸しゃじくがギシギシときしんで不気味な音を立てる。が、これくらいの土をかべにしたてにしなければ、あの冗談じょうだんのようなすさまじい威力の矢が飛んでくるこの橋をわたる気にはなれなかった。


「くそ、邪魔じゃま廃材はいざいばかりバラまきやがって! うっとうしい!」

「押しやるだけでいい! 退かせ!」

「なんだこの張りめぐらされている糸は! いちいち足に引っかかる!」

「歩きにくいったらありゃしないぜ!」


 盗賊たちが襲来しゅうらいする前に構築した障害物は確実に時間をかせいでいた。解体された家の廃材は荷馬車の車輪の動きを止め、フィルフィナからゆずられた糸は車輪にえられても盗賊たちの足首に当たってその歩みを止める。


 足にかかるたびに乗り越えればいいのだが、その度に荷馬車を押す力が減じられるのが地味に効いていた。


「とはいえ、確実に近づかれているのは確かだからな……」


 荷馬車を盾にした盗賊たちが距離きょりを詰めてくるにつれて、ニコルの命も縮む。五十メルトの距離にまで近づかれれば盗賊たちはわっと散開してニコルにかかってくるだろう――それを矢ではらうのは不可能だ。一対いっつい大多数のいに移行するのは確実だった。


「――えず、矢がどれだけ効くかためしてみる!」


 矢狭間やはざまに矢の先端せんたんを通し、ニコルは弓のつる力一杯ちからいっぱいに引く。照準を荷馬車の上に積まれている木箱の真ん中に定め、無駄むだになるとはわかりながらもそれを放った。


 夕日の赤さに染まりつつある太陽のを反射して閃光せんこう刹那せつなにきらめき、光が走る。

 ズゥッ!!


「ぐぅっ!」


 巨人きょじんこぶしなぐりつけてきたかと思える衝撃しょうげきに荷馬車がれる。真正面から超速度の矢を受けた木箱の側面が大穴を空けてブチかれ、その破壊孔はかいこうから大量の土砂どしゃが流れ出す――が、木箱そのものを粉砕ふんさいするには至らず、固められた土の抵抗に矢は貫通せず、突き刺さりながらも止まった。


「い…………行けるぞ! あいつの矢を止めた!」


 もしかしたら木箱に詰めたこの土も貫通されるのではないか――そんなぬぐえぬ危惧きぐもあったのだが、それが杞憂きゆうであったことは相手の手によって明らかになり、盗賊たちの顔が希望を見つけたことにパッと輝く。


「木箱が全部つぶされる前に渡りれ! 土が流れる分軽くなるのはありがたいがな!」

「押せ、押せ押せ、押せ――――!」


 勢いに乗ってさらに押し出されてくる荷馬車は橋の半ばに到達とうたつし、前に進み続けている。その動きを廃材を積み上げた阻塞バリケードかげからのぞくニコルは深く息をき、どうするべきか考えを巡らせた。


「やっぱり、正面からじゃ無理か…………」

「――あんちゃん」


 前方に神経を集中していたニコルの背後で突然とつぜん声がく。おどろいたニコルがくと、先ほど退避たいひしたはずのマデクが身をかがめた姿でそこにいた。


「マデク! もどってきたのかい。ここは危ないよ、早く下がるんだ」

「わかってるよ。でもあんちゃんに差し入れしないといけないと思ってさ。いいもの持ってきたんだ。ほらさ」


 ふたつの肩掛かたかかばん両肩りょうかたから両脇りょうわきにと器用にかけているマデクが、その鞄からそれぞれ一本のびんを取り出してニコルの側に置く。


「これは?」

「うちの家の秘蔵の葡萄汁ぶどうじるだよ。めっちゃあまくて美味おいしいんだ。あんちゃん、つかれてのどかわいてるだろ? これを飲むと疲れもぶよ。ほら、せん開けてやるからさ」


 ニコルが何かをいう前にマデクは栓抜せんぬきで瓶の栓を抜き、ニコルに瓶を押しつけた。


「あいつら荷馬車を盾にして進んでるんだ。おいらたちが仕掛しかけた廃材でモタモタしてるようだけど、これじゃ十分な時間稼ぎにならないんだろ?」

「そうだね……せめてあと一時間くらいはねばりたいな……」


 エメス夫人の一行が次の街に入るまでの間、追いつかれることがないだけの時間を稼ぎたい――正確にどれだけの時間を稼げばいいのかは不明だったが、長ければ長いに越したことがないのだけは確かなことだった。


「じゃあ、差し入れが役に立つじゃないか」

「この葡萄汁が、かい?」

ちがうよ、あのたるだよ。あんちゃんもあれを使う気だろ」

「ああ……まあね」


 橋の真ん中、百五十メルトあたりからやや手前あたりに、橋の両方の欄干らんかんに寄せ、およそ二メルトの間隔かんかくを開けて一抱ひとかかえはある樽が十数個並べられている。車輪から不気味で不快な音をひびかせながら進む荷馬車は、最も遠くに置かれた樽の地点に達しようとしていた。


