「橋の上の駆け引き」

「行け! 走れ! 距離きょりめて袋叩ふくろだたきにすればいい! 犠牲ぎせいを考えず前に進め!」


 頭目が覆面ふくめんの下からありったけの声を飛ばしてげきを下す。だが、いったん退き始めた人の土石流は、そこから逆転に転じる気配はなかった。


 確かに、矢の攻撃こうげきで受ける犠牲をかえりみず前に進めば、犠牲を出しながらもニコルの攻撃を勢いで上回り、押し流し、橋の対岸にたどり着くことはできる。


 二百五十メルトの距離をけるのに三十秒と考えれば、約五秒に一回の矢が放たれ、一射につき三人が死んだとしても、二十人に届かない犠牲で相手をふうじることができる――だろう。


 だが、先頭に立って走れば、自分がその約二十人に入ることはほぼ確実なのだ。そして、その二十人の中に入りたいと思う者はだれもいなかった。生きて報酬ほうしゅうにありつけねば、この盗賊とうぞく団に加盟した意味はないのだから。


「…………ちィ!!」


 自分の命令がまるで波及しないことに、頭目は覆面の下で顔を大きくゆがめた。


 危険な最前列から離脱りだつしようと必死にもがく盗賊たちが後列の仲間をしやってのがれようとし、三人の仲間がたった一本の矢で殺されたことを知った後列もまた逃れようと馬首をひるがえす。


 盗賊団の半分の百人を乗せた橋桁はしげたの上は悲鳴と怒号どごう、救いを求めてさけぶ声で騒然そうぜんとなり、人のつぶにぎんで圧縮するかのようにひしめかせる――両端りょうたん欄干らんかんさえぎられた一本道の橋の上で馬と馬、人と人がぶつかり合い、激しくもみ合った。


「っ!」


 ニコルはそんな混乱の坩堝るつぼとなった中に、二射目を発した。


 シュゥッ!!


 空気を切りえぐり、つらぬきながら走った二射目は、ニコルから九百歩先で背中を見せていた盗賊の背骨に命中し、かたい骨をたたき折り心臓を破壊はかいしながら胸から前に飛び出す。光のが光の速度で駆け抜けたとしか思えないその一閃いっせんに、馬上で盗賊の上半身が破裂はれつした。


「うわあああああああああああああ――――!?」


 骨と肉がくだかれ裂かれる音はひとつの爆音ばくおんばかしてとどろく。人の皮で包まれた、人の形をした風船が血と肉片にくへんらしながら内側から割れる光景に、飛び散った肉と血を浴びせられながらそれをたりにしてしまった盗賊たちがのどき裂かせるようにわめいた。


「――全員、馬から下りろ!!」


 後方近くにいた盗賊の頭目はそう叫びながら、自身はばしを支えている大鉄柱のかげかくれている。人を粉砕ふんさいするほどの威力いりょくを持つ矢の攻撃から確実に身を守れるものは、この場にはそれしかないとしか思えなかった。


「馬をたてにして下がれ! 身を低くして走れ! 早く!」

「あああ! ああああ!!」


 死が背中にぺたりと手を着けてきているこの恐怖きょうふから逃れるための手段が提示されて、盗賊たちは一斉いっせいに馬から飛び降りる。人間の数倍の体重を有し、特にその胴体どうたいの大きさと厚さは人間とは比べものにならない。


 そして、その効果はニコルに対しててきめんに効いた。


「――馬を盾にするのか!」


 馬上にあった盗賊たちの姿が馬のかべに隠れたことに、ニコルは三射目を放つのを躊躇ためらう。自分の意志で悪行を働いている盗賊たちはともかく、この場に連れてこられただけの馬に罪はない。馬というものをニコルが愛しているからということも重なった。


 そんなニコルの手がにぶっている間に、相当の手際てぎわの悪さを見せながらも盗賊たちが馬をきながら橋の上からたもとに引き返し、馬を積み上げた土嚢どのうに見立ててその陰にせた。


「――くぅっ……!」


 矢狭間はざまから双眼鏡そうがんきょうで対岸をのぞいたニコルは、盗賊たちの姿のすべてが物陰ものかげに隠れたことに歯噛はがみした。もう少し引きつけてから攻撃を開始すれば戦果を積み重ねられたかも知れないという後悔こうかいが心の中をざわめかせた。