「――甘っ! 凄くいんだな、この葡萄汁!」


 瓶をラッパ飲みしたニコルが濃縮のうしゅくされた甘みを舌に受けて思わず顔をゆがめる。


「本当はちょっと水で割るんだけどね。でも飲めないことないさ。元気出るよ」

「――ああ、疲れが取れた気がする……ありがとう、マデク。でも君は本当に仲間のところに行った方がいい。ここから本当に危険になる」

「見てたいけど、あんちゃんが邪魔だっていうんならむよ。仲間の面倒めんどうも見なきゃいけないしね」

「君はそのとしでいっぱしの指導者の素質があるんだなぁ」


 にっ、と歯を見せて笑いかけてきたマデクの本当に子供らしい笑顔えがおに、ニコルは思わず笑ってしまった。死のかげがひたひたと確かにしのっている気配を感じている中で笑顔をかべられることは、単純に幸せなことだと思えた。


「もう少ししたら始める。マデク、なるべくここからぐに、体を低くして走るんだ。援護えんごはする――葡萄汁、ありがとう」

「あんちゃん、生き残ってくれよ。勝ったらまた葡萄汁やるからさ」

「ああ、努力する」


 ニコルは矢をつがえ、矢狭間の穴からまた強力な一射を放つ。荷馬車にさった一撃いちげきに盗賊たちが動揺どうようするすきを突くように、マデクは地をうようにして阻塞そそくの陰から飛び出した。


「……君のような子のために戦うのがぼくの務めだ。君こそ、死ぬんじゃないぞ。――さて、そろそろだな…………」


 ニコルはいったん弓から手をはなすと、適当な廃材を一本抜いて地面に置いた。その上に木くずをいてから火起こしをこすり合わせ、火花を木くずにぶつけて火を起こす。


 続いて一本の矢を引き抜くとやじりの根元部分に包帯の切れはしを巻き付け、起こした火で垂れた包帯の先端を燃やす。


「火矢の作り方も習っておいてよかった」


 矢狭間の穴から、鏃の根元から燃える矢を突き出し、弓に番える。

 盗賊たちが必死に押しつづける荷馬車は依然いぜん、進み続けている。荷馬車の先端はいよいよ、並べられた樽の一番手前側にまで到達しようとしていた。



   ◇   ◇   ◇



 最初に盗賊側で異変を感じ取ったのは、荷馬車のしりに手を着けて必死に押し、自分の背中を押してくる圧力に必死にえている盗賊のひとりだった。


「――なんか、変なにおいが、しねえ、か……!?」


 相当の力を込めないと前に回ってくれない車輪をしかるように押しているその盗賊が、自分の感覚にさわってきた違和感いわかんにうめき、それをとなりの盗賊が受けた。


「そりゃ、この何日か、風呂ふろに、入って、ねえから、な……!」

おれたちの、臭いの話じゃ、ねえよ……!」


 ぎし、ぎし、ぎしと一歩、一歩と足を踏ん張らせ、全力を込めて十数セッチごとに荷馬車を前進させる。もうどれだけ汗をいたかわからない。しかし、この橋を渡りきらねば水にもありつけそうな気配はなかった。


「なんか、つんとする、臭い…………消毒液に、似た……!」

「これは、酒のにおい、だ…………!」

「さ、酒…………?」

「橋の、端っこ! 樽が置か、れてる、だろ! 酒樽さかだる、なんだよ…………! 中に、シュピリ、チュタスが、入ってる、匂い、だ…………!」

「シュピリ、チュタス、ってなん、なんだよ…………!」

「アルコール、九割、五分の、酒だ…………! 知らねえ、のか……!」

「そんな、モン、ただの、アルコール、と変わり、ねえじゃ、ねぇか……!」

「だから、果実を、けたり、して味を、つけて、うすめて、飲む…………! アルコール度、もの凄く、たけえから、な…………! 火を近、づけたら、引火……下手へたすりゃ、爆発ばくはつする……! くわえた煙草たばこ、引火して、火傷をする、馬鹿ばかがいる……!」

「じゃあ、今、結構、ヤバいんじゃ……!?」

だれが今、煙草なんか、吸うかよ……! しかし、匂いで、っ払う、な…………!」


 その言葉が冗談とは思えないほどに辺りのアルコール臭は強かった。


「気化した、アルコールは、空気より、重いから、な…………! 橋の上、まってんだ、ろうさ…………!」

「まあ、火の気、なければ、平気か……!」


 そんな盗賊にとって、悲運なこと、幸運なことがそれぞれひとつずつあった。


 悲運であったことは、気化したアルコールを盛んに噴き出している樽に、ニコルが火矢のねらいをつけていたこと。


 幸運であったことは、盗賊が自分で押す馬車に視界がさえぎられて、ニコルが火矢で火気厳禁の樽を狙っていることが見えなかったことだ。


「――細工は流流りゅうりゅう、仕上げを御覧ごろうじろ、って感じかな…………」


 矢の先端に巻いた包帯がいちばん燃え上がる頃合ころあいを計って、ニコルは番えた矢を放つ。

 それが橋の上における第二の惨状さんじょうの幕開けを告げる、合図となった。

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