「……いや、欲張るな、ニコル。お前は相手の足を止めればいいんだ。足を止めて、時間をかせげばいい。相手の足は止まった。この状況じょうきょう膠着こうちゃくさせれば勝ちなんだ。あせるな、ニコル。お前は焦る必要はない……」


 興奮に心臓がね、脳が煮立にたつほどに熱い気分の中で高揚こうようしきっている自分をしずめるため、ニコルは呪文じゅもんのようにそんな言葉を唱える。それはゴーダム公の声でささやかれているようにも、バイトンの声で囁かれているようにも聞こえた。


「マルダム、そしてバイトン正騎士の御霊みたまたち……天の国からぼくを見ていてください。僕に戦う力と、戦う勇気をおあたえてください……」


 このにらいも長くは続かないだろうという予感をいだきながら、自分の中の熱をすようにニコルはあらく息を吐きつづけ、前方に眼差まなざしを向け続ける。

 敵も馬鹿ばかではない、なんらかの対抗たいこう手段を打ってくるという確信が少年の緊張きんちょうを支えた。



   ◇   ◇   ◇



「敵はひとりだな」


 橋から撤退てったいし、対岸で伏せて身を隠す盗賊団の中でただ一人ひとり、大鉄柱に背をわせて立つあかい覆面の頭目もまた双眼鏡をのぞき、橋の向こう側で出口をふさいでいる阻塞バリケードを観察していた。


「な…………なんでわかるんですか……」


 伏せさせた馬の陰から、かみの一本もはみ出させまいと体を縮めた部下が頭目に問う。


「攻撃が散発的過ぎる。あの阻塞そそくの陰にいるやつしかいるまい。対して大きくない阻塞だ。隠れる人数にも限界があるし、叩くつもりなら一気に射かけてくるはずだ。後方に兵を伏せておけるような物陰もない……だが、あの射手がひとりだったとしても矢の攻撃は脅威きょういだ。その気になれば馬だって貫通かんつうされかねない」


 距離が遠ければ矢の威力も弱いが、距離を詰めれば詰めるだけその威力の脅威も増す。馬を盾にするとしても、その効果にどこまですがれるかは疑問があった。


「我々が橋の半ばまでくるのを待っているのかもな。ここでグズグズしているわけにもいかん……ここまで来るのに派手に動きすぎた。目撃者もくげきしゃにもう見つかっていて、騎士団に報告を入れている可能性があることも考えねばならんし……」

「ど……どうします……」

「隠れられるものがないのだとすれば…………」


 双眼鏡から目をはなし、頭目は覆面の口元をふるわせていった。


「隠れられるものを持ってくればいい」



   ◇   ◇   ◇



 ニコルと盗賊団、双方そうほうが対岸にはさんで睨み合う静かな時間が、何分続いただろう。

 おそらく二十分とってはいまい――ニコルが喉のかわきを感じてきた時に、自分の目と延長になったかのようにのぞき続けている双眼鏡の視野の中で、明らかな動きがあった。


「――そうだろうな、そうするだろうな……僕も、その可能性を考えていた……」


 思えば蛍光けいこう石の鉱山内の戦いでマルダムを失った際、矢の雨にさいなまれていたのは自分たちだった。矢を防がなければならなかった立場の自分たちも、前方には死んだ馬を積み上げて土嚢の代わりにして壁とし、後方はあれ・・を障害物にして矢の雨をけたはずだ。


「動く盾か。車輪がついているからこういう時は好都合だろうな……この矢の威力を知っているから中には何か詰めているだろうし……さて、どうしようか……」


 ニコルの視野の真ん中で、人の背丈せたけの二倍はあるかげがゆっくりとこちらにせまってくるのが映る。それはあかぼうがよちよちと歩くのと変わらない速度だったかも知れないが、車輪につながった車軸しゃじくをギシギシときしませながら、確実に前進していた。


 ――土でよごれた木箱をこれでもかという数をみ込んだ荷馬車が、その後方の陰に盗賊たちを引きずるように引き連れ、明らかに過積載かせきさいといった様子で重々しく押されている。


「あの木箱の中はきっと、土で満たされているんだろうな……」


 固められた土がどれだけの防御力を発揮するかは、ニコルも話で聞いている。

 苦笑くしょうしながらニコルは双眼鏡を足元に置き、三射目の矢を足元の矢筒やづつから抜いた。

